05若紫16

2020-05-24

若紫 原文 05-244/05-265

244少納言は 惟光にあはれなる物語どもして あり経て後や さるべき御宿世 逃れきこえたまはぬやうもあらむ ただ今は かけてもいと似げなき御ことと見たてまつるを あやしう思しのたまはするも いかなる御心にか 思ひ寄るかたなう乱れはべる 今日も 宮渡らせたまひて うしろやすく仕うまつれ 心幼くもてなしきこゆな とのたまはせつるも いとわづらはしう ただなるよりは かかる御好き事も思ひ出でられはべりつるなど言ひて この人もことあり顔にや思はむ など あいなければ いたう嘆かしげにも言ひなさず 245大夫も いかなることにかあらむ と 心得がたう思ふ 246参りて ありさまなど聞こえければ あはれに思しやらるれど さて通ひたまはむも さすがにすずろなる心地して 軽々しうもてひがめたると 人もや漏り聞かむ など つつましければ ただ迎へてむと思す 247御文はたびたびたてまつれたまふ 248暮るれば 例の大夫をぞたてまつれたまふ 249障はる事どものありて え参り来ぬを おろかにや などあり 250宮より 明日にはかに御迎へにとのたまはせたりつれば 心あわたたしくてなむ 年ごろの蓬生を離れなむも さすがに心細く さぶらふ人びとも思ひ乱れてと 言少なに言ひて をさをさあへしらはず もの縫ひいとなむけはひなどしるければ 参りぬ
251君は大殿におはしけるに 例の 女君とみにも対面したまはず 252ものむつかしくおぼえたまひて あづまをすががきて 常陸には田をこそ作れ といふ歌を 声はいとなまめきて すさびゐたまへり 253参りたれば 召し寄せてありさま問ひたまふ 254しかしかなど聞こゆれば 口惜しう思して かの宮に渡りなば わざと迎へ出でむも 好き好きしかるべし 幼き人を盗み出でたりと もどきおひなむ そのさきに しばし 人にも口固めて 渡してむと思して 暁かしこにものせむ 車の装束さながら 随身一人二人仰せおきたれ とのたまふ 255うけたまはりて立ちぬ 256君 いかにせまし 聞こえありて好きがましきやうなるべきこと 人のほどだにものを思ひ知り 女の心交はしけることと推し測られぬべくは 世の常なり 父宮の尋ね出でたまへらむも はしたなう すずろなるべきを と 思し乱るれど さて外してむはいと口惜しかべければ まだ夜深う出でたまふ 257女君 例のしぶしぶに 心もとけずものしたまふ 258かしこに いとせちに見るべきことのはべるを思ひたまへ出でて 立ちかへり参り来なむ とて 出でたまへば さぶらふ人びとも知らざりけり 259わが御方にて 御直衣などはたてまつる 260惟光ばかりを馬に乗せておはしぬ 261門うちたたかせたまへば 心知らぬ者の開けたるに 御車をやをら引き入れさせて 大夫 妻戸を鳴らして しはぶけば 少納言聞き知りて 出で来たり 262ここに おはします と言へば 幼き人は 御殿籠もりてなむ などか いと夜深うは出でさせたまへると もののたよりと思ひて言ふ 263宮へ渡らせたまふべかなるを そのさきに聞こえ置かむとてなむ とのたまへば 何ごとにかはべらむ いかにはかばかしき御答へ 聞こえさせたまはむとて うち笑ひてゐたり 264君 入りたまへば いとかたはらいたく うちとけて あやしき古人どものはべるにと聞こえさす 265まだ おどろいたまはじな いで 御目覚ましきこえむ かかる朝霧を知らでは 寝るものかとて 入りたまへば や ともえ聞こえず

若紫 原文かな 05-244/05-265

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

せうなごんは これみつにあはれなるものがたり-どもして ありへてのちや さるべきおほむ-すくせ のがれきこエたまはぬやうもあらむ ただいまは かけてもいとにげなきおほむ-こととみたてまつるを あやしうおぼしのたまはするも いかなるみこころにか おもひよるかたなうみだれはべる けふも みやわたらせたまひて うしろやすくつかうまつれ こころをさなくもてなしきこゆな とのたまはせつるも いとわづらはしう ただなるよりは かかるおほむ-すきごともおもひいでられはべりつる などいひて このひともことありがほにやおもはむ など あいなければ いたうなげかしげにもいひなさず たいふも いかなることにかあらむと こころえがたうおもふ まゐりて ありさまなどきこエければ あはれにおぼしやらるれど さてかよひたまはむも さすがにすずろなるここちして かるがるしうもてひがめたると ひともやもりきかむ など つつましければ ただむかへてむ とおぼす おほむ-ふみはたびたびたてまつれたまふ くるれば れいのたいふをぞたてまつれたまふ さはること-どものありて えまゐりこぬを おろかにや などあり みやより あすにはかにおほむ-むかへにとのたまはせたりつれば こころあわたたしくてなむ としごろのよもぎふをかれなむも さすがにこころぼそく さぶらふひとびともおもひみだれて と ことずくなにいひて をさをさあへしらはず ものぬひいとなむけはひなどしるければ まゐりぬ
きみはおほいどのにおはしけるに れいの をむなぎみとみにもたいめんしたまはず もの-むつかしくおぼエたまひて あづまをすががきて ひたちにはたをこそつくれといふうたを こゑはいとなまめきて すさびゐたまへり まゐりたれば めしよせてありさまとひたまふ しかしかなどきこゆれば くちをしうおぼして かのみやにわたりなば わざとむかへいでむも すきずきしかるべし をさなきひとをぬすみいでたりと もどきおひなむ そのさきに しばし ひとにもくちかためて わたしてむ とおぼして あかつきかしこにものせむ くるまのさうぞくさながら ずいじんひとりふたりおほせおきたれ とのたまふ うけたまはりてたちぬ きみ いかにせまし きこエありてすきがましきやうなるべきこと ひとのほどだにものをおもひしり をむなのこころかはしけることとおしはかられぬべくは よのつねなり ちちみやのたづねいでたまへらむも はしたなう すずろなるべきをと おぼしみだるれど さてはづしてむはいとくちをしかべければ まだよぶかういでたまふ をむなぎみ れいのしぶしぶに こころもとけずものしたまふ かしこに いとせちにみるべきことのはべるをおもひたまへいでて たち-かへりまゐりきなむ とて いでたまへば さぶらふひとびともしらざりけり わがおほむ-かたにて おほむ-なほしなどはたてまつる これみつばかりをむまにのせておはしぬ かどうち-たたかせたまへば こくろしらぬもののあけたるに みくるまをやをらひき-いれさせて たいふ つまどをならして しはぶけば せうなごんききしりて いできたり ここに おはします といへば をさなきひとは おほむ-とのごもりてなむ などか いとよぶかうはいでさせたまへると もののたよりとおもひていふ みやへわたらせたまふべかなるを そのさきにきこエおかむとてなむ とのたまへば なにごとにかはべらむ いかにはかばかしきおほむ-いらへきこエさせたまはむ とて うち-わらひてゐたり きみ いりたまへば いとかたはらいたく うち-とけて あやしきふるびと-どものはべるに ときこエさす まだ おどろいたまはじな いで おほむ-めさましきこエむ かかるあさぎりをしらでは ぬるものか とて いりたまへば や とも えきこエず

若紫 現代語訳 05-244/05-265

少納言は、惟光にこの家にまつわる同情を引く話などをして、
「時が経った後でなら、そうなるべき御宿縁は逃れ申すことがおできにならないようなことにもなりましょう。しかし、ただ今のところは、もう決してまったく不釣り合いなお話であると存じ上げておりますのに、ただならず言い寄られるのも、どういう御心ゆえかと、理解の及ぶところでなく、どうしたものかと思い悩んでおります。今日も、宮がお越しになって、不安のないようお仕え申し上げよ。思慮のないお扱いをし申すな」と命じになるにつけても、なんと面倒なことかと、何もない時よりは、こうしたお色事もつい思い出されたことです」などと言って、この人もことあり顔に思うだろうななどと考えるが、言っても甲斐がないので、ひどく嘆かしげにも言いつくろわない。大夫も、いったいこの状況はどういうことなのだろうと、心得がたく思う。
惟光は君のもとに参上して、訪問の様子などを申し上げたところ、愛しく思いやりになるが、そういう気持ちから夫という立場で通ってゆこうとなさるのも、さすがに行き過ぎという気持ちがして、軽率にも無理に奇矯なふるまいをしていると、世間も漏れ聞くことになりはしまいかなど、はばかられるので、迎え入れることにしようとだけお思いになる。
お手紙は度々お遣わせになる。暮れると、例の大夫をお遣わせになる。
「差し障る用事があって、参上できないことを、不実であろうか」などと報告がある。
「父宮から明日急にお迎えにとおっしゃられたので、気ぜわしくて。年来の茅屋を離れてゆくのも、さすがに心細く、仕える者たちも気持ちが乱れて」と、言葉少なに言って、ろくな応対もすることなく、縫い物などに余念がない様子などから、紫を移すことがありありと伝わってくるので、光のもとへ復命しに参内した。
君は左大臣邸にいらっしゃったが、例のごとく、葵の君はすぐにも対面なさらない。何とも厄介なことだとお感じになって、東琴を心にまかせてすが掻きして、「常陸では田をこそ作っていとまないのに、あなたは浮気と疑い、山を越え雨夜にわざわざやって来る」という俗謡を、声はとても瑞々しく、口ずさみ座っていらっしゃる。惟光が参ったので、召し寄せて先方の様子をお問いになる。明日父宮の迎えが来る旨を申し上げると、無念とお感じになり、あの兵部卿宮に渡ってしまったら、強引に迎えに行くのも好色な感じがするし、幼い人を盗み出したと、当たらぬ非難をきっと負うことだろう。宮が来る先に、しばらく女房たちの口固めをして、移してしまおうとお思いになって、
「暁に、あちらに行こう。車の支度はそのままで、随人を一人二人命じて手配しておけ」とおっしゃる。惟光は拝受して出立した。
君は、どうするのがよかろう、このことが漏れ伝わって、好色がましいと判断される事態だ、最低でも人並み程度には分別があって合意した仲であろうと、そのように取り沙汰されるに違いない、それが世の常だ。父宮が尋ねお当てになるにしても、みっともなく言い訳の立たないことになろうしと、思い悩まれるが、さりとてそのまま見過ごすとしたらとても残念であろうからと、まだ夜深いうちに出立される。
葵の君は、例のごとく、しぶしぶ心許すことなく、君のもとにお出でになる。
「あちらにどうあっても見ておくことがありますのを思い出しまして、すぐに戻って参ります」と、出て行かれるので、お付きの者たちも気がつかなかった。自分のご邸で、直衣などはおつけになる。惟光だけを馬に乗せてお出かけになった。
門を軽くお叩かせになると、事情も知らない者が開けたので、御車を静かに引き入れさせて、大夫が妻戸を鳴らし咳払いをしたところ、少納言は合図だと聞き取って出て来た。
「ここにおいでです」と知らせると、
「幼い人はお休みですのに。どうしてこんな夜もしまい際においででしょう」と、よそからの朝帰りのついでかと思って問う。
「宮のもとへお移りになるとのことですので、その前に伝えておこうと思って」とおっしゃるので、
「どういうお話でしょうか。さぞかし色よいご返答をお聞かせになることでしょう」と、つい面白がりながら控えている。
君が妻戸からお入りになると、女房はとても決まり悪くて、
「気を許し、みっともないなりをした古女房たちがいますのに」とおとがめもうしあげる。
「まだお起きでないようですね。さあ、お目をさまさせてあげましょう。こんな朝霧を知らずに寝るものでしょうか」と、御座所にお入りになると、誰もあれともお止め申し上げられない。

若紫 注釈 05-244/05-265

あはれなる物語ども 05-244

尼君の死をはじめとしてこの一家が傾き出していることを訴え、紫の将来が不安であることを訴え、どうして光自身が来てくれないのか、光の不実を訴えるのである。この部分が後に惟光が光に復命し、「参りてありさまなど聞こえければ、あはれに思しやられるれ」につながる。

あり経て後 05-244

時が経ってから。

さるべき 05-244

そうなるべき。

かけても 05-244

「似げなき」の「なき」と呼応し、決して~ないの意味。

あやしう思しのたまはする 05-244

はたから理解しがたいほど熱烈に求愛すること。

思ひ寄るかたなう 05-244

理解しようにも理解できない。

うしろやすく 05-244

紫にとって不安なく。

心幼く 05-244

年端のゆかないような無分別なこと。前回「いはけなくうち出きこえさせたまふな」の「いはけなく」に近い。前回も今回も対象は女房。もちろん紫に対してではない。紫を子供扱いするなという意味ではない。具体的には、男を寄せ付けてはならないということ。女房たちの関心のほとんどすべてが恋愛である。軽率なことをしてくれるなと、それをたしなめたのである。折しも光と擬似的後朝があった直後であるから、少納言にはこたえたのである。

いとわづらはしう 05-244

「のたまはせつるも」に対する述語とする説がある。しかし、「思ひ出でられはべりつる」にかけるべきである。前々回「広うもの古りたる所」で説明を省いたが、音便変化した語は、中止法でなく、原則連用修飾となる。これは決まりというより、わたしの経験則であるが。

ただなるよりは 05-244

普段よりは。

この人も 05-244

惟光も。

あいなければ 05-244

悲しげに訴えても仕方がないの意味ではない。実事がなかったことを惟光に説明しようとしても、状況的に信じてはもらえないということ。実事があったのであれば、もっと積極的に訴えるべきであるが、実事がない、すなわち、まだ結婚は成立していないのだから、面倒を見てくださいと直接的に訴えられないのである。状況的には実事はあったのである。「大夫」すなわち惟光は、実事があったと見ているのに、少納言が積極的に訴えないのはどういうことかと合点がゆかないのである。

参りて 05-246

使者として派遣された惟光が、光のもとに復命して。

あはれに思しやらるれど 05-246

「あはれなり」は、愛情を示す語。ただし、ここでは、前回の「少納言は惟光にあはれなる物語どもして」を受けた表現で、紫への同情が一段と深まり、さらに愛しくなったという意味。「思しやる」の「やる」は距離のある対象にむかう感覚、距離と方向(ベクトル)を示す。「るれ」は自発。

さて通ひたまはむ 05-246

「さて」:「さ」は直前の「あはれに思しやられる」を受ける。つい愛情が深まったという理由での意味。さればとて、という逆接を示すのではない。逆接を示すのは次の「さすがに」。

すずろなる 05-246

光と紫の関係性を理解する大変重要な語である。しかじかの根拠・理由などがないという感覚。愛情がわいたからという理由で紫のもとへ通うのはおかしいという意味。ここで問題になるのは「通ひ」という語である。これは単に恋の対象である女のもとに通うことのみを意味しない。通い婚という結婚の一形態である。従って、その関係性は一時的でなく、将来的につづく。これと対比されるのが、「据え」であり、女を一定の場所に据え置くのである。前者が正式な結婚であり(二条院が光の自邸であり、そこから左大臣邸にすむ葵のもとへ、光は通っている)、後者はいわゆる囲いもの、おめかけさんという感じ。愛情がわいたからといって、通い婚をする理由にならないというのが「すずろなる心地」の意味だ。これにはふたつのことを考える必要がある。ひとつは、紫を正式な結婚相手と考えていないという意味。もうひとつは、実際には性交渉が済んでいないため、結婚という形はおかしいという意味である。すなわち、光が二の足を踏んだ理由として、通い婚の「通ふ」という正式さに違和感を感じたという解釈と、結婚自体にためらいを感じた二種類の方向を検討する必要があるということだ。光と紫の関係性において、前者は多く語られているが、後者は見落とされている。どちらかではなく、どちらをも考慮すべきだと私は考える。

軽々しう 05-246

例により音便形は連用修飾と考える。すなわち、軽率だの意味でなく、軽率にも……するという意味で取るということ。

もてひがめたる 05-246

無理にゆがんだ行動を取るということ。身分が不釣り合いのみか、まだ結婚年齢に達していない紫と通い婚を行うのは、アブノーマルだと批判されようという意味だ。

人も 05-246

世間との解釈があるが、光の念頭にあるのは、おそらく、藤壺であり、帝であり、葵の上を初めとする左大臣家の人々であり、さらには、六条御息所を初めとする恋人たちである。特に意識するのは、藤壺、次に葵ではないかと思う。『若紫』の主要女性は、紫、藤壺、葵である。その影に御息所がいる。葵は紫という嫉妬の対象が登場することで、表舞台に入ってくる。

漏り聞かむ 05-246

世間の噂の種になるではなく、光が聞かれたくない人の耳に入るということ。

迎へてむ 05-246

文字通り引き取ること。ここで再び、「通ひ」と「据え」を取り出す。源氏論では、光は紫を据えたと考えるが、考慮すべきは、さきほどから繰り返しているように、結婚という形態自体に光はためらいを感じているのである。「迎えてむ」は、従って、事実上の棚上げであろうと思う。通い婚でも据えでもない未定状態。そうして時を待つのだ。まだ結婚年齢に達していないという物語が繰り返す警告に、もっとも沿った読み方と思うがどうであろう。素直な解釈がいつも一番よい解釈である。

たてまつれたまふ 05-247

「れたまふ」という二重敬語ではもちろんない。「たてまつる」には、四段活用と下二段活用がある。前者に「たまふ」「れたまふ」をつけると、「たてまつりたまふ」「たてまつられたまふ」となる。後者は前者の使役形とされている。手紙や使者を相手に送るという意味の謙譲語。

おろか 05-249

おろそかの意味。相手への誠意がたりない。

などあり 05-249

光の手紙の文句のなかにある、あるいは、使者の挨拶として惟光が光の言葉を伝えた中にあるという意味。

宮 05-250

父宮。

たりつれ 05-250

完了の「たり」と完了の「つ」からなる語、一種の強調である。明日急にお迎えにとおっしゃった、だからその準備をという感覚。英語で言えば結果を示す現在完了である。

蓬生 05-250

荒廃した邸宅の謙譲表現。

離れ 05-250

離れる意味だが、和歌的な表現で、「枯る」をかけ、「蓬生」の縁語となっている。感情が高まると和歌的表現がついて出るのであろう。

さすがに心細く 05-250

普段はここから出たいという気持ちがもとにあり、実際に出るとなるとさすがに心細い思いがするのである。ここは「さすがに心細う」と音便形になっているテキストがあるが、それだと「思ひ乱れて」にかけることになる。しかし、意味的には、さすがに心細くで切る方が自然であろう。大島本は「心細く」であり、この方がいい。

をさをさ 05-250

打ち消しの語と呼応して、ろくに……しないの意味になる。

あへしらはず 05-250

取り合わないということ。

いとなむ 05-250

励むこと。ここは引っ越しの準備に余念がない。

しるけれ 05-250

語義は、あることがらの中に、当面の問題で事実(それはまだ表現されていない場合が多い)が、すでに歴然と現れている意味。従って、諸注の、物縫ひいたなむことが「しるけれ」と取るのは明らかな間違いである。それらは目で見えることであって、上の定義で言えば「あることがら」である。当面の問題は、紫が父宮の手に渡ってしまうこと。それがはっきりしたから復命に戻ったのである。「しるければ参りぬ」の、原因と結果の関係をしっかり確認してほしい。諸注の解釈では、縫い物など引っ越しの準備で忙しく相手にしてもらえなくてと読めてしまう。しかし、それが原因であれば、「戻る」となって、「光のもとに参る」とはならない。非常事態だと知ったから光のもとにあわてて出向いたのである。

大殿 05-251

葵のいる左大臣邸。

女君 05-251

葵。

ものむつかしくおぼえたまひ 05-252

葵がすぐにでも対応に出てこようとしないので、ひどく厄介に思っている。これを、おもしろくないとか、不機嫌と取るのは間違いである。それでは歌の内容とつながらない。光が抱えている問題は、紫を早晩引き取ることになるのを、どのように葵に知らせるか、あるいは、どのように秘密にするかである。おそらくその機会をうかがいに今日は左大臣邸に来ているのだ。ほかにこの邸にいる理由は物語に見あたらない。それなのに、葵はいつものように挨拶にも出てこない。自分に非があるだけに、困ったぞ、面倒だな、厄介なことだというのが「むつかし」の内容である。

あづま 05-252

東琴。

すががき 05-252

心にまかせて思い入れにひく。即興演奏である。

常陸には田をこそ作れ 05-252

風俗歌に「常陸にも 田をこそ作れ あた心 や かぬとや君が 山を越え 雨夜来ませる」とあるのを受ける。常陸にでも田んぼを作っているのに、わが妻は浮気心を起こしているかと、山を越え、雨の夜にやって来る、との意味。「かぬ」は兼ねるで、浮気心を抱くである。光のこの歌はとても重要である。光は農夫に、葵はその妻に仮託されている。今は挨拶に来ないが、そのうち悋気を起こしてこの部屋にやって来ようという、一種のざれ歌である。何度も繰り返すが、ここには「言葉―事柄」構造がある。将来を運命づける言葉をはき(そうと気づかない場合もある)、それが後に実現してしまうという構造である。ここでのように本人自身が述べることもあれば、高麗人の時のように他人である場合もある。この歌の重要性はここからで、一般の解釈は、浮気をしていないとい説明として「田をこそつくれ」と述べていると取るのだが、「田をこそ作れ」自体が意味を持っていると私は思う。「田」はもちろん紫である。自分は「あだ心」でいるのではない。田を作っているのだ。では、女性を田にたとえる意味は何か。田は直接にはもちろん、種を撒く場所である、女性自身である。しかし、いまだ紫はそれを許す肉体にまで成長していない。すなわち、生殖可能な大人の女性にまで、紫を育て上げようという意図が、この歌には籠められているのである。ただし、それが意図したものか、意図せずそうした預言をしてしまったのかは解釈がわかれるであろう。わたしとしては、源氏物語がもつ基本構造として「言葉―事柄」の預言構造が強くあると考えているので、ここでもそれではないかと感じているが、確証はない。(預言構造というのは、たとえば、光はまだ惟光から話しを聞いていないので、明日父宮が紫を迎えに来ることを知らない。まさしくその知らせをもってこちらへ惟光が向かっている最中に、この歌を光が歌うというタイミングは、創作する場合必ず意図をもって選んだのである。惟光の知らせを受けたあとにこの歌を歌ったとしても、物語の内容に変化はないであろう。しかし、物語の構造としては全然意味が違う。聞いてからそれを歌うのは現実社会と変わらないが、聞く前にその歌を歌えば、これは一種の超自然的なものである。源氏物語はリアリスム文学のように言われているが、このように非リアリスム的構造を持っているのである。神話などにはこの種のものが多いが、リアリスム風文学にこれほど神話的構造が入り込んだ文学は珍しいと思う。源氏物語の構造として重視するゆえんである。)さらに、この歌からは、葵の心情がわかるのである。葵は初めから単に冷たい性格であるかのように論ぜられるが、それを打ち消すものではないが、光の浮気に葵は苦しんでいることが、この歌より知られるわけだ。葵自身事実に基づいた嫉妬であるのかないのかわからない嫉妬である点に注意したい。そうした読みを可能にするほどインパクトとタイミングをもった象徴的歌である。

なまめきて 05-252

歌の内容は鄙びているのに、声はとても艶やかであるということ。

参りたれば 05-253

惟光が、光のもとに。

しかしかなど 05-254

具体的内容は、紫を迎えに明日父宮が来ること。

口惜し 05-254

期待していたことがかなわくなった時の心情。

わざと 05-254

強引に。

迎へ出でむ 05-254

もし兵部卿宮に引き取られたのであれば、父親の社会的地位からして光は通い婚を考えるのが普通であり、「据え」が認められる対象ではなくなる。となると、「迎へ出でむ」は、養女か何かとして迎えることであり、即結婚ではないのであろう。

幼き人を盗み出でたりともどきおひなむ 05-254

結婚という形であれば盗み出したという非難は当たらない。そういう形で迎えにゆく気が光にないことがここから読める。

もどき 05-254

非難の意味と、非難に当たらない非難を受ける意味にもなる。光の頭には、盗み出したという非難は当たらないという意識があるのだ。紫を引き取ることが、結婚ではないものの、光の頭には結婚に類似した何らかの正当な理由がある風である。それは、性交渉はなかったものの、一夜を過ごしたという事実である。結婚であって結婚でない、実事があるようなないようなアンビバレンツ(分離)な意識は、当面、光も女房も惟光も持ち続けることになる。

車の装束 05-254

装束は飾りなどをふくめた準備。

さながら 05-254

今ある状態のまま。いそぐので、改めて何かしない。

仰せおきたれ 05-254

惟光が随人を手配を命じよということ。

いかにせまし……すずろなるべきを 05-256

この部分は光の心中語。この部分の解釈が気になる。まず前提として光は、紫を迎えにゆくつもりであること。これが前提となって、それがうまくできるかどうかを考えているのである。諸注ではそのあたりがはっきりしないが、迎えにゆくことを前提にしていないように思われる。それはそれとして「聞こえありて」は、紫をかくまうとして、お付きの女房などから、何かの機会にそのことが世間に漏れることがあるかも知れない。紫のことが聞こえてくる、これが「聞こえ」である。「聞こえありて」は「推しはかられぬべく」にかかる。「すきがましきやうなるべきこと」と「人のほどだにものを思ひ知り女の心かはしけること」とは並列の関係で、これも「推しはかられぬべく」にかかる。ここまで整理がつけば解釈にそれほど難はなかろうと思う。「すきがましきやうなるべきこと」は、主語がないが、光が紫を迎え入れること、それが「すきがましきやうなるべきこと」だと推し量られるのである。「べき」を訳すのは難しいが「こと」にかかっていることに注意すると、すけべったらしいに決まった恋愛だ、とでもなる。問題は、「人のほどだにものを思ひ知り、女の心かはしけることと(推しはかられぬべくは世の常なり)」である。諸注は、せめて紫が分別のわかり、合意の上でのことだ(と想像してくれることであったら、世間のありがちのことだが)くらいの訳をつけている。なんともアクロバティックな訳である。「推しはかられぬべくは世の常なり」に限って訳しても、きっとそのように推量されるのが世の常であるとなるのであって、上のような「くれたら」などの願望表現は、どこをどう見ても原文には見つからない。なぜそんな無理をするのかは目星はつく。犯人は「だに」である。「だに」は願望表現と結びつくときは、「せめて……してくれたら」と最低限の願望を示す。そこで、「ぬべく」に目をつけ、きっと~だろうとの意味だから、きっと光もそう望んでいるだなとかなんとか、現代語に移し替えてから操作が加わり、上のような訳ができてしまうのだと思う、きっとね。しかし、「ぬべく」には願望を示す用法がない。好きがましいと想像されるし、女が合意したであろうと想像される、それが世の常だと書いてある。「人のほどだにものを思ひ知り」は、従って、(最低限)人並み程度には分別判断ができてと意味である。繰り返すが光がそう望んでいるのではない。結局、光が気にしているのは、紫を迎えることが、「据え」という結婚形態と思われることなのだ。実際には紫が結婚できる年齢ではないので、男女の関係ということではないのに、人はそう取るに違いない。人はと言ったが、具体的には、葵や藤壺や御息所や帝などがそう考えるであろうと懸念しているのだ。前回の俗謡が思い出される。「父宮の尋ね出でたまへらむも」は、光が迎える場所に、父宮が尋ね当てになった場合のことを想定している。「はしたなうすずろなるべきを」:「はしたなし」はみっともない。「すずろなり」は以前も注釈したが、なかなか語義をとるのが難しい言葉である。これは、確かな根拠や原因がない状態に陥ったときの気分である。光としては、通常の男女の恋愛とは一線を画す関係として紫を迎えるが、父親の前では、そんな関係が認められる根拠はどこにもない、それが「すずろなり」の具体的意味。前回も述べた結婚であって結婚でない関係をどう築くか、対社会にそれをどう理解させるか、あるいはどのように対社会からそれを守り、その関係を維持してゆくかが、光の当面の(少なくとも男女の関係を結ぶまでの)問題であるのだ。

さて 05-256

そのままの状態で、すなわち、手をこまねいたまま何もせず。

外し 05-256

手に入りそうなものをみすみす見逃すこと。「てむは」は一種の仮定。

女君例のしぶしぶに心もとけずものしたまふ 05-257

直前に「夜深う出でたまふ」とあるからは、葵は深夜に光のもとにいたのである。プライドの高い葵であっても、子孫を残すことが至上命令である。しぶしぶながら、ベッド・メイキングしに来たわけだ。しかし、その気持ちを光は踏みにじる。その罪は大きい。もちろん、この世、葵との間に性交渉があったと読むことはできるが、おそらくなかったであろうと想像する。特に根拠があるではないが、葵のプライドを傷つけるように物語りは動いているからである。

かしこ 05-258

光の自邸である二条院。

立ちかへり参り来なむ 05-258

二条院で用件をすませばすぐに舞い戻るつもりだ、ということ。この約束も果たされなかったようである。

さぶらふ人びとも知らざりけり 05-258

一見ストーリーに関係ない箇所こそ注意したい。本筋の部分は注意されるが、本筋から逸れる部分は、読み過ごされる可能性が高い、というより、なくていい気がする。しかし、それをあえて書いたところに、作者としては必然的理由があったはずである。そういうところこそ、読みのがさないようにすべきなのだ。本筋はくりかえし述べられるので、見逃しようがないが、こういう部分は一回切りで多くのことを述べていることが多い。さて、そんな前置きをしながら、この一文の含意がわたしにはよくわからない。「さぶらふ人々」は、夜更けなのだから、光の従者ではなく、左大臣が選んでつけた女房たち。この場合、男女の床入りの世話、および、その後の世話、乱れた床を直すだの、汚れた衣服を替えるだの、寝所の準備をするだの、まあそういったことのために控えている女たちである。「知らざりけり」は、光が出てゆくのを知らなかった。「けり」は詠嘆。この者たちはひたすら、実事があるのを待って控え続けたが、ついに呼びだてされないまま朝となったのである。葵は、実事があることを期待され、女房たちが待ち受ける中、おそらく衣擦れの音でもすれば、女房たちはほら今なさってるところよ、などと噂するのが聞こえたであろう、プライドがずたずたに傷つけられ、孤独の中ひとり取り残されたのである。葵に同情すべき女房たちは、ここでは他者になってしまったのだ。そういうことが、この一文から読み取れるのだ。

わが御方 05-259

自邸である二条院。

御直衣 05-259

貴人の常の服。左大臣邸に来ている光の服装はおそらく、普段より着飾っているであろう、それでは紫のもとへ行き来するのは、時間的に目立つ。そこで直衣に着替えるのであろう。

たてまつる 05-259

謙譲語でなく、着るの意味では尊敬語になる。

せたまへば 05-261

使役+尊敬。

心知らぬ者 05-261

事情を知らない人。光とも知らずに誰何でもしたのだろう。

やをら 05-261

静かに。

妻戸 05-261

寝殿作りの母屋にある東西の入り口。妻戸の前で座って話をするか、導く者が入れば中に入って一夜を明かすことになる。

もののたより 05-262

よその女のもとからの帰りに。紫のもとで一夜を明かした光が、気が納まらず、別の女(おそらく六条御息所)のもとに行って断られたことが思い出される。

べかなる 05-263

推量+伝聞。

はかばかしき 05-263

仕事などが期待通りにすすむこと。はきはきの訳が通常与えられているが、光の望む返事が聞けるだろうという意味である、しっかりした、ちゃんとした、いい返事という意味である。

うち笑ひ 05-263

ここでは皮肉を言って笑うこと。

君入りたまへば 05-264

妻戸より廂の間(妻戸の間とも)に入ったこと。そこでは側仕えの女房たちが控えている。

いとかたはらいたく 05-264

少納言と考えられているが、さぞかし色よいご返事が聞けることでしょうと皮肉を言った少納言は、中に入ってきても驚かない。というより、光が来た限りは、夫(あるいは後見)として中へ入ってゆくことはわかっている。ここは、少納言以外の女房であろう。

かかる朝霧を知らで 05-265

後朝の別れにふさわしい表現。光は恋の場面を仮想して愉しんでいるのだろう。「入りたまへば」は、廂の間からさらに奥の間である紫の寝所に入って行った。「や」は人を制止するためのかけ声。

え聞こえず 05-265

寝所の中で仕えている女房が声をかけられなかったのであって、廂の間の女房ではない。なぜなら「入りたまへば」とある。「已然形+ば」の形は、すでに入りおわった時のことであるから、寝所にいる女房がびっくりして、まあとか声をかけそうなものだが、そうできなかったのである。廂の間の女房が声をかけるとすれば、入ろうとしている段階であろう。「入らむとすれども」とかになる。

2020-05-24

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