かの国の前の守新発 若紫01章12
原文 読み 意味
かの国の前の守 新発意の 女かしづきたる家 いといたしかし 大臣の後にて 出で立ちもすべかりける人の 世のひがものにて 交じらひもせず 近衛の中将を捨てて 申し賜はれりける司なれど かの国の人にもすこしあなづられて 何の面目にてか また都にも帰らむ と言ひて 頭も下ろしはべりにけるを すこし奥まりたる山住みもせで さる海づらに出でゐたる ひがひがしきやうなれど げに かの国のうちに さも 人の籠もりゐぬべき所々はありながら 深き里は 人離れ心すごく 若き妻子の思ひわびぬべきにより かつは心をやれる住まひになむはべる
05012/難易度:☆☆☆
かの/くに/の/さき/の/かみ しぼち/の むすめ/かしづき/たる/いへ いと/いたし/かし だいじん/の/のち/にて いでたち/も/す/べかり/ける/ひと/の よ/の/ひがもの/に/て まじらひ/も/せ/ず このゑ/の/ちゆうじやう/を/すて/て まうし/たまはれ/り/ける/つかさ/なれ/ど かの/くに/の/ひと/に/も/すこし/あなづら/れ/て なに/の/めいぼく/に/て/か また/みやこ/に/も/かへら/む/と/いひ/て かしら/も/おろし/はべり/に/ける/を すこし/おくまり/たる/やまずみ/も/せ/で さる/うみづら/に/いで/ゐ/たる ひがひがしき/やう/なれ/ど げに かの/くに/の/うち/に さも ひと/の/こもり/ゐ/ぬ/べき/ところどころ/は/あり/ながら ふかき/さと/は ひとばなれ/こころすごく わかき/さいし/の/おもひ/わび/ぬ/べき/に/より かつは/こころ/を/やれ/る/すまひ/に/なむ/はべる
その国の前の国司で、出家したばかりの者が娘を慈しみ育てている家などは、実に見事なものでございます。大臣をしていた家の子孫で、出世もできたに違いない人だが、とてつもないひねくれ者で、宮廷への出仕もせず、近衛中将の地位を捨てて、自ら申し出て頂戴した官職ながら、配下であるその国の人にもやや軽んじられ、何の面目あって再び都に帰られようかと言って、髪をおろしてしまいましたが、多少でも奥まった山住みもしないで、お話しましたような海辺に出て暮らしております、筋の通らぬようではありますが、実際、その国の中にはいかにも世捨て人がこもるのにかっこうの場所があちこちありはしますが、深い山里は人気もなく寂しいかぎりで、若い妻子がつらい思いをするのが目に見えているためであり、そもそもそこは自分としても気持ちを晴らす住まいだからなのでしょう。
かの国の前の守 新発意の 女かしづきたる家 いといたしかし 大臣の後にて 出で立ちもすべかりける人の 世のひがものにて 交じらひもせず 近衛の中将を捨てて 申し賜はれりける司なれど かの国の人にもすこしあなづられて 何の面目にてか また都にも帰らむ と言ひて 頭も下ろしはべりにけるを すこし奥まりたる山住みもせで さる海づらに出でゐたる ひがひがしきやうなれど げに かの国のうちに さも 人の籠もりゐぬべき所々はありながら 深き里は 人離れ心すごく 若き妻子の思ひわびぬべきにより かつは心をやれる住まひになむはべる
大構造と係り受け
古語探訪
新発意 05012
新たに発心して出家した人。
いたし 05012
心にひびく。
大臣の後 05012
祖先に大臣を出した家柄であること。
近衛の中将 05012
従四位下相当であり、播磨の守は従五位上相当。自分から求めてくだりながら、土地のものに馬鹿にされ、思うにまかせなかったようだ。
ひがひがしきやう 05012
出家したからには多少でも世間から離れてくらすのが筋であるのに、それをしないことに対する非難。
げに 05012
入道の海辺の住まいに、なるほどと納得するする気持ちとする注釈があるが、「げに……ありながら」は挿入句で、明石には山住みできる場所が実際にあるのだから、ひがひがしい感じがすることを後押しする。ただし、文脈は、それでも若い妻子がいるので、と逆転するのである。すわわち、この「げに」は譲歩構文(なるほど…だが、実のところ)を示す表現。
人離れ 05012
人気がないこと。
心すごく 05012
気持ちが寒々とする感じ、荒涼とした感じ。
かつは 05012
二つのものが並列するときと、後が優先するときと両用法があるが、並列である場合でも後者が優先するきらいがある。第一とか、そもそもという語感。