いとあはれなるおの 夕顔05章02

2021-04-22

原文 読み 意味

いとあはれなるおのがじしの営みに起き出でて そそめき騒ぐもほどなきを 女いと恥づかしく思ひたり

04055/難易度:☆☆☆

いと/あはれ/なる/おのがじし/の/いとなみ/に/おき/いで/て そそめき/さわぐ/も/ほど/なき/を をむな/いと/はづかしく/おもひ/たり

それぞれがひどくあわれななりわいのために起き出し立ち働くことに対しても、間近であることが女にはとても恥ずかしく思われる。

いとあはれなるおのがじしの営みに起き出でて そそめき騒ぐもほどなきを 女いと恥づかしく思ひたり

大構造と係り受け

古語探訪

そそめき騒ぐも 04055

「も」は、諸注は係り助詞「立ち働くのも」と考えるが、これは逆接の意味をもつ接続助詞「立ち働くけれども」である。語り手にとって、実入りも少ないのに朝早くからなりわいのために立ち働くのは、あわれなことであるが、夕顔はそんなことは理解できずに、ただ近くで騒がしい音がすることに対して恥ずかしく感じているのである。係り助詞では、あわれななりわいで立ち働くことに対しても、夕顔が恥ずかしく思うことになり、それでは、「いかなることとも聞き知りたるさまならねば」と矛盾する。夕顔は恥ずかしがったのであるが、隣の騒音の意味を理解しながら、顔を赤らめたのではなく、意味はわからないが、間近で聞こえたことに対して顔を赤らめたのである。あはれを催すべき境遇に対して恥ずかしく思うことは、罪なことであるが、子供のように世間のことを理解しないのだから、罪が軽いということ。ここで、罪ゆるされてなどという表現は、いくら平安時代が仏教を重んじていても、現代人の感覚としては、一見文脈上必要を感じないが、語り手はひそかに夕顔の死を準備しているのである。死が眼前に控えている人に対してであれば、罪がゆるされる云々も、自然であろう。臼の音の比ゆに鳴神をもってくるのも、小説としての道具立ての一つ。もののけの出る雰囲気が次第にもりあがってゆく。こういう細かな配慮がないと、この部分は、騒々しい朝というだけで読み物としては中だるみになってしまう。

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