六条わたりの御忍び 夕顔01章01
原文 読み 意味
六条わたりの御忍び歩きのころ 内裏よりまかでたまふ中宿に 大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける とぶらはむとて 五条なる家尋ねておはしたり
04001/難易度:☆☆☆
ろくでう/わたり/の/おほむ-しのびありき/の/ころ うち/より/まかで/たまふ/なかやどり/に だいに-の-めのと/の/いたく/わづらひ/て/あま/に/なり/に/ける とぶらは/む/とて ごでう/なる/いへ/たづね/て/おはし/たり
六条の辺へお忍び歩きの頃、宮中よりそちらへお出になる名目上の宿として、大弐の乳母がひどくわずらって尼になったのを、君は見舞おうと、五条にあるその家を尋ねていらっしゃった。
六条わたりの御忍び歩きのころ 内裏よりまかでたまふ中宿に 大弐の乳母のいたくわづらひて尼になりにける とぶらはむとて 五条なる家尋ねておはしたり
大構造と係り受け
古語探訪
六条わたり 04001
「六条わたりにもいかに思ひ乱れたまふらん」(『夕顔』)とある通り、場所でなく人を指す。より正確には、場所を通して人を指すのである。場所と人とが未分化に近いのであろう。ともあれ、六条の辺に住む人の意味であり、六条御息所のことをおぼめかしている。
御忍び歩き 04001
人目を忍んで女性のもとへ通うこと。「中宿」はどこかへ行く際の途中の休憩所、ないしは宿である。たとえば、宇治十帖の例でゆけば、奈良の長谷寺詣での途中、宇治で宿をとるなどである。そこからすると、内裏から六条へ行くのに、牛車でせいぜい数時間の行程なのに、わざわざ五条で宿をとる必要はない。長旅の途中の宿でないとすれば、直接六条に行くのが憚れるため、見舞いを名目に五条の大弐の乳母に宿をとったと考えるしかないだろう。主なる目的は六条御息所に逢いにゆくことにある。その途次よその女に目がくらむのだから、御息所の嫉妬はすごいはずだ。なお、夕顔を取り殺す怨霊は御息所ではない、あるいは誰の霊とも特定できないとの説があるが、御息所の霊で間違いないことは後述する。
大弐の乳母 04001
かつて乳母として光に仕えていた女房。
わづらひて尼になる 04001
大病を患い、後世を祈るために尼になったのである。死期が近いことが知られると同時に、尼の身で往生を待つ老女と、うら若い身で謎の急死を遂げる夕顔の対比が巧妙に仕組まれている。