かうやうのついでな 若紫05章09
原文 読み 意味
かうやうのついでなる御消息は まださらに聞こえ知らず ならはぬことになむ かたじけなくとも かかるついでに まめまめしう聞こえさすべきことなむ と聞こえたまへれば
05072/難易度:☆☆☆
かうやう/の ついで/なる/おほむ-せうそこ/は まだ/さらに/きこエ/しら/ず ならは/ぬ/こと/に/なむ かたじけなく/とも かかる/ついで/に まめまめしう/きこエさす/べき/こと/なむ と/きこエ/たまへ/れ/ば
「こうした人伝のやり取りなど、今まですこしも、聞いたためしのない、初めてのことで。恐れ入りますが、こうした機会に、あなた様から折り入って申し入れていただきたいお話が」と申し上げになると、
かうやうのついでなる御消息は まださらに聞こえ知らず ならはぬことになむ かたじけなくとも かかるついでに まめまめしう聞こえさすべきことなむ と聞こえたまへれば
大構造と係り受け
古語探訪
かうやうのついでなる御消息 05072
今回一番の問題の個所。まず、テキストと解釈がふたつある。「ついでなる御消息」のテキストで、尼君の和歌に込められた、真面目に取り合わない返事の意味と、「つてなる御消息」のテキストで、人を間に介した恋のやりとりの意味とである。テキストとしては前者に無理がなく、意味としては後者に軍配があるというのがわたしの率直な意見。従って、後者のテキストにすべきであろうが、前者のテキストを「序でなる御消息」でなく、「継いでなる御消息」と考えれば、テキストはそのままで、後者の意味になるのではなかろうか。あとは、意味として、後者がよいことを立証できればよいだけである。次の注で詳述する。
聞こえさすべきこと 05072
「させ」に注意。これまでの表現を整理すると、A光が僧都に「聞こえたまひてんや」、B僧都自身が「(かのおばに語らひはべりて)聞こえさせむ」、C光が取り次ぎの女房に「聞こえたまひてむや」とあった。使役の「させ」が入る場合と入らない場合の違いは何か、光が頼んだ人(僧侶と取次ぎの女房)が相手(私の説では紫、諸注は尼君)に直接話す場合は「させ」がつかず、僧侶がおば(=尼君)を通して告げる場合に「させ」が入るのである。ということは、光が話したい相手は、尼君でなく紫であることは明白だ。次に、ここで「させ」が使われている理由を考えると、光はこれまで紫と話したいと考えていたのに、間に尼君が出てきた。これは無視できないので、尼君を通して紫に伝えて欲しいとの意味で「させ」を入れたのだ。