05若紫08

2020-10-21

05若紫 原文 08章117/132

君は まづ内裏に参りたまひて 日ごろの御物語など聞こえたまふ いといたう衰へにけり とて ゆゆしと思し召したり 聖の尊かりけることなど 問はせたまふ 詳しく奏したまへば 阿闍梨などにもなるべき者にこそあなれ 行ひの労は積もりて 朝廷にしろしめされざりけること と 尊がりのたまはせけり 大殿 参りあひたまひて 御迎へにもと思ひたまへつれど 忍びたる御歩きに いかがと思ひ憚りてなむ のどやかに一 二日うち休みたまへ とて やがて 御送り仕うまつらむ と申したまへば さしも思さねど 引かされてまかでたまふ 我が御車に乗せたてまつりたまうて 自らは引き入りてたてまつれり もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ さすがに心苦しく思しける 殿にも おはしますらむと心づかひしたまひて 久しく見たまはぬほど いとど玉の台に磨きしつらひ よろづをととのへたまへり 女君 例の はひ隠れて とみにも出でたまはぬを 大臣 切に聞こえたまひて からうして渡りたまへり ただ絵に描きたるものの姫君のやうに し据ゑられて うちみじろきたまふこともかたく うるはしうてものしたまへば 思ふこともうちかすめ 山道の物語をも聞こえむ 言ふかひありて をかしういらへたまはばこそ あはれならめ 世には心も解けず うとく恥づかしきものに思して 年のかさなるに添へて 御心の隔てもまさるを いと苦しく 思はずに 時々は 世の常なる御気色を見ばや 堪へがたうわづらひはべりしをも いかがとだに 問ひたまはぬこそ めづらしからぬことなれど なほうらめしう と聞こえたまふ からうして 問はぬは つらきものにやあらむと 後目に見おこせたまへるまみ いと恥づかしげに 気高ううつくしげなる御容貌なり まれまれは あさましの御ことや 訪はぬ など言ふ際は 異にこそはべるなれ 心憂くものたまひなすかな 世とともにはしたなき御もてなしを もし 思し直る折もやと とざまかうさまに試みきこゆるほど いとど思ほし疎むなめりかし よしや 命だにとて 夜の御座に入りたまひぬ 女君 ふとも入りたまはず 聞こえわづらひたまひて うち嘆きて臥したまへるも なま心づきなきにやあらむ ねぶたげにもてなして とかう世を思し乱るること多かり この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを 似げないほどと思へりしも 道理ぞかし 言ひ寄りがたきことにもあるかな いかにかまへて ただ心やすく迎へ取りて 明け暮れの慰めに見む 兵部卿宮は いとあてになまめいたまへれど 匂ひやかになどもあらぬを いかで かの一族におぼえたまふらむ ひとつ后腹なればにや など思す ゆかりいとむつましきに いかでかと 深うおぼゆ

05若紫 原文 読みかな 対訳 117/132

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《君は まづ内裏に参りたまひて 日ごろの御物語など聞こえたまふ》117
きみ/は まづ/うち/に/まゐり/たまひ/て ひごろ/の/おほむ-ものがたり/など/きこエ/たまふ
君は真っ先に宮中に参内なされて、数日来のお話などを帝に申し上げになる。


《いといたう衰へにけり とて ゆゆしと思し召したり》118
いと/いたう/おとろへ/に/けり とて ゆゆし/と/おぼしめし/たり
「ほんとにまあやつれたものだ」と、不吉な事態にでもとご心配あそばされる。


《聖の尊かりけることなど 問はせたまふ》119
ひじり/の/たふとかり/ける/こと/など とは/せ/たまふ
聖の徳の高さを示したであろう事蹟などについて、お問いになる。


《詳しく奏したまへば 阿闍梨などにもなるべき者にこそあなれ 行ひの労は積もりて 朝廷にしろしめされざりけること と 尊がりのたまはせけり》120
くはしく/そうし/たまへ/ば あざり/など/に/も/なる/べき/もの/に/こそ/あ/なれ おこなひ/の/らう/は/つもり/て おほやけ/に/しろしめさ/れ/ざり/ける/こと/と たふとがり/のたまはせ/けり
詳しく奏上なさると、「阿闍梨などにもなってしかるべき人物だろうに、修行の功は積もりながら、これまで朝廷にしられなかったとは」と、尊くお感じになりながらそうおっしゃるのだった。


《大殿 参りあひたまひて 御迎へにもと思ひたまへつれど 忍びたる御歩きに いかがと思ひ憚りてなむ のどやかに一 二日うち休みたまへ とて やがて 御送り仕うまつらむ と申したまへば さしも思さねど 引かされてまかでたまふ》121
おほいどの まゐり/あひ/たまひ/て おほむ-むかへ/に/も/と/おもひ/たまへ/つれ/ど しのび/たる/おほむ-ありき/に いかが/と/おもひ/はばかり/て/なむ のどやか/に/いち ににち/うち-やすみ/たまへ とて やがて おほむ-おくり/つかうまつら/む と/まうし/たまへ/ば さしも/おぼさ/ね/ど ひかされ/て/まかで/たまふ
左大臣が参内し居合わせになって、「わたくしもお迎えにもと存知ましたが、お忍びのお出かけなのに、いかがなものかと思い憚られまして。のんびりと二日くらいちょっとご休息なさい」と言い、「このままお送り仕りましょう」と申し上げになるので、そんなお気持ちはないのだけれど、引かされてお出かけになる。


《我が御車に乗せたてまつりたまうて 自らは引き入りてたてまつれり》122
わが/みくるま/に/のせ/たてまつり/たまう/て みづから/は/ひき/いり/て/たてまつれ/り
大臣は自分のお車の上座(カミザ)にお乗せ申して、自分は下座(シモザ)にお乗りになる。


《もてかしづききこえたまへる御心ばへのあはれなるをぞ さすがに心苦しく思しける》123
もて-かしづき/きこエ/たまへ/る/みこころばへ/の/あはれ/なる/を/ぞ さすが/に/こころぐるしく/おぼし/ける
あれこれとお世話申し上げる心遣いの愛情あふれる様子を、さすがに申し訳なくお思いになるのだった。


《殿にも おはしますらむと心づかひしたまひて 久しく見たまはぬほど いとど玉の台に磨きしつらひ よろづをととのへたまへり》124
との/に/も おはします/らむ/と/こころづかひ/し/たまひ/て ひさしく/み/たまは/ぬ/ほど いとど/たまのうてな/に/みがき/しつらひ よろづ/を/ととのへ/たまへ/り
大臣邸でも、君がいらっしゃるだろうとご用意なさって、久しく同衾なさらぬうちに、ますます玉の台に磨きをかけ、準備万端ととのえておられた。


《女君 例の はひ隠れて とみにも出でたまはぬを 大臣 切に聞こえたまひて からうして渡りたまへり》125
をむなぎみ れい/の はひ-かくれ/て とみ/に/も/いで/たまは/ぬ/を おとど せち/に/きこエ/たまひ/て からうして/わたり/たまへ/り
女君はいつもの、ひっそりと隠れてすぐにも出て来られないのを、大臣は熱心にお勧めなさって、どうにか君のもとへ渡って来られた。


《ただ絵に描きたるものの姫君のやうに し据ゑられて うちみじろきたまふこともかたく うるはしうてものしたまへば 思ふこともうちかすめ 山道の物語をも聞こえむ 言ふかひありて をかしういらへたまはばこそ あはれならめ 世には心も解けず うとく恥づかしきものに思して 年のかさなるに添へて 御心の隔てもまさるを いと苦しく 思はずに 時々は 世の常なる御気色を見ばや 堪へがたうわづらひはべりしをも いかがとだに 問ひたまはぬこそ めづらしからぬことなれど なほうらめしう と聞こえたまふ》126
ただ/ゑ/に/かき/たる/もの/の/ひめぎみ/の/やう/に し/すゑ/られ/て うち-みじろき/たまふ/こと/も/かたく うるはしう/て/ものし/たまへ/ば おもふ/こと/も/うち-かすめ やまみち/の/ものがたり/を/も/きこエ/む いふ/かひ/あり/て をかしう/いらへ/たまは/ば/こそ あはれ/なら/め よに/は/こころ/も/とけ/ず うとく/はづかしき/もの/に/おぼし/て とし/の/かさなる/に/そへ/て みこころ/の/へだて/も/まさる/を いと/くるしく/おもはず/に ときどき/は よ/の/つね/なる/みけしき/を/み/ばや たへ/がたう/わづらひ/はべり/し/を/も いかが/と/だに とひ/たまは/ぬ/こそ めづらしから/ぬ/こと/なれ/ど なほ/うらめしう と/きこエ/たまふ
ただ、書物に出てくる絵に描かれたしっかりした姫君のように、大臣からその場に据えられて、みじろぎなさる様子もほとんどなく、お行儀よくきちんとなさっているので、考えている事柄でも軽く言いなし、山路の物語なども話そうとは思う、しかし、話しがいがあって興味をもってご返事ならるならば愛情もわこうが、夫婦間のことには心打ち解けることもなく、自分をよそよそしく気持ちの置ける、まさにそういう人だとお思いになって、年月が重なるごとに、ますますお心の隔たりもましてゆくのを、とてもつらくてつい、「時々は、夫婦ならふつうに見せるご様子を見たいものです。耐え切れずわずらっておりましたことをも、どうですかとさえお問いにならないのが、あなたにはめずらしいことではありませんが、やはり恨めしう」と申し上げになる。


《からうして 問はぬは つらきものにやあらむと 後目に見おこせたまへるまみ いと恥づかしげに 気高ううつくしげなる御容貌なり》127
からうして とは/ぬ/は つらき/もの/に/や/あら/む と しりめ/に/み/おこせ/たまへ/る/まみ いと/はづかしげ/に けだかう/うつくしげ/なる/おほむ-かたち/なり
かろうじて、「問わないのはつらいものなのでしょうね、訪れのないのは堪えがたいものと言いますから」と、横目で君を見遣りになる目つきは、相手をひどく威圧する風で、気高く美しい感じのお顔立ちである。


《まれまれは あさましの御ことや 訪はぬ など言ふ際は 異にこそはべるなれ 心憂くものたまひなすかな 世とともにはしたなき御もてなしを もし 思し直る折もやと とざまかうさまに試みきこゆるほど いとど思ほし疎むなめりかし よしや 命だにとて 夜の御座に入りたまひぬ》128
まれ/まれ/は あさまし/の/おほむ-こと/や とは/ぬ など/いふ/きは/は こと/に/こそ/はべる/なれ こころうく/も/のたまひ/なす/かな よ/と/ともに/はしたなき/おほむ-もてなし/を もし おぼし/なほる/をり/も/や/と とざまかうさま/に/こころみ/きこゆる/ほど いとど/おもほし/うとむ/な/めり/かし よし/や いのち/だに とて よる/の/おまし/に/いり/たまひ/ぬ
「たまにおっしゃるかと思うと、なんとも飽きれたお言葉ではありませんか。訪れがないなどという場面は今とはまったく別ですのに、よくもそんな情けなくなることを、わざわざおっしゃられるものですよ。常日ごろぶしつけななさりようを、もしや思い直しになる時もあろうかと、いろいろさまざま試し申し上げるするうちに、ますます思い疎んじてゆかれるようです。せめて、命だにと申します、子供だけでも」と言って、君はご寝所にお入りになる。


《女君 ふとも入りたまはず》129
をむなぎみ ふと/も/いり/たまは/ず
女君はすぐにはお入りにならない。


《聞こえわづらひたまひて うち嘆きて臥したまへるも なま心づきなきにやあらむ ねぶたげにもてなして とかう世を思し乱るること多かり》130
きこエ/わづらひ/たまひ/て うち-なげき/て/ふし/たまへ/る/も なま-こころづきなき/に/や/あら/む ねぶたげ/に/もてなし/て とかう/よ/を/おぼし/みだるる/こと/おほかり
君は声をかけるにもかけ悩み、思わず嘆いて臥せっておしまいになるものの、女君はどうにも愛情がわかないのであろうか、ねむたげに応じるばかりで、あれこれ夫婦間のことで気持ちが乱れることが多い。


《この若草の生ひ出でむほどのなほゆかしきを 似げないほどと思へりしも 道理ぞかし 言ひ寄りがたきことにもあるかな いかにかまへて ただ心やすく迎へ取りて 明け暮れの慰めに見む 兵部卿宮は いとあてになまめいたまへれど 匂ひやかになどもあらぬを いかで かの一族におぼえたまふらむ ひとつ后腹なればにや など思す》131
この/わかくさ/の/おひ/いで/む/ほど/の/なほ/ゆかしき/を にげない/ほど/と/おもへ/り/しも ことわり/ぞ/かし いひより/がたき/こと/に/も/ある/かな いか/に/かまへ/て ただ/こころやすく/むかへ/とり/て あけくれ/の/なぐさめ/に/み/む ひやうぶきやうのみや/は いと/あて/に/なまめい/たまへ/れ/ど にほひやか/に/など/も/あら/ぬ/を いかで かの/ひとぞう/に/おぼエ/たまふ/らむ ひとつ/きさきばら/なれ/ば/に/や など/おぼす
この若草が生い出る頃の女君がやはり見ていたいのだが、まだふさわしくない年頃だと尼君が考えるのももっとのなことだ、言い寄りがたい状況でもあるな、どうにか工夫して、まったく安心して迎え入れ、明け暮れの慰めに見よう、父君である兵部卿宮は、とても高貴でしっとりと美しくいらっしゃるが、匂いたつような感じでもないのに、どうして女君はあの方のご一族に似ていらっしゃるのだろうか、父君とあの方が同じ后の御子であるからなのだろうなどとお思いになる。


《ゆかりいとむつましきに いかでかと 深うおぼゆ》132
ゆかり/いと/むつましき/に いかで/か/と ふかう/おぼゆ
そのゆかりがまことに慕わしくて、なんとしたいと、深く思い込みになる。

若紫 注釈 05-117/05-132

聖の尊かりけること 05-119

こういう「こと」には注意したい。源氏には「~すること」という形式名詞の用法はないと考えるべきである。ここの尊かったこととは、尊い行いである。呪力であり、人となり、立ち居ふるまい、言動その他、すべてをふくめて考えてよい。それを詳しく伝えたのである。

尊かり 05-119

「らうたがり」との本文がある。尊いは聖に対してであり、らうたがりは光に対する哀憫の情である。「詳しく奏したまへば」の帰結としては、聖を尊がるとしか私には考えられない。異文が存在する理由は、「聖の尊かりけること」と「尊がり」が同意表現であるため、繰り返しを避けようという気持ちが働いたからであろうと想像する。「日ごろの御物語」に対しては、「ゆゆし」という感想がある。光はここで、しばらく参内しなかった理由、自分の身体の不調、北山で聖に祈祷してもらったことなどとざっと話をしたであろう。その中で、帝は、特に聖の徳の高さをもっと具体的に聞きたく思ったのが、「聖の尊かりけること」である。「ける」は光からの伝聞の意味。それに対して、ああなるほど尊い方だと実感されているのが、「尊がり」である。「がり」は人と同じようにそう思うことを外に向けて見せること。光が尊いと思うように、実際には知らないが光を通して、さぞ尊いのであろうと思うのである。

参りあひたまひて 05-121

偶然参内したところ居合わせたとの意味。光に会うために来たのだが、あとの発言にあるように、気を遣って偶然を装ったのである。

御迎へにも 05-121

北山へ出迎えること。左大臣の息子である頭中将たちは出迎えに行ったのだから、ここの意味は、自分も息子たちと同じように出迎えるということ。「やがて」は、今このまますぐにということ。

さしも思さねど 05-121

そんなつもりはなかったということ。左大臣邸に行く気はなかった。

乗せたてまつり 05-122

「たてまつり」は補助動詞で謙譲表現。「引き入りて奉れり」の「奉り」は乗るの意味の本動詞で尊敬表現。

引き入りて 05-122

おそらく光の下座についたことであろう。末席ではない。

心苦しく 05-123

左大臣への申し訳なさ。

殿にも 05-124

左大臣邸でも。

おはしますらむ 05-124

光が来るだろうとの想定。

心づかひ 05-124

準備。

見たまはぬ 05-124

夫婦の契りをなさない。

いとど 05-124

ますますの意味で、「磨きしつらひ」にかかる。玉の台にいっそう磨きをかける。

玉の台 05-124

玉で飾られたような美しく豪華な建物。

例の 05-125

後ろの連体形(ここでは「出でたまはぬ」)と呼応する。

渡り 05-125

対屋から回廊を渡って、光のもとに来た。

ものの姫君 05-126

「もの」は「ものの本」の「もの」であろう。「もの」に書物の意味があるのではなく、「絵に描きたる」が、本の中の絵に描かれているの意味。当時は男性が読む書物は漢文であり、子女の読み物は絵本である。その絵本の中の絵。

し据ゑられて 05-126

父である左大臣に無理に光のもとに行くよう説得されたことを受ける。

うるはしう 05-126

きちんとした様子。

思ふことも……いと苦しく 05-126

ここまでは光の心内語。

うちかすめ 05-126

ちょっと言うの意味で、「聞こえむ」にかかる。

聞こえむ 05-126

終止形で下にはかからない。ただ次の文との関係が逆接なので、しかし、などを補うことになる。

山道の物語 05-126

北山の聖のもとに祈祷に行った話であろう。

言ふかひありてをかしういらへたまはばこそあはれならめ 05-126

挿入。「こそ+已然形」で、後の文と逆接につながる。

世には 05-126

「ず」と呼応して否定を強めるのではない。それは「世に……否定」。「世には」の「世」は男女のこと。

思して 05-126

尊敬語だから主体は葵。葵が光を「うとく恥づかしきもの」と考えるのだ。この「もの」はそのものの意味。「うとく恥づかしき」存在そのもの。

思はずに 05-126

「思わずなり(=こういう夫婦になるとは予想もしていなかった)」の連用終止ではない。本動詞であれば、「思さずに」になる。ここは副詞で、つい、思わずの意味で「聞こえたまふ」にかかる。

世の常なる御気色 05-126

夫婦の間なら普通に見せる愛情や表情。

見ばや 05-126

見たい。

堪へがたうわづらひはべりし 05-126

瘧で苦しんでいたこと。

だに 05-126

~すら。最低ラインでさえ。

かろうして 05-127

しばらく沈黙が続いた模様。

問はぬはつらきもの 05-127

古歌の言い回し。「君をいかで思はむ人に忘らせて問はぬはつらきものと知らせむ(あなたにどうにかして、思いの人を忘れさせて、訪れがないのは堪えがたいことだと知らせたいものだ)」など。

にやあらむ 05-127

「にや」は断定を弱めた言い回し。疑問ではない。「あらむ」も推量で断定を避けている。「にやあらむ」で遠まわしにそうだろうと言っているのである。
ここの解釈で重要なのは、光が「いかがとだに問ひたまはぬこそ……恨めしう」と見舞いの手紙を遣さないことをなじったのを受けて、わたしが手紙を出さなかったのはつらいしうちだったようですね(「問はぬ」は尊敬語がないから、話者である葵が主語)と、表面では光に申し訳なかったと伝えながら、その裏で、「問はぬ」の古歌の意味である、男がながらく女のもとへ通って来ないことの意味で使っている点である。表で受けながら、裏で皮肉を言うのが面白い。そのうえ、「にやあらん」と、さも我がことではないような言い方である点に注意したい。自分は別に孤閨を恨むつもりはないが、一般に訪れがないのはつらいもののようです、というもってまわった言い方である。こうした言葉の端々に、葵が育った環境・教養のほどが出てくるところが、実に面白いのである。さらに読めば読める。この「にやあらん」はひと事のように聞こえると述べた。すなわち、葵の感情でなく、光の感情を代弁したようにも聞こえる言い回しなのだ。ここで思い出すのは、空蝉との相聞歌(『夕顔』の帖)である。「問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる」と「うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ」。光は相手から何も言って来ない女のつらさを身にしみて味わっているのだ。したがって、この葵の言葉は、葵自身が見舞いをしない意味Aと、光が葵のもとを訪ねない意味Bと、空蝉のような消極的な女が光へ手紙を出さないの三重の意味Cがこもっていると言えよう。もっと言えば、わたしはあなたの浮気をちゃんと知ってますという重みがないなら、この場面で光が葵の愛情のなさを責めるのは、無理があると思う。表面的には光の言葉を受けて、そうですねと言っているのだから、裏の意味をわざわざ取り上げて、それに難癖をつけるのは、光の側に弱みがあるからであろうとわたしは見ている。この場面の読みどころは、したがって、相手の言葉が明確でないために、引き起こされるドラマなのだ。解釈するのは光の側で、その解釈の仕方によって、相手でなく実は光自身が解釈されているのである。

あさまし 05-128

意想外で驚きあきれること。

訪はぬなど言ふ際 05-128

男女の忍び逢いをイメージさせる歌語。光と葵は正式な結婚をしているので、場違いであるというのが光の文句のつけどころ。その裏には、光の浮気が妻にばれているというやましさがあるだろうことは上で述べた。

心憂くも 05-128

つくづく情けなくなるまでも。

のたまひなす 05-128

そんな言い方をすべき時でないのに、わざわざそう言う。表の意味だけでよいのに、裏の意味、すなわちBやCをこめたこと。もちろん、光はCの解釈を認めない、というより、Aの裏にCがあることを隠すために、Bのみを取り上げているのだと思う。「世とともに」は常住坐臥。常々。

はしたなき御もてなし 05-128

光をみくびったような態度。光は帝の息子であれ、更衣腹である。葵は左大臣と大宮(帝の姉妹)との間に生まれた。葵が光を軽蔑しているというより、葵が過度にものを言わないから、光自らが引け目を感じてしまうというのが実情であろう。

よしや命だに 05-128

どの注釈も「命だに心にかなふものならば何かは人を恨みしもせむ」との定家奥入を引く。そしてこれを疑問視し、命の意味は不明とする。意味が不明なのに疑問視することがよくわからないが、それはまあよい。わたしは古歌はこれでよいと思う。ただ、命の意味を古歌と引き手(この場合は光)が使った意味が違うというだけのことである。注釈者は古歌の意味を何とかしてその場面に合わせようとするが、それは意味がない。辞書の意味を無理に当てるのと一般で、文脈を無視した解釈はもう解釈ですらない。光の発言「せめて命だに」は、これ自体では意味を特定しようがないが、そう言って夜の御座に入ったというのだから、この命とは子供のこと意外考えようがないではないか。「せめて子作りだけは」などという生な言い回しはできないから、古歌の言い回しを引いて、相手にほのめかしたのである。葵が古歌を引いたからというそれに返した面もあろう。しかし、わたしは、この「命」という表現は、さらに光の心理を言い表しているように思う。それは、さきの空蝉の返歌。「うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ」である。光は空蝉との浮気の事実を隠すために、古歌の意味を取り出して、葵をなじったのではないかとの解釈を述べた。この「命」は古歌の「命」であると同時に、空蝉の「命」でもあるのだ。光は意識して、空蝉の「命」をここで引くことで、浮気がばれなかったことの安心を確かめたのかも知れない。あるいは、光の良心が光が知らない無意識のうちに空蝉の「命」を引き、浮気などしていないという光のうそを告発しているのかも知れない。わたしはフロイト的解釈はあまり好まないから、前者であろうと思うが、光が意識したかしなかったかで、解釈は分かれてもよいように思う。ただ、前者がよりよいと思う理由は、葵の前では、光はコンプレックスからどうしてもいじけてしまう。そのいじけた心理をよく表すのは、ここでわざと空蝉の歌をひく方が、そうしたひねくれた意識にかなうだろうと思うからである。いわば、ばれなかったという勝利感と半ばやけばちという複雑な意識の中で空蝉の歌を持ってきたのであろうと思う。

聞こえわづらひたまひて 05-130

閨に入って来ない葵に向かって、光が声をかけるにかけられない状態を表す。主語を葵にとる解釈があるが、葵は光に声をかけたがっているわけではないから、「聞こえわづらひ」ということはない。「うち嘆きて臥したまへる」は光の動作。せめて子作りだけはと考えていえる光の気持ちを葵が無視したから。

なま心づきなきにやあらむ 05-130

ちょっと難解だ。「なま心」という言い回しは源氏物語に六例(「この人のなま心なく若やかなるけはひ」「なま心やかしきままに言ふ」「中将はなま心やましう」「六条院はなま心苦しうさまざま思し乱る」「なま心わろき仕うまつり人は」)あるが、その全体を統べる意味は、正直に言って見出しにくい。「なま」がつくことで何かしらのニュアンスを深めるという程度。おそらく、「どうにも」くらいの意味だと推定するよりない。「なま心づきなきにやあらむ」は挿入句で話者の推量。挿入句であるということは、その後を読まなければ、誰がなま心づかないのかわからないということだ。

ねぶたげにもてなしてとかう世を思し乱るること多かり 05-130

まず尊敬語が「思し」しかないので、「もてなし」と「思し乱るる」をふたつの主体にわけるわけにはいかない。葵も光もかならず尊敬語をつける相手であるからだ。そこで、諸注釈は、ねぶたげにもてなし、思い乱れるのを光と解釈するが、それは、「命だに」の意味を理解しなかったからである。光は子作りのためのセックスを求めた。拒否するのは、二人の関係からして葵でなければならない。光の発言に「はしたなき御もてなしをもし思しなほるをりもや」とある。この発言を受けて、地の文の話者も「ねぶたげにもてなしてとかう世を思し乱るること多かり」と言ったのだろう。「もてなし」と「思しなほる―思し乱るる」が呼応しあっていることに注意したい。この面からも葵の動作であろうと読み取れると思う。

世を 05-130

夫婦間のこと。

思し乱るる 05-130

あれこれ思い悩むこと。これが葵であるとの読みが正しければ、葵は葵でをあれこれ悩んでいたことがわかる。葵は人形のように美しいだけで情愛のない冷たい女であるとのイメージが固定化されているが、葵は葵で悩んでいたわけだ。そしてその悩みは、これまた私の解釈が正しければ、空蝉を代表とする光の浮気に対して悋気していたとわかる。葵もひとりの女性であるのだ。 以上、諸注釈とはかなり解釈を異にしたので、もう一度まとめておく。「命だに」は子作りのことであり、ねぶたけにもてない夫婦のことで悩んだのは葵である。その他、空蝉との浮気を葵が気づいていた、あるいは光がそれを引け目に思い抗弁したとの解釈、また、命だにの命は空蝉の歌を引いたなどの解釈は、深読みすぎたかも知れない。採不採は読者にお任せしよう。

この若君の生ひ出でむほど 05-131

尼君の歌「生ひ立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えんそらなき」から来ているのは諸注にある通りである。しかし、注釈は「若草」を紫の比ゆと考えるが、「若草の生ひ出むほど」全体が、生長過程にある紫の比ゆになっていると取るほうが、読みに広がりが出ると思うがどうであろう。「なほ」:意味は、やはりとしか訳しようがないが、何に対してやはりなのか。自然に考えると、尼君に断られたがそれでもやはりの意味であろう。しかし、それでは受けるのが遠すぎる感じがする。古典は、近代小説とは違い、物語内の時間がいい加減なので、こういうことに一々気を取られてはいけないという暗黙の了解があるように聞く。近代文学の読み方を古典にあてはめるのはいけないのだと。しかし、読み方に近代も古典もない。第一、古典だけの読み方なんてあるなら教えてほしい。なんだか抽象論に陥りそうなのでポイントを絞ろう。次の段が「またの日(すなわち、北山から戻った翌日の意味)」で始まることから、この段は、北山から戻った当日のことである。この日は先ず、帝に復命し、その後、左大臣の勧めで葵のもとで一夜を明かすことになったのは、前回までで読んだ。その続きがこの段である。したがって、光の横には、あのいつも不機嫌な葵がいるのだ。そういう物語が語ってきた時間の蓄積の中で、この段を読むべきなのだ。「なほ」一語で、葵とのごたごたを一気に飛び越え、北山にいた時の時間にもどることは、わたしにはできない。この「なほ」は、「命だに」とひとたびは子作りにはげもうとしながら、できなかった光が、ふたたび紫へ思いはせた「なほ」である。尼君に断られても「なほ(やはり)」でもあるが、より身近には、「命だに心にかなふものならば何かは人を恨みしもせむ(命さえ心にかなうものならば、どうして人を恨んだりしようか)」とまで思い、無理して葵と同衾する覚悟をしたのに、袖にされたつらさを背負って「なほ(やはり)」紫のことがゆかしく思われるのである。それだけの重みのあるゆかしさなのだが、現実にはなかなかうまくことが運びそうにないというのが、「ゆかしきを」の「を」以下である。

思へりし 05-131

主体は尼君。

かまへて 05-131

いろいろと工夫・準備し。

慰め 05-131

藤壺の代わりとしての慰めであることは諸注にある通りだが、それだけではない。今説明したように、葵との不幸な結婚に対する慰めでもあるだ。葵とのごたごたが、北山からもどった後に挿入されていなければ、そう読む必然性はないが、この前に挿入されている以上、それを重ねて読むことを物語は強いるのである。近代文学であろうと古典であろうとそれは同じことなのだ。

兵部卿宮 05-131

紫の実父。

あて 05-131

高貴。

なまめいたまへれど 05-131

しっとりした感じとされる。

匂ひやか 05-131

視覚ないしは嗅覚に訴える美で動的な感じがする。すなわち、距離があっても、こちらにむかって発散してくるような感覚なのだ。これを光は透き見で感じ取ったのだ。

かの一族におぼえたまふ 05-131

紫が「かの一族」すなわち藤壺を思い起こさせること。紫のゆかり。

ひとつ后腹なればにや 05-131

兵部卿宮と藤壺が同じ后の腹から生まれたからかということ。すこしわかりにくいところだ。要するに、「にほひやか」なる美質は、女系に伝わる美質だということなのだろう。そのため、男である兵部卿宮には発現しないが、女兄弟と娘にはそれが発現したのであろう。おそらく、それは母である后から伝わったと考えてよかろう。

深うおぼゆ 05-132

葵が「とかう世を思し乱るること多かり」に対して、光は紫のことと深く考えたのである。「思し乱る」が気持ちがあれこれ散るのに対して、「深くおぼゆ」は一点に集中するのだ。この点からしても、「思し乱るる」の主体は光ではなく、葵である。結局、この段は、前回葵が「世を思し乱」れている間、光はなにをしていたかを物語っているのだ。他の古典は知らない、源氏物語に限っては、近代文学を読むときとは比較にならない精緻さが必要である。物語内時間に限らずである。

2020-10-21

Posted by 管理者