05若紫17

2021-01-12

05若紫 原文 読みかな 対訳 266/284

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《君は何心もなく寝たまへるを 抱きおどろかしたまふに おどろきて 宮の御迎へにおはしたると 寝おびれて思したり》266
きみ/は/なにごころ/も/なく/ね/たまへ/る/を いだき/おどろかし/たまふ/に おどろき/て みや/の/おほむ-むかへ/に/おはし/たる/と ねおびれ/て/おぼし/たり
君は何の用心もなく寝ておられる姫君を、抱き起こしになると、目を覚まし、父宮がお迎えにいらっしゃったと、寝とぼけてお考えになる。


《御髪かき繕ひなどしたまひて いざたまへ 宮の御使にて参り来つるぞとのたまふに あらざりけりと あきれて 恐ろしと思ひたれば あな 心憂 まろも同じ人ぞとて かき抱きて出でたまへば 大輔 少納言など こはいかにと聞こゆ》267
みぐし/かき-つくろひ/など/し/たまひ/て いざ たまへ みや/の/おほむ-つかひ/にて/まゐり/き/つる/ぞ と/のたまふ/に あら/ざり/けり/と あきれ/て おそろし/と/おもひ/たれ/ば あな こころう まろ/も/おなじ/ひと/ぞ とて かき-いだき/て/いで/たまへ/ば たいふ せうなごん/など こは いかに と/きこゆ
御髪を撫でつくろったりなさって、「さあ、いらっしゃい。宮のお使いとして参りましたよ」とおっしゃると、父ではなかったのかと呆然とし、怖がっておいでなので、「ああ情けない、わたしも同じ血筋なのに」と言って、かき抱いて寝所を出て行かれたので、惟光や少納言などは、「これはどういうつもりか」と申し上げる。


《ここには 常にもえ参らぬがおぼつかなければ 心やすき所にと聞こえしを 心憂く 渡りたまへるなれば まして聞こえがたかべければ 人一人参られよかしとのたまへば 心あわたたしくて 今日は いと便なくなむはべるべき 宮の渡らせたまはむには いかさまにか聞こえやらむ おのづから ほど経て さるべきにおはしまさば ともかうもはべりなむを いと思ひやりなきほどのことにはべれば さぶらふ人びと苦しうはべるべし と聞こゆれば よし 後にも人は参りなむ とて 御車寄せさせたまへば あさましう いかさまにと思ひあへり》268
ここ/に/は つね/に/も/え/まゐら/ぬ/が/おぼつかなけれ/ば こころやすき/ところ/に/と/きこエ/し/を こころうく わたり/たまへ/る/なれ/ば まして/きこエ/がたか/べけれ/ば ひと/ひとり/まゐら/れ/よ/かし と/のたまへ/ば こころあわたたしく/て けふ/は いと/びんなく/なむ/はべる/べき みや/の/わたら/せ/たまは/む/に/は いかさまにか/きこエ/やら/む おのづから ほど/へ/て さるべき/に/おはしまさ/ば ともかうも/はべり/な/む/を いと/おもひやり/なき/ほど/の/こと/に/はべれ/ば さぶらふ/ひとびと/くるしう/はべる/べし と/きこゆれ/ば よし のち/に/も/ひと/は/まゐり/な/む とて みくるま/よせ/させ/たまへ/ば あさましう いかさま/に/と/おもひ/あへ/り
「ここには、いつでも参れないのが気がかりなので、気兼ねのいらないところにお移り願うよう申し上げたが、なんとも情けないことに父宮のもとへお移りになるということなので、今よりさらに話もしにくくなりそうだから。誰かひとり付き添って参りなさいな」とおっしゃるので、気がもまれて、「今日は何とも都合が悪くございましょう。父宮がお出でなりましたら、どのように申し上げたらよいやら。無理せず成り行きで、時期が来て、そうなる運命でいらっしゃれば、どのようにでもきっとなりましょうが、まったく気持ちの準備ができないうちの移転ですから、仕える者たちも耐え難くありましょう」と申し上げると、「よろしい、あとにでも誰か参るがよい」と、お車を廂の間へ寄せさせになるので、どうなさるのかと、女房たちは心配しあった。


《若君も あやしと思して泣いたまふ》269
わかぎみ/も あやし/と/おぼし/て/ない/たまふ
姫君も、恐ろしいと思ってお泣きになる。


《少納言 とどめきこえむかたなければ 昨夜縫ひし御衣どもひきさげて 自らもよろしき衣着かへて 乗りぬ》270
せうなごん とどめ/きこエ/む/かた/なけれ/ば よべ/ぬひ/し/おほむ-ぞ-ども/ひき-さげ/て みづから/も/よろしき/きぬ/きかへ/て のり/ぬ
少納言は、止め申し上げる方途がないので、夕べ縫ったお召し物をひっ下げて、自分もよそ行きの服に着替えて同乗した。


《二条院は近ければ まだ明うもならぬほどにおはして 西の対に御車寄せて下りたまふ》271
にでうのゐん/は/ちかけれ/ば まだ/あかう/も/なら/ぬ/ほど/に/おはし/て にしのたい/に/みくるま/よせ/て/おり/たまふ
二条院は、近いのためまだ明るくもならないうちにお戻りになられ、西の対にお車をつけて、お降りになる。


《若君をば いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ》272
わかぎみ/を/ば いと/かろらか/に/かき-いだき/て/おろし/たまふ
女君に対しては、とても軽々と掻き抱いてお下ろしになる。


《少納言 なほ いと夢の心地しはべるを いかにしはべるべきことにかと やすらへば そは 心ななり 御自ら渡したてまつりつれば 帰りなむとあらば 送りせむかしとのたまふに 笑ひて下りぬ にはかに あさましう 胸も静かならず》273
せうなごん なほ いと/ゆめ/の/ここち/し/はべる/を いかに/し/はべる/べき/こと/に/か/と やすらへ/ば そは こころ/な/なり おほむ-みづから/わたし/たてまつり/つれ/ば かへり/な/む/と/あら/ば おくり/せ/む/かし と/のたまふ/に わらひ/て/おり/ぬ にはか/に あさましう むね/も/しづか/なら/ず
少納言は、「今もって、夢心地でおりまのに、どういたすべき状況でしょうか」と降りなずんでいると、「それは随意というもの。ご当人をすでにお連れ申したのだから、帰りたいのであれば、見送りしよう」とおっしゃるので、笑って降りた。ふと、不快なほど胸までどよめいて、


《宮の思しのたまはむこと いかになり果てたまふべき御ありさまにか とてもかくても 頼もしき人びとに後れたまへるがいみじさ と思ふに 涙の止まらぬを さすがにゆゆしければ 念じゐたり》274
みや/の/おぼし-のたまは/む/こと いかに/なり/はて/たまふ/べき/おほむ-ありさま/に/か とてもかくても たのもしき/ひとびと/に/おくれ/たまへ/る/が/いみじさ と/おもふ/に なみだ/の/とまら/ぬ/を さすがに/ゆゆしけれ/ば ねんじ/ゐ/たり
父宮が考えご命じになられることといったら、どのような結果をもたらすはめとなるご境遇でしょうか、あちらに行くにしもこちらに来るにしても、頼みの人々に死に後れになったのがむごいことと、思うと涙が止まらないのを、さすがに不吉なので、我慢して控えていた。


《こなたは住みたまはぬ対なれば 御帳などもなかりけり》275
こなた/は/すみ/たまは/ぬ/たい/なれ/ば みちやう/など/も/なかり/けり
こちらの方はお住みになっていない対だから、御帳などもなかった。


《惟光召して 御帳 御屏風など あたりあたり仕立てさせたまふ》276
これみつ/めし/て みちやう みびやうぶ/など あたり/あたり/したて/させ/たまふ
惟光を召して、御帳、御屏風など、そのところそのところに整えさせになる。


《御几帳の帷子引き下ろし 御座などただひき繕ふばかりにてあれば 東の対に 御宿直物召しに遣はして 大殿籠もりぬ》277
みきちやう/の/かたびら/ひき-おろし おまし/など/ただ/ひき-つくろふ/ばかり/にて/あれ/ば ひむがしのたい/に おほむ-とのゐもの/めし/に/つかはし/て おほとのごもり/ぬ
御几帳の帷子をさっと下ろし、御座などもわずかにととのえるだけになっているので、東の対に御宿直の衣服を取りにやられて、お休みになった。


《若君は いとむくつけく いかにすることならむと ふるはれたまへど さすがに声立ててもえ泣きたまはず》278
わかぎみ/は いと/むくつけく いかに/する/こと/なら/む/と ふるは/れ/たまへ/ど さすがに/こゑ/たて/て/も/え/なき/たまは/ず
女君は、ひどく不気味に感じ、自分はどういうことになるのかと、震えておられながらも、さすがに声を出してはお泣きにならない。


《少納言がもとに寝むとのたまふ声 いと若し》279
せうなごん/が/もと/に/ね/む と/のたまふ/こゑ いと/わかし
「少納言のところで寝るの」とおっしゃる声は、とても幼い。


《今は さは大殿籠もるまじきぞよと教へきこえたまへば いとわびしくて泣き臥したまへり》280
いま/は さは/おほとのごもる/まじき/ぞ/よ と/をしへ/きこエ/たまへ/ば いと/わびしく/て/なき/ふし/たまへ/り
「今はそんな風にはお休みになるものではありませんよ」と教え申し上げると、とても落胆して、泣きながら横になられた。


《乳母はうちも臥されず ものもおぼえず起きゐたり》281
めのと/は/うち/も/ふさ/れ/ず もの/も/おぼエ/ず/おき/ゐ/たり
少納言の乳母は、すこしも横になっておられず、何もわからないまま呆然と起きて控えていた。


《明けゆくままに 見わたせば 御殿の造りざま しつらひざま さらにも言はず 庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて かかやく心地するに はしたなく思ひゐたれど こなたには女などもさぶらはざりけり》282
あけ/ゆく/まま/に みわたせ/ば おとど/の/つくり/ざま しつらひ/ざま さらに/も/いは/ず には/の/すなご/も/たま/を/かさね/たら/む/やう/に/みエ/て かかやく/ここち/する/に はしたなく/おもひ/ゐ/たれ/ど こなた/に/は/をむな/など/も/さぶらは/ざり/けり
明けゆくままに見渡すと、御殿の様子や、部屋のありさまは、言うまでもなく立派で。庭の真砂も玉を敷き詰めたように見えて、光り輝く感じがして、恥じ入る思いで座っていたけれど、こちらには女房たちも側仕えしていなかった。


《け疎き客人などの参る折節の方なりければ 男どもぞ御簾の外にありける》283
けうとき/まらうと/など/の/まゐる/をりふし/の/かた/なり/けれ/ば をとこ-ども/ぞ/みす/の/と/に/あり/ける
疎遠にしている来訪者などが参上する折り節に使用するところであったので、男たちが御簾の外に詰めていた。


《かく 人迎へたまへりと 聞く人 誰れならむ おぼろけにはあらじと ささめく》284
かく ひと/むかへ/たまへ/り/と きく/ひと たれ/なら/む おぼろけ/に/は/あら/じ/と ささめく
このように誰かをお迎えになったと聞く人は、「どんな方でしょう。お安くないわ」と、小声で言い合う。

若紫 注釈 05-266/05-284

何心もなく 05-266

何も知らずにと訳されているが、何かを知る必要のある場面ではない。男が寝所に入ってきたことを知らずにいることに対する、話者の評である。こういうところからも、まだ紫は恋愛をする年齢ではないことが知られる。

寝おびれて 05-266

本来怖い夢にうなされることだが、ここは単に寝ぼけての意味。

宮の御使にて参り来つるぞ 05-267

これは紫が寝ぼけて、「宮の御迎へにおはしたる」と寝ぼけて思ったことから、光が即興的に作り出したでまかせである。すこし前になるが、光が空蝉の閨に初めて忍び込もうとした時、「中将の君はいづくにぞ」と、空蝉が中将という女房をさがした言葉をとらえ、当時中将の位であった光は、「中将召しつればなむ(中将をお呼びになったので)」と言って、閨に入ってゆく場面が思い出される。男が女のもとへ行くときには、それなりの遠慮が働くのであろう。これはさらに、古代の恋愛を下に引いているのかもしれない。例えば、万葉集の最初の歌、「家聞かな、名告(の)らさね……われこそは、告(の)らね、家をも名をも」がある。男が女を見初めた場合、男は女の家を聞き、名を問う。そこで女が答えると、夜ばいをしてもよいという合図となり、男は女のもとに出かけてゆくのである。同意があって、はじめて許されるという関係が、ここでも持ち込まれているのではないかと思う。しかし、紫は寝ぼけていただけのことで、相手が宮の使いであって、宮でないと知り、恐怖におののく。なぜなら、本当に宮の使いであるなら、寝所まで入ってくるはずがないからである。ここで今日の問題箇所となる。

あな心憂まろも同じ人ぞ 05-267

光はもちろん本心から「心憂」と言っているわけではない、相手が光だとわかって怖がっているのではなく、見知らぬ者が寝所に入ってきたことにパニックになっていることに、光は気づいているからである。その点は、特に注はないが、どの注釈も認めてくれるだろう。問題はその次、「まろも同じ人ぞ」で、わたしも同じ人間だと平等を説いたわけではもちろんない。わたしも父宮と兄弟であり、同じ宮であるの意味だ。つまり、初め紫は、入ってきた人を宮(父宮)と思った。しかし、光が父宮のお使いとして自分は来たと方便を言った。この時点では、相手を光とは知らない紫は、使いであって宮(父宮)でないと知りおびえた。そこで、光はわたしも宮だ(父宮ではないが、同じ宮の血を引いている者だ)と答えたのである。つまり、「宮の御迎へにおはしたる」と思った紫は結局正しかったと光は言いくるめているのだ。単なるこれは言葉遊びなのかも知れない。女のもとに入る照れとしてそういう言葉尻が大切なのかも知れない。しかし、わたしは、先にも述べたように、これは女の同意を得ることで恋愛が成り立つという、古代の恋愛を、形骸化してしまっているかもしれないが、受け継いでいるのだと見たい。強弁であることは読んですぐわかる。逆に、その強弁さが、なぜそんな強弁をする必要があったのかとの疑問を生むことになる。その解釈のひとつとして、古代的な恋愛をわたしは持ち出したまでである。もっとよい説明があるかも知れないが、諸注が何も言わないことが不満である。「大夫」は惟光。これを「大輔」の漢字をあて、少納言とは別の女房と取る説がある。しかし、大輔は少納言より身分が高い。その高い身分の大輔がいるのなら、これまでにも光の対応に出て来てよいはずである。ここにだけ「大輔」が出てくることは、物語として破綻があると思うがどうであろう。これまで紫の側で出て来た女房は、少納言だけである。少納言の乳母、乳母とのみ言う時もある、こんな線引きは誰もしないからあえてやれば、対社会的には少納言、紫に対しては乳母という使い分けが、かなり意識的になされている。光への対応はふだんは、対社会的な少納言であり、床入りの際はプライベートであるため、少納言でなく乳母という呼び方で統一される。惟光もやはり、公的には大夫であり、光との私的な場合は惟光となる。同一人物の呼び名が変わる時は、注意をしてみるとよい。呼び名を換えるには、それだけの理由があるはずである。考えてもみてほしい、今と昔では名の持つ意味の重さが違うのだ。通常は、おやがつけた名を呼ぶことさえタブーであった時代である。意識的にしろ無意識的にせよ、名を出すときには、非常な神経をつかったに違いないのだ。

心やすき所にと聞こえし 05-268

諸注は「をかしき絵など多く、雛遊びするところに」と紫を誘った言葉を引くが、その解釈はおかしい。この解釈では、紫にとって「心やすき」場所の意味になってしまう。しかし、文脈を確認すると、この場所はいつも来られなくて気がもめるので、別の場所に移ることを申し上げた、とあるので、別の場所は、光にとって行きやすい場所の意味であるはずである。こう考えると、直接光が「心やすきところに」と申し上げた箇所は本文には見あたらなくなる。だからと言って心配はいらない、ちゃんと関連箇所はあるのだ。光が紫を見初めたあとのこと、「いかにかまへとただ心やすく迎へとりて明け暮れの慰めに見ん」と光は心に思い、それから、手紙攻勢が始まるのである。その手紙の中身は具体的には触れられていないが、「心やすく迎え」とるための文言、すなわち、二条院にいらっしゃいという誘いであったはずである。当該箇所はこの部分を受けるのである。「心やすし」はもちろん光にとってである。

さるべきにおはしまさば 05-268

「さ」は、光が言うように光のもとにゆくことを受け、そうなる運命でいらっしゃうるならということ。

二条院は近ければ 05-271

近いために時間がかからず、明るくなる前に戻ったということ。近いから二条院にしたのではない。

君をば 05-272

「をば」は、「かき抱きて」に対する目的ではあるが、この場合、光は自分で車を降りたが、紫に対してはどうしたかと言うと抱いて下ろしたのだという、対比の意味合いがこもる。

いかにしはべるべきことにか 05-273

直訳すると、「どういたすべきことですか」となる。つまり、この場に際して、少納言はどういう態度を取るべきか、光にその決定をゆだねているのである。それに対して光は思う通りにするものだと、決定権を相手に戻したのである。もちろん、女房である以上、まったく思い通りに自分の行動を決められるものではないが、これを光の居直りなどと取るのは見当違いであろう。結果として自由な行動が取れないにせよ、相手の目線におりた物言いだと思う。

そは心ななり 05-273

「ななり」は「断定+伝聞」である。光は「心なり」と突っぱねず、ものやわらかく「ななり」と言ったのである。さて、この「ななり」については、「なるなり」が「なんなり」と変化し、「ん」の表記が落ちて「ななり」となったとされているが、もとの形は「なりなり」であると大野晋氏は説いている。万葉集などがそうなっているという帰納法と、推量の助動詞は終止形に接続するものであるというルールからの演繹法から、そういう結論を出されている。よって、「なるなり」という手写本は、後世の誤記であると。「なりなり」の繰り返しが言いにくくて「なんなり」に変化したのかなどと思ったりする。

渡したてまつりつれば 05-273

主語は、少納言でなく光。紫をこちらに連れて来たのだから、あなたは帰りたいなら送りますよってこと。これは冷たく突き放したとも取れるが、思い通りにすることの一例として述べているのである。もちろん、帰らないことはわかっていての話だが。

笑ひて 05-273

苦笑とする説があるが、どうすべきかといきばり、あるいは、どうにもしようがないと抵抗してみせた少納言だが、思い通りするさと不意をつかれ、力が抜けて、ほっこりし、思わず笑みがこぼれたと私はみる。

にはかに 05-273

通例、中止法と考えるが、おかしい。笑って降りた後で、この状況の何がにわかなのかわからない。「思ふ」にかかる。

静かならず 05-273

従って終止形でなく連用形。これを終止形にする理由はない。あるとすれば、「にはかに」の受ける先とすることくらいだが、中止法と考えるなら、ここでなくても言い訳で、諸注が終止形にする理由が理解できない。

宮の思しのたまはむこと 05-274

ここから少納言の心内語。「こと」に対する結びは流れている、「いかになりはてたまふべき」ではない。古文ではよくある述語の省略と言えばそうだが、西洋では述語を省くなどできないし、ようやく二十世紀になって、心内を語る際に、意識の流れとしてこうした名詞の連続を作家はするようになったのである。

とてもかくても 05-274

父宮の手に渡っても、光の手に渡ってもの意味。

こなた 05-275

「このかた」の変化したもの。西の対を指す。「御帳」は、あとで屏風と並列されているところからすると、御帳台(御座の周囲に垂らす帳)でなく、御簾(みす)、すなわち、廂の間と母屋をへだてる帳(とばり)であろう。

几帳 05-277

細い十字の骨組みの横木に垂れ布(帷子)をかけたもの。屏風より簡易に空間を隔てることができる。

御座 05-277

休む場所であるが、床が一段ほかより高くなっている。

ひき繕ふばかりにてあれば 05-277

簡単に整えるだけでよい状態になっていること。御帳も屏風もない対であるから、最初からそのような状態になっていたのではなく、惟光がそこまで準備したのである。では、なぜ最後までととのえなかったのか。それは、帷子をおろし、御座をちょっとととのえるという最後の準備は、女房の役であって、男のすることではないからであろう。陰陽五行によるまでもなく、寝るという夜の世界は女性が司るべき世界であろう。女房たちは母屋の中で控え、従者は外で待機するのである。

東の対 05-277

光が常住している対。

御宿直物 05-277

宿直の時に着る服。寝具と同じだとの注があるが、それは間違いである。これまでの解釈は、紫を肉体的に得ていないだけで、実質的にはすでに結婚していると考えているようであり、そうした解釈に基づき、後朝の場面にしろ、寝所の場面にしろ、押し切っているが、何度も繰り返すように、結婚しているようでしていないという二重性が、光と紫との関係の底辺にある。もっといえば、この特殊な事情を保つことが、ふたりを他の登場人物から異化し、聖別されるのだ。これは内的な十字架であり、貴種流離と同じ構造をもっているのである。もちろん、妻が冷たいことも、愛人のひとりがひどい嫉妬の持ち主であることも、物語の枠組みとしては、光の負った十字架であり、それだけ光は光り輝くのである。話が逸れたが、ここの「御宿直物」は、話者の意識として、これが男女が添い寝する関係ではないことを、表面化しているのである。剣を間に突き立て、従者と女主人が添い寝した中世騎士道物語と同じ構図である。

むくつけく 05-278

鬼や霊などに対して不気味に感じること。相手である光を鬼ではないかと恐れた夕顔が思い出される。

いかにすることならむ 05-278

諸注は主体を光と考えるが、敬語がないためやや無理がある。心内語では敬語が用いられないことがあるが、その多くは回避できるか誤読である。ここも、光とせず、自分はどうなるのかと考えれば敬語は必要なくなる。「何するのよ、助けて!」と、映画やテレビの強姦シーンが頭にこびりついている現代の感覚が、そういう解釈を生んでいるのかもね。

乳母 05-281

少納言。もともと少納言の乳母として登場した。

はしたなく 05-282

「はしたなく思ひたれど、こなたには女などもさぶらはざりけり」と続くことから、「はしたなさ」に対して隠したい対象が必要であることがわかる。したがって、気詰まりという解釈はおかしい。ひとりでも気詰まりになれるからだ。

け疎き 05-283

疎遠で、遠ざけたいという積極的意志の働く客である。

聞く人 05-284

「ほの聞く人」とのテキストもある。この場合は、関心をもって聞く人の意味になる。「ほの」は、漏れてくるものが少ないためもっとほしいと思う意識を示す。

おぼろけにはあらじ 05-2

「おぼろけ」は否定をともない、ただごとではないの意味。

05若紫 原文 17章266/284

君は何心もなく寝たまへるを 抱きおどろかしたまふに おどろきて 宮の御迎へにおはしたると 寝おびれて思したり 御髪かき繕ひなどしたまひて いざたまへ 宮の御使にて参り来つるぞとのたまふに あらざりけりと あきれて 恐ろしと思ひたれば あな 心憂 まろも同じ人ぞとて かき抱きて出でたまへば 大輔 少納言など こはいかにと聞こゆ ここには 常にもえ参らぬがおぼつかなければ 心やすき所にと聞こえしを 心憂く 渡りたまへるなれば まして聞こえがたかべければ 人一人参られよかしとのたまへば 心あわたたしくて 今日は いと便なくなむはべるべき 宮の渡らせたまはむには いかさまにか聞こえやらむ おのづから ほど経て さるべきにおはしまさば ともかうもはべりなむを いと思ひやりなきほどのことにはべれば さぶらふ人びと苦しうはべるべし と聞こゆれば よし 後にも人は参りなむ とて 御車寄せさせたまへば あさましう いかさまにと思ひあへり 若君も あやしと思して泣いたまふ 少納言 とどめきこえむかたなければ 昨夜縫ひし御衣どもひきさげて 自らもよろしき衣着かへて 乗りぬ 二条院は近ければ まだ明うもならぬほどにおはして 西の対に御車寄せて下りたまふ 若君をば いと軽らかにかき抱きて下ろしたまふ 少納言 なほ いと夢の心地しはべるを いかにしはべるべきことにかと やすらへば そは 心ななり 御自ら渡したてまつりつれば 帰りなむとあらば 送りせむかしとのたまふに 笑ひて下りぬ にはかに あさましう 胸も静かならず 宮の思しのたまはむこと いかになり果てたまふべき御ありさまにか とてもかくても 頼もしき人びとに後れたまへるがいみじさ と思ふに 涙の止まらぬを さすがにゆゆしければ 念じゐたり こなたは住みたまはぬ対なれば 御帳などもなかりけり 惟光召して 御帳 御屏風など あたりあたり仕立てさせたまふ 御几帳の帷子引き下ろし 御座などただひき繕ふばかりにてあれば 東の対に 御宿直物召しに遣はして 大殿籠もりぬ 若君は いとむくつけく いかにすることならむと ふるはれたまへど さすがに声立ててもえ泣きたまはず 少納言がもとに寝むとのたまふ声 いと若し 今は さは大殿籠もるまじきぞよと教へきこえたまへば いとわびしくて泣き臥したまへり 乳母はうちも臥されず ものもおぼえず起きゐたり 明けゆくままに 見わたせば 御殿の造りざま しつらひざま さらにも言はず 庭の砂子も玉を重ねたらむやうに見えて かかやく心地するに はしたなく思ひゐたれど こなたには女などもさぶらはざりけり け疎き客人などの参る折節の方なりければ 男どもぞ御簾の外にありける かく 人迎へたまへりと 聞く人 誰れならむ おぼろけにはあらじと ささめく

2021-01-12

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