添ひたりつる女はい 夕顔10章03

2021-04-23

原文 読み 意味

添ひたりつる女は いかに とのたまへば それなむ また え生くまじくはべるめる 我も後れじと惑ひはべりて 今朝は谷に落ち入りぬとなむ見たまへつる かの故里人に告げやらむと申せど しばし 思ひしづめよ と ことのさま思ひめぐらして となむ こしらへおきはべりつる と 語りきこゆるままに いといみじと思して 我も いと心地悩ましく いかなるべきにかとなむおぼゆる とのたまふ

04111/難易度:☆☆☆

そひ/たり/つる/をむな/は/いかに と/のたまへ/ば それ/なむ また え/いく/まじく/はべる/める われ/も/おくれ/じ/と/まどひ/はべり/て けさ/は/たに/に/おち/いり/ぬ/と/なむ/み/たまへ/つる かの/ふるさとびと/に/つげ/やら/む と/まうせ/ど しばし おもひ/しづめ/よ/と こと/の/さま/おもひめぐらし/て と/なむ こしらへ/おき/はべり/つる と かたり/きこゆる/まま/に いと/いみじ/と/おぼし/て われ/も いと/ここち/なやましく いかなる/べき/に/か/と/なむ/おぼゆる と/のたまふ

「つき添った女はどうした」とお聞きになると、「それがです、これも生きておられそうにない様子で。自分も遅れはしまいと取り乱しまして、今朝などは谷に身投げせんばかりの有様で。例の、もといた家の者たちに知らせたいと申すのですが、しばし心を落ち着けるのだ、後先のことをよく考えた上でと、そうなだめおいた次第で」とお話し申し上げているうちに、何ともたいへんなことになったとお感じになり、「わたしもひどく加減が苦しくて、どうなってしまうのかと案じられる」とおっしゃる。

添ひたりつる女は いかに とのたまへば それなむ また え生くまじくはべるめる 我も後れじと惑ひはべりて 今朝は谷に落ち入りぬとなむ見たまへつる かの故里人に告げやらむと申せど しばし 思ひしづめよ と ことのさま思ひめぐらして となむ こしらへおきはべりつる と 語りきこゆるままに いといみじと思して 我も いと心地悩ましく いかなるべきにかとなむおぼゆる とのたまふ

大構造と係り受け

古語探訪

女 04111

右近。それまでの別の呼び方(右近の場合は「女房」)から「女」という呼び方に変化した場合には、一般に性的関係が結ばれたことを示す。この場合、それを示す描写はないが、主人である夕顔を失って、心身両面から光源氏を頼らねばならない状況であることは歴然としている。今性交渉がなくとも早晩そうなる状況下にあるのだから、光の女(庇護を受けて暮らしを立てる存在)として語り手から認識されるのかも知れない。

落ち入りぬ 04111

「落ち入り」は身を投げること。「ぬ」は今にもそうしそうな状態だったということ。一種の未来完了とみると分かりやすい。(日本語は過去形は発達しているが、未来はあまり発達していないため、現在形で未来をあらわすことがある)。

かの故里人 04111

「かの」は諸本では右近の発言とするが、惟光が光にわかりやすく「あの・例の」と添えているのであって、右近の発言は「古里人」からである。右近の発言と考えるならば、右近が「かの」と言った文脈が必要となる。しかし、惟光の話の流れには、右近が話をしたその文脈は邪魔であり、引用したとすれば意味不明であろう。こういう意味不明なことを平気でしてしまうのが、これまでの古文解釈であるのは嘆かわしい。

こしらへ 04111

ここちらの都合のいいように相手をなだめ、その場をとりなすこと。右近に無茶をされては、ことが発覚しかねないのだ。

いみじ 04111

神聖なものや畏れ多いもの・死などと密接につながっている言葉である。ここも夕顔の死を思い出し、感情が極点に達しているのである。

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