05若紫12

2021-01-12

05若紫 原文 読みかな 対訳 186/200

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《常に思ひたまへ立ちながら かひなきさまにのみもてなさせたまふに つつまれはべりてなむ 悩ませたまふこと 重くとも うけたまはらざりけるおぼつかなさ など聞こえたまふ》
つね/に/おもひ/たまへ/たち/ながら かひなき/さま/に/のみ/もてなさ/せ/たまふ/に つつま/れ/はべり/て/なむ なやま/せ/たまふ/こと おもく/とも うけたまはら/ざり/ける/おぼつかなさ など/きこエ/たまふ
「いつも見舞いに上がろうと思いながら、誠意を示しても甲斐がない風にのみおもてなしなので、遠慮されてしまいつい。ご容態について、悪いともお聞きしませんでしたが、心配で」など君は申し上げになる。


《乱り心地は いつともなくのみはべるが 限りのさまになりはべりて いとかたじけなく 立ち寄らせたまへるに みづから聞こえさせぬこと のたまはすることの筋 たまさかにも思し召し変はらぬやうはべらば かくわりなき齢過ぎはべりて かならず数まへさせたまへ いみじう心細げに見たまへ置くなむ 願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき など聞こえたまへり》
みだりごこち/は いつ/と/も/なく/のみ/はべる/が かぎり/の/さま/に/なり/はべり/て いと/かたじけなく たちよら/せ/たまへ/る/に みづから/きこエ/させ/ぬ/こと のたまはする/こと/の/すぢ たまさか/に/も/おぼしめし/かはら/ぬ/やう/はべら/ば かく/わりなき/よはひ/すぎ/はべり/て かならず/かずまへ/させ/たまへ いみじう/こころぼそげ/に/み/たまへ/おく/なむ ねがひ/はべる/みち/の/ほだし/に/おもひ/たまへ/られ/ぬ/べき など/きこエ/たまへ/り
「気分の悪いのは、いつということなく常態で、それが終わりも近いようになってしまい、なんとかたじけなくもお立ち寄りいただきながら、直に応対できませぬのが。仰せの件、万が一にも、お気持ちに変わりがないようでしたら、あのようなどうにもならない年齢を過ぎましてから、かならず一人前の女性としてお取り扱いください。ひどく不安そうに見えるままこの世に残すことは、願っております往生の妨げに思えましてなりません」などと申し上げになる。


《いと近ければ 心細げなる御声絶え絶え聞こえて いと かたじけなきわざにもはべるかな この君だに かしこまりも聞こえたまつべきほどならましかばとのたまふ》
いと/ちかけれ/ば こころぼそげ/なる/おほむ-こゑ/たエだエ/きこエ/て いと かたじけなき/わざ/に/も/はべる/かな この/きみ/だに かしこまり/も/きこエ/たま/つ/べき/ほど/なら/ましか/ば と/のたまふ
とても近いので、尼君の心細そうなお声が途絶え途絶えに聞こえて来る、「まったくかたじけないお見舞いですこと、この姫君がせめて、お礼でも申し上げになれる年齢であればよいのに」とおっしゃる。


《あはれに聞きたまひて 何か 浅う思ひたまへむことゆゑ かう好き好きしきさまを見えたてまつらむ いかなる契りにか 見たてまつりそめしより あはれに思ひきこゆるも あやしきまで この世のことにはおぼえはべらぬ などのたまひて かひなき心地のみしはべるを かのいはけなうものしたまふ御一声 いかで とのたまへば いでや よろづ思し知らぬさまに 大殿籠もり入りてなど聞こゆる折しも あなたより来る音して 上こそ この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ など見たまはぬとのたまふを 人びと いとかたはらいたしと思ひて あなかま と聞こゆ》
あはれ/に/きき/たまひ/て なにか あさう/おもひ/たまへ/む/こと/ゆゑ かう/すきずきしき/さま/を/みエ/たてまつら/む いかなる/ちぎり/に/か み/たてまつり/そめ/し/より あはれ/に/おもひ/きこゆる/も あやしき/まで このよ/の/こと/に/は/おぼエ/はべら/ぬ など/のたまひ/て かひなき/ここち/のみ/し/はべる/を かの/いはけなう/ものし/たまふ/おほむ-ひとこゑ いかで と/のたまへ/ば いでや よろづ/おぼし/しら/ぬ/さま/に おほとのごもり/いり/て など/きこゆる/をり/しも あなた/より/くる/おと/し/て うへ/こそ この/てら/に/ありし/げんじのきみ/こそ/おはし/た/なれ など/み/たまは/ぬ と/のたまふ/を ひとびと いと/かたはらいたし/と/おもひ/て あなかま と/きこゆ
君は愛情あらたにお聞きになって、「どうして、浅い思いゆえに、こうして、好き者みたいな様子をお見せいたしましょうか。いかなる宿縁なのか、お見初め申してから愛しく思い申し上げるのも、自分でもわからないほどで、この世にあることとは思えないのです」などとおっしゃって、「甲斐ない気持ちばかりしておりますので、あの幼くいらっしゃるお声を一声、何とぞ」とおっしゃったところ、「どうして、まったく何も知らない様子で、お休みになっておられ」などと申し上げている折りも折り、向こうからやって来る足音がして、「上さま、この、寺で見た源氏の君がいらしゃってるとか、どうしてごらんにならないの」と姫君がおっしゃるのを、女房たちはとても居づらく思って、お静かにと申し上げる。


《いさ 見しかば心地の悪しさなぐさみき とのたまひしかばぞかしと かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ》
いさ み/しか/ば ここち/の/あしさ/なぐさみ/き と/のたまひ/しか/ば/ぞ/かし と かしこき/こと/きこエ/たり/と/おぼし/て/のたまふ
「だって、ごらんになったら気分の悪いのが治まったと前におっしゃったから申しげるのを」と、霊験あることを聞いたものだと思っておっしゃるのである。


《いとをかしと聞いたまへど 人びとの苦しと思ひたれば 聞かぬやうにて まめやかなる御とぶらひを聞こえ置きたまひて 帰りたまひぬ》
いと/をかし/と/きい/たまへ/ど ひとびと/の/くるし/と/おもひ/たれ/ば きか/ぬ/やう/にて まめやか/なる/おほむ-とぶらひ/を/きこエ/おき/たまひ/て かへり/たまひ/ぬ
とても興味をもってお聞きになるが、女房たちが苦しそうに思っているので、何も聞かぬふうにして、誠実な見舞いの言葉をお残しになってお帰えりになった。


《げに 言ふかひなのけはひや さりとも いとよう教へてむ と思す》
げに いふかひな/の/けはひ/や さりとも いと/よう/をしへ/て/む と/おぼす
まったく尼君の言われる通り、どうにもしようのない感じだな、そうではあるが、ちゃんとしっかり教えることにしようとお思いになる。


《またの日も いとまめやかにとぶらひきこえたまふ》
またのひ/も いと/まめやか/に/とぶら/ひ/きこエ/たまふ
次の日も、とても誠意をもってお見舞い上がられる。


《例の 小さくて いはけなき鶴の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ 同じ人にやと ことさら幼く書きなしたまへるも いみじうをかしげなれば やがて御手本に と 人びと聞こゆ》
れい/の ちひさく/て いはけなき/たづ/の/ひとこゑ/きき/し/より あしま/に/なづむ/ふね/ぞ/え/なら/ぬ おなじ/ひと/に/や と ことさら/をさなく/かき/なし/たまへ/る/も いみじう/をかしげ/なれ/ば やがて/おほむ-てほん/に/と ひとびと/きこゆ
例の姫君宛の手紙を小さく引き結んで、とても幼い鶴の一声を聞いてからは 葦の間に行きなづむ舟がこの恋のようにはかがゆかず耐え難い それでも何度でも舟を漕ぎ出して同じ人に恋しつづけるのです」と、わざと幼くお書きになるのも、とてもおもしろく感じられるので、これをそのまま姫君の手本にしてはと、女房たちは申し上げる。


《少納言ぞ聞こえたる》
せうなごん/ぞ/きこエ/たる
少納言が君へのご返事を申し上げる。


《問はせたまへるは 今日をも過ぐしがたげなるさまにて 山寺にまかりわたるほどにて かう問はせたまへるかしこまりは この世ならでも聞こえさせむとあり》
とは/せ/たまへ/る/は けふ/を/も/すぐし/がたげ/なる/さま/にて やまでら/に/まかり/わたる/ほど/に/て かう/とは/せ/たまへ/る/かしこまり/は このよ/なら/で/も/きこエさせ/む と/あり
「お見舞いくださいました方は、今日一日が持ちこたえそうになくて、北山の寺に移りますところですので、このようにお見舞いいただきましたお礼は、この世からでなくても申し上げさせることになりましょう」とのことである。


《いとあはれと思す》
いと/あはれ/と/おぼす
とてもあわれな思いを催しになる。


《秋の夕べは まして 心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて あながちなるゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし》
あき/の/ゆふべ/は まして こころ/の/いとま/なく/おぼし/みだるる/ひと/の/おほむ-あたり/に/こころ/を/かけ/て あながち/なる/ゆかり/も/たづね/まほしき/こころ/も/まさり/たまふ/なる/べし
秋の夕べは、まして心の休まる時なく思い悩む人のことばかり心に占めて、無理にもそのゆかりの人までもいつにもまして尋ね取りたいお気持ちがおまさりになるのだろう。


《消えむ空なき とありし夕べ思し出でられて 恋しくも また 見ば劣りやせむと さすがにあやふし》
きエ/む/そら/なき/と/ありし/ゆふべ/おぼし/いで/られ/て こひしく/も また み/ば/おとり/や/せ/む/と さすが/に/あやふし
「消えむ空なき」と尼君が詠まれた夕べを思い出しになって、恋しくもあり、また、会えば宮に見劣りするだろうかと、さすがに心にかかる。


《手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草》
て/に/つみ/て/いつしか/も/み/む/むらさき/の ね/に/かよひ/ける/のべ/の/わかくさ
手に摘んで はやく妻にしたい紫の根である宮に
縁のある
野辺の若草を

若紫 注釈 05-186/05-200

かひなきさまにのみもてなさせたまふ 05-186

光が紫を所望しても、尼君が色よい返事をしないこと。

悩ませたまふこと重くともうけたまはらざりけるおぼつかなさ 05-186

通常、「うけたまはらざりけるおぼつかなさ」と続けて、重病と伝わってこないことが心許ない、すなわち、重病であればすぐに知らせるべきだとの意味で取られているようだ。しかし、それはおかしいだろう。病気見舞いに来て、病人に向かってそんな挨拶をするはずがない。重病とも聞いておりませんが、容態が気になりますという見舞いの言葉である。もちろん、惟光から病気が重いことは聞いているが、そんなことを当人に告げるものではない。

いつともなくのみはべるが 05-187

「が」は主格で、「限りのさまになりはべり」にかかる。訳文は接続助詞風になったが、そういう用例は源氏物語の中にはない。このあたりの尼君の言葉は和文特有のうねうね続く表現でわかりにくいの整理する。気分の悪さはいつものこと。いつものことなら光が見舞いに来たのだから直接対応しないといけないのだが、その気分の悪さは死期が近いまでになっているため、せっかくのお越しでも直接挨拶ができない、という感じ。

たまさかにも 05-187

ふつうなら心変わりするものだが、万一心変わりしないなら。

わりなき 05-187

結婚相手としてどうにもならない年齢。

数まへさせたまへ 05-187

一人前の女性として扱ってほしいということ。すなわち、一時の恋愛対象でなく、生涯の面倒を見てほしいということ。

願ひはべる道 05-187

極楽往生に生まれ変わること。

ほだし 05-187

妨げ。

いと近ければ 05-188

狭い場所なので、尼君の声が取次なしにすぐ聞こえること。次の尼君の言葉は、光への言葉ではなく、女房たちにむかって洩らした言葉である。

この君だに 05-188

紫。

かしこまり 05-188

お礼。

あはれに聞きたまふ 05-189

紫への愛情を再び呼び起こしてということ。

何か 05-189

反語で、「見えたてまつらむ」にかかる。どうして見せましょうか。

浅う思ひたまへむことゆゑ 05-189

軽い気持ちから。こんな好き者みたいな真似は、浮気な気持ちからではなく、前世からの宿縁だから、あえて好き者みたいな真似までするのだということ。反語の焦点は理由にあるのであり、「すきずきしきさま」を見せていないと考えると前後がわからなくなる。真剣だからこそすきずきしく見られたってかまわないという開き直りである。

いかで 05-189

なんとかして。

上こそ 05-189

「上」は尼君を指す。「こそ」は呼びかけ。

この寺にありし源氏の君こそ 05-189

「この寺」でなく、「この君」である。「この」は紫が人形にして遊んだように、心理的に光を身近なものと見ていることが、表現になって現れたのである。「寺にありし」も敬語がついていないのは、この部分が独り言のように口をついてしまったのであろう。内的表現と見ておく。

あなかま 05-189

人を制する言葉。

いさ 05-190

静かにと制する女房たちに対する反発表現。

見しかば心地の悪しきなぐさみき 05-190

以前尼君が洩らした言葉。光の姿を見たら気分がすっきりしたという尼君の体験談。

のたまひしかばぞかし 05-190

尼君がそうおっしゃてたので、自分は尼君に見るよう勧めているのであると、女房たちに対する抗弁。

かしこきこと 05-190

「かしこし」とは神仏など畏敬の対象に対してもつ心情。ここは、光を見たら病気が治るという力に対して、かしこしを感じ、尼君の体験を、かしこしことと言っているのである。こういう表現は原義を押さえてから解釈を考えるようにしたい。

聞こえたり 05-190

尼君の言葉を紫が聞いたこと。

げに 05-192

前に尼君が言った言葉「いたまだ言ふかひなき程にて」を指し、なるほどその通りだという意識。光は、紫の行動をかわいいと判断したのではなく、幼稚でしようがないと判断したことに注意したい。「いとをかし」という興味は持ちながらも、まわりをいたたまれなくさせている紫の行動を分別のないものと見ているのである。ここには光の行動学が見て取れると思う。まわりの者に対する気配りである。しかし、そうした幼稚な行動から熱がさめたわけではなく、それはそれとしてよく教えようと決心したのである。注意を向けたかったのは、紫を夢中で愛しているのではなく、批判する目は持っていることである。

またの日 05-193

翌日。

例の小さくて 05-194

「中に小さく引き結びて」とあった、紫宛の恋文。

えならぬ 05-194

思い通りにならないこと。それは、葦の間にゆきなづむ舟で象徴された紫への思いに対してである。

同じ人にや 05-194

「堀江漕ぐ棚なし小舟(オブネ)漕ぎかへりおなじ人にや恋ひわたりなむ」(古今)を引く。歌意は、「堀江を漕ぐ棚ない小舟が何度も行ったり来たりするように、断られても断られても、私は同じ人を恋つづけるのだろうか」で、この読み手の身になって、光は何度断られても恋し続けると紫に訴えているのである。情熱の深さを訴えるとともに、これまで何度もまわりの大人たちに断られて来たという事実を知らせるためでもある。なお、この歌の中では「にや」は、文中にあるので疑問の用法と考え、自問していると取る。しかし、光は文章の末尾にもって来ているので、文末用法である詠嘆の意味が加わる。このように、引用はもとの文脈をとりこむと同時に、この場の文脈にも相応せねばならないので、意味が広がってゆくのだ。

問はせたまへるは 05-196

「訪はせたまへる人は」であり、尼君のこと。

聞こえさせむ 05-196

「させ」は使役と考えると少納言が尼君に返事をさせるとの意味になってしまう。「させ」には人を介して行うの意味があることを、この帖で何度も説明した。尼君が人を介して光にお礼を言うとの意味と考えるのがよい。もちろん死んだ後にそうするのではなく、実際は、尼君は死ぬ間際に、兄である僧都とか紫の世話役である少納言に遺言して、見舞いの例と紫の今後のことを光へ託す予定であったのだ。少なくともそういは話があるだろうと少納言は予期しているのがここでの発言になっている。人を介してとは結局、尼君の代わりに自分がその代理となって紫の今後を相談させていただくという意味である。しかし、尼君の容態は、そうした相談を許さなかったらしい。やや先のことになるが、尼君の死後に光は紫にお悔やみの手紙を出すと、「少納言ゆゑなからず御返りなど聞こえたり」とあり、ここに急死がほのめかされている。「ゆゑ」とは本質的・根本的理由であり、少納言にとって光に挨拶する根本原因は、紫の将来以外にない。しかし、自分の判断でそれをすることはできない、あくまで尼君に委任されてはじめて口出しできる話である。ところが、「ゆゑなからず」とあるところから、少納言はそれをする資格がない、すなわち、尼君が急死ししたため、紫のことを託されなかったのである。そのため、女房の立場以上には、紫のことを積極的に光に相談できないのである。それが紫を連れ出すことが遅くなる原因となり、最終的には、父である兵部卿宮が来ないうちに紫は強奪され、そのため紫は略奪婚という結婚形式を取ることになり、紫はその負い目を一生背負うことになるのである。尼君が少納言に相談したからといって略奪婚以外の形態をとったか否かは不明である。ただ、物語の筋のからまり、ある事件が別の事件に影響を及ぼしてゆく連鎖を読み取ってほしい。この点での筋の運び方のうまさは、世界文学でもあるいはナンバーワンかもしれない。それはともかく、このように「この世ならでも聞こえさせむ」は「少納言ゆゑなからず御返りなど聞こえたり」と呼応すると、私は読む。「ゆゑなからず御返り」に対して、心得のあるご返事などとする解釈があるが、そんな意味はどこをどうやっても出てこない。

まして 05-198

これまでもそうであったが、今はそれまで以上にそうだとの意味。問題なのは「まして」がどこにかかるかである。「心にかけて」にかかるなら、この段の中心は藤壺への思いとなる。「心まさりたまふなるべし」にかかるなら、中心は紫への思いとなる。文章の流れからすると、この段の前後ともに紫への思いであるから、こちらを中心主題とするのが自然であるが、この段に出てくる歌にしても、藤壺あっての紫であるとの意識が常にあるため、意味の強弱では前者となる。結局その弁別は難しいが、直接には前者に、それが後者にも影響すると考えるのが実際的かと思う。それは「ゆかりも」の「も」が、藤壺はもちろん紫までもの意味であるから、やはり藤壺が先で紫は後という順列が常に光の中にあるからである。

あながちなる 05-198

「ゆかり」でなく「心」にかかる。

見ば劣りやせむ 05-199

見たら想像していたより劣るだろうとの解釈と、藤壺より見劣りするだろうとの解釈がある。すでに透き見して顔を知っているのだから、想像より見劣りするとの解釈は許されないし、唐突だ。

さすがにあやふし 05-199

なかなか微妙な心情である。光には藤壺が絶対である、その代理として紫に心惹かれているのである。しかし、実際に会ってみると、藤壺より劣る危険性がある。そうなると紫への気持ちは途絶える可能性がある。さすがにそれを心配するという構造。つまり、紫単独で愛するという感情はない。だからと言って、関係が切れてしまうのはさすがに恐れるということ。この「さすがに」には、深い意味がこもっている。さすがにの意味、それでもやはりというニュアンスをしっかり汲み取りたい。

いつしかも 05-200

早く。

紫の根 05-200

藤壺。あるいは「紫の音(ね)」。この場合「見む」が性交渉をすることであるから、藤壺のよがり声に似ているだろうという意味が出てくる。王朝の和歌は雅であることになっているから、こういう解釈は学者からは絶対に出てこないが、セクシャルであることと雅であることは切り離す方が野暮というもの。

野辺の若草 05-200

「若草」は、尼君の歌などに紫のことを意味する言葉として出てきた。問題は「野辺の」である。藤壺が宮廷にいる人であれば、紫は野辺の花なのである。王朝では、強いて鄙びたものに自分たちをなぞらえる歌作りというものがあったので、これもそうした常套的レトリックであるとも言える。

05若紫 原文 12章186/200

常に思ひたまへ立ちながら かひなきさまにのみもてなさせたまふに つつまれはべりてなむ 悩ませたまふこと 重くとも うけたまはらざりけるおぼつかなさ など聞こえたまふ 乱り心地は いつともなくのみはべるが 限りのさまになりはべりて いとかたじけなく 立ち寄らせたまへるに みづから聞こえさせぬこと のたまはすることの筋 たまさかにも思し召し変はらぬやうはべらば かくわりなき齢過ぎはべりて かならず数まへさせたまへ いみじう心細げに見たまへ置くなむ 願ひはべる道のほだしに思ひたまへられぬべき など聞こえたまへり いと近ければ 心細げなる御声絶え絶え聞こえて いと かたじけなきわざにもはべるかな この君だに かしこまりも聞こえたまつべきほどならましかばとのたまふ あはれに聞きたまひて 何か 浅う思ひたまへむことゆゑ かう好き好きしきさまを見えたてまつらむ いかなる契りにか 見たてまつりそめしより あはれに思ひきこゆるも あやしきまで この世のことにはおぼえはべらぬ などのたまひて かひなき心地のみしはべるを かのいはけなうものしたまふ御一声 いかで とのたまへば いでや よろづ思し知らぬさまに 大殿籠もり入りてなど聞こゆる折しも あなたより来る音して 上こそ この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ など見たまはぬとのたまふを 人びと いとかたはらいたしと思ひて あなかま と聞こゆ いさ 見しかば心地の悪しさなぐさみき とのたまひしかばぞかしと かしこきこと聞こえたりと思してのたまふ いとをかしと聞いたまへど 人びとの苦しと思ひたれば 聞かぬやうにて まめやかなる御とぶらひを聞こえ置きたまひて 帰りたまひぬ げに 言ふかひなのけはひや さりとも いとよう教へてむ と思す
またの日も いとまめやかにとぶらひきこえたまふ 例の 小さくて 
  いはけなき鶴の一声聞きしより葦間になづむ舟ぞえならぬ
同じ人にやと ことさら幼く書きなしたまへるも いみじうをかしげなれば やがて御手本に と 人びと聞こゆ 少納言ぞ聞こえたる 問はせたまへるは 今日をも過ぐしがたげなるさまにて 山寺にまかりわたるほどにて かう問はせたまへるかしこまりは この世ならでも聞こえさせむとあり いとあはれと思す 秋の夕べは まして 心のいとまなく思し乱るる人の御あたりに心をかけて あながちなるゆかりも尋ねまほしき心もまさりたまふなるべし 消えむ空なき とありし夕べ思し出でられて 恋しくも また 見ば劣りやせむと さすがにあやふし 
 手に摘みていつしかも見む紫の根にかよひける野辺の若草

2021-01-12

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