九月二十日のほどに 夕顔12章01

2021-04-25

原文 読み 意味

九月二十日のほどにぞ おこたり果てたまひて いといたく面痩せたまへれど なかなか いみじくなまめかしくて ながめがちに ねをのみ泣きたまふ 見たてまつりとがむる人もありて 御物の怪なめり など言ふもあり

04141/難易度:☆☆☆

くぐわち/はつか/の/ほど/に/ぞ おこたり/はて/たまひ/て いと/いたく/おもやせ/たまへ/れ/ど なかなか いみじく/なまめかしく/て ながめがち/に ね/を/のみ/なき/たまふ み/たてまつり/とがむる/ひと/も/あり/て おほむ-もののけ/な/めり/など/いふ/も/あり

九月二十日頃にすっかりご容態がよくなられて、なんともひどく面やつれなさっているけれど、かえって不吉なくらいな婉美さが備わり、ややもすればもの思いにふけっては、声を立てて泣いてばかりいらっしゃる。そのご様子を拝見しどうしたことだと問題にする人もあり、どうも物の怪のしわざみたいだという者もいる。

九月二十日のほどにぞ おこたり果てたまひて いといたく面痩せたまへれど なかなか いみじくなまめかしくて ながめがちに ねをのみ泣きたまふ 見たてまつりとがむる人もありて 御物の怪なめり など言ふもあり

大構造と係り受け

古語探訪

おこたり果てたまひはて 04141

「おこたり果て」病気が全快する。「たまひて」の「て」は順接で、挿入部である「いといたく……なまめかしくて」を飛び越え、「ながめがちに音をのみ泣きたまふ」にかかる。なぜその部分が挿入であるかと言うと、病気が全快した結果、面やつれしたのではないので、「おこたりはてたまひ」と「いといたく面痩せ……」の部分を「て」でつなぐことができないから、ここの部分を飛ばして後ろにかかると判断するわけである。さて、この「て」の用法だが、これは単に時間の前後関係をあらわすだけでなく、これまで泣きつづける力もなかったのが、体がしっかりすることで、泣いてばかりいられるまでに体力が回復したことをも示すのだろう。ニュアンスとしては原因理由を示す「て」ではないかと思う。難しい「て」である。

なかなかいみじくなまめかしくて 04141

これも難しい。「なかなか」はかえってなのかむしろなのか、「いみじく」はひどくなのか不吉なほどなのか、それぞれ説がわかれる。見咎めたり、物の怪のせいだと判断する人がいるのだから、単にとても優美では文脈に合わないという『注釈』の説は見逃せない。「いみじ」は、これまで繰り返したように、死や恐怖などと密接にかかわりをもつ言葉である。問題は「なかなか」である。『注釈』は、かえってと訳す語には「かへりて」があるゆえ、「なかなか」はかえってとは訳さず、むしろが精確だと説くが、その論法には問題がある。言葉の変化により訳語が決まるのではなく、あくまでその古語のもつ意味が現代語では何にあたるかにより訳語は決定されるはずである。出自が違っても、その文脈に適していれば、そちらを採用すべきなのだ。したがって問題は出自ではなく、文脈にある。「なかなか」はつなぎの言葉だから、それ自体に意味があるというより、何と何をつないでいるのかに着目すべきである。原文を読むと「面痩せたまへれど(なかなか)いみじくなまめかしくて」とある。そもそも、「面痩せ」と「なまめかし(優美)」は「ど」があらわすような逆接関係なのだろうか、納得がいかない。それを探るには、源氏にあらわれる「なまめかし」の用例を逐一拾う必要がある。幸いにして両語の出る文脈が他にある。「ほどなき御身に さる恐ろしきことをしたまへれば すこし面痩せ細りて いみじくなまめかしき御さましたまへり(まだ十三歳という年齢で、出産というそんな恐ろしい経験をなさったのだから。すこし面やつれし体もほっそりとして、不気味なほど優美なご様子でいらっしゃる。)」(『若菜上』の帖)。ここからすると、「面痩せ」と「なまめかし」は逆接ではなく、意味的に感じられるとおり、順接の関係にある。ではなぜもとの原文は逆接にしているのか。それは少しの面やつれは優美さにつながるが、面やつれがひどすぎると、優美さにはつながりにくいという意識があるからに違いない。そのつながりにくさが「ど」に現れているのだ。しかし、それでも光は様子は「いみじくなまめかし」く感じられる。そこで「なかなか」が入っている。現代語ではつなげるなら、むしろではなく(むしろでは、最初からつながりにくさはなく、ひどく面やつれしているためにむしろ、となるだろう)、かえってに軍配をあげたい。ひどく面やつれをなさっているが、にもかかわらずかえって、不吉とも感じられるくらいに艶美であり。

ねのみ泣き 04141

常套句。平安時代には男でも声を出して泣いた。

見たてまつりとがむる 04141

「見咎むる」の謙譲語。「見咎むる」は非難するの意味もあるが、泣いてばかりいる源氏を心配し、そんなことではよくない、しっかりしてほしいなど、ほっておくことができずに、問題にしたの意味である。現代語の見咎めるにもその用法はある。

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