あやしう短かかりけ 夕顔11章05

2021-04-25

原文 読み 意味

あやしう短かかりける御契りにひかされて 我も世にえあるまじきなめり 年ごろの頼み失ひて 心細く思ふらむ慰めにも もしながらへば よろづに育まむとこそ思ひしか ほどなく またたち添ひぬべきが 口惜しくもあるべきかな と 忍びやかにのたまひて 弱げに泣きたまへば 言ふかひなきことをばおきて いみじく惜し と思ひきこゆ

04135/難易度:☆☆☆

あやしう/みじかかり/ける/おほむ-ちぎり/に/ひかされ/て われ/も/よ/に/え/ある/まじき/な/めり としごろ/の/たのみ/うしなひ/て こころぼそく/おもふ/らむ/なぐさめ/に/も もし/ながらへ/ば よろづ/に/はぐくま/む/と/こそ/おもひ/しか ほど/なく/また/たち/そひ/ぬ/べき/が くちをしく/も/ある/べき/かな と しのびやか/に/のたまひ/て よわげ/に/なき/たまへ/ば いふかひなき/こと/をば/おき/て いみじく/をし/と/おもひ/きこゆ

「不思議にも短命に終わった宿縁に引かれるように、わたしもこの世にいられそうにない気がする。長年頼みにしてきた人を失って、心細い思いだろう。慰めとなるためにも、もし生き長らえたなら万事世話しようと思っていたけれど、間もなくわたしも、後を追ってゆくことになるのが、残念でもあるさだめだな」とひっそりとおっしゃって、気弱くお泣きになると、今さら何を言っても帰らぬ人のことはともかくも、亡き人のためにこんなにお弱りになっては実にもったいないことであると思い申し上げる。

あやしう短かかりける御契りにひかされて 我も世にえあるまじきなめり 年ごろの頼み失ひて 心細く思ふらむ慰めにも もしながらへば よろづに育まむとこそ思ひしか ほどなく またたち添ひぬべきが 口惜しくもあるべきかな と 忍びやかにのたまひて 弱げに泣きたまへば 言ふかひなきことをばおきて いみじく惜し と思ひきこゆ

大構造と係り受け

古語探訪

年ごろの頼み 04135

右近にとっての夕顔。

思ふらむ 04135

主人を失い右近が寂しいし思いをしているだろうと、光が推量している。

慰め 04135

光が右近を慰める。

ながらへば 04135

単に長生きすることではなく、今かかっている病いから生き長らえること。光は死病にかかっているという意識でいる。

こそ+已然形 04135

その後の部分と逆接の関係になる。思っていたが…。

たち添ひぬべきが口惜しくもあるべきかな 04135

「たち添ひ」は、夕顔の後を追って亡くなること。二つの「べき」は運命を表す。推量ではない。

言ふかひなきことをばおきて 04135

「言ふかひなきこと」は言ってもはじまらない夕顔の死。「おきて」は留保する、しばらくおいておくの意味。さておきと訳す注が多いが、現代語の「さておき」は、棚上げしたままほっておく、無視する、話題をそこから別のものに転じる意味である。夕顔の死が悲しくないのではない、光の容態を考えると、相対的に後回しされてしまうのである。今はしばらくおいておいて、それより何より光のことが「いみじく惜し」と思われるのだ。さて、その「いみじく惜し」の中身だが、光に万一のことがあってはと考えられているが、これはおかしい。死んでしまえば、夕顔であろうと光であろうと、「言ふかひなきこと」である。ここは、死は悲しんでも帰らないという前提があり、なのに光は夕顔の死を悲しみ、自分も死にそうな状態になっている、それが「いみじく惜し」の中身である。万一のことを想定して惜しがっているのではなく、今の光の容態が夕顔の死を悲しむことから来ていることを惜しがっているのである。

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