05若紫09

2020-10-22

05若紫 原文 09章133/147

またの日 御文たてまつれたまへり 僧都にもほのめかしたまふべし 尼上には もて離れたりし御気色のつつましさに 思ひたまふるさまをも えあらはし果てはべらずなりにしをなむ かばかり聞こゆるにても おしなべたらぬ志のほどを御覧じ知らば いかにうれしうなどあり 中に 小さく引き結びて
  面影は身をも離れず山桜心の限りとめて来しかど
夜の間の風も うしろめたくなむとあり 御手などはさるものにて ただはかなうおし包みたまへるさまも さだすぎたる御目どもには 目もあやにこのましう見ゆ あな かたはらいたや いかが聞こえむと 思しわづらふ ゆくての御ことは なほざりにも思ひたまへなされしを ふりはへさせたまへるに 聞こえさせむかたなくなむ まだ 難波津 をだに はかばかしう続けはべらざめれば かひなくなむ さても
  嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ
いとどうしろめたうとあり 僧都の御返りも同じさまなれば 口惜しくて 二三日ありて 惟光をぞたてまつれたまふ 少納言の乳母と言ふ人あべし 尋ねて 詳しう語らへ などのたまひ知らす さも かからぬ隈なき御心かな さばかりいはけなげなりしけはひを と まほならねども 見しほどを思ひやるもをかし わざと かう御文あるを 僧都もかしこまり聞こえたまふ 少納言に消息して会ひたり 詳しく 思しのたまふさま おほかたの御ありさまなど語る 言葉多かる人にて つきづきしう言ひ続くれど いとわりなき御ほどを いかに思すにかと ゆゆしうなむ 誰も誰も思しける 御文にも いとねむごろに書いたまひて 例の 中に かの御放ち書きなむ なほ見たまへまほしきとて
 あさか山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらむ
御返し
  汲み初めてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき
惟光も同じことを聞こゆ このわづらひたまふことよろしくは このごろ過ぐして 京の殿に渡りたまひてなむ 聞こえさすべきとあるを 心もとなう思す

05若紫 原文 読みかな 対訳 133/147

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《またの日 御文たてまつれたまへり 僧都にもほのめかしたまふべし》133
またのひ おほむ-ふみ/たてまつれ/たまへ/り そうづ/に/も/ほのめかし/たまふ/べし
次の日、北山へお手紙を差し上げになった。僧都にもお気持ちをほのめかされているようである。


《尼上には もて離れたりし御気色のつつましさに 思ひたまふるさまをも えあらはし果てはべらずなりにしをなむ かばかり聞こゆるにても おしなべたらぬ志のほどを御覧じ知らば いかにうれしうなどあり》134
あまうへ/に/は もて-はなれ/たり/し/みけしき/の/つつましさ/に おもひ/たまふる/さま/を/も え/あらはし/はて/はべら/ず/なり/に/し/を/なむ かばかり/きこゆる/に/て/も おしなべ/たら/ぬ/こころざし/の/ほど/を/ごらんじ/しら/ば いかに/うれしう など/あり
尼上へは、どうにも取り合っていただけぬご様子に遠慮されて、考えております事柄も、お話し切らずに終わりましたことがどうにも。これほど申し上げます態度からでも、尋常でない志のほどをご覧いただけましたら、どんなにうれしいことか」などとある


《中に 小さく引き結びて 面影は身をも離れず山桜心の限りとめて来しかど 夜の間の風も うしろめたくなむとあり》135
なか/に ちひさく/ひき-むすび/て おもかげ/は/み/を/も/はなれ/ず/やまざくら こころ/の/かぎり/とめ/て/こ/しか/ど よ/の/ま/の/かぜ/も うしろめたく/なむ と/あり
中に、小さく引き結びて、「すぐそばにいるように心ばかりかこの身をも離れないのです 山桜のようなあなたの幻影が 心で精一杯受け止めてきたのに その場にいるようにと心の限り言って来たのに なのに、夜の間の風も心配だという古歌にある通り、散らないかと心配でならず」とある。


《御手などはさるものにて ただはかなうおし包みたまへるさまも さだすぎたる御目どもには 目もあやにこのましう見ゆ》136
おほむ-て/など/は/さる/もの/にて ただ/はかなう/おし-つつみ/たまへ/る/さま/も さだ/すぎ/たる/おほむ-め-ども/に/は め/も/あや/に/このましう/みゆ
ご筆跡などは当然のごとく立派であって、その上、ただ地味に押し包むようにお書きになっている様子も、盛りを過ぎた尼君たちの目には、目にまぶしいくらい好ましく見える。


《あな かたはらいたや いかが聞こえむと 思しわづらふ》137
あな かたはらいた/や いかが/きこエ/む/と おぼし/わづらふ
ああ、困りものだ、女君にどう申し上げるのがよかろうと思い悩まれる。


《ゆくての御ことは なほざりにも思ひたまへなされしを ふりはへさせたまへるに 聞こえさせむかたなくなむ まだ 難波津 をだに はかばかしう続けはべらざめれば かひなくなむ さても 嵐吹く尾の上の桜散らぬ間を心とめけるほどのはかなさ いとどうしろめたうとあり》138
ゆくて/の/おほむ-こと/は なほざり/に/も/おもひ/たまへ/なさ/れ/し/を ふりはへ/させ/たまへ/る/に きこエさせ/む/かた/なく/なむ まだ/なにはづ/を/だに はかばかしう/つづけ/はべら/ざ/めれ/ば かひなく/なむ さても あらし/ふく/をのへ/の/さくら/ちら/ぬ/ま/を こころ/とめ/ける/ほど/の/はかなさ いとど/うしろめたう と/あり
「ゆきずりに仰せのあったお話は、ご冗談でもあろうと存知あげることにいたしましたが、わざわざこんなところへお手紙を言付けさせられながら、女君に聞き入れさせるとっかかりがないものでして。まだ、「難波津」をさえ満足に書きつづけられないようなので、言うかいがなくて。それはそうとしても、嵐が吹く地の峰の桜が 散らない間だけ 心をおとめになるという愛情のはかなさよ ますます気がかりで」とある。


《僧都の御返りも同じさまなれば 口惜しくて 二三日ありて 惟光をぞたてまつれたまふ》139
そうづ/の/おほむ-かへり/も/おなじ/さま/なれ/ば くちをしく/て に さむにち/あり/て これみつ/を/ぞ/たてまつれ/たまふ
僧都からのご返事も同様の趣旨なのでがっかりなさり、二三日経ってから、惟光を使者としてお立てになる。


《少納言の乳母と言ふ人あべし 尋ねて 詳しう語らへ などのたまひ知らす》140
せうなごんのめのと/と/いふ/ひと/あ/べし たづね/て くはしう/かたらへ など/のたまひ/しらす
「少納言の乳母という人がいるはず、これを足がかりに尋ねて、詳しい話をせよ」などとおっしゃって話の内容をお示しになる。


《さも かからぬ隈なき御心かな さばかりいはけなげなりしけはひを と まほならねども 見しほどを思ひやるもをかし》141
さも かから/ぬ/くまなき/みこころ/かな さばかり/いはけなげ/なり/し/けはひ/を/と まほ/なら/ね/ども み/し/ほど/を/おもひやる/も/をかし
なんともたぐいまれなお目こぼしなき好き心よ、相手はあんなに幼げだった感じなのにと、ちゃんと確認したわけではないが透き見をした時の様子を思いやるにつけ、惟光は興味をもつ。


《わざと かう御文あるを 僧都もかしこまり聞こえたまふ》142
わざと かう/おほむ-ふみ/ある/を そうづ/も/かしこまり/きこエ/たまふ
わざわざそうした少納言との面会の旨のお手紙があるので、僧都も恐縮してお聞き入れになる。


《少納言に消息して会ひたり》143
せうなごん/に/せうそこ/し/て あひ/たり
惟光は少納言に申し入れて、尼君に会った。


《詳しく 思しのたまふさま おほかたの御ありさまなど語る》144
くはしく おぼし/のたまふ/さま おほかた/の/おほむ-ありさま/など/かたる
ことこまかに、君のお考えやお言葉、おおまかな君自身の人となりなどを語る。


《言葉多かる人にて つきづきしう言ひ続くれど いとわりなき御ほどを いかに思すにかと ゆゆしうなむ 誰も誰も思しける》145
ことば/おほかる/ひと/にて つきづきしう/いひ/つづくれ/ど いと/わりなき/おほむ-ほど/を いかに/おぼす/に/か/と ゆゆしう/なむ たれ/も/たれ/も/おぼし/ける
惟光は口達者な人で、言葉巧みに言いつづけるのだが、まったく話にならない年のゆかなさを君はどうお思いなのかと、この申し出は女君にとってゆゆしきものと、誰もがそうお考えになる。


《御文にも いとねむごろに書いたまひて 例の 中に かの御放ち書きなむ なほ見たまへまほしきとて あさか山浅くも人を思はぬになど山の井のかけ離るらむ 御返し 汲み初めてくやしと聞きし山の井の浅きながらや影を見るべき 惟光も同じことを聞こゆ》146
おほむ-ふみ/に/も いと/ねむごろ/に/かい/たまひ/て れい/の なか/に かの/おほむ-はなちがき/なむ なほ/み/たまへ/まほしき とて あさかやま/あさく/も/ひと/を/おもは/ぬ/に など/やまのゐ/の/かけ/はなる/らむ おほむ-かへし くみ/そめ/て/くやし/と/きき/し/やまのゐ/の あさき/ながら/や/かげ/を/みる/べき これみつ/も/おなじ/こと/を/きこゆ
君はお手紙でも、とても心をこめてお気持ちをお書きになり、例の小さく引き結んだ結び文の中に、あの放ち書きを、拙くとも見させてもらいたいと、「井戸に映る影が浅いというあさか山の名の通りには 浅くもあなたのことを思わないのに、どうしてかけ離れて影も見えないのでしょう)」 ご返歌は、「汲んでみて初めて 後悔すると聞きました 山の井戸です その井戸くらい浅いお気持ちのままでは とても影は見えないし、姫君をお与えすべくもありません」惟光も返事と同種の話を申し上げる。


《このわづらひたまふことよろしくは このごろ過ぐして 京の殿に渡りたまひてなむ 聞こえさすべきとあるを 心もとなう思す》147
この/わづらひ/たまふ/こと/よろしく/は このごろ/すぐし/て きやう/の/との/に/わたり/たまひ/て/なむ きこエさす/べき と/ある/を こころもとなう/おぼす
「このご病気でいらっしゃるのが、できましたら、しばらくここで養生し、京の屋敷にお戻りになってから、女君の耳にお入れするのがよろしいかと」との返事をもどかしくお思いになる。

若紫 注釈 05-133/05-147

またの日 05-133

次の日。北山から戻った日は、内裏に参内し、そのあと左大臣の勧めで葵のもとで休み、夫婦間のいざこざがあったが、その翌日。

御文 05-133

僧都用、尼君用、それに小さい結び文である紫用があったらしい。

もて離れ 05-134

光の気持ちを拒んだこと。「もて」は努めてそうする。

つつましさ 05-134

遠慮。

おしなべたらぬ 05-134

普通でない。

引き結び 05-135

結び文、すなわち、恋文。

面影 05-135

その形がはっきりと目に見えてそこにあること。現代語の面影よりはずっと強烈な語であり、ある種の神秘体験である。なぜそんなにまざまざといない人が目に見えるのかという不可思議さが歌の動機。

身をも 05-135

「も」は心から離れないだけでなく。

心の限りとめて来しかど 05-135

問題の個所だ。注釈は一様に、心のありったけを北山に残して来たのに(どうして京都にいる肉体にまで面影が見えるのだろう)と取っているが、何だか理屈っぽい感じがする。この解釈を否定する根拠は、この歌詞内にはない(強いて難癖をつけるなら、面影は身をも離れないということは、心をも離れないのだから、北山と京都に二箇所に面影が出没することになる)が、これではダメな根拠がある。それは手紙の末尾、「うしろめたく」につながらないことだ。この歌に限らず、源氏物語に出てくる歌の多くは手紙に書かれており、歌のあとには言葉がある場合が多いが、そうした後書きのある歌は、その歌の心を後書きで繰り返しているのである。後書きと歌の解釈がばらばらである解釈は、もう根底から歌意を取り損ねていると考えた方がいい。ここもそうだが、注釈は多くの歌で後書きを無視しているようである。では、歌意はどうなるか。考える道筋は至って簡単で、後書きの方を先ず解釈してしまうのだ。「夜の間の風もうしろめたく」は、「朝まだき起きてぞ見つる梅の花夜の間の風のうしろめたさに」(拾遺)という古歌をひく。歌意は、朝の来ない内に起きてすぐに梅の花を見てしまう、夜の間の風が花を散らさないかと心配して。すると、歌意は、花が散らないか心配だとの意味だとわかる。
そこで改めて問題の個所を見よう。「心のかぎりとめて来しかど」で不特定要素は「とめて」のみだ。「とめて」の対象を「心(のかぎり)」にのみ限定したのがこれまでの解釈だが、それはむしろ不自然で、「山桜」を「心のかぎりとめて」来たと考える方が自然である。するとまず、心で精一杯山桜を受け止めて来たのに、心だけでなく身をも山桜の記憶が離れないというシンプルな意味が出る。「かぎり」は「限り」ないしは「画り」すなわち、心という区画内に山桜を納めて来たが、そこから漏れ出し身にまでという意識。しかし、これでは花が散らないか心配だとの意味にならない。そこでもう一度考える。心のかぎりとめて来たけど、花が散らないか心配だ。そうか、「とめて」は散るのをとめての意味だと気づく。その場にとどめる、その時間で静止させておくの意味である。私は私が迎えにゆくまでその場にいるよう、精一杯説得してきたのに、今あなたが面影となって現れるのは、もしや私のいない夜の間に、誰かがあなたを散らそうとしているのではないか、との裏の意味が出てくる。その場にとめて来たのに京都まで面影が出没する点が歌の核。「心のかぎりとめて来しかど(精一杯説得してきた)」で、何度もプロポーズしているということを読み手に通じさせることにもなっている。紫にそれがわかるとは思えないが。
まとめ。「心のかぎりとめて来しかど」を心を北山にとめて来たはおかしいと思うが、その解釈をとるのもよい。ただそれのみでは足りず、あとの言葉である「うしろめたく」につながる読み方も必要であることだけは、理解してほしい。歌に前書きがあれば、それとも自然につながることが大切だが、特に後の一言は歌の核心であるのが普通である。その点を改めて注意しておきます。

さるものにて 05-136

「さるもの」は、そうあるもの、当然立派で。「にて」は逆接でもよいが、添加だと思う。

ただはかなうおし包みたまへるさま 05-136

諸注は手紙の包み方があっさりしていて凝っていないと解するが、それでは「目もあやに(まぶしい)」という感想はおかしい。この「おしつつみ」は、感情を抑えた書き方(筆勢)であること。すなわち、手紙の字についてである。変にうまく書こうという気持ちがなく地味に書かれている点が、かえってまぶしいくらいに好もしいのだ。

かたはらいたや 05-137

自分を第三者の立場としてきまりが悪いの意味Aか、第三者に対してきまりが悪いの意味Bかである。もしBなら尼君自身が当事者となり、決まり悪く思う第三者は、手紙の使いか周りの女房ということにでもなろう、これは考えられない。ということは、解釈はAしかない。すなわち、当事者は光と紫であり、自分(間気味)は第三者的立場にあることになる。これはどういうことかと言うと、光の用向きの相手は紫であって、尼君はそれを取り次ぐ役であるとの自覚があるということだ。なぜ決まりが悪いかというと、取り次ごうにも取り次げないからである。この語の語感がわかったところで、今日の問題、「いかが聞こえんと思しわづらふ」の「聞こえん」:これまで何度も説明した通り、これは光に対して返事のしようがないとの意味ではなく、紫へ話しようがないの意味である。尼君が当事者意識であるなら、紫へは内緒で、光への返事だけを考えればよい。しかし、高貴な光からの申し出は、紫の将来をまるまる左右する。それを尼君が紫に伝えず勝手に断るのがためらわれるから困るのである。取り次ごうにも、相手がそれを理解できない年齢だから困るのである。

ゆくて 05-138

ゆきがかり。

ふりはへ 05-138

遠くまでわざわざ。

させたまへる 05-138

「させ」は、手紙を使者に託したこと。

聞こえさせむかたなくなむ 05-138

問題は「させ」がついていること。先の「聞こえ」にはない要素をどう説明するかである。光の寄越した使者を使って、光に返事を差し上げる意味も考えられる。あるいは、紫に返事をさせる意味も考えられる。しかし、次のフレーズ「かひなくなむ」と対をないしていると読むのが自然であろうから、やはりこれも、紫には言ってもかいがないとの意味と解すのがよいと思う。この「聞こえ」は、「言ふ」の謙譲語ではなく、「聞き入れる」という「聞く」の受身と考え、紫に納得させる意味と取った。

難波津 05-138

手習いの最初に習う歌。それさえ満足に書けないのだから、返歌のしようがない。

さても 05-138

ニュアンスはわかりにくい。そうであってもの意味で、話題転換と取っておく。

心とめける 05-138

光の歌「面影は身をも離れず山桜心のかぎりとめて来しかど」の「心のかぎりとめて」を受ける。山桜(紫)を心にとめての意味Aであって、諸注釈の説く、山桜のもとに心をとめるBのではないと前回説明した。桜の花が散らない間だけ心とめるとは、桜を心にとめること、すなわちAの解釈を受けての返歌だ。また、桜を散らないようにとめて来たけれどとの裏の意味が必要であることを説いたが、「散らぬ間」という表現はこの裏の意味を受けている。

うしろめたう 05-138

光の「うしろめたくなむ」をそのまま返した言葉。そんな短い期間しか愛していただけないあなたの愛情が心配ですとの意味。こういう恋のやりとりは、先ずことわるのが筋。相手の愛情の薄さをなじり、もっともっと強い愛を呼び込むのである。愛情の深さが歌に読み取れなければ、恋愛はそこでストップとなるわけだ。

僧都の御返りも 05-139

「僧都にもものめかしたまふべし」とあり、尼君とは別に僧都へも紫のことを依頼する手紙を書き送っていたらしいのである。

たてまつれたまふ 05-139

使者に立てること。

少納言の乳母 05-140

光が透き見した折、紫の乳母は少納言の乳母と呼ばれていることを知ったのだ。

尋ねて詳しう語らへ 05-140

諸注は尋ね、詳しく語る相手を少納言の乳母とするが、すぐあとで見るよう、惟光が語った相手は、「ゆゆしうなむ誰も誰も思しける」とあり、相手は複数でしかも、その中には尊敬語をつけるべき相手がいたのである。その相手はもちろん、尼君であり、光の歌に対する返歌も尼君以外できない内容である。従って、惟光の使命は、少納言の乳母に会うことではなく、少納言の乳母を通して、尼君に話をつけることであったと思われる。それまでは、光の手紙を使者に託しただけであるが、今度は惟光が尼君と会って、もっと具体的に結婚について話し合うのである。そこで話し合うの内容を光は惟光に「のたまひ知ら」せたのだ。

かう御文ある 05-142

内容は、少納言の乳母に惟光が会うことを許可してほしいとの僧都への依頼文。僧都に依頼するのは、尼君たちは僧都のもとに身を寄せており、僧都がこの家の主であるからだ。

聞こえたまふ 05-142

僧都が聞き入れたこと。少納言に申し入れたのではない。それは少納言の乳母に「聞こえ」という謙譲語を使うのはおかしいからだ。

少納言に消息して会ひたり 05-143

「消息」は、人を通してやりとりすること、通常文書による。僧都を通して間接的に面会の申し入れをしたのである。「あひたり」の相手は、尼君であることはすぐにわかる。

詳しく 05-144

後の「語る」にかかる。

思しのたまふさま 05-144

そのの内容は、光が「のたまひ知ら」したもの。

おほかたの御ありさま 05-144

敬語があることから光の様子である。結婚の申し入れに来たのだから、結婚相手である光の人となり、暮らし振り、経済状況などをおおまかに話したのだろう。

わりなき 05-145

道理にあわない。

御ほど 05-145

年齢。

御 05-145

紫に対する話者(この場合、尼君をはじめとする女房たち)からの敬意。

思す 05-145

話相手である惟光ではなく、もちろん当事者たる光。

ゆゆしう 05-145

幼すぎる結婚が紫のためにけっしてならないという気持ち。

誰も誰も思しける 05-145

先にも説明した通り。惟光の話相手は、尼君ほか女房たちである。

御文にも 05-146

惟光からじかに光の気持ちを聞かせるだけでなく、手紙で気持ちを訴えているのである。

例の 05-146

紫用のちいさくひき結んだ結び文。

かの御放ち書きなむなほ見たまへまほしき 05-146

「かの」と「なほ」は光の言葉ではなく、話者が聞き手に説明している地の文であるから、カギに入れてはいけない。

放ち書き 05-146

連綿体でなく、一字一字離して文字を書くこと。尼君の返事にあった「難波津をだにはかばかしうつづけはべざめれ」による。

あさか山 05-146

「難波津」の歌とならび、最初に手習いする歌。この古歌は紫もなじんでいるであろうから、これを下に引いて歌を詠みかけたのである。

かけ離る 05-146

遠く離れる意と、影が離れるをかける。「あさか山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに(あさかやまの山にある井戸は浅いために覗き込むと影がうつるが、その井戸みたいに浅い気持ちであなたのことを思っているのではない)」(万葉集)を下にひく。本歌は「影さへ見ゆる」とあるのを、影も見えないくらい離れているとしたのである。

汲み初めて 05-146

この歌は、「くやしくぞ汲みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水(くやしいものだ、汲み始めたあとで、あなたの気持ちが浅いのを知り、体は濡れず、袖をのみ濡らす夜になるとは、ちょうど量の少ない山の井の水のように)」(古今六帖)を下に引く。

影を見るべき 05-146

光の「など……かけ離る(どうして影が近くにないのか)」に対する尼君の答えで、影を見ないのは当然だとの意味。「見る」には男女が契る意味があるので、結婚させるわけにはいかないの意味にもなる。結婚を許す許さないと言える立場にあるのは、尼君だけである。少納言の乳母が返歌したのではないのだ。

惟光も同じことを聞こゆ 05-146

尼君からの返書と同様に、惟光はじかに光へ尼君たちの様子を伝えたのである。ここで重要なのは、返歌や言葉ではだめだと言いつつも、尼君の病気がよくなり、京都にもどったあかつきには、紫に話を通そうと、少納言の乳母が言っている点である。相聞歌の返歌が断るのが常道であることは前回述べた。ダメよダメよと言いながら、相手の気持ちを強さを推し量っているのである。

聞こえさすべき 05-147

例の如く諸注は光への返事をすると解釈するが、少納言が紫に、放ち書きをみたいという手紙を紫に見せることを始めとして、光の気持ちを伝えることである。光が少納言の乳母に目をつけたのは、姫君の恋の橋渡しをするのは、決まってその乳母であるからだ。保護者は表立っては否定するが、乳母は隠れて手引きするのである。惟光を使者として派遣した表向きは尼君に談判させることだが、裏の用として、隠れて手引きできないかとの密使として惟光を乳母に送ったのだと、この文でわかる。光としては今すぐことが進むと思ったのだが、京都に戻ってからと言われ、引き伸ばされたというか、体よく断られた感じがしたであろう、その気持ちが「心もとなう」である。京都に戻ってきたら何とかなるではない。

2020-10-22

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