さてかの空蝉のあさ 夕顔02章01

2021-04-13

原文 読み 意味

さて かの空蝉の あさましくつれなきを この世の人には違ひて思すに おいらかならましかば 心苦しき過ちにてもやみぬべきを いとねたく 負けてやみなむを 心にかからぬ折なし かやうの並々までは 思ほしかからざりつるを ありし 雨夜の品定めの後 いぶかしく思ほしなる品々あるに いとど隈なくなりぬる御心なめりかし かやうの並々までは 思ほしかからざりつるを ありし 雨夜の品定め の後 いぶかしく思ほしなる品々あるに いとど隈なくなりぬる御心なめりかし

04023/難易度:☆☆☆

さて かの/うつせみ/の/あさましく/つれなき/を この/よのひと/に/は/たがひ/て/おぼす/に おイらか/なら/ましか/ば こころぐるしき/あやまち/に/て/も/やみ/ぬ/べき/を いと/ねたく まけ/て/やみ/な/む/を こころ/に/かから/ぬ/をり/なし かやう/の/なみなみ/まで/は/おもほし/かから/ざり/つる/を ありし/あまよ/の/しなさだめ/の/のち いぶかしく/おもほし/なる/しなじな/ある/に いとど/くまなく/なり/ぬる/みこころ/な/めり/かし

ところで、例の空蝉の言葉にあまる冷たさを、この世の人ではないとお考えなるにつけ、素直な女であったら、悪いことをしたという一夜の過ちを理由にしてでもことはすんでいたはずなのに、癪に障って仕方なく、むげにされたまま終わってしまうことが、始終心にかかり切りである。そのような並の女にまではお気にかけることはなかったのに、先だっての雨夜の品定め以後、心をはかりかね気になさる方々がいるのに、ますます隔てをなくしてしまわれるお心持ちなのでしょうよ。

さて かの空蝉の あさましくつれなきを この世の人には違ひて思すに おいらかならましかば 心苦しき過ちにてもやみぬべきを いとねたく 負けてやみなむを 心にかからぬ折なし かやうの並々までは 思ほしかからざりつるを ありし 雨夜の品定めの後 いぶかしく思ほしなる品々あるに いとど隈なくなりぬる御心なめりかし かやうの並々までは 思ほしかからざりつるを ありし 雨夜の品定め の後 いぶかしく思ほしなる品々あるに いとど隈なくなりぬる御心なめりかし

大構造と係り受け

古語探訪

さて 04023

夕顔の話から話題を空蝉へ移す。

この世の人には違ひて思す 04023

この世の人ではないのだからと、諦めをつけようと思う気持ちが一方にあることをいう。

おいらかならましかば心苦しき過ちにてもやみぬべき 04023

「おいらか」は素直。自分の意に従う女であれば、夫持ちの女と一夜を明かしたという罪の意識からでも、関係は終わっていただろうということ。「やみ」は自動詞。光は自然に終わることを想定しているのであって、仮定においてさえ、自分から止める気はないことに注意したい。責任転嫁をしているのである。しかし、実際には、素直どころか、どこまでも逃げ回り、思い通りにならないことを始終気にかけているのである。「負け」という意識が何とも勝手だが、男性心理をよくついている。

かやうの並々まで 04023

空蝉のような上流階級でない女。

思ほしかからざりつる 04023

これまで心にとめることがなかった。

いぶかしく思ほしなる品々あるに 04023

それまで関心のなかった中の品や下の品について知りたくなったのでと、心が隈なくなる理由として解釈されているが、やや屁理屈を言えば、中下の女に興味を持つこと自体が心に隈のない状態であって、理由と結果の関係にはない。「あるに」の「に」は逆接の接続助詞であろうというのが私の考えである。先ず「いぶかし」は、事情が晴れやかにならないことに関して、気になり、もっと知りたいというもどかしさをいうのであって、空蝉の気持ちが断固拒否であることが明らかな状態で使用するのはおかしい。いぶかしの対象は、距離があってはかりかねる存在、藤壺や六条御息所を念頭にしているのだ。品々が藤壺や御息所を指すからと言って「品々ある」と敬語がないことは不自然ではない。藤壺や御息所などもどかしく気がかりな人がいるのに。ここは挿入句。「いとど隈なくなりぬる御心」は話者の皮肉である。空蝉みたいな並々の女にいつまでも血道をおあげとは、守備範囲がひろうござんすねという感じ。一般論めかしてはいるが、これはあくまで空蝉との恋愛を述べているのである。これまでの解釈のように、光が雨夜の品定め以後、身分の上下に関わらず女の興味を持ち出したという一般論を述べているのではない。物語を寸断し、この場で一般論を述べる必然性はどこにもないのである。

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