まだ見ぬ御さまなり 夕顔01章12

2021-04-22

原文 読み 意味

まだ見ぬ御さまなりけれど いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見過ぐさで さしおどろかしけるを 答へたまはでほど経ければ なまはしたなきに かくわざとめかしければ あまえて いかに聞こえむ など言ひしろふべかめれど めざましと思ひて 随身は参りぬ

04012/難易度:☆☆☆

まだ/み/ぬ/おほむ-さま/なり/けれ/ど いと/しるく/おもひ/あて/られ/たまへ/る/おほむ-そばめ/を/みすぐさ/で さし-おどろかし/ける/を いらへ/たまは/で/ほど/へ/けれ/ば なま-はしたなき/に かく/わざと/めかし/けれ/ば あまエ/て いかに/きこエ/む など/いひしろふ/べか/めれ/ど めざまし/と/おもひ/て ずいじん/は/まゐり/ぬ

まだ見たことのないご様子であったけれど、誰とはっきり思いあてることのできる横顔なのに、そのまま見過ごさずぶしつけに詠みかけた歌に対して、返事をなさらず時が過ぎたためになんともいたたまれない思いでいたところへ、このように他人行儀な歌であったので、きまりがわるく、「どう申し上げよう」など言い合っている様子であっが、身分違いにもほどがあるとあきれて随人は君のもとへ引き上げた。

まだ見ぬ御さまなりけれど いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見過ぐさで さしおどろかしけるを 答へたまはでほど経ければ なまはしたなきに かくわざとめかしければ あまえて いかに聞こえむ など言ひしろふべかめれど めざましと思ひて 随身は参りぬ

大構造と係り受け

「まだ見ぬ御さま/04012」は、光の姿を夕顔がまだ見たことがないという話者による説明。「いとしるく思ひあてられたまへる御側目を/04012」も、話者による光の説明。誰が見ても光だとわかる横顔なのに。「を」は格助詞でなく逆接の接続助詞。相手の光は夕顔風情が気軽に歌を詠みかけてよい身分ではないのにという話者による非難である。「さしおどろかしける/04012」も、身分の違う相手に対してよくもまあとの非難がこもるのであって、諸注にあるように歌をよみかけるの同意語ではない。
要するに、諸注はここの解釈を、相手を光と知って歌を詠みかけたのだと理解したところから誤りが生じているようだ。ここの理解にもとづき、前々回の歌「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花/04009」の意味を、あなたを光の君だと理解しています、あなたの高貴な露の光を受けていっそうかがやく夕顔であるこの私は」と解釈している。しかし、「それかとぞ」は光の返歌の中で「それかとも/04011」で言いかえられていることから、これまでの解釈は誤りであることを指摘した。結論から述べると、夕顔は光を昔の恋人であり、娘の父親である頭中将と見間違えたのである。それは後に出る夕顔の歌により案じされている。「光ありと見し夕顔の上露はたそかれ時のそら目なりけり/04071(あなたと知って光明がさしたと思った夕顔の上の露は、相手が誰ともわかりにくい時刻であるたそがれ時の見間違いである)」。また、家の前を牛車が通るたびに、頭中将ではないかと家の者たちが大騒ぎする様子もすぐ後で語られる。頭中将との間に娘がおり、頭中将の正妻である右大臣の四の君から意見を言われただけでびくつく夕顔が、相手を帝の息子である光の君と知って歌を詠みかけたりするだろうか。
整理する。「そら目なりけり」の歌、頭中将を探している事実、すぐにびくびくする夕顔の性格の三点より、夕顔は光を光と知って歌を詠んだのではなく、相手を頭中将と誤解して歌を詠んだのである。とすると、「心あてに/04009」の歌はさらに明確な意味が出る。
心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花
心あてにあなたには誰とわかりますよね、娘である露がおりて光かがやく夕顔の花が誰か。先に頭中将に詠いかけた「あはれはかけよ撫子の露/02110」により、頭中将との間では白露は娘のことであるとの共通理解がある。あなたとの間には娘があるのだから、私がだれかはっきりわかるでしょうとの歌である。この人違いというパターンは、空蝉が「中将の君はいづくにぞ/02124」と呼んだのに対して、当時中将の地位にいた光がぬけしゃあしゃあと空蝉のもとに登場したパターンを踏んでいる。ただし、光自身は人違いであったことを知らない点が相違点である。
もとに戻る。相手が頭中将だと思って歌をよみかけた。そういう想定のもとに、この部分を読むと、ずっとよくわかると思う。身分の低い夕顔は、まだ光の姿を見たことがないが、光の君とはっきりわかる横顔でいらっしゃるのに、それを遠慮もなく歌を詠みかけるなどぶしつけな真似をして、お返事がなく時がたつと、「なまはしたなき/04012」(なんともいたたまれない)気分でいる。夕顔にしてみれば、昔の恋人に歌を詠みかけたが返事がない。なまはしたなき気分にもなる。これが身分違いの光であれば、返歌がなくても恥ずかしがるくらいですむだろう。「わざとめかしけれ/04012」はわざわざ返事がきたと注されるが、おかしい。なまはしたなき気分でいるのは、相手が光であれ頭中将であれ、返事が来るのを期待しているからである。これは、返歌がきたことがわざとめかしではなく、返歌の内容がわざとめかしなのだ。相手が頭中将と思って、私が誰かおわかりでしょと詠みかけたのに、近寄ってみないと誰かわかりませんとの答えであったから、夕顔はなんて他人行儀な歌かと失望した。あるいは空ととぼけてときまりが悪くなったのである。従って「あまえて」はいい気になっての意味ではなく、きまりが悪いの意味。「めざまし/04012」は、身分違いの歌の応答に随人が腹だたしく思っている感情。

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