立ちぬる月の二十日 若紫11章04
原文 読み 意味
立ちぬる月の二十日のほどになむ つひに空しく見たまへなして 世間の道理なれど 悲しび思ひたまふる
などあるを見たまふに 世の中のはかなさもあはれに うしろめたげに思へりし人もいかならむ 幼きほどに 恋ひやすらむ 故御息所に後れたてまつりし など はかばかしからねど 思ひ出でて 浅からずとぶらひたまへり
05179/難易度:☆☆☆
たち/ぬる/つき/の/はつか/の/ほど/に/なむ つひに/むなしく/み/たまへ/なし/て せけん/の/だうり/なれ/ど かなしび/おもひ/たまふる など/ある/を/み/たまふ/に よのなか/の/はかなさ/も/あはれ/に うしろめたげ/に/おもへ/り/し/ひと/も/いか/なら/む をさなき/ほど/に こひ/や/す/らむ こ-みやすむどころ/に/おくれ/たてまつり/し など はかばかしから/ね/ど/おもひ/いで/て あさから/ず/とぶらひ/たまへ/り
「先月の二十日頃です、ついに亡くなる見届けまして、世のことわりながら、悲しみあれこれ思われることです」などと返書にあるのをご覧になるにつけ、世の無常を思うにつけても女君を愛しく思い、尼君が将来を心配していた人もどうしているだろう。幼い時期だから、恋い慕ているのではなかろうか。母宮に先立たれ申したことなどを、はっきりとではないが、思い出して、ねんごろにお見舞いなさる。
立ちぬる月の二十日のほどになむ つひに空しく見たまへなして 世間の道理なれど 悲しび思ひたまふる
などあるを見たまふに 世の中のはかなさもあはれに うしろめたげに思へりし人もいかならむ 幼きほどに 恋ひやすらむ 故御息所に後れたてまつりし など はかばかしからねど 思ひ出でて 浅からずとぶらひたまへり
大構造と係り受け
古語探訪
立ちぬる月 05179
先月。今は行幸が終わった時点の十月だから、九月のこと。
見たまへなし 05179
「見なす」に謙譲の「たまふ」が間に入った形。見なすは、見てこうだと判断すること。ここでは、尼君の死に立ち会い、亡くなってしまったんだと、その事態を受け入れたこと。
悲しび思ひたまふる 05179
「悲しび」は「思ふ」に掛けず、「思ふ」と並列させる。単にかなしく思うならば、「悲しぶ」一語で足るから。
世の中のはかなさもあはれに 05179
この「あはれに」は以下で紫の身を案じる内容が来ることから、紫をいとしく思う気持ちと取らねばならない。
うしろめたげに思へりし人 05179
「人」は紫。「思う」の主体は尼君である。それは、「げ」という他人のことに対する推測の語があることと、「し」という過去が使われていること。ここで過去「き」について、これは一般に直接過去とあり、自分が体験した過去について使用すると説明するが、あきらかにこの場と矛盾する。過去の「き」は、現在と切り離すこと。「うしろめたげに」思うことがはっきりと過去に属すること、従って現代ではないことを言う。主語が自分であるか他人であるかとは関係ない。これに対して「けり」は、「き」+「あり」で、過去のことがらが現在に関わっていることをいう。
故御息所 05179
光の亡き母である桐壺。尼君と紫と光の関係と、桐壺と光と帝の関係に類似があることは前回述べた。ともに保護者の死により、子供の将来が決定するのである。
とぶらひたまへり 05179
見舞いの使者を立てたのだろう。叙述の少なさからして光自身が行ったとは考えにくい。見舞いの手紙に対する返事が、次の少納言の御返り。