君いかにせまし聞こ 若紫14章03
原文 読み 意味
君 いかにせまし 聞こえありて好きがましきやうなるべきこと 人のほどだにものを思ひ知り 女の心交はしけることと推し測られぬべくは 世の常なり 父宮の尋ね出でたまへらむも はしたなう すずろなるべきを と 思し乱るれど さて外してむはいと口惜しかべければ まだ夜深う出でたまふ
05224/難易度:☆☆☆
きみ いかに/せ/まし きこエ/あり/て/すきがましき/やう/なる/べき/こと ひと/の/ほど/だに/もの/を/おもひ/しり をむな/の/こころ/かはし/ける/こと/と/おしはから/れ/ぬ/べく/は よ/の/つね/なり ちちみや/の/たづね/いで/たまへ/ら/む/も はしたなう すずろ/なる/べき/を/と おぼし/みだるれ/ど さて/はづし/て/む/は/いと/くちをしか/べけれ/ば まだ/よぶかう/いで/たまふ
君は、どうするのがよかろう、このことが漏れ伝わって、好色がましいと判断される事態だ、最低でも人並み程度には分別があって合意した仲であろうと、そのように取り沙汰されるに違いない、それが世の常だ。父宮が尋ねお当てになるにしても、みっともなく言い訳の立たないことになろうしと、思い悩まれるが、さりとてそのまま見過ごすとしたらとても残念であろうからと、まだ夜深いうちに出立される。
君 いかにせまし 聞こえありて好きがましきやうなるべきこと 人のほどだにものを思ひ知り 女の心交はしけることと推し測られぬべくは 世の常なり 父宮の尋ね出でたまへらむも はしたなう すずろなるべきを と 思し乱るれど さて外してむはいと口惜しかべければ まだ夜深う出でたまふ
大構造と係り受け
古語探訪
いかにせまし……すずろなるべきを 05224
この部分は光の心中語。この部分の解釈が気になる。まず前提として光は、紫を迎えにゆくつもりであること。これが前提となって、それがうまくできるかどうかを考えているのである。諸注ではそのあたりがはっきりしないが、迎えにゆくことを前提にしていないように思われる。それはそれとして「聞こえありて」は、紫をかくまうとして、お付きの女房などから、何かの機会にそのことが世間に漏れることがあるかも知れない。紫のことが聞こえてくる、これが「聞こえ」である。「聞こえありて」は「推しはかられぬべく」にかかる。「すきがましきやうなるべきこと」と「人のほどだにものを思ひ知り女の心かはしけること」とは並列の関係で、これも「推しはかられぬべく」にかかる。ここまで整理がつけば解釈にそれほど難はなかろうと思う。「すきがましきやうなるべきこと」は、主語がないが、光が紫を迎え入れること、それが「すきがましきやうなるべきこと」だと推し量られるのである。「べき」を訳すのは難しいが「こと」にかかっていることに注意すると、すけべったらしいに決まった恋愛だ、とでもなる。問題は、「人のほどだにものを思ひ知り、女の心かはしけることと(推しはかられぬべくは世の常なり)」である。諸注は、せめて紫が分別のわかり、合意の上でのことだ(と想像してくれることであったら、世間のありがちのことだが)くらいの訳をつけている。なんともアクロバティックな訳である。「推しはかられぬべくは世の常なり」に限って訳しても、きっとそのように推量されるのが世の常であるとなるのであって、上のような「くれたら」などの願望表現は、どこをどう見ても原文には見つからない。なぜそんな無理をするのかは目星はつく。犯人は「だに」である。「だに」は願望表現と結びつくときは、「せめて……してくれたら」と最低限の願望を示す。そこで、「ぬべく」に目をつけ、きっと~だろうとの意味だから、きっと光もそう望んでいるだなとかなんとか、現代語に移し替えてから操作が加わり、上のような訳ができてしまうのだと思う、きっとね。しかし、「ぬべく」には願望を示す用法がない。好きがましいと想像されるし、女が合意したであろうと想像される、それが世の常だと書いてある。「人のほどだにものを思ひ知り」は、従って、(最低限)人並み程度には分別判断ができてと意味である。繰り返すが光がそう望んでいるのではない。結局、光が気にしているのは、紫を迎えることが、「据え」という結婚形態と思われることなのだ。実際には紫が結婚できる年齢ではないので、男女の関係ということではないのに、人はそう取るに違いない。人はと言ったが、具体的には、葵や藤壺や御息所や帝などがそう考えるであろうと懸念しているのだ。前回の俗謡が思い出される。「父宮の尋ね出でたまへらむも」は、光が迎える場所に、父宮が尋ね当てになった場合のことを想定している。「はしたなうすずろなるべきを」:「はしたなし」はみっともない。「すずろなり」は以前も注釈したが、なかなか語義をとるのが難しい言葉である。これは、確かな根拠や原因がない状態に陥ったときの気分である。光としては、通常の男女の恋愛とは一線を画す関係として紫を迎えるが、父親の前では、そんな関係が認められる根拠はどこにもない、それが「すずろなり」の具体的意味。前回も述べた結婚であって結婚でない関係をどう築くか、対社会にそれをどう理解させるか、あるいはどのように対社会からそれを守り、その関係を維持してゆくかが、光の当面の(少なくとも男女の関係を結ぶまでの)問題であるのだ。
さて 05224
そのままの状態で、すなわち、手をこまねいたまま何もせず。
外し 05224
手に入りそうなものをみすみす見逃すこと。「てむは」は一種の仮定。