忍びたまへど御涙も 夕顔14章03

2021-04-25

原文 読み 意味

忍びたまへど 御涙もこぼれて いみじく思したれば 何人ならむ その人と聞こえもなくて かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さ と言ひけり

04169/難易度:☆☆☆

しのび/たまへ/ど おほむ-なみだ/も/こぼれ/て いみじく/おぼし/たれ/ば なに/びと/なら/む その/ひと/と/きこエ/も/なく/て かう/おぼし/なげか/す/ばかり/なり/けむ/すくせ/の/たかさ と/いひ/けり

お隠しになっておられるが、声を上げお涙までこぼされひどく悲しんでおられるので、「どういうお方だろう。誰それとお名を耳にすることもないが、こんなに君を思い嘆かせになる宿世の尊さたるや」と口にするのだった。

忍びたまへど 御涙もこぼれて いみじく思したれば 何人ならむ その人と聞こえもなくて かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さ と言ひけり

大構造と係り受け

古語探訪

忍びたまへど 04169

直後の「御涙もこぼれて」にかけ、がまんしても涙も流すとする解釈には疑問である。「忍ぶ」には、がまんすると、隠すの意味がある。本来、外に見せないということで、我慢するも隠すも同じことだが、使われる文脈により、現代訳としては訳し分けることになるわけだ。つまり、問題は文脈ということになる。涙との関係では、我慢するの意味がでてくるが、最初から文脈を追って行くと、「忍びて」「その人となくて」「忍びたまへど」「何人ならむ、その人と聞こえもなくて」「忍びて」「うち出でたまはず」となる。つまり、夕顔の正体を隠すということが、ひとつの焦点になっているのである。したがって、ここは、「いみじく思したれば」にかけ、隠そうとされながらも、涙までもながして、ひどく悲しみとなる。涙をこらえたり、悲しみをこらえるために「忍ぶ」のではない。僧侶たちに二人の関係がばれないように秘しているのである。その嘆き方かあまりに強いので、僧が不審に思うと同時に感嘆して、「かう思し嘆かずばかりなりけん宿世の高さ」ともらした。「御涙もこぼれて」の「も」は、涙までもの「も」。涙以外にも声を上げてという意味が隠れている。

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