少納言ぞ聞こえたる 若紫10章17

2021-05-08

原文 読み 意味

少納言ぞ聞こえたる 問はせたまへるは 今日をも過ぐしがたげなるさまにて 山寺にまかりわたるほどにて かう問はせたまへるかしこまりは この世ならでも聞こえさせむ とあり いとあはれと思す

05173/難易度:☆☆☆

せうなごん/ぞ/きこエ/たる とは/せ/たまへ/る/は けふ/を/も/すぐし/がたげ/なる/さま/にて やまでら/に/まかり/わたる/ほど/に/て かう/とは/せ/たまへ/る/かしこまり/は このよ/なら/で/も/きこエさせ/む と/あり いと/あはれ/と/おぼす

少納言が君へのご返事を申し上げる。「お見舞いくださいました方は、今日一日が持ちこたえそうになくて、北山の寺に移りますところですので、このようにお見舞いいただきましたお礼は、この世からでなくても申し上げさせることになりましょう」とのことである。とてもあわれな思いを催しになる。

少納言ぞ聞こえたる 問はせたまへるは 今日をも過ぐしがたげなるさまにて 山寺にまかりわたるほどにて かう問はせたまへるかしこまりは この世ならでも聞こえさせむ とあり いとあはれと思す

大構造と係り受け

古語探訪

問はせたまへるは 05173

「訪はせたまへる人は」であり、尼君のこと。

聞こえさせむ 05173

「させ」は使役と考えると少納言が尼君に返事をさせるとの意味になってしまう。「させ」には人を介して行うの意味があることを、この帖で何度も説明した。尼君が人を介して光にお礼を言うとの意味と考えるのがよい。もちろん死んだ後にそうするのではなく、実際は、尼君は死ぬ間際に、兄である僧都とか紫の世話役である少納言に遺言して、見舞いの例と紫の今後のことを光へ託す予定であったのだ。少なくともそういは話があるだろうと少納言は予期しているのがここでの発言になっている。人を介してとは結局、尼君の代わりに自分がその代理となって紫の今後を相談させていただくという意味である。しかし、尼君の容態は、そうした相談を許さなかったらしい。やや先のことになるが、尼君の死後に光は紫にお悔やみの手紙を出すと、「少納言ゆゑなからず御返りなど聞こえたり」とあり、ここに急死がほのめかされている。「ゆゑ」とは本質的・根本的理由であり、少納言にとって光に挨拶する根本原因は、紫の将来以外にない。しかし、自分の判断でそれをすることはできない、あくまで尼君に委任されてはじめて口出しできる話である。ところが、「ゆゑなからず」とあるところから、少納言はそれをする資格がない、すなわち、尼君が急死ししたため、紫のことを託されなかったのである。そのため、女房の立場以上には、紫のことを積極的に光に相談できないのである。それが紫を連れ出すことが遅くなる原因となり、最終的には、父である兵部卿宮が来ないうちに紫は強奪され、そのため紫は略奪婚という結婚形式を取ることになり、紫はその負い目を一生背負うことになるのである。尼君が少納言に相談したからといって略奪婚以外の形態をとったか否かは不明である。ただ、物語の筋のからまり、ある事件が別の事件に影響を及ぼしてゆく連鎖を読み取ってほしい。この点での筋の運び方のうまさは、世界文学でもあるいはナンバーワンかもしれない。それはともかく、このように「この世ならでも聞こえさせむ」は「少納言ゆゑなからず御返りなど聞こえたり」と呼応すると、私は読む。「ゆゑなからず御返り」に対して、心得のあるご返事などとする解釈があるが、そんな意味はどこをどうやっても出てこない。

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