05若紫01

2020-10-17

05若紫 原文 01章001/016

瘧病にわづらひたまひて よろづにまじなひ加持など参らせたまへど しるしなくて あまたたびおこりたまひければ ある人 北山になむ なにがし寺といふ所に かしこき行ひ人はべる 去年の夏も世におこりて 人びとまじなひわづらひしを やがてとどむるたぐひ あまたはべりき ししこらかしつる時はうたてはべるを とくこそ試みさせたまはめ など聞こゆれば 召しに遣はしたるに 老いかがまりて 室の外にもまかでず と申したれば いかがはせむ いと忍びてものせむ とのたまひて 御供にむつましき四 五人ばかりして まだ暁におはす やや深う入る所なりけり 三月のつごもりなれば 京の花盛りはみな過ぎにけり 山の桜はまだ盛りにて 入りもておはするままに 霞のたたずまひもをかしう見ゆれば かかるありさまもならひたまはず 所狭き御身にて めづらしう思されけり 寺のさまもいとあはれなり 峰高く 深き巖屋の中にぞ 聖入りゐたりける 登りたまひて 誰とも知らせたまはず いといたうやつれたまへれど しるき御さまなれば あな かしこや 一日 召しはべりしにやおはしますらむ 今は この世のことを思ひたまへねば 験方の行ひも捨て忘れてはべるを いかで かうおはしましつらむと おどろき騒ぎ うち笑みつつ見たてまつる いと尊き大徳なりけり さるべきもの作りて すかせたてまつり 加持など参るほど 日高くさし上がりぬ すこし立ち出でつつ見渡したまへば 高き所にて ここかしこ 僧坊どもあらはに見おろさるる ただこのつづら折の下に 同じ小柴なれど うるはしくし渡して 清げなる屋 廊など続けて 木立いとよしあるは 何人の住むにかと問ひたまへば 御供なる人 これなむ なにがし僧都の 二年籠もりはべる方にはべるなる 心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ あやしうも あまりやつしけるかな 聞きもこそすれなどのたまふ 清げなる童などあまた出で来て 閼伽たてまつり 花折りなどするもあらはに見ゆ かしこに 女こそありけれ 僧都は よも さやうには 据ゑたまはじを いかなる人ならむと口々言ふ 下りて覗くもあり をかしげなる女子ども 若き人 童女なむ見ゆると言ふ 
君は 行ひしたまひつつ 日たくるままに いかならむと思したるをとかう紛らはさせたまひて 思し入れぬなむ よくはべると聞こゆれば 後への山に立ち出でて 京の方を見たまふ はるかに霞みわたりて 四方の梢そこはかとなう煙りわたれるほど 絵にいとよくも似たるかな かかる所に住む人 心に思ひ残すことはあらじかし とのたまへば これは いと浅くはべり 人の国などにはべる海 山のありさまなどを御覧ぜさせてはべらば いかに 御絵いみじうまさらせたまはむ 富士の山 なにがしの嶽など 語りきこゆるもあり また西国のおもしろき浦々 磯の上を言ひ続くるもありて よろづに紛らはしきこゆ

05若紫 原文 読みかな 対訳 001/016

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《瘧病にわづらひたまひて よろづにまじなひ加持など参らせたまへど しるしなくて あまたたびおこりたまひければ ある人 北山になむ なにがし寺といふ所に かしこき行ひ人はべる 去年の夏も世におこりて 人びとまじなひわづらひしを やがてとどむるたぐひ あまたはべりき ししこらかしつる時はうたてはべるを とくこそ試みさせたまはめ など聞こゆれば 召しに遣はしたるに 老いかがまりて 室の外にもまかでず と申したれば いかがはせむ いと忍びてものせむ とのたまひて 御供にむつましき四 五人ばかりして まだ暁におはす》001
わらはやみ/に/わづらひ/たまひ/て よろづ/に/まじなひ/かぢ/など/まゐら/せ/たまへ/ど しるし/なく/て あまた/たび/おこり/たまひ/けれ/ば あるひと きたやま/に/なむ なにがしでら/と/いふ/ところ/に かしこき/おこなひびと/はべる こぞ/の/なつ/も/よ/に/おこり/て ひとびと/まじなひ/わづらひ/し/を やがて/とどむる/たぐひ あまた/はべり/き ししこらかし/つる/とき/は/うたて/はべる/を とく/こそ/こころみ/させ/たまは/め など/きこゆれ/ば めし/に/つかはし/たる/に おイ/かがまり/て/むろ/の/と/に/も/まかで/ず と/まうし/たれ/ば いかが/は/せ/む いと/しのび/て/ものせ/む と/のたまひ/て おほむ-とも/に/むつましき/し ごにん/ばかり/して まだ/あかつき/に/おはす
君は流行り病をわずらわれて、八方手を尽くしまじないや祈祷などをおさせになったが、なんの効き目もなくて、幾度もくりかえし発作を起こしになったので、ある人が、「北山にですね、なんとか寺というところに、霊力のすぐれた行者がいます。去年の夏も流行り病が猖獗を極めて、さまざまな術師がまじないの効き目なく手をこまねいていたところ、ただちに病気を治めるという、そういった手柄話がたんとございました。こじらせてしまってからは厄介ですので、はやくまあ、やって見させられては」などと申し上げるので、お召しのため使者をお遣わしになったところ、「腰がもう老いかがまって、房の外にも出向きません」とお答え申し上げるので、「他にどうしようがあろう、仕方ない、ごく内密に出かけよう」とおっしゃって、御供は心許せる四五人ぐらいにして、まだ暁どきにお越しになる。


《やや深う入る所なりけり》002
やや/ふかう/いる/ところ/なり/けり
そこはやや山へ深く入ったところだった。


《三月のつごもりなれば 京の花盛りはみな過ぎにけり》003
やよひ/の/つごもり/なれ/ば きやう/の/はな/さかり/は/みな/すぎ/に/けり
三月の末なので、都の花盛りはどこも過ぎていたが、


《山の桜はまだ盛りにて 入りもておはするままに 霞のたたずまひもをかしう見ゆれば かかるありさまもならひたまはず 所狭き御身にて めづらしう思されけり》004
やま/の/さくら/は/まだ/さかり/に/て いり/もて/おはする/まま/に かすみ/の/たたずまひ/も/をかしう/みゆれ/ば かかる/ありさま/も/ならひ/たまは/ず ところせき/おほむ-み/に/て めづらしう/おぼさ/れ/けり
山の桜はまだ盛りで、山に分け入って行かれるうちに、霞のかかる景色も興味深く目に映るため、こんな景色にも見慣れておられない窮屈なご身分ゆえ、ものめずらしお気持ちになられた。


《寺のさまもいとあはれなり》005
てら/の/さま/も/いと/あはれ/なり
寺のたたずまいもまたしみじみとした趣きが感じられる。


《峰高く 深き巖屋の中にぞ 聖入りゐたりける》006
みね/たかく ふかき/いはや/の/なか/に/ぞ ひじり/いり/ゐ/たり/ける
峰の高いところにある深い岩屋の中に、聖はこもって座していた。


《登りたまひて 誰とも知らせたまはず いといたうやつれたまへれど しるき御さまなれば あな かしこや 一日 召しはべりしにやおはしますらむ 今は この世のことを思ひたまへねば 験方の行ひも捨て忘れてはべるを いかで かうおはしましつらむと おどろき騒ぎ うち笑みつつ見たてまつる》007
のぼり/たまひ/て たれ/と/も/しらせ/たまは/ず いと/いたう/やつれ/たまへ/れ/ど しるき/おほむ-さま/なれ/ば あな かしこ/や ひとひ めし/はべり/し/に/や/おはします/らむ いま/は このよ/の/こと/を/おもひ/たまへ/ね/ば げんがた/の/おこなひ/も/すて/わすれ/て/はべる/を いかで かう/おはしまし/つ/らむ と おどろき/さわぎ うち-ゑみ/つつ/み/たてまつる
峰の高いところにある深い岩屋の中に、聖はこもって座していた。そこまでお登りになって、自分が誰ともお知らせず、まったくもってひどく目立たぬ格好をなさっておられたが、他とまぎれようのない御風貌なので、「これはまあもったいない。先日、お召しいただいたお方でしょうか。今は、この世の事柄に関心を持ちませず、加持祈祷なども捨ててかえりみませんものを、どうしてこのようにお越しあそばれたのでしょうか」と、驚き急ぎ出迎えながら、ついにっこり微笑みお顔を拝する。


《いと尊き大徳なりけり》008
いと/たふとき/だいとこ/なり/けり
とても尊い高僧であった。


《さるべきもの作りて すかせたてまつり 加持など参るほど 日高くさし上がりぬ》009
さるべき/もの/つくり/て すかせ/たてまつり かぢ/など/まゐる/ほど ひ/たかく/さし-あがり/ぬ
ありがたい護符を書いて、お飲ませ申し上げる。加持など奉じる頃には、日はすっかりのぼっていた。


《すこし立ち出でつつ見渡したまへば 高き所にて ここかしこ 僧坊どもあらはに見おろさるる ただこのつづら折の下に 同じ小柴なれど うるはしくし渡して 清げなる屋 廊など続けて 木立いとよしあるは 何人の住むにかと問ひたまへば 御供なる人 これなむ なにがし僧都の 二年籠もりはべる方にはべるなる 心恥づかしき人住むなる所にこそあなれ あやしうも あまりやつしけるかな 聞きもこそすれなどのたまふ》010
すこし/たち/いで/つつ/みわたし/たまへ/ば たかき/ところ/にて ここかしこ そうばう-ども/あらは/に/みおろさ/るる ただ/この/つづらをり/の/しも/に おなじ/こしば/なれ/ど うるはしく/し/わたし/て きよげ/なる/や らう/など/つづけ/て こだち/いと/よし/ある/は なにびと/の/すむ/に/か と/とひ/たまへ/ば おほむ-とも/なる/ひと これ/なむ なにがしそうづ/の ふたとせ/こもり/はべる/かた/に/はべる/なる こころはづかしき/ひと/すむ/なる/ところ/に/こそ/あ/なれ あやしう/も あまり/やつし/ける/かな きき/も/こそ/すれ など/のたまふ
岩屋より少し外に出て見渡してごらんになると、高いところなので、ここかしこに僧房などが丸見えに見下ろされる。すぐこのつづら折りの下に、よそと変らぬ小柴垣ながらきちんと巡らし、こぎれいな家屋や回廊などを建て並べ、木立の趣味のよさは、どんな人が住むのか、とお問いになると、お供の者が、これこそ何とかいう僧都が、この二年間こもっております場所だそうでございます。「そうか、気恥ずかしいくらいに立派な方が住む場所なんだな。それにしてからが、自分でも不思議なくらい、あまりにみすぼらしい姿をしたものだ。聞きつけられでもしたらどうしよう」などとおっしゃる。


《清げなる童などあまた出で来て 閼伽たてまつり 花折りなどするもあらはに見ゆ》011
きよげ/なる/わらは/など/あまた/いでき/て あか/たてまつり はな/をり/など/する/も/あらは/に/みゆ
見目よさそうな童女などがたくさん外に出て来て、仏に水をお供えし、花を折ったりする様子がすっかり見える。


《かしこに 女こそありけれ 僧都は よも さやうには 据ゑたまはじを いかなる人ならむと口々言ふ》012
かしこ/に をむな/こそ/あり/けれ そうづ/は よも さやう/に/は すゑ/たまは/じ/を いかなる/ひと/なら/む と/くちぐち/いふ
「あそこにおなごがいるではないか」「僧都が、まさか、そんなふうに女を囲ったりするものではなかろうに」「どういう人だろうか」と供の者は口々に言う。


《下りて覗くもあり をかしげなる女子ども 若き人 童女なむ見ゆると言ふ》013
おり/て/のぞく/も/あり をかしげ/なる/をむなご-ども わかき/ひと わらはべ/なむ/みゆる と/いふ
下りてのぞく者までいる。魅力的な娘たちや、若い女房、童女が見えると言う。


《君は 行ひしたまひつつ 日たくるままに いかならむと思したるをとかう紛らはさせたまひて 思し入れぬなむ よくはべると聞こゆれば 後への山に立ち出でて 京の方を見たまふ》014
きみ/は おこなひ/し/たまひ/つつ ひ/たくる/まま/に いか/なら/む/と/おぼし/たる/を とかう/まぎらはさ/せ/たまひ/て おぼし/いれ/ぬ/なむ よく/はべる と/きこゆれ/ば しりへ/の/やま/に/たち/いで/て きやう/の/かた/を/み/たまふ
君は勤行を行いながらも、日が傾くにしたがい、どうなるのだろうとご案じになられるが、聖が「とかく気持ちをお紛らせになって、思い詰めぬのがようございます」と申し上げると、岩屋の裏の山にお立ち出でになり、都の方をごらんになる。


《はるかに霞みわたりて 四方の梢そこはかとなう煙りわたれるほど 絵にいとよくも似たるかな かかる所に住む人 心に思ひ残すことはあらじかし とのたまへば これは いと浅くはべり 人の国などにはべる海 山のありさまなどを御覧ぜさせてはべらば いかに 御絵いみじうまさらせたまはむ 富士の山 なにがしの嶽など 語りきこゆるもあり》015
はるか/に/かすみ/わたり/て よも/の/こずゑ/そこはかとなう/けぶり/わたれ/る/ほど ゑ/に/いと/よく/も/に/たる/かな かかる/ところ/に/すむ/ひと こころ/に/おもひ/のこす/こと/は/あら/じ/かし と/のたまへ/ば これ/は いと/あさく/はべり ひと/の/くに/など/に/はべる/うみ やま/の/ありさま/など/を/ごらんぜ/させ/て/はべら/ば いかに おほむ-ゑ/いみじう/まさら/せ/たまは/む ふじ/の/やま なにがし/の/たけ など かたり/きこゆる/も/あり
はるか遠くまで霞がひろがり、四方の梢がそこはかとなく煙っている具合は、「よくもまあ絵に似たものだな。こんな所に暮らしている僧侶たちは、心に思い残す悩みはないだろうな」とおっしゃると、「これはまだ序の口です。よその国などにございます海山のありさまなんかをご覧にいれられましたら、どんなに絵が今以上ご上手になられましょう」「富士の山、なんとか岳」などとお話申し上げる者もあり、


《また西国のおもしろき浦々 磯の上を言ひ続くるもありて よろづに紛らはしきこゆ》016
また/にしくに/の/おもしろ/き/うらうら いそ/の/うへ/を/いひ/つづくる/も/あり/て よろづ/に まぎらはし/きこゆ
また、西の国の興味をひく浦々や磯の景色について話つづける者もありして、いろいろなことにお気持ちを紛らわし申し上げる。

若紫 注釈 05-001/05-016

北山になむ 05-001

「北山に行ひ人はべる」とつづく。したがって、「北山でございますが」という訳は文意には添うが精確ではない。「なにがし寺」は、古来、鞍馬寺に比定されてきたが、距離が遠すぎる点や見晴らしが効かない点など、本文と矛盾する点が多い。紫式部に縁のある寺として、角田文衛氏は岩倉の大雲寺をあげる。他にも諸説ある。個人的には大雲寺かなという気がするが、源氏物語を読み味わうことと、式部がどこを想定して書いたかということには何の関係もない。書かれていることがすべてであって、書かれていないこと用いて、書かれていることを解釈することは、百害あって一利なしであろう。文学と史実との関係については、『桐壺』冒頭の「いづれの御時」の注で行った。「行ひ人」は修行者。のちに「聖(ひじり)」とある人。

去年の夏も世におこりて 05-001

「おこり」は「瘧(おこり)」でなく、「おこる」の連用形。「おこる」は「起こる(病気が流行り出す)」ではなく、「興る・熾る」で、さかえる・隆盛をきわめるの意味。猖獗を極める。

人びと 05-001

世間の人々ではなく、うぞうむぞうの祈祷師たち。

まじなひわづらひ 05-001

「わづらひ」は、うまく~できずに困ること。源氏では「立ちわづらひ」「聞きわづらひ」「思ひわづらひ」などの例がある。立てなかった、聞こえなかった、こうだと思い切れなかったのだ。従って、細かい議論だが、「まじなったが効き目がなかった」の訳は不正確である。まじなえなかったのだから。「まじないにより病魔を退散させようとしたができなかった」のだ。だが、重要なことは、訳をひねくりまわすことにあるのではない。訳文に惑わされず、古語の語感をしっかり身につけてもらうために、不要とも思える議論を行ったまでである。

やがて 05-001

ただちに。

とどむる 05-001

止めるの意味の他動詞。

いかがはせむ 05-001

直訳ではどうしたらよいかとの意味になるが、使用される場面は、難しい決断を行う場面で使われる。他にどうしようがあろうかとの意味である。

やや深う入る所なりけり 05-002

主語をなにがし寺とするが、それでは、「入りもておはするままに」と時間が逆行する。今自分たちのいる所はやや山深いところだったの意味で、なにがし寺へ行く道中の描写である。都から突然、中に場面を転じるとともに、ナレータの位置(語り手は第三者の立場から光のことを語っている)から、登場人物の立場からの独白(「なりけり」は語り手の感想)へと転じたところにこの文の魅力がある。物語に一気に突入してゆくことになる。

所狭き 05-004

窮屈。自由行動が規制されているため、こんな山中に来た体験がないのである。

峰高く 05-006

高い峰の意味でなく、峰の高い位置にあるの意味。峰自身の高さが高いのではなく、聖にいる岩の位置が峰の高いところにあるのである。

やつれ 05-007

目立たぬ地味な格好をしていること。

しるき御さま 05-007

見間違えることのない様子。

験方の行ひ 05-007

病魔退散の加持祈祷。

捨て忘れて 05-007

諸注は「捨てて忘れる」と訳すが、そんな日本語はない。「捨てる」は加持祈祷をしないこと。「忘れる」はそのことについて考えないこと。加持祈祷のやり方を忘れるわけでは、もちろんない。

おどろき騒ぎ 05-007

諸注は「驚き騒ぎ」と訳すが、驚き騒ぐような高僧がいるだろうか。ここは高貴な身分である光が出向かれたことに対して、急いで出迎えている様子。

いと尊き大徳なりけり 05-008

とうとつな感じを受けるが、感想を先ず言って、その後に、その感想を抱くに至った具体的理由をのべるという、古文にありがちな順序。

さるべきもの 05-009

服用するために紙にかかれた梵字だという。

すかせ 05-009

飲ませる。

加持など参るほど 05-009

「加持などあげるうちに」と諸注は訳すがどうであろう。この意味を考えるには、時間の経緯をたどる必要がある。
A出発時「暁」
B道中
C北山到着、挨拶、加持祈祷「日高くさしあがりぬ」
D僧都の房に女の見る
E仏前の読経「日たくるるままに」
F山の上から見下ろす、諸国物語
G「暮れかかりぬれど」
となる。
旧暦三月つごもりとあり、新暦のいつかは特定できないが、桜の時期と考えて間違いない。これを今の時間に直すと
A五時から六時頃
C九時頃?
E十二時前と考えられているが問題あり。
G五時か六時頃
さて、遠回りだが、決定できるところから決定する。これまでの解釈であると、光は、昼日中の十二時頃から夕方近くまで、山の上で物語をしていたことになるが、平安人の行動として納得しがたい。また、物語の進行時間から考えても、少しの話題で五六時間持たせるには無理がある。「日たくるままに」は日が高くなるではなく、日が更ける、すなわち、日が傾き出すの意味だろう。「たく」には高くなる意味と円熟するの意味があり、辞書の説明では、日が主語に来た場合、もっぱら日が高くなるの意味でしか使われないように述べられているが、ここはそうとるのは不自然である。光は午後三時頃から日の沈みかける午後五時くらいまで、山の上にいたのだと思う。その前二時間くらい、光は読経をし、昼前後に女を見る。その前が加持祈祷の時間。加持祈祷がはじまる時間が「日高くさしあがりぬ」であろうと思う。
まとめると、夜明けまえに出発し、何時間か歩いて、加持祈祷をした後に、「日が高くあがっていた」のではなく、加持祈祷を始めた時点で「日が高くあがっていた」の。「さしあげる」は、すうっとあがること。山の端の上まで出切ることをいう。この表現は昼ではなく朝の時間帯。八時では、移動時間が少なすぎるし、十時では遅い。九時頃であろう。「加持など参るほど」の「ほど」は経過(~のうちに)でなく、時間(頃)の意味だ。「ほど」にはもちろん、どちらの意味もあるし、ここだけ読むならどちらでも意味は通る。さらにいえば、意味の違いが問題にならないことの方が多いくらいだ。だからといって、どちらの意味で訳すか、その判断基準を明確にせずに訳すのは無責任である。どちらでもよいという証明を行った上でどちらかの意味に訳すのなら問題はない。しかし、そんな面倒な手続きを踏む訳者はいないものだ。というより、無意識のうちに訳をつくってしまっているため反省のしようがない。どこまで綿密に精読できるかが、その人の読解力を示すと見てよい。意図せぬ過ちは避けようがないのだ。

僧坊 05-010

僧侶の住む建物。

ただ 05-010

「下に」にかかり、距離の近さを意味する。

小柴 05-010

落ちている柴や竹を使って編んだ質素な垣。逆接「なれど」は、他と違う意味と、小柴垣のように質素ながらの両意が含まれている。すなわち、「同じ」と「小柴」の両方を裏返す。

うるはしく 05-010

整然とした美。

木立いとよしある 05-010

「よし」は際高級の由緒や教養を示す言葉。この場合、その木立を見れば、その持ち主の生まれや教養の立派さが知られるということ。これが貴族の家であれば、木立の種類の選び方や、配置具合に対して趣味のよさを言うのだろうが、僧侶が木を植え替えることまでしたとも思えないので、『注釈』の説くように、手入れのし方が洗練されていることをいうのだろう。

なにがし僧都 05-010

供人は光に対してはっきり名前を言ったであろうが、物語の語り手が聞き手に対して、何とかいう僧都とぼかしたのである。従って、「なにがし」の部分は地の文として処理すべきである。

住むなる所 05-010

「なる」は伝聞。いま供の者から聞いたばかりなので、伝聞調になっている。現代語では、文の途中に伝聞表現を入れられないので、「そうか」と文頭に持ってきたが、もっといい処理のし方があるかと思う。

あやしうも 05-010

やつしすぎたことに対して、なぞそうまでしたのかわからないという意味。

聞きもこそすれ 05-010

聞かれては困るの意味。

閼伽 05-011

一説によれば、インド原産の言葉で、ヨーロッパのアクア(水の意味)の語源となり、日本でも仏に供える水の意味として伝わってきている極めて稀な例として有名。人類にとって水は特殊な重要性をもつためなのだろう。

よも 05-012

まさかの意味。否定語「じ」と呼応する。

さやうに 05-012

直前の発言「かしこに女こそありけれ」そのものを指すのではなく、そこに含意される、僧侶のくせに女を囲いやがってという発言者の気持ちを指す。お主の言うように、ほどの意味。

を 05-012

逆接を表す。本来そんなことをするはずがないのにという、断定し切れないゆらぎ・疑念を示す。

をかしげなる女子ども若き人童女なむ見ゆる 05-013

下りて家をのぞきこんだ人の発言であろう。

日たくる 05-014

日が高くなるのでなく、日が傾くの意味であろうとの説明は前回やった。「たく」には、高くなる意味と老けるの意味があり、太陽の運行にあたっても後者の意味を持ちうると考える方が、前後関係からして自然だろう。

いかならむ 05-014

病気についての心配。

とかう紛らはさせたまひて思し入れぬなむよくはべる 05-014

従者の言葉とする注があるが、その内容が病気へのアドバイスであることから、聖と考えるべきであろう。

はるかに霞みわたりて 05-015

この部分から光の会話とする注もあるが取らない。

よくも 05-015

「も」はこれほどまでに。

かかる所に住む人 05-015

僧房で生活している出家人を指す。

心に思ひ残すことはあらじ 05-015

感興を味わいつくす意味ではない。主語が僧侶であることを考えれば、出家の邪魔になる世俗の悩み。出家の願いは光の底流にいつも流れている。源氏物語の主題が出家にあるとは思わないが、平安人の精神構造として、恋と出家は相反するものではない。恋をしながら出家を願い、出家に思いを馳せながら恋をするのである。

浅く 05-015

感興が。

御覧ぜさせて 05-015

「させ」は使役。光に見てもらう。

なにがしの嶽 05-015

富士山と併称されることから、浅間山であろうとされている。これらは東国の山の話。一方、西国の話は山ではなく、海について。

おもしろき 05-016

風情があるのではなく、興味を引くの意味、光が気病みせぬよう紛らせるためにする話のこと。

2020-10-17

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