少納言は惟光にあは 若紫13章11

2021-05-10

原文 読み 意味

少納言は 惟光にあはれなる物語どもして あり経て後や さるべき御宿世 逃れきこえたまはぬやうもあらむ ただ今は かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを あやしう思しのたまはするも いかなる御心にか 思ひ寄るかたなう乱れはべる 今日も 宮渡らせたまひて うしろやすく仕うまつれ 心幼くもてなしきこゆな とのたまはせつるも いとわづらはしう ただなるよりは かかる御好き事も思ひ出でられはべりつる など言ひて この人もことあり顔にや思はむ など あいなければ いたう嘆かしげにも言ひなさず 大夫も いかなることにかあらむ と 心得がたう思ふ

05218/難易度:☆☆☆

せうなごん/は これみつ/に/あはれ/なる/ものがたり-ども/し/て あり/へ/て/のち/や さるべき/おほむ-すくせ のがれ/きこエ/たまは/ぬ/やう/も/あら/む ただいま/は かけて/も/いと/にげなき/おほむ-こと/と/み/たてまつる/を あやしう/おぼし/のたまは/する/も いか/なる/みこころ/に/か おもひ/よる/かた/なう/みだれ/はべる けふ/も みや/わたら/せ/たまひ/て うしろやすく/つかうまつれ こころをさなく/もてなし/きこゆ/な と/のたまはせ/つる/も いと/わづらはしう ただ/なる/より/は かかる/おほむ-すきごと/も/おもひ/いで/られ/はべり/つる など/いひ/て この/ひと/も/ことありがほ/に/や/おもは/む など あいなけれ/ば いたう/なげかしげ/に/も/いひ/なさ/ず たいふ/も いか/なる/こと/に/か/あら/む/と こころえ/がたう/おもふ

少納言は、惟光にこの家にまつわる同情を引く話などをして、「時が経った後でなら、そうなるべき御宿縁は逃れ申すことがおできにならないようなことにもなりましょう。しかし、ただ今のところは、もう決してまったく不釣り合いなお話であると存じ上げておりますのに、ただならず言い寄られるのも、どういう御心ゆえかと、理解の及ぶところでなく、どうしたものかと思い悩んでおります。今日も、宮がお越しになって、不安のないようお仕え申し上げよ。思慮のないお扱いをし申すな」と命じになるにつけても、なんと面倒なことかと、何もない時よりは、こうしたお色事もつい思い出されたことです」などと言って、この人もことあり顔に思うだろうななどと考えるが、言っても甲斐がないので、ひどく嘆かしげにも言いつくろわない。大夫も、いったいこの状況はどういうことなのだろうと、心得がたく思う。

少納言は 惟光にあはれなる物語どもして あり経て後や さるべき御宿世 逃れきこえたまはぬやうもあらむ ただ今は かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを あやしう思しのたまはするも いかなる御心にか 思ひ寄るかたなう乱れはべる 今日も 宮渡らせたまひて うしろやすく仕うまつれ 心幼くもてなしきこゆな とのたまはせつるも いとわづらはしう ただなるよりは かかる御好き事も思ひ出でられはべりつる など言ひて この人もことあり顔にや思はむ など あいなければ いたう嘆かしげにも言ひなさず 大夫も いかなることにかあらむ と 心得がたう思ふ

大構造と係り受け

古語探訪

あはれなる物語ども 05218

尼君の死をはじめとしてこの一家が傾き出していることを訴え、紫の将来が不安であることを訴え、どうして光自身が来てくれないのか、光の不実を訴えるのである。この部分が後に惟光が光に復命し、「参りてありさまなど聞こえければ、あはれに思しやられるれ」につながる。

あり経て後 05218

時が経ってから。

さるべき 05218

そうなるべき。

かけても 05218

「似げなき」の「なき」と呼応し、決して~ないの意味。

あやしう思しのたまはする 05218

はたから理解しがたいほど熱烈に求愛すること。

思ひ寄るかたなう 05218

理解しようにも理解できない。

うしろやすく 05218

紫にとって不安なく。

心幼く 05218

年端のゆかないような無分別なこと。前回「いはけなくうち出きこえさせたまふな」の「いはけなく」に近い。前回も今回も対象は女房。もちろん紫に対してではない。紫を子供扱いするなという意味ではない。具体的には、男を寄せ付けてはならないということ。女房たちの関心のほとんどすべてが恋愛である。軽率なことをしてくれるなと、それをたしなめたのである。折しも光と擬似的後朝があった直後であるから、少納言にはこたえたのである。

いとわづらはしう 05218

「のたまはせつるも」に対する述語とする説がある。しかし、「思ひ出でられはべりつる」にかけるべきである。前々回「広うもの古りたる所」で説明を省いたが、音便変化した語は、中止法でなく、原則連用修飾となる。これは決まりというより、わたしの経験則であるが。

ただなるよりは 05218

普段よりは。

この人も 05218

惟光も。

あいなければ 05218

悲しげに訴えても仕方がないの意味ではない。実事がなかったことを惟光に説明しようとしても、状況的に信じてはもらえないということ。実事があったのであれば、もっと積極的に訴えるべきであるが、実事がない、すなわち、まだ結婚は成立していないのだから、面倒を見てくださいと直接的に訴えられないのである。状況的には実事はあったのである。「大夫」すなわち惟光は、実事があったと見ているのに、少納言が積極的に訴えないのはどういうことかと合点がゆかないのである。

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