いさよふ月にゆくり 夕顔06章01

2021-04-22

原文 読み 意味

いさよふ月に ゆくりなくあくがれむことを 女は思ひやすらひ とかくのたまふほど にはかに雲隠れて 明け行く空いとをかし はしたなきほどにならぬ先にと 例の急ぎ出でたまひて 軽らかにうち乗せたまへれば 右近ぞ乗りぬる

04063/難易度:☆☆☆

いさよふ/つき/に ゆくりなく/あくがれ/む/こと/を をむな/は/おもひ/やすらひ とかく/のたまふ/ほど にはか/に/くもがくれ/て あけゆく/そら/いと/をかし はしたなき/ほど/に/なら/ぬ/さき/に/と れい/の/いそぎ/いで/たまひ/て かろらか/に/うち-のせ/たまへ/れ/ば うこん/ぞ/のり/ぬる

進みあぐねる月に似て、思いにまかせてふらふらさまよい出すことを女はためらひ、君があれこれと説き伏せになられるうちに、にわかに月は雲にかくれ、明けゆく空はまことに趣き深い。人目について見苦しい思いをする前にと、いつものように急いでお出になる段に、女を軽やかに車にお乗せになったので、右近が介添えに乗った。

いさよふ月に ゆくりなくあくがれむことを 女は思ひやすらひ とかくのたまふほど にはかに雲隠れて 明け行く空いとをかし はしたなきほどにならぬ先にと 例の急ぎ出でたまひて 軽らかにうち乗せたまへれば 右近ぞ乗りぬる

大構造と係り受け

古語探訪

いさよふ月に 04063

諸注は「月に誘われて」と解して、「あくがれん」にかけるが、ためらう月に誘われてあこがれるでは、何のことだかわからない。月はためらひのシンボルとして「思ひやすらひ」に響くのだから、「いさよふ月に」は「思ひやすらひ」にかかるのである。この点、『新全集』の頭注は当を得ているが、訳者と注釈者が異なるゆえ、訳文にはその注が反映されていない。このためらう月と、「にわかに雲がくれ」するという実景が、後の夕顔の「山の端の心もしらでゆく月はうはのそらにて影や絶えなむ」の歌に収斂されるのである。「ゆくりなし」はとうとつ。「あくがれ」は何かにひかれるようにじっとしていられないこと。あくがれの対象は月でなく、この場から救いだしてくれるもの、すなわち、光である。繰り返すが、ここで月はためらうものとして出ているのであり、月にあくがれるのではない。なお、『新全集』の頭注には、「当時西に沈む月に、浄土=死が連想された、女のためらいは、死の予感のためと感じさせる」とある。

はしたなきほどにならぬ先に 04063

人目に立っていやな思いをする前にということ。「簾さへ上げためへれば」の「さへ」には、簾を上げる場合でないのにという意識が働いている。なぜ、簾を上げる場合でないかというと、「はしたなきほどにならぬさきに」という意識、すなわち人目に立たぬよう行動しているはずなのにとの思いが話者にあるからである。

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