おはする所は六条京 若紫10章04
目次
原文 読み 意味
おはする所は六条京極わたりにて 内裏よりなれば すこしほど遠き心地するに 荒れたる家の木立いともの古りて木暗く見えたるあり
05160/難易度:☆☆☆
おはする/ところ/は/ろくでう/きやうごく/わたり/にて うち/より/なれ/ば すこし/ほど/とほき/ここち/する/に あれ/たる/いへ/の/こだち/いと/もの-ふり/て/こぐらく/みエ/たる/あり
いらっしゃる先は六条京極あたりであり、宮中からのことなので、すこし距離が遠く感じられる上に、荒れた家で、その木立がたいそう古びて木暗く見えるあたりがある。
おはする所は六条京極わたりにて 内裏よりなれば すこしほど遠き心地するに 荒れたる家の木立いともの古りて木暗く見えたるあり
大構造と係り受け
古語探訪
六条京極わたり 05160
六条御息所を思い起こさせる。「わたり」は、ある場所の界隈との意味だが、限定をさける言い方であるため、高貴な人の存在を想起させる言い方でもある。
すこしほど遠き 05160
御所から六条京極は、平安京全体の南北の三分の二、東西の二分の一の距離である。
荒れたる家の木立 05160
この文の焦点が木立にあるとすれば、「の」は連体格であり、荒れた家の木立という意味になる。しかし、文の焦点は、木立ではなく家である。そこで連体格でない用法を考え、同格を思い起こすことになる。「の」を主格と考え「見えたる」にかけるとすれば、見えているのが木立でなく家になってしまうから、意味がずれてしまう。やはり同格としか考えられない。「もの古り」の「もの」もたんに年代ではなく、その樹木に与えられた運命を長きにわたり耐えてきた結果が今に現れていることを指すのだろう。