05若紫11

2020-05-24

若紫 原文 05-169/05-185

169中将の君も おどろおどろしうさま異なる夢を見たまひて 合はする者を召して 問はせたまへば 及びなう思しもかけぬ筋のことを合はせけり 170その中に 違ひ目ありて 慎しませたまふべきことなむはべると言ふに わづらはしくおぼえて みづからの夢にはあらず 人の御ことを語るなり この夢合ふまで また人にまねぶなとのたまひて 心のうちには いかなることならむ と思しわたるに この女宮の御こと聞きたまひて もしさるやうもや と 思し合はせたまふに いとどしくいみじき言の葉尽くしきこえたまへど 命婦も思ふに いとむくつけう わづらはしさまさりて さらにたばかるべきかたなし 171はかなき一行の御返りのたまさかなりしも 絶え果てにたり 
172七月になりてぞ参りたまひける 173めづらしうあはれにて いとどしき御思ひのほど限りなし すこしふくらかになりたまひて うちなやみ 面痩せたまへる はた げに似るものなくめでたし 174例の 明け暮れ こなたにのみおはしまして 御遊びもやうやうをかしき空なれば 源氏の君も暇なく召しまつはしつつ 御琴 笛など さまざまに仕うまつらせたまふ 175いみじうつつみたまへど 忍びがたき気色の漏り出づる折々 宮も さすがなる事どもを多く思し続けけり
176かの山寺の人は よろしくなりて出でたまひにけり 177京の御住処尋ねて 時々の御消息などあり 178同じさまにのみあるも道理なるうちに この月ごろは ありしにまさる物思ひに 異事なくて過ぎゆく 
179秋の末つ方 いともの心細くて嘆きたまふ 180月のをかしき夜 忍びたる所にからうして思ひ立ちたまへるを 時雨めいてうちそそく 181おはする所は六条京極わたりにて 内裏よりなれば すこしほど遠き心地するに 荒れたる家の木立いともの古りて木暗く見えたるあり 182例の御供に離れぬ惟光なむ 故按察使大納言の家にはべりて もののたよりにとぶらひてはべりしかば かの尼上 いたう弱りたまひにたれば 何ごともおぼえず となむ申してはべりし と聞こゆれば あはれのことや とぶらふべかりけるを などか さなむとものせざりし 入りて消息せよとのたまへば 人入れて案内せさす 183わざとかう立ち寄りたまへることと言はせたれば 入りて かく御とぶらひになむおはしましたる と言ふに おどろきて いとかたはらいたきことかな この日ごろ むげにいと頼もしげなくならせたまひにたれば 御対面などもあるまじ と言へども 帰したてまつらむはかしこしとて 南の廂ひきつくろひて 入れたてまつる 184いとむつかしげにはべれど かしこまりをだにとて ゆくりなう もの深き御座所になむと聞こゆ 185げにかかる所は 例に違ひて思さる 

若紫 原文かな 05-169/05-185

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

ちゆうじようのきみも おどろおどろしうさまことなるゆめをみたまひて あはするものをめして とはせたまへば およびなうおぼしもかけぬすぢのことをあはせけり そのなかに たがひめありて つつしませたまふべきことなむはべる といふに わづらはしくおぼエて みづからのゆめにはあらず ひとのおほむ-ことをかたるなり このゆめあふまで またひとにまねぶな とのたまひて こころのうちには いかなることならむ とおぼしわたるに このをむなみやのおほむ-ことききたまひて もしさるやうもやと おぼしあはせたまふに いとどしくいみじきことのはつくしきこエたまへど みやうぶもおもふに いとむくつけう わづらはしさまさりて さらにたばかるべきかたなし はかなきひとくだりのおほむ-かへりのたまさかなりしも たエhてにたり
ふづきになりてぞまゐりたまひける めづらしうあはれにて いとどしきおほむ-おもひのほどかぎりなし すこしふくらかになりたまひて うち-なやみ おもやせたまへる はた げににるものなくめでたし れいの あけくれ こなたにのみおはしまして おほむ-あそびもやうやうをかしきそらなれば げんじのきみもいとまなくめしまつはしつつ おほむ-こと ふえなど さまざまにつかうまつらせたまふ いみじうつつみたまへど しのびがたきけしきのもりいづるをりをり みやも さすがなること-どもをおほくおぼしつづけけり
かのやまでらのひとは よろしくなりていでたまひにけり きやうのおほむ-すみかたづねて ときどきのおほむ-せうそこなどあり おなじさまにのみあるも ことわりなるうちに このつきごろは ありしにまさるもの-おもひに ことごとなくてすぎゆく
あきのすゑつかた いともの-こころぼそくてなげきたまふ つきのをかしきよ しのびたるところにからうしておもひたちたまへるを しぐれめいて うち-そそく おはするところはろくでうきやうごくわたりにて うちよりなれば すこしほどとほきここちするに あれたるいへのこだちいともの-ふりてこぐらくみエたるあり れいのおほむ-ともにはなれぬこれみつなむ こ-あぜちのだいなごんのいへにはべりて もののたよりにとぶらひてはべりしかば かのあまうへ いたうよわりたまひにたれば なにごともおぼエず となむまうしてはべりし ときこゆれば あはれのことや とぶらふべかりけるを などか さなむとものせざりし いりてせうそこせよ とのたまへば ひといれてあないせさす わざとかうたちよりたまへることといはせたれば いりて かくおほむ-とぶらひになむおはしましたる といふに おどろきて いとかたはらいたきことかな このひごろ むげにいとたのもしげなくならせたまひにたれば おほむ-たいめんなどもあるまじ といへども かへしたてまつらむはかしこし とて みなみのひさしひき-つくろひて いれたてまつる いとむつかしげにはべれど かしこまりをだにとて ゆくりなう もの-ふかきおましどころになむ ときこゆ げにかかるところは れいにたがひておぼさる

若紫 現代語訳 05-169/05-185

中将の君(光こと)も、仰天するような異様な夢をごらんになり、夢合わせをする術士を召して従者に質問させになると、まったくありそうにない想像もつかない筋合いの夢解きを合わせるのだった。
「その中に、逆順の目が出ていて、謹慎なさるべきことがございます」と言うので、君は面倒だとお感じになって、
「自分の夢ではなく、人の夢のできごとを語るのだ。この夢が現実のものとなるまで、二度と人にこの話をするな」とおっしゃって、心の中では、どういう意味であろうとお考えになるうちに、この女宮のご懐妊をお聞きになって、もしや自分の子なのかと思い合わせになるにつけ、いっそう熱烈な言葉を尽くして求愛を申し上げになるけれど、先には仲を取り持った命婦までが考えてみるに、とても不気味で対処しきれない状況であり、まったく取り合うべき問題ではない。申し訳程度に一行だけお返事がたまさかにはあったが、それも今ではまったくなくなってしまっていた。
七月になってから、藤壺は参内なさるのだった。久しぶりの再会がうれしくまたいとしくて、ますますご寵愛の深さは限りがない。すこしふっくらとおなりになって、大儀そうで、面やつれなさっている様子も、やはり本当に似る人がないくらい美しい。
いつものように帝は、朝となく暮れとなく、こちらにばかりいらっしゃって、管弦の遊びにしてもようやく趣き深い空の様子になったので、あろうことか源氏の君まで休みなく召し寄せお放しにならず、帝の御琴や御笛などを、藤壺や若君その他いろいろに演奏おさせになる。君は恐れ多くてひどくお隠しではあるが、こらえ難い思いをつい漏らしてしまう折々があり、これには、藤壺の宮も、さすがに無下にできない君の好意の数々をいろいろと思いつづけになった。
あの山寺の尼君は、いくらかよくなって山をお出になった。君は京都のお住まいを尋ねて、時々お便りをおやりになった。尼君からの返事に変化がないのも当然であるが、その間にも、近頃は、藤壺の懐妊によりこれまでよりいっそう運命を悲観し、ほかへ気持ちを向けることもなくて時は過ぎて行く。
秋の終わり頃、君はたいそう運命が思われ心細くてお嘆きになる。月が趣き深い夜、忍んで通っているところに、やっとの思いで決意し出立なさるが、時雨らしく雨が時折りうち注ぐ。いらっしゃる先は六条京極あたりであり、宮中からのことなので、すこし距離が遠く感じられる上に、荒れた家で、その木立がたいそう古びて木暗く見えるあたりがある。いつものお供として側を離れない惟光が、
「亡き按察使大納言(アゼチノダイナゴン)の家です。ある日所用のついでにお見舞いしたことがございましたが、あの尼君は、もうたいそう弱っておしまいなので、何事もわからないと、まあそのように取次ぎの者が申しておりました」と申し上げると、
「かわいそうなことだな、わたしも見舞うべきであったのに。どうして、しかじかのことがあったと言って寄越さなかったのか。入って行って取次ぎをせよ」とおっしゃるので、使者を立てて案内させる。
わざわざこうしてお見舞いに立ち寄られた旨を惟光は従者に言わせたので、取次に出た家の者は中に入り、
「このようにお見舞いにお越しになっておられます」と言うのに、女房たちは予期せぬお出でに驚いて、
「こんな場所になんとも気が引けること。近頃、もうめっきり安心ならぬ風になってしまわれたので、ご対面などかなうまいに」と口にするが、このままお帰し願うのもかたじけないと、南の廂をにわかに片付けて、入っていただく。
「とてもできそうにないのでございますが、せめて見舞いのお礼だけでもとおっしゃって。思いがけずもまあ、ひどく人里離れた場所を御座所になさって」と申し上げる。まことにこのようなところは、いつも見慣れた場所ではないとお思いになる。

若紫 注釈 05-169/05-185

中将の君 05-169

近衛中将である光のこと。

合はする者 05-169

夢占いをする者。

問はせたまへば 05-169

「せたまへ」は二重敬語でなく、使役に尊敬のついた形。

及びなう 05-169

光の身分では遠く及ぶことのないこと。光の子孫から天皇が出るといったところであろう。皇統は皇太子である兄の血筋にあるのだから、光の子孫から天皇が出るとは考えにくいのだ。天皇の父親になるとまで具体的である必要はないし、逆に、この時点でそこまではっきりしたものであるのはおかしいであろう。謀反ということになりかねない。

その中に違ひ目ありて 05-170

「その中に」とあるので、全体としてはよい夢という判断であり、その中に「違ひ目」があるというのである。「違ひ目」は、ものごとの秩序や序列が逆順になること。皇太子である兄をさしおくことがほのめかされているが、漠然と逆順であるとの占いが出ているのであろう。

慎しませたまふべきこと 05-170

道徳的に慎めということでなく、物忌みや謹慎などして「違ひ目」を避けること。

この女宮の御こと 05-170

藤壺の懐妊。

さるやうもや 05-170

夢解きの話から推測して、藤壺のお腹の子は、帝の子ではなく自分の子供であると判断したのだろう。

言の葉 05-170

ふつう和歌のことを言う。これまで以上に熱烈な求愛の歌。

命婦も 05-170

「も」は、妊娠にいたった恋愛の取り持ちがこの命婦であった。その命婦さえも、ということ。

むくつけう 05-170

異様な気味の悪さをいう。文脈上しっくりこない感じがするが、命婦の心理状況を理解するのに役立つ語である。帝をだまして罪の子を宿す結果になったことは、単なる道義的な罪の意識ばかりか、前世からの強い因果によるものであり、そうした宿縁の強さに対して不気味さ、正体の知れなさを感じしているのである。

わづらはしさまさりて 05-170

煩雑さが今まで以上になるという意味にも、自分の能力を超えるともとれる。ここでは後者として取った。

御返り 05-171

藤壺からの返事、返歌。仲立ちとなってきた王命婦が手を引いたから、光の手紙は藤壺に渡らないし、藤壺からも光へ返事は来なくなったのである。

七月になりてぞ参りたまひける 05-172

懐妊して安定期に入った藤壺が宮中に参内すること。出産時には再び宮中を出て、三条の宮に行くことになる。

めづらしう 05-173

滅多に見ないものを見つづけていたいという思いで、藤壺との久方ぶりの対面の喜びを示す。

はた 05-173

それでいてやはりという感じ。

こなた 05-174

飛香舎(ひぎょうしゃ)である藤壺の局。

御遊びもやうやうをかしき空 05-174

今は七月で初秋。秋は七夕、仲秋の月見など空にまつわる行事が多い。

御琴笛

A「御琴」と「笛」なのか、「御琴」と「御笛」なのか。またこの「御」の尊敬の対象は誰かである。源氏の君を召しまとわせたとあるので、Aと考えれば、「御琴」は光が演奏し、「笛」は光以外でそれほど身分の高くない者が演奏したことになる。Bと考えるならば、琴と笛に軽重の差はなくなるため、二人の登場人物が必要となる。話題の焦点からして、ひとりは光であり、これと同等の相手となると、この管弦の会が催されている場所の主人公である藤壺以外にない。またこの読みを採用するならば、「大人になりたまひて後は、ありしやうに御簾の内にも入れたまはず、御遊びのをりをり、琴笛の音に聞こえ通ひ、ほのかなる御声を慰めにて、内裏住みのみ好ましうおぼえたまふ(元服されてからは、帝は昔日のように御簾の内にもお入れにならない。管絃の遊びの折り折りには、藤壺の琴と笛の音を合わせあい、漏れ聞こえるお声を慰めにして、内裏住みばかり好ましくお思いになる)」(『桐壺』の帖)と呼応した読みが可能となる。帝の命令において演奏するこの場において、かつて気持ちを通わせあったことが、ふたたび繰り返されるのである。読みとしてこの方がずっと面白いであろう。楽器を演奏し合うということは、呼吸をそろえることであり、息遣いをともにし、ひとつの作品を作り上げることである。それは言うなれば、性交渉においてアクメに登りつめることの比ゆとしても働くのだ。気持ちの上で、光を拒む藤壺も、音楽の演奏により、心理的にはもう一度光と同調することになるのだ。このことが次の文章につながる具体的な契機となっていると読めば読みすぎであろうか。すなわち、この音楽での合奏がなければ、藤壺は光の気持ちを受け入れることがなかったかも知れない。帝の命により、ふたたび心理的な一体化がなされ、それがひきがねとなって、藤壺も心を開くのである。この合奏なしに、光の思いをさすがに藤壺も受け入れたとしたのでは、単に甘い恋愛ドラマになってしまう。ふたりが拒めない帝の命により行うところにドラマがあるのだ。藤壺にとってもドラマであり、帝にとってもドラマなのである。
ところで、「御琴」「御笛」の「御」だが、『桐壺』の帖では「琴笛」とあり、「御」はなかった。したがって、「御」のない「琴笛」は藤壺光それぞれの自前の楽器であり、「御」のつく楽器、すなわちここで使用された楽器は、帝の愛用の琴と笛ではないかと推察したくなる。しかし、同じ楽器に御をつけたりつけなかったりしただけなのかも知れない。しかし、形が違えば内容が違うとするのが、文章を読む大原則なので、一応先のように解釈することにする。

忍びがたき気色の漏り出づる折々 05-175

光がつい思いを藤壺に示したこと。もちろん、宮中で帝抜で二人が会うことはできないから、当然目の前に帝がいるのである。表立って気持ちを表現できはしない。

さすがなる 05-175

それでもなかなか強くという意味。現代語の「さすがだ」につながる語であるから、程度が強いことを理解したい。光に強く引かれているのである。

同じさま 05-178

紫をもらい受けたいという光の前からの懇願に対して、まだ子供だからという断りの文句に変化がないこと。

秋の末つ方 05-179

晩秋九月。

もの心細く 05-179

単に心細いのではない。ここは具体的な悩みで、藤壺に子を孕ませてしまった自分の運命に心を揺さぶられている状態。帝にことが発覚すれば、どういうことになるのか考えも及ばず、不安でならない毎日である。

月のをかしき夜 05-180

月のあやしい力で、男も女も落ち着かず、異性を求めずにいられなくなる夜のこと。

思ひ立ち 05-180

決心するの意味と、決心して出かけるの意味がある。ここはどちらかと言えば後者の意味。

時雨めいて 05-180

今降っている雨が時雨であるらしいとの意味。時雨みたいな雨という意味ではない。時雨は秋にある通り雨。

六条京極わたり 05-181

六条御息所を思い起こさせる。「わたり」は、ある場所の界隈との意味だが、限定をさける言い方であるため、高貴な人の存在を想起させる言い方でもある。

すこしほど遠き 05-181

御所から六条京極は、平安京全体の南北の三分の二、東西の二分の一の距離である。

荒れたる家の木立 05-181

この文の焦点が木立にあるとすれば、「の」は連体格であり、荒れた家の木立という意味になる。しかし、文の焦点は、木立ではなく家である。そこで連体格でない用法を考え、同格を思い起こすことになる。「の」を主格と考え「見えたる」にかけるとすれば、見えているのが木立でなく家になってしまうから、意味がずれてしまう。やはり同格としか考えられない。「もの古り」の「もの」もたんに年代ではなく、その樹木に与えられた運命を長きにわたり耐えてきた結果が今に現れていることを指すのだろう。

故按察使大納言 05-182

紫の祖父、尼君の夫。

もののたより 05-182

ある確かな理由だが、口にだす必要がないので名目を濁すときに使う表現で、ある機会にの意味と、あるついでの意味が可能だ。ある機会にの意味なら、尼君を尋ねるのが目的であったことになり、あるついでにの意味なら、別の場所に所用で行くついでに立ち寄ったことになる。光の用事以外に尼君に用事があるとは考えられないので、あるついでにの意味である。

とぶらひ 05-182

訪問の意味と、見舞いの意味があるが、見舞いという理由があるから、尼君を尋ねたのであり、単に訪問したのではない。

何ごともおぼえず 05-182

取次ぎの者の返事で、光の従者である自分が見舞いに来たことを取り次いでもらったが、病気で苦しく何もわからないとの返答が返ってきた。

あはれのことや 05-182

病気で「何ごともおぼえず」という状態になっていることに対する慰謝と哀惜の念。

さなむ 05-182

尼君の容態がそんなにも重いこと。

わざと 05-183

惟光の方便。光は六条京極界隈の女のもとへ通う途次にあったが、わざわざ見舞いに来られたのだと、尼君に取り次がせたのである。

言はせたれば 05-183

主体は惟光。言った当人は従者。

入りて 05-183

家に入ったのは、従者と解釈されている。しかし、貴人・(仲立ち)・従者・家の者・(仲立ち)・貴人という手順を踏む。男の側の従者が直接、仲立ちである女房に話しかけるとは考えにくい。また、「言はせたれば」の「たれ」に注目すれば、すでに惟光は従者へ、かくかくしかじかだとすでに言わせたのである。それを聞いた家の者が中に入って、こうこうですと取り次いだと読むべきであろう。

かたはらいたき 05-183

居たたまれない気持ち。むさ苦しい場所に光のような貴人が突然見舞いに来たからである。

南の廂 05-183

寝殿造りの正面建築の南側で、貴人を招く客室である。尼君は病人なので、自室である北の対にいるから、北の対の南の廂であろうとの説もある。これは無理な解釈である。なぜこんな無理な解釈をする必要があったかは、すぐ後の誤読をごまかすためである。後に触れよう。

いとむつかしげにはべれどかしこまりをだにとて 05-184

通常の解釈は、「こんなむさ苦しい場所ですが、せめてお礼だけでも尼君が申し上げたいとのことですから」とでもなる。文末の「とて」は、尼君がそのように申しておりますという引用を示す。問題は「むつかしげにはべれど」である。「げ」は感じがするの意味であり、これがこの場所に対する女房の判断であるなら「げ」は入らない。だとすれば、光がこの場所をそう思うだろうとの推測と解釈すべきであろうが、貴人にとってこの場所は「げ」で表現されるような場所ではなく、明らかに「いとむつかし」である。「むつかし」には、このように見苦しいの意味もあるが、対面することなどが難しいの意味もある。「御対面などもあるまじ」という状態にある尼君がお礼を申し上げるのもつらそうではあるが、対面は無理でもせめて人を通してお礼を申し上げたいと言いますからと言っているのであろう。

ゆくりなうもの深き御座所になむ 05-184

「思いがけないおいでで、とても奥深い御座所ですが(どうぞ)」と訳されている。「もの深き御座所」は、正面建物の南廂では、外に近いのでおかしいから、北の対の南廂であろうとの解釈が生まれたようだ。しかし、「もの深き」は、故按察使大納言の邸宅近辺ぜんたいを言うのである。そもそも「なむ」は強調である。家を使っていただく側が、さあ「御座所になむ」というのはおかしい。ここは謙譲である。思いがけなくもこんな辺鄙なところをよく御座所としておいでになったの意味である。「なむ」の後は「おはしたる」などが省略されているのだ。そう読むと、「ゆくりなう」も「おはしたる」に素直に続く。「どうぞお休みください」等では、「ゆくりなう」が分裂してしまう。

2020-05-24

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