清げなる童などあま 若紫01章07
目次
原文 読み 意味
清げなる童などあまた出で来て 閼伽たてまつり 花折りなどするもあらはに見ゆ かしこに 女こそありけれ 僧都は よも さやうには 据ゑたまはじを いかなる人ならむ と口々言ふ
05007/難易度:☆☆☆
きよげ/なる/わらは/など/あまた/いでき/て あか/たてまつり はな/をり/など/する/も/あらは/に/みゆ かしこ/に をむな/こそ/あり/けれ そうづ/は よも さやう/に/は すゑ/たまは/じ/を いかなる/ひと/なら/む と/くちぐち/いふ
見目よさそうな童女などがたくさん外に出て来て、仏に水をお供えし、花を折ったりする様子がすっかり見える。「あそこにおなごがいるではないか」「僧都が、まさか、そんなふうに女を囲ったりするものではなかろうに」「どういう人だろうか」と供の者は口々に言う。
清げなる童などあまた出で来て 閼伽たてまつり 花折りなどするもあらはに見ゆ かしこに 女こそありけれ 僧都は よも さやうには 据ゑたまはじを いかなる人ならむ と口々言ふ
大構造と係り受け
古語探訪
閼伽 05007
一説によれば、インド原産の言葉で、ヨーロッパのアクア(水の意味)の語源となり、日本でも仏に供える水の意味として伝わってきている極めて稀な例として有名。人類にとって水は特殊な重要性をもつためなのだろう。
よも 05007
まさかの意味。否定語「じ」と呼応する。
さやうに 05007
直前の発言「かしこに女こそありけれ」そのものを指すのではなく、そこに含意される、僧侶のくせに女を囲いやがってという発言者の気持ちを指す。お主の言うように、ほどの意味。
を 05007
逆接を表す。本来そんなことをするはずがないのにという、断定し切れないゆらぎ・疑念を示す。