この若草の生ひ出で 若紫07章11

2021-05-05

原文 読み 意味

この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを 似げないほどと思へりしも 道理ぞかし 言ひ寄りがたきことにもあるかな いかにかまへて ただ心やすく迎へ取りて 明け暮れの慰めに見む 兵部卿宮は いとあてになまめいたまへれど 匂ひやかになどもあらぬを いかで かの一族におぼえたまふらむ ひとつ后腹なればにや など思す

05119/難易度:☆☆☆

この/わかくさ/の/おひ/いで/む/ほど/の/なほ/ゆかしき/を にげない/ほど/と/おもへ/り/しも ことわり/ぞ/かし いひより/がたき/こと/に/も/ある/かな いか/に/かまへ/て ただ/こころやすく/むかへ/とり/て あけくれ/の/なぐさめ/に/み/む ひやうぶきやうのみや/は いと/あて/に/なまめい/たまへ/れ/ど にほひやか/に/など/も/あら/ぬ/を いかで かの/ひとぞう/に/おぼエ/たまふ/らむ ひとつ/きさきばら/なれ/ば/に/や など/おぼす

この若草が生い出る頃の女君がやはり見ていたいのだが、まだふさわしくない年頃だと尼君が考えるのももっとのなことだ、言い寄りがたい状況でもあるな、どうにか工夫して、まったく安心して迎え入れ、明け暮れの慰めに見よう、父君である兵部卿宮は、とても高貴でしっとりと美しくいらっしゃるが、匂いたつような感じでもないのに、どうして女君はあの方のご一族に似ていらっしゃるのだろうか、父君とあの方が同じ后の御子であるからなのだろうなどとお思いになる。

この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを 似げないほどと思へりしも 道理ぞかし 言ひ寄りがたきことにもあるかな いかにかまへて ただ心やすく迎へ取りて 明け暮れの慰めに見む 兵部卿宮は いとあてになまめいたまへれど 匂ひやかになどもあらぬを いかで かの一族におぼえたまふらむ ひとつ后腹なればにや など思す

大構造と係り受け

古語探訪

この若君の生ひ出でむほど 05119

尼君の歌「生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えんそらなき」から来ているのは諸注にある通りである。しかし、注釈は「若草」を紫の比ゆと考えるが、「若草の生ひ出むほど」全体が、生長過程にある紫の比ゆになっていると取るほうが、読みに広がりが出ると思うがどうであろう。「なほ」:意味は、やはりとしか訳しようがないが、何に対してやはりなのか。自然に考えると、尼君に断られたがそれでもやはりの意味であろう。しかし、それでは受けるのが遠すぎる感じがする。古典は、近代小説とは違い、物語内の時間がいい加減なので、こういうことに一々気を取られてはいけないという暗黙の了解があるように聞く。近代文学の読み方を古典にあてはめるのはいけないのだと。しかし、読み方に近代も古典もない。第一、古典だけの読み方なんてあるなら教えてほしい。なんだか抽象論に陥りそうなのでポイントを絞ろう。次の段が「またの日(すなわち、北山から戻った翌日の意味)」で始まることから、この段は、北山から戻った当日のことである。この日は先ず、帝に復命し、その後、左大臣の勧めで葵のもとで一夜を明かすことになったのは、前回までで読んだ。その続きがこの段である。したがって、光の横には、あのいつも不機嫌な葵がいるのだ。そういう物語が語ってきた時間の蓄積の中で、この段を読むべきなのだ。「なほ」一語で、葵とのごたごたを一気に飛び越え、北山にいた時の時間にもどることは、わたしにはできない。この「なほ」は、「命だに」とひとたびは子作りにはげもうとしながら、できなかった光が、ふたたび紫へ思いはせた「なほ」である。尼君に断られても「なほ(やはり)」でもあるが、より身近には、「命だに心にかなふものならば何かは人を恨みしもせむ(命さえ心にかなうものならば、どうして人を恨んだりしようか)」とまで思い、無理して葵と同衾する覚悟をしたのに、袖にされたつらさを背負って「なほ(やはり)」紫のことがゆかしく思われるのである。それだけの重みのあるゆかしさなのだが、現実にはなかなかうまくことが運びそうにないというのが、「ゆかしきを」の「を」以下である。

思へりし 05119

主体は尼君。

かまへて 05119

いろいろと工夫・準備し。

慰め 05119

藤壺の代わりとしての慰めであることは諸注にある通りだが、それだけではない。今説明したように、葵との不幸な結婚に対する慰めでもあるだ。葵とのごたごたが、北山からもどった後に挿入されていなければ、そう読む必然性はないが、この前に挿入されている以上、それを重ねて読むことを物語は強いるのである。近代文学であろうと古典であろうとそれは同じことなのだ。

兵部卿宮 05119

紫の実父。

あて 05119

高貴。

なまめいたまへれど 05119

しっとりした感じとされる。

匂ひやか 05119

視覚ないしは嗅覚に訴える美で動的な感じがする。すなわち、距離があっても、こちらにむかって発散してくるような感覚なのだ。これを光は透き見で感じ取ったのだ。

かの一族におぼえたまふ 05119

紫が「かの一族」すなわち藤壺を思い起こさせること。紫のゆかり。

ひとつ后腹なればにや 05119

兵部卿宮と藤壺が同じ后の腹から生まれたからかということ。すこしわかりにくいところだ。要するに、「にほひやか」なる美質は、女系に伝わる美質だということなのだろう。そのため、男である兵部卿宮には発現しないが、女兄弟と娘にはそれが発現したのであろう。おそらく、それは母である后から伝わったと考えてよかろう。

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