小君かしこに行きた 空蝉05章03

2021-03-31

原文 読み 意味

小君 かしこに行きたれば 姉君待ちつけて いみじくのたまふ あさましかりしに とかう紛らはしても 人の思ひけむことさりどころなきに いとなむわりなき いとかう心幼きを かつはいかに思ほすらむとて 恥づかしめたまふ 左右に苦しう思へど かの御手習取り出でたり さすがに 取りて見たまふ かのもぬけを いかに 伊勢をの海人のしほなれてや など思ふもただならず いとよろづに乱れて 西の君も もの恥づかしき心地してわたりたまひにけり また知る人もなきことなれば 人知れずうちながめてゐたり 小君の渡り歩くにつけても 胸のみ塞がれど 御消息もなし あさましと思ひ得る方もなくて されたる心に ものあはれなるべし つれなき人も さこそしづむれ いとあさはかにもあらぬ御気色を ありしながらのわが身ならばと 取り返すものならねど 忍びがたければ この御畳紙の片つ方に
 空蝉の羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな

03023/難易度:★★★

こぎみ かしこ/に/いき/たれ/ば あね-ぎみ/まちつけ/て いみじく/のたまふ あさましかり/し/に とかう/まぎらはし/て/も ひと/の/おもひ/けむ/こと/さりどころ/なき/に いと/なむ/わりなき いと/かう/こころをさなき/を かつ/は/いかに/おもほす/らむ とて はづかしめ/たまふ ひだり/みぎ/に/くるしう/おもへ/ど かの/おほむ-てならひ/とりいで/たり さすが/に とり/て/み/たまふ かの/もぬけ/を いかに いせを/の/あま/の/しほ/なれ/て/や など/おもふ/も/ただ/なら/ず いと/よろづ/に/みだれ/て にし-の-きみ/も もの-はづかしき/ここち/し/て/わたり/たまひ/に/けり また/しる/ひと/も/なき/こと/なれ/ば ひと/しれ/ず/うち-ながめ/て/ゐ/たり こぎみ/の/わたり/ありく/に/つけ/て/も むね/のみ/ふたがれ/ど おほむ-せうそこ/も/なし あさまし/と/おもひ/うる/かた/も/なく/て され/たる/こころ/に もの/あはれ/なる/べし  つれなき/ひと/も さ/こそ/しづむれ いと/あさはか/に/も/あら/ぬ/みけしき/を ありし/ながら/の/わが/み/なら/ば/と とりかへす/もの/なら/ね/ど しのび/がたけれ/ば この/おほむ-たたうがみ/の/かたつかた/に うつせみ/の/は/に/おく/つゆ/の/こがくれ/て/しのび/しのび/に/ぬるる/そで/かな

小君があちらに行ってみると、姉君が待ちかまえて、ひどいことをするとおっしゃる。「あまりにひどいと思いながらも、表立たぬようどうにか誤魔化しはしたものの、女房たちが想像したであろう内容は避ける余地がなくて、なんとも困ったことだ。それにしても、まったくこうも心やりの未熟さを、どう思っておいでなのだろうか」と、相手にいたたまれない思いをおさせになる。双方に対してつらいと思ったが、例の御手習いをとり出した。避けてはいるもののさすがに、手紙を手にとってご覧になる。あのもぬけの殻みたいに残しておいた薄衣をどうお感じだろう。伊勢の海人のように臭いが染みいていようか、などと想像するさえ平然としておられず、心は千々に乱れて、西の対の君にしても、ひどく恥ずかしい気がして、お過ごしでした。ほかに知る者もない一夜であったので、人知れずぼんやりとしていらっしゃる。小君がやって来たにつけても、胸がふさがるばかりだが、君からのお便りはない。一夜のあそびだったとはひど過ぎると思う分別もなく、男馴れした心には、ひどく情念がたぎるであろう。すげない人もそのように心を抑えてはいるが、まったく浮ついたものではないご愛情に対して、昔ながらの身であればと、とり返せるものではないけれど、このままでは忍びがたく思われて、君の御懐紙の端の方に、
 空蝉の羽におかれた露のように木陰に隠れ、人目をしのんで、涙に濡れる袖かな。

小君 かしこに行きたれば 姉君待ちつけて いみじくのたまふ 「あさましかりしに とかう紛らはしても 人の思ひけむことさりどころなきに いとなむわりなき いとかう心幼きを かつはいかに思ほすらむ」とて 恥づかしめたまふ 左右に苦しう思へど かの御手習取り出でたり さすがに 取りて見たまふ 〈かのもぬけを いかに 伊勢をの海人のしほなれてや〉など思ふもただならず いとよろづに乱れて @ 西の君も もの恥づかしき心地してわたりたまひにけり また知る人もなきことなれば 人知れずうちながめてゐたり 小君の渡り歩くにつけても 胸のみ塞がれど 御消息もなし あさましと思ひ得る方もなくて されたる心に ものあはれなるべし @ /つれなき人も さこそしづむれ/ いとあさはかにもあらぬ御気色を 〈ありしながらのわが身ならば〉と 取り返すものならねど 忍びがたければ この御畳紙の片つ方に
 空蝉の羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな

この箇所のヤマは、空蝉が光源氏の歌を読み、それに返歌を書いたことである。文章を複雑にしているのは、西の君(軒端荻)の状況がその間に入り込んでいる点である。

大構造と係り受け

  • いとよろづに乱れて→忍びがたし+ば
  • 西の君も もの恥づかしき心地してわたりたまひにけり また知る人もなきことなれば 人知れずうちながめてゐたり 小君の渡り歩くにつけても 胸のみ塞がれど 御消息もなし あさましと思ひ得る方もなくて されたる心に ものあはれなるべし:分岐
  • 西の君も→わたりたまひにけり
  • つれなき人も さこそしづむれ:挿入

古語探訪

かしこ 03023

紀伊邸。

いみじくのたまふ 03023

「いみじ」は連用形なので、程度の甚だしさと考えてしまうが、甚だしく言うでは意味をなさないので、「のたまふ」の内容が「いみじ」であると考えるよりない。直接話法ならば「いみじとのたまふ」と書くところ。後出の「左右に苦しく思へど」の「苦しく」も「思ふ」の内容である。このように連用形が動作内容となる場合がある。

あさましかりしにとかう紛らはしても人の思ひけむことさりどころなきに 03023

なかなか難解である。ポイントは三つ。「あさましかりしに」の「に」は順接(~なので)か逆接(けれども)か。「紛らはし」は光の手を逃れたことをいうのか、ことが発覚しないようつくろったことをさすのか。「人の思ひけむこと」の内容は何か。不明な個所がふたつ以上ある場合は、確定できるものから順におさえてゆくのが常套手段。この場合、「紛らはし」は「ても」がつくことで、「避りどころなき」と対比関係にあることが知れる。従って、「紛らはし」は光の気を軒端荻の方にそらせることで、うまく切りぬけたことを指すのではなく、なんとかことが発覚しないように取り繕ったことを意味する。続いて「に」の用法であるが、「に」が順接であれば、「避りどころなき」にかかるしかない。あさましい出来事であったので人の想像を避けられないでは、原因と結果に齟齬がある。ひどいことだとショックを受けたのになんとか誤魔化したと考える方が自然である。「に」は逆接。女房たちが想像した内容について。軒端荻を身代わりに立てることで、誤魔化しおおせたと空蝉が想像しうるのは、恋仲は軒端荻と光との間であって、自分とは不倫関係にないということ。しかし、状況から考え、光が忍びこんだ先は空蝉であって、軒端荻でないことは知れる。すなわち、女房たちの想像は、二人はできていて、空蝉が光を呼び入れたのだという内容である。

かつは 03023

二つの矛盾した事柄が同時に並存すること。「いとなむわりなき」と思う一方で、別の思いがある。

左右 03023

光に対しても空蝉に対しても。

かのもぬけをいかに 03023

光がどう思うかとの想像。「伊勢をの海人のしほたれて」は「鈴鹿山伊勢をの海人の捨て衣しほなれたりと人や見るらむ(鈴鹿山の伊勢の海人が脱ぎ捨てた衣は、着なれて臭いがついていると人が思うであろうか)」(後撰・恋三)を下に敷く。

ただならず 03023

「乱れて」にかかる。

乱れて 03023

やはりストップモーション(前回説明)であり、次の軒端荻に対する挿話をはさんで、空蝉の物語に戻る。

西の君も 03023

空蝉の心理である「いとよろづに乱れて」に触発され、西の君のことが語り手の意識にのぼり、その対の表現として「もの恥づかしき心地して」が導入されて、契りを結びながら手紙の来ない軒端荻がどのように過ごしているかの挿話が入る。この挿話は、語り手の感想である「ものあはれなるべし」(ひどく恋しく思うだろう)で終結する。と、同時に「西の君も」の「も」は「つれなき人も」の「も」に持ち越され、「さこそ」(軒端荻のように)で二人は呼応し合いながら、「忍びがたければ」にかかってゆく。手紙が来る来ないの違いがありながらも、語り手の心理の中で、ふたりは分かちがたく結びついているのだ。ただ、空蝉はネクラなため苦しみが持続し、軒端荻はより状況は悪いがネアカなだけに苦しみが持続しないのだろう。短い語りの中でも見事に対比されているのだ。

わたりたまひにけり 03023

既存の注釈は、空蝉と軒端荻がともにいて、軒端荻はいたたまれなくなって自室にもどったと解釈されているが。「西の君も」の「も」が「わたりたまひにけり」に係る以上、空蝉と同様に軒端荻も「わたりたまひにけり」と読む以外の読み方はない。この「わたる」は時を過ごすの意味である。「けり」は光源氏と契りを結んでから今まで継続してきた状況、「ゐたり」は現在の状況である。小君は決して、軒端荻の前で光源氏の手紙を空蝉に渡したわけではない。軒端荻は最初から自室に籠もり、ひとりで手紙が来ない状況に耐えているのである。この箇所にのみ軒端荻に敬語が使われていることが不審とされることがある。空蝉は本来、語り手と同程度の社会的地位なので、敬語の対象とはならないが、光源氏と契ることで敬語の対象にランクアップした。ここでは軒端荻に「も」がつき、空蝉と同様にという意識が、語り手をして敬語に向かわせたのだろう。軒端荻への敬語はここのみという。

胸のみ塞がれ 03023

先に小君に手紙をたくすようなことを光が行ったからである。

あさまし 03023

そのように判断したのは、 光が本気でないと見ぬいたからである。

されたる心 03023

世慣れた心。

ものあはれ 03023

とても恋しい。

つれなき人もさこそしづむれ 03023

「さこそしづむれ」は「忍びがたけれ」にかかる(こそ+已然形が後のフレーズと逆接でつながる)。「あらぬ気色を」は「忍びがたけれ」にかかる(動詞の補語)。「ありしながらの……ならねど」は挿入句。「つれなき」の意味は素っ気無い。冷淡。

しづむ 03023

感情を静めた状態。

あさはか 03023

浮気。

畳紙 03023

懐紙。光が手習いとして書いた和歌の紙。

片つ方 03023

端の方。

空蝉の羽に置く露の木隠れて忍び忍びに濡るる袖かな 03023

「の」の繰り返しと、「木がくれて」内の「K」音のひびきが美しい歌である。「空蝉」も「露」もはかなさの象徴。この歌がなければ、妻の身で好きな人がいても身をひいてしまうという、ひどく現実的な小説世界の話になってしまうが、この和歌があるおかげで、一帖全体が、象徴詩風の味わいとして残る。

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