05若紫02

2020-05-24

若紫 原文 05-017/05-025

017近き所には 播磨の明石の浦こそ なほことにはべれ 何の至り深き隈はなけれど ただ 海の面を見わたしたるほどなむ あやしく異所に似ず ゆほびかなる所にはべる かの国の前の守 新発意の 女かしづきたる家 いといたしかし 大臣の後にて 出で立ちもすべかりける人の 世のひがものにて 交じらひもせず 近衛の中将を捨てて 申し賜はれりける司なれど かの国の人にもすこしあなづられて 何の面目にてか また都にも帰らむ と言ひて 頭も下ろしはべりにけるを すこし奥まりたる山住みもせで さる海づらに出でゐたる ひがひがしきやうなれど げに かの国のうちに さも 人の籠もりゐぬべき所々はありながら 深き里は 人離れ心すごく 若き妻子の思ひわびぬべきにより かつは心をやれる住まひになむはべる 先つころ まかり下りてはべりしついでに ありさま見たまへに寄りてはべりしかば 京にてこそ所得ぬやうなりけれ そこらはるかに いかめしう占めて造れるさま さは言へど 国の司にてし置きけることなれば 残りの齢ゆたかに経べき心構へも 二なくしたりけり 後の世の勤めも いとよくして なかなか法師まさりしたる人になむはべりける と申せば さて その女はと 問ひたまふ
018けしうはあらず 容貌 心ばせなどはべるなり 代々の国の司など 用意ことにして さる心ばへ見すなれど さらにうけひかず 我が身のかくいたづらに沈めるだにあるを この人ひとりにこそあれ 思ふさまことなり もし我に後れてその志とげず この思ひおきつる宿世違はば 海に入りねと 常に遺言しおきてはべるなる と聞こゆれば 君もをかしと聞きたまふ 019人びと 海龍王の后になるべきいつき女ななり 心高さ苦しやとて笑ふ 020かく言ふは 播磨守の子の 蔵人より 今年 かうぶり得たるなりけり 021いと好きたる者なれば かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし さて たたずみ寄るならむと言ひあへり いで さ言ふとも 田舎びたらむ 幼くよりさる所に生ひ出でて 古めいたる親にのみ従ひたらむは 母こそゆゑあるべけれ よき若人 童など 都のやむごとなき所々より 類にふれて尋ねとりて まばゆくこそもてなすなれ 情けなき人なりて行かば さて心安くてしも え置きたらじをやなど言ふもあり 022君 何心ありて 海の底まで深う思ひ入るらむ 底の みるめ も ものむつかしうなどのたまひて ただならず思したり かやうにても なべてならず もてひがみたること好みたまふ御心なれば 御耳とどまらむをや と見たてまつる 023暮れかかりぬれど おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ はや帰らせたまひなむとあるを 大徳 御もののけなど 加はれるさまにおはしましけるを 今宵は なほ静かに加持など参りて 出でさせたまへと申す 024さもあることと 皆人申す 025君も かかる旅寝も慣らひたまはねば さすがにをかしくて さらば暁にとのたまふ

若紫 原文かな 05-017/05-025

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

ちかきところには はりまのあかしのうらこそ なほことにはbれ なにのいたりふかきくまはなけれど ただ うみのおもてをみわたしたるほどなむ あやしくことどころににず ゆほびかなるところにはべる かのくにのさきのかみ しぼちの むすめかしづきたるいへ いといたしかし だいじんののちにて いでたちもすべかりけるひとの よのひがものにて まじらひもせず このゑのちゆうじやうをすてて まうしたまはれりけるつかさなれど かのくにのひとにもすこしあなづられて なにのめいぼくにてか またみやこにもかへらむといひて かしらもおろしはべりにけるを すこしおくまりたるやまずみもせで さるうみづらにいでゐたる ひがひがしきやうなれど げに かのくにのうちに さも ひとのこもりゐぬべきところどころはありながら ふかきさとは ひとばなれこころすごく わかきさいしのおもひわびぬべきにより かつはこころをやれるすまひになむはべる さいつころ まかりくだりてはべりしついでに ありさまみたまへによりてはべりしかば きやうにてこそところえぬやうなりけれ そこらはるかに いかめしうしめてつくれるさま さはいへど くにのつかさにてしおきけることなれば のこりのよはひゆたかにふべきこころがまへも になくしたりけり のちのよのつとめも いとよくして なかなかほふしまさりしたるひとになむはべりける とまうせば さて そのむすめは ととひたまふ
けしうはあらず かたち こころばせなどはべるなり だいだいのくにのつかさなど よういことにして さるこころばへみすなれど さらにうけひかず わがみのかくいたづらにしづめるだにあるを このひとひとりにこそあれ おもふさまことなり もしわれにおくれてそのこころざしとげず このおもひおきつるすくせたがはば うみにいりねと つねにゆいごんしおきてはべるなる ときこゆれば きみもをかしとききたまふ ひとびと かいりゆわうのきさきになるべきいつきむすめななり こころたかさくるしや とてわらふ かくいふは はりまのかみのこの くらうどより ことし かうぶりえたるなりけり いとすきたるものなれば かのにふだうのゆいごんやぶりつべきこころはあらむかし さて たたずみよるならむ といひあへり いで さいふとも いなかびたらむ をさなくよりさるところにおひいでて ふるめいたるおやにのみしたがひたらむは ははこそゆゑあるべけれ よきわかうど わらはなど みやこのやむごとなきところどころより るいにふれてたづねとりて まばゆくこそもてなすなれ なさけなきひとなりてゆかば さてこころやすくてしも えおきたらじをや などいふもあり きみ なにごころありて うみのそこまでふかうおもひいるらむ そこのみるめも ものむつかしう などのたまひて ただならずおぼしたり かやうにても なべてならず もて-ひがみたることこのみたまふみこころなれば おほむ-みみとどまらむをや とみたてまつる くれかかりぬれど おこらせたまはずなりぬるにこそはあめれ はやかへらせたまひなむ とあるを だいとこ おほむ-もののけなど くははれるさまにおはしましけるを こよひは なほしづかにかぢなどまゐりて いでさせたまへ とまうす さもあることと みなひとまうす きみも かかるたびねもならひたまはねば さすがに をかしくて さらばあかつきに とのたまふ

若紫 現代語訳 05-017/05-025

「近いところでは、播磨の国の明石の浦こそは、格別の風情があります。これといった趣き深い物陰はありませんが、ただ海の面(おもて)を見渡しているときなど、なぜかよそと異なり、ゆったりとした気持ちになれる場所です。
その国の前の国司で、出家したばかりの者が娘を慈しみ育てている家などは、実に見事なものでございます。大臣をしていた家の子孫で、出世もできたに違いない人だが、とてつもないひねくれ者で、宮廷への出仕もせず、近衛中将の地位を捨てて、自ら申し出て頂戴した官職ながら、配下であるその国の人にもやや軽んじられ、何の面目あって再び都に帰られようかと言って、髪をおろしてしまいましたが、多少でも奥まった山住みもしないで、お話しましたような海辺に出て暮らしております、筋の通らぬようではありますが、実際、その国の中にはいかにも世捨て人がこもるのにかっこうの場所があちこちありはしますが、深い山里は人気もなく寂しいかぎりで、若い妻子がつらい思いをするのが目に見えているためであり、そもそもそこは自分としても気持ちを晴らす住まいだからなのでしょう。
先だって、西国へ下向しましたついでに、様子をうかがいに立ち寄りましたところ、都でこそうだつがあがらないようでしたが、はるか先までその威風をなびかす屋敷を構えた様子は、軽んじられながらも、国司としてしておいた準備だから、残りの人生をゆたかに暮らせる心の用意も、人に似ぬほどしっかりしているのだった。後世を願う勤行もとても熱心に行い、法師になってかえって値打ちのあがった人とまあ言えましょう」と申しあげると、「ところで、その娘とは」とお聞きになる。
「まんざらでもない、顔立ち気立てのようでございます。代々の国司などが、結婚の準備を特別にして、そうした意向を示すようですが、いっこうに受け合いません。わが身がこうして空しく落ちぶれているだけでもつらいのに。我が子はこの娘ひとりしかないが、思いは特別なのだ。もし私に死に遅れてその志を成し遂げず、このように私が決め置いた運命通りにならなかったならば、海に身を投げなさいと、常に遺言しておいてあるそうでございます」と申し上げると、君も興味をもってお聞きになる。人々は、
「海龍王の后に当てられた神聖な娘ってとこか」
「志の高さがつらいの」と言って笑う。
このように話すのは、播磨の守の子で、今年従五位下に叙せられた男だった。
「とてもスケベな男だから、例の入道の遺言を必ず破ってやろうという気持ちがあるのだろうよ」
「それで、あたりをうろつくのだろう」と言い合った。
「でも、なんのために。そんな遺言をしても娘は田舎くさいだろう。幼い時からそんな所におい育ち、古くさい親にだけ従っていては」
「母親は教養ある家柄だろうけどな。立派な若い女房や女童など、都のこれ以上ない身分であるここそこの家から、つてを使って尋ねとり、まぶしいくらいに大切に育てていても」
「人の気持ちなど考えない国司が赴任してきたら、そんな暢気においておけるものだろうか」などと言う者までいる。
君は、「どんなつもりで、海の底までなどと、そんなに深く思い詰めているのだろうか。水底のみるめもとんだことだし、見た目もとんだことになる」などとおっしゃって、特別な関心をお持ちになる。こういうところからもわかることだが、めったにないくらい自らひねくれていったような事態をお好みになるご性分であるから、供の者たちはお耳にされてきっと関心を持ち続けになろうよとお察し申し上げる。
「日も暮れかけてまいりましたが、発作も出なくなられたようですのに。はやく都へお帰りなされては」と進言する者がいるのを、大徳は、「病気だけでなく物の怪なんかも憑いているご様子でいらしたのに、今晩はなお静かに加持などお受けになって、それからお立ちなさいませ」と申し上げる。それもそうですと、一同が申し上げる。君にしても、こういう旅寝などもし慣れておられないので、それだけに興味がもたれ、「ならば暁に参れ」とご命じになる。

若紫 注釈 05-017/05-025

明石 05-017

ここは地名であるが、のちの明石の君の前振りとなっている。明石は明かしであり、「光る君」「かかやく日の宮」に順じ光に関係する、第一世代として一級人物として扱われることが、その名にほのめかされている。

ゆほびかなる 05-017

語意がはっきりしないが、おだやかの意味であろうとされている。都の統制範囲は、西では攝津あたりが限界で、播磨以西は何があるかわからない場所というのが、平安人の世界観。そうした西国の中でも、明石はゆいいつ気持ちの休まる場所だという作者の設定。

新発意 05-017

新たに発心して出家した人。

いたし 05-017

心にひびく。

大臣の後 05-017

祖先に大臣を出した家柄であること。

近衛の中将 05-017

従四位下相当であり、播磨の守は従五位上相当。自分から求めてくだりながら、土地のものに馬鹿にされ、思うにまかせなかったようだ。

ひがひがしきやう 05-017

出家したからには多少でも世間から離れてくらすのが筋であるのに、それをしないことに対する非難。

げに 05-017

入道の海辺の住まいに、なるほどと納得するする気持ちとする注釈があるが、「げに……ありながら」は挿入句で、明石には山住みできる場所が実際にあるのだから、ひがひがしい感じがすることを後押しする。ただし、文脈は、それでも若い妻子がいるので、と逆転するのである。すわわち、この「げに」は譲歩構文(なるほど…だが、実のところ)を示す表現。

人離れ 05-017

人気がないこと。

心すごく 05-017

気持ちが寒々とする感じ、荒涼とした感じ。

かつは 05-017

二つのものが並列するときと、後が優先するときと両用法があるが、並列である場合でも後者が優先するきらいがある。第一とか、そもそもという語感。

所得ぬ 05-017

「ところ」は具体的には、社会的地位、すなわち出世しなかったことをいう。比ゆ的には、ぱっとしなかった。

そこらはるかにいかめしう占めて造れるさま 05-017

諸注は「そこら遥かに占めて、いかめしう造れるさま」と語順を書き変え訳すが、そうはなっていない以上、この読みは間違いである。明石入道の作った邸宅は、遥か先まで人を威圧するように作られていたの意味。「いかめしう占めて」は、その周辺を厳めしさでいっぱいにしてである。

国の司にてし置きけること 05-017

財力をいうとの注があるが、それに限らない。国司として準備しておいたこと、すなわち、人生計画の一環なのである。その準備のひとつが、国司として財力を蓄え大邸宅を海辺に構えたこと。残りは後世の願いともうひとつ。

残りの齢ゆたかに経べき心構へも 05-017

「も」があることから、これは財力とは別であり、後世を祈ることでもないことが、直後の表現からわかる。明示されていないが、娘を一流の男にめあわせる計画であろう。それができればもう思い残すことはない。

法師まさり 05-017

法師になってよかったの意味。人柄がよくなるなどの意味まで出るのか疑問である。「京にてこそところえぬやうなりければ」との関連からして、ところをえた、真価を発揮したほどの意味であろう。

けしう 05-018

不細工。この文は倒置。

用意 05-018

求婚の準備。

さる 05-018

具体的に受けるものはないが、「用意」の中に含蓄されている。その筋の。すなわち、結婚の。

だにある 05-018

定型句。「だに」と「あり」の間に文脈上明らかな形容詞を省略した形。

を 05-018

順接でも逆接でも意味は通るが、気持ちのゆれを考えれば逆接の方がよいと思う。順接では、つらいから死ねと直接すぎる物言いになる。なお、この「を」は「この人ひとり……ことなり」を飛んで、「もし我に……」につながる。これが分からなければ、文意は不明になる。男の私でも空しく落ち込んでいたらこうなのに、ましてひとり娘には特別な思いがあり、そこで、もし死に遅れたら……とつづく。

この人ひとりにこそあれ 05-018

子供はこの娘ひとりしかないがの意味。ふつうは息子に家の復興を期するものであるという前提があるので、次ぎの文と逆接関係になる「こそ+已然形」の形をとった。

思ふさまことなり 05-018

そこらの国司など婿に選ばないということ。

海竜王の后になる 05-019

海に身投げして死ぬことを、揶揄して言い換えたもの。

いつき女 05-019

潔斎しているむすめで、男を寄せつけないことの揶揄。

心高さ 05-019

明石の入道から押しつけられた志の高さ。

苦しや 05-019

娘の立場に立って、その気持ちを吐露した。連句のさきがけみたいな表現。付句としてなかなかおもしろい。一般の解釈は、娘の気持ちを推し量る、つらいだろうなと取る。しかし、これでは同情であって、揶揄にならない。

蔵人より今年かうぶり得たる 05-020

六位の蔵人から、この正月に従五位下に叙せられたの意味。

いと好きたる者 05-021

この播磨守の子。

たたずみ寄る 05-021

娘のまわりをうろうろする。

母こそゆゑあるべけれ 05-021

「こそ……已然形」だから、後の文と逆接でつながる。しかし、この後の文が略されているのだ。略されている理由は、前に出ているから。つまり、前の発言者の「さいふとも田舎びたらむ」を受け、母の方は出がいいんだがな、(でも娘の方は田舎くさいだろう)というのだ。「まばゆくこそなすなれ」も同じで、どんなに金を投じ、教養をみにつけ、まぶしいような存在にしたてあげようと、所詮、田舎くさいだろうとの意味。「こそ……已然形」は、強調である場合より、この逆接でつながる場合が多いので注意したい。

情なき人なりて行かば 05-021

冷酷な国司が赴任してきたらの意味である。「情なき人になりてゆかば」との本文もあるが、「心ない人になるのなら」の意味であり、この仮定はおかしい。「心ない人になるとわかっていたら」という仮定であれば、「そんな悠長にはほってられなだろう」につづく。

え置きたらじ 05-021

「おき」は、ほっておくのではなく、結婚させないでおくの意味。一人身を守らせることはしないだろうということ。冷酷な国司のものになるくらいなら、これまで言い寄ってきた男たちの一人にやっておけばよかったということ。

深う 05-022

海の底深くと、深く思ひ入るの両方にかかる和歌の手法。

底のみるめもものむつかしう 05-022

身投げした女にからまって、海底のみるめ(海藻の一種)も厄介だろうの意味と、身投げしては見苦しいことになるの意味をかける。両意をかけるのはやはり和歌の手法。みるめも雅語である。なお、「そんな思いつめている娘では見聞きする感じもわずらわしく面倒だ」の意をかさねるとの注があるが、それでは、光が特別な関心をもったという後のくだりと矛盾する。「ものむつかし」は、 「みるめ(見た目)」ではなく、「底のみるめ(溺死体のみた目)」。見た目が悪いだろうでは、海の底まで深う思ひ入るらむ、とも続かない。ひどいものだ。

かやうにても 05-022

難解。「好みたまふ」にかける注があるが、「こういう場合でも曲がったことを好む性格だから」では意味をなさない。こういう場合と曲がったことが同じ事象を受けるのだから。こういう場合でもそうだが、の意味である。こういう場合でもそうだが、光は曲がったことを好む性格だから。

なべてならずもてひがみたる 05-022

「なべてならず」は、めったにないの意味ではなく、めったにないほどの意味。なぜなら、「こと」にかかるのではなく、「もてひがみたる」にかかるから。「もてひがみたる」の 「もて」は、自分からすすんでそうするようなのニュアンスをそえる。明石の入道も、わざわざ都落ちしなくていいのに、自らすすんでしたことである。そうした普通の人生から進んでそれていったことに関心があるのである。娘への関心だけではない点に注意したい。ここまでが、話者による聞き手への説明で、次ぎの文は物語にもどり、この時の供の者たちの描写。 なお、「もてひがみたること好みたまふ」の中心には、藤壺との道ならぬ恋がある。

暮れかかりぬれど 05-023

「つ」は他動詞につきやすく、動作をしてしまった感じ。それに対して、「ぬ」は自動詞につきやすく、自然がそういう状態になっているという感じ。

おこらせ 05-023

気が発病しない。

なりぬるに 05-023

「に」は断定の「なり」の連用形。

こそはあめれ 05-023

逆接で下につづくが、その部分を欠く。(病気が治ったのに)どうしているのか、くらいが省略されている。

御もののけ 05-023

「御」は光に取りついた霊だから、光のものとして敬語が使われている。

2020-05-24

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