少納言なほいと夢の 若紫15章02
原文 読み 意味
少納言 なほ いと夢の心地しはべるを いかにしはべるべきことにか と やすらへば そは 心ななり 御自ら渡したてまつりつれば 帰りなむとあらば 送りせむかし とのたまふに 笑ひて下りぬ
05240/難易度:☆☆☆
せうなごん なほ いと/ゆめ/の/ここち/し/はべる/を いかに/し/はべる/べき/こと/に/か/と やすらへ/ば そは こころ/な/なり おほむ-みづから/わたし/たてまつり/つれ/ば かへり/な/む/と/あら/ば おくり/せ/む/かし と/のたまふ/に わらひ/て/おり/ぬ
少納言は、「今もって、夢心地でおりまのに、どういたすべき状況でしょうか」と降りなずんでいると、「それは随意というもの。ご当人をすでにお連れ申したのだから、帰りたいのであれば、見送りしよう」とおっしゃるので、笑って降りた。
少納言 なほ いと夢の心地しはべるを いかにしはべるべきことにか と やすらへば そは 心ななり 御自ら渡したてまつりつれば 帰りなむとあらば 送りせむかし とのたまふに 笑ひて下りぬ
大構造と係り受け
古語探訪
いかにしはべるべきことにか 05240
直訳すると、「どういたすべきことですか」となる。つまり、この場に際して、少納言はどういう態度を取るべきか、光にその決定をゆだねているのである。それに対して光は思う通りにするものだと、決定権を相手に戻したのである。もちろん、女房である以上、まったく思い通りに自分の行動を決められるものではないが、これを光の居直りなどと取るのは見当違いであろう。結果として自由な行動が取れないにせよ、相手の目線におりた物言いだと思う。
そは心ななり 05240
「ななり」は「断定+伝聞」である。光は「心なり」と突っぱねず、ものやわらかく「ななり」と言ったのである。さて、この「ななり」については、「なるなり」が「なんなり」と変化し、「ん」の表記が落ちて「ななり」となったとされているが、もとの形は「なりなり」であると大野晋氏は説いている。万葉集などがそうなっているという帰納法と、推量の助動詞は終止形に接続するものであるというルールからの演繹法から、そういう結論を出されている。よって、「なるなり」という手写本は、後世の誤記であると。「なりなり」の繰り返しが言いにくくて「なんなり」に変化したのかなどと思ったりする。
渡したてまつりつれば 05240
主語は、少納言でなく光。紫をこちらに連れて来たのだから、あなたは帰りたいなら送りますよってこと。これは冷たく突き放したとも取れるが、思い通りにすることの一例として述べているのである。もちろん、帰らないことはわかっていての話だが。
笑ひて 05240
苦笑とする説があるが、どうすべきかといきばり、あるいは、どうにもしようがないと抵抗してみせた少納言だが、思い通りするさと不意をつかれ、力が抜けて、ほっこりし、思わず笑みがこぼれたと私はみる。