切懸だつ物にいと青 夕顔01章04

2021-03-31

原文 読み 意味

切懸だつ物に いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに 白き花ぞ おのれひとり笑みの眉開けたる 遠方人にもの申す と独りごちたまふを 御隋身ついゐて かの白く咲けるをなむ 夕顔と申しはべる 花の名は人めきて かうあやしき垣根になむ咲きはべりけると申す げにいと小家がちに むつかしげなるわたりの このもかのも あやしくうちよろぼひて むねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたるを 口惜しの花の契りや 一房折りて参れ とのたまへば この押し上げたる門に入りて折る

04004/難易度:☆☆☆

きりかけ/だつ/もの/に いと/あをやか/なる/かづら/の/ここちよげ/に/はひ/かかれ/る/に しろき/はな/ぞ おのれ/ひとり/ゑみ/の/まゆ/ひらけ/たる をちかたびと/に/もの/まうす と/ひとりごち/たまふ/を みずいじん/ついゐ/て かの/しろく/さけ/る/を/なむ ゆふがほ/と/まうし/はべる はな/の/な/は/ひとめき/て かう/あやしき/かきね/に/なむ/さき/はべり/ける と/まうす げに/いと/こいへ-がち/に むつかしげ/なる/わたり/の このも-かのも あやしく/うち-よろぼひ/て むねむねしから/ぬ/のき/の/つま/など/に/はひ/まつはれ/たる/を くちをし/の/はな/の/ちぎり/や ひと-ふさ/をり/て/まゐれ と/のたまへ/ば この/おしあげ/たる/かど/に/いり/て/をる

切懸風の板塀に、青々と毒々しい蔓(カズラ)が心地よげにからみついているところへ、白い花、それのみがひとり愁眉ならぬ微笑みの眉を開いて咲いている。「そちらの方にお尋ねしたい」と、独り言をおっしゃるのを、御随人がひざまずいて、「あの白く咲いておりますのが、夕顔と申すもので、花の名は人みたいであり、このようなみずぼらしい垣根に咲くとのことでして」と申し上げる。なるほど、たいそう小さな家ばかりで、むさ苦しい感じがする、ここかしこひどく崩れかかった、あまり立派とは言えない軒先などに、這いまつわっている姿を、「無念な花のさだめよ。一房折ってまいれ」とご命じになると、御随人はこの押し上げた門に入って花を取る。

切懸だつ物に いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに 白き花ぞ おのれひとり笑みの眉開けたる 遠方人にもの申す と独りごちたまふを 御隋身ついゐて かの白く咲けるをなむ 夕顔と申しはべる 花の名は人めきて かうあやしき垣根になむ咲きはべりけると申す げにいと小家がちに むつかしげなるわたりの このもかのも あやしくうちよろぼひて むねむねしからぬ軒のつまなどに這ひまつはれたるを 口惜しの花の契りや 一房折りて参れ とのたまへば この押し上げたる門に入りて折る

大構造と係り受け

古語探訪

切懸 04004

粗末な板塀。

青やかなる葛の心地よげに這ひかかれる 04004

「葛」は蔓性の草の総称。「青やかなる」は青々の意味ととるよりないが、青々という現代語は、瑞々しさなどプラスイメージしか連想させない。しかし、微笑みを浮かべる「白い花」との対比から、この「葛」は明らかに負のイメージであろう。光の脳裏に焼きついた印象は、現代人が「青々とした」の訳語からイメージするものとは反対の、もっと毒々しいイメージではなかったか。それを「心地よげに」とこともなく描くところが、式部の恐ろしさ。遠く『雨月物語』や『神曲』、ボードレールなどのフランス象徴詩などと響き合う。

笑みの眉ひらけた 04004

「愁眉をひらく」をもとに、「愁」を「笑みの」を入れ替えた表現。「愁眉をひらく」では、つる草が憂いを象徴し、白い花がそれを抜け出したという対比イメージでしかないが、「笑みの眉」とした場合、その笑いは喜びの笑いなのか、悪を謳歌する笑いなのか判然としない。「白き花」を清楚だが空しくはかないと説く注釈があるが、それは夕顔(人物)から逆算したイメージであろう。この一文からは、清楚というより、よくわからない不気味なイメージが印象に残る。「口惜しの花の契りや」と光が思わず口にした際、光の心には可憐さ・清楚さがイメージされたであろうとは思う。しかし、この一文はその部分と響き合うよりも、この帖の主調として残りつづけ、最終的には夕顔の運命を決定づける。すなわち死のイメージを否めない気がする。
花にしても葛にしても、ことさら負のイメージを読み取り過ぎた嫌いはある。単なる風景描写に、やや感情がこもり、擬人法的なスパイスを利かせただけなのかも知れないし、「毒々しい」はやりすぎではあるが、どうしても青々と訳したのでは不足を感じてしまう。なお、「這ひかかれるに」の「に」は場所を指す助詞の「に」とも、逆接の「に」ともとれる。感覚としては後者の気がする。

遠方人にもの申す 04004

「うちわたす遠方人にもの申すわれそのそこに白く咲けるは何の花ぞも」(古今・雑体・旋頭歌)の言葉を使って、花の名をたずねる。

御随人 04004

警護の役人。中将である光には四人がついている。

花の名は人めきて 04004

夕顔の顔が人に通じることを言うが、「人めきて」は意味的にも「垣根になん咲きはべりける」にかかってゆく。野原でなく人家である垣根に咲くから、人みたいな花だというのである。夕顔が咲くその垣根が富貴なものでなく「あやしき」(貧しい・みずぼらしい)と教えられたところから、光はあたりを見回す。なるほど小さく、むさくるしく、崩れかかり、貧相なところに咲くのだなと。その感想が「口惜しの花の契りや」。なお、文章構造としては、「いと小家がちに」「むつかしげなるわたりの」「この面かの面あやしくうちよろぼひてむねむねしからぬ」が並列関係にあり、ともに「軒のつま」にかかる。

口惜し 04004

無念。貧しいところに咲くから。

一房折りてまゐれ 04004

花の受け渡しが、夕顔との出会いの契機となるが、同時に、実際に手折るのは随人であるにしても、光が手を出すことで夕顔の運命が急変することの序曲となっている。光とかかわらなければ、夕顔はそのまま咲きつづけていたのだ。 言葉が先に発せられて事態が言葉を現実化する方向に向かう「言-事」構造。

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