あいなかりける心比 夕顔12章04

2021-04-25

原文 読み 意味

あいなかりける心比べどもかな 我は しか隔つる心もなかりき ただ かやうに人に許されぬ振る舞ひをなむ まだ慣らはぬことなる 内裏に諌めのたまはするをはじめ つつむこと多かる身にて はかなく人にたはぶれごとを言ふも 所狭う 取りなしうるさき身のありさまになむあるを はかなかりし夕べより あやしう心にかかりて あながちに見たてまつりしも かかるべき契りこそはものしたまひけめと思ふも あはれになむ またうち返し つらうおぼゆる かう長かるまじきにては など さしも心に染みて あはれとおぼえたまひけむ なほ詳しく語れ 今は 何ごとを隠すべきぞ 七日七日に仏描かせても 誰が為とか 心のうちにも思はむ とのたまへば

04144/難易度:☆☆☆

あいなかり/ける/こころくらべ-ども/かな われ/は しか/へだつる/こころ/も/なかり/き ただ かやう/に/ひと/に/ゆるさ/れ/ぬ/ふるまひ/を/なむ まだ/ならは/ぬ/こと/なる うち/に/いさめ/のたまはする/を/はじめ つつむ/こと/おほかる/み/にて はかなく/ひと/に/たはぶれごと/を/いふ/も ところせう とりなし/うるさき/み/の/ありさま/に/なむ/ある/を はかなかり/し/ゆふべ/より あやしう/こころ/に/かかり/て あながち/に/み/たてまつり/し/も かかる/べき/ちぎり/こそ/は/ものし/たまひ/けめ/と/おもふ/も あはれ/に/なむ また/うちかへし つらう/おぼゆる かう/ながかる/まじき/にて/は など さしも/こころ/に/しみ/て あはれ/と/おぼエ/たまひ/けむ なほ/くはしく/かたれ いま/は なにごと/を/かくす/べき/ぞ なぬか/なぬか/に/ほとけ/かか/せ/て/も たが/ため/と/か こころ/の/うち/に/も/おもは/ と/のたまへ/ば

「どちらも不本意な意地の張合いだったのだな。わたしはそんな風にいい加減な気持ちから距離をおくつもりもなかったのだ。ただ、このように誰からも許されない忍び歩きには、まだ馴れぬことで。帝からお小言をたまわるのをはじめとして、つつしむ事柄の多い身だから、気安く人に戯れごとを言うのも気がねのいる、世間の取り沙汰が面倒な身の上であるのを、ふとしたことがきっかけとなったあの夕べから、なぜだかひどく心にかかり、無理を押してお会い申し上げたのも、こうなる運命がおありであったのだろうと、思うも不憫でならず、またかえってわたしには、身にしみてつらく思われるのだ。こう長く続かぬ運命であるなら、どうしてあんなにも心にしみて恋しく思われになさったのだろう。それにつけても、くわしく話をせよ。いまは何を隠すことがあろう。七日七日の法要に仏を描かせ祈るにも、誰のためとだと心に念じればよいのか」とおっしゃると、

あいなかりける心比べどもかな 我は しか隔つる心もなかりき ただ かやうに人に許されぬ振る舞ひをなむ まだ慣らはぬことなる 内裏に諌めのたまはするをはじめ つつむこと多かる身にて はかなく人にたはぶれごとを言ふも 所狭う 取りなしうるさき身のありさまになむあるを はかなかりし夕べより あやしう心にかかりて あながちに見たてまつりしも かかるべき契りこそはものしたまひけめと思ふも あはれになむ またうち返し つらうおぼゆる かう長かるまじきにては など さしも心に染みて あはれとおぼえたまひけむ なほ詳しく語れ 今は 何ごとを隠すべきぞ 七日七日に仏描かせても 誰が為とか 心のうちにも思はむ とのたまへば

大構造と係り受け

古語探訪

あいなかりける 04144

難語。こういう意味の広い語は、これ自体に特殊な意味があるというより、文脈の依存度が強いのである。したがって、「あいなし」の方向性、結果と意図が食い違うという原義を文脈にあわせて加工してゆくという作業になる。文脈を追うと、自分には隔てをおくつもりはなかった。なれないためであり、周りが許さぬ窮屈な身の上なのだ、となる。光の言いたいことは、名乗らなかったのは、自分がそうしたくなかったのではなく、わたしのいる環境のせいだとなる。夕顔にその意図がなかったように、自分も隠そうとおもって隠していたのではない、との意味。その点にスポットを当てて訳すと、不本意なとなる。「あいなし」の原義だけなら、益のない、無意味なくらいの意味でもよいが、文脈を検討すれば、わたしのせいでなく、まわりのせいでという意味あいが表に出る訳語として、不本意なの訳が浮上する。前回の解説でここを無意味なと訳したことを訂正します。

心比べ 04144

意地の張合い。

しか隔つる心 04144

「しか」は右近の言葉に出た「なほざりにこそ紛らはしたまふらめ(いい加減な気持ちでごまかせれるのだろう)」を受ける。「心」は本心、そういう意図。

まだ慣らはぬこと 04144

まだ習熟していないこと。まだ行った回数が少なく馴れているわけではないこと。夕顔に対して軽い気持ちで求愛したのではないという言い訳。

はかなく人にたはぶれごとを言ふも所狭う 04144

ここも、夕顔に対して軽い気持ちで求愛したのではないという言い訳。そんな浮ついた恋愛に馴れてないし、わまりがそういうことを許さぬ立場なのだと、いろいろ言って、本気で愛していたのだということを証しを立てようとしているのであり、自分の身の上の窮屈さを話しているわけではない。光が右近に伝えようとしているこの意図を汲めば、「はかなく人に戯れ言を言ふもところせう」の訳も方向性がきまる。「はかなく」は難語だが、あとの「はかなかりし夕より」の意味を思い合わせると、ちょっとした気持ちで、気楽にの意味となる。「戯れ言」は冗談というより、具体的には、女への口説き、モーションをかけること。「ところせう」は窮屈。繰り返しになるが整理すると、本気でない恋愛だったように右近の目にはうつるかもしれないが、そういうことの許されない身分なのだとい言いたいのだ。

取りなし 04144

取り沙汰、うわさ。

はかなかりし夕 04144

何気ないことから歌のやりとりをして、本気の恋に至った、そのきっかけ。結果としての恋愛は本気であったが、きっかけは軽い「はかな」いものであった。

あながちに見たてまつりし 04144

取り沙汰のうるさい環境にもかかわらず無理を押して。

かかるべき契り 04144

後に「たまひ」と尊敬語があることから、主体は夕顔であり、短かかった出会いや早い別れを指すのではなく(主体は光と夕顔になる)、夕顔の短命をいう。

うち返し 04144

いとしい一方でつらいと解し、逆にの意味に諸注はとるが、「あはれ」はいとしい、かわいそう、恋しいなど多様な意味を含んでいるのであり、つらいと対立する語とは言えない。ここでの反転は「あはれ」に対する「つらし」ではなく、夕顔に対しては「あはれ」に思うが、自分にとっては「つらい」という、夕顔に向うベクトルをひるがえして自分に向けるとの意味である。

おぼえたまひけむ 04144

「おぼえ」の主体は夕顔、夕顔が光に思われるという受身の主体。「たまひ」は動作思うの主語である光を尊敬するのではなく、思われるという受身の主語である夕顔を尊敬する。

仏描かせ 04144

十三仏である、不動・釈迦・文殊・普賢・地蔵・薬師・観音・勢至・阿弥陀・阿?(あしゅく)・大日・虚空蔵(こくうぞう)のうち、薬師仏までを、七日ごとに描いて死者の供養とした。観音以後の仏を描くのは、百か日・一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・三十三回忌に行われた。

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