かの伊予の家の小君 夕顔13章01
原文 読み 意味
かの 伊予の家の小君 参る折あれど ことにありしやうなる言伝てもしたまはねば 憂しと思し果てにけるを いとほしと思ふに かくわづらひたまふを聞きて さすがにうち嘆きけり
04159/難易度:☆☆☆
かの いよ/の/いへ/の/こぎみ まゐる/をり/あれ/ど こと/に/ありし/やう/なる/ことづて/も/し/たまは/ね/ば うし/と/おぼし/はて/に/ける/を いとほし/と/おもふ/に かく/わづらひ/たまふ/を/きき/て さすが/に/うち-なげき/けり
あの伊予介の家の小君が参るときがあるが、特に以前のような逢いたいとの言伝もないので、つれない女だとあきらめてしまわれたことへ申し訳なく思っているところ、そんなにまでひどいご病気だと聞いて、さすがに嘆き悲しむのだった。
かの 伊予の家の小君 参る折あれど ことにありしやうなる言伝てもしたまはねば 憂しと思し果てにけるを いとほしと思ふに かくわづらひたまふを聞きて さすがにうち嘆きけり
大構造と係り受け
古語探訪
伊予 04159
伊予介。『帚木』『空蝉』の帖で登場。
小君 04159
空蝉の弟。
ありしやうなる言伝て 04159
姉である空蝉になんとかして逢いたいという言付け。
憂しと思し果てにける 04159
敬語「思す」とあるので、主体は光。
いとほしと思ふ 04159
主体は空蝉。「いとほし」は、 相手に悪いことをして申し訳ないと思う気持ち。空蝉は、自分が光をはねつけたことを申し訳なく思っているのである。
かくわづらひたまふ 04159
かく」は、ここまで述べてきたようにの意味。この「かく」は空蝉の言葉ではなく、語り手が「このように(ご病気になられた)」とつけたのである。前の「さすがに」は、これまで冷たくはねつけてきたものの、それでも光が死にそうなくらいの重病だと知って、さすがに泣いたのである。後の「さすがに」は、冷たい態度をとってきたが、遠い伊予の国に行けば二度と逢えないと思うと、さすがに心細くなったのである。せめて忘れられたわけではないという確認をしてから伊予へゆきたいという女心。