思へどあやしう人に 夕顔15章04

2021-05-14

原文 読み 意味

思へど あやしう人に似ぬ心強さにても ふり離れぬるかな と思ひ続けたまふ 今日ぞ 冬立つ日なりけるも しるく うちしぐれて 空の気色いとあはれなり 眺め暮らしたまひて
 過ぎにしも今日別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな
なほ かく人知れぬことは苦しかりけりと 思し知りぬらむかし

04181/難易度:☆☆☆

おもへ/ど あやしう/ひと/に/に/ぬ/こころづよさ/にて/も ふり-はなれ/ぬる/かな と/おもひ/つづけ/たまふ けふ/ぞ/ふゆ/たつ/ひ/なり/ける/も しるく うち-しぐれ/て そら/の/けしき/いと/あはれ/なり ながめ/くらし/たまひ/て
 すぎ/に/し/も/けふ/わかるる/も/ふたみち/に/ゆく/かた/しら/ぬ/あき/の/くれ/かな
なほ かく/ひと/しれ/ぬ/こと/は/くるしかり/けり/と おぼし/しり/ぬ/らむ/かし

考えれば考えるほどに、理解ならぬほど人に似ない強情さで、それだけでも私をふり切って行ってしまわれたなと、空蝉のことを思いつづけになる。ちょうど今日が立冬にあたるが、その日であると言い表すように、急に時雨だし、空の様子はとても人淋しい思いをさせる。ぼんやりとその様子を一日中ながめて暮らされ、
《過ぎ去った人も 今日別れてゆく人も 二つの道を通り 行く方知らずになった秋の暮れだなあ》
やはりこのように人知れぬ思いは苦しいものだなと、思い知りになられたでしょうよ。

思へど あやしう人に似ぬ心強さにても ふり離れぬるかな と思ひ続けたまふ 今日ぞ 冬立つ日なりけるも しるく うちしぐれて 空の気色いとあはれなり 眺め暮らしたまひて
 過ぎにしも今日別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな
なほ かく人知れぬことは苦しかりけりと 思し知りぬらむかし

大構造と係り受け

古語探訪

心強さにても 04181

「も」はそのことだけでもの「も」。嫌いになって別れるのではなく、強情さから別れてゆく、理解のできない女だの意味。単なる強意ではない。

今日ぞ冬立つ日なりける 04181

「ける」は知らなかったことを知った時の驚きを表す。自分としては秋の終わりと思っていたのに、はっと気づくと冬になっていたという意味が隠れている。あとの歌を理解するためのここがポイント。

しるく 04181

そのことをはっきり示すように。

いとあはれなり 04181

ものさびしい、ひとさびしい、ひと恋しいなどの意味。

眺め暮らし 04181

ぼんやりと人恋しさをつのらせる空模様をながめて、物思いにふけり、それで日が暮れていったの意味。

過ぎにしも 04181

夕顔。

今日別るるも 04181

空蝉。立冬なのに「秋の暮れ」はおかしいと昔から言われてきた。しかし、それは当たらない。この歌は、日が暮れてから詠んだものであり、詠んだ時点ではすでに立冬であることを知った後の歌ではあるが、歌のテーマは、今朝の時点に遡り、まさに今別れてゆこうとしている場面を詠んでいるのである。「けふ別るる」(現在形は近い未来も表す)は、まだ出発前で、これから別れて行く空蝉を思い、その一番つらい瞬間に立ちかえり歌は詠まれたわけだ。歌を詠もうとした時点で、光の内的時間は逆行し、そこでストップしたのである。その一日のある時刻に光は冬が来ていたことを知るわけだが、別れてゆく空蝉を思いやっている時点では光の気持ちは秋の終わりであった。従って、客観時間は冬の初めであっても、光の内的時間は秋の暮れである。その時に遡って歌を詠んだということに思い至れば矛盾はなくなる。時間的に歌がさかのぼる、すなわち、物語の進行時間と歌の示す時間にギャップがあることは、よくあることなので、十分理解しておく必要がある。「冬立つ日なりける」の「けり」に込められた意味にも注意を喚起しておく。

かく人知れぬこと 04181

このように他人に知らせることのできない恋愛の意味。この一文で夕顔と空蝉との悲恋の物語は終わる。残りの部分は、『帚木』の帖の冒頭と呼応するのであって、具体例としての空蝉・夕顔の話とは直接はつながらない。

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