君は御直衣姿にて御 夕顔04章04
原文 読み 意味
君は 御直衣姿にて 御随身どももありし なにがし くれがし と数へしは 頭中将の随身 その小舎人童をなむ しるしに言ひはべりし など聞こゆれば たしかにその車をぞ見まし とのたまひて もし かのあはれに忘れざりし人にや と 思ほしよるも いと知らまほしげなる御気色を見て 私の懸想もいとよくしおきて 案内も残るところなく見たまへおきながら ただ 我れどちと知らせて 物など言ふ若きおもとのはべるを そらおぼれしてなむ 隠れまかり歩く いとよく隠したりと思ひて 小さき子どもなどのはべるが言誤りしつべきも 言ひ紛らはして また人なきさまを強ひてつくりはべる など 語りて笑ふ
04043/難易度:☆☆☆
きみ/は おほむ-なほし/すがた/にて みずいじん-ども/も/あり/し なにがし くれがし と/かずへ/し/は とう-の-ちうじやう/の/ずいじん その/こどねり-わらは/を/なむ しるし/に/いひ/はべり/し など/きこゆれ/ば たしか/に/その/くるま/を/ぞ/み/まし と/のたまひ/て もし かの/あはれ/に/わすれ/ざり/し/ひと/に/や/と おもほし/よる/も いと/しら/まほしげ/なる/みけしき/を/み/て わたくし/の/けさう/も/いと/よく/し/おき/て あない/も/のこる/ところ/なく/み/たまへ/おき/ながら ただ われ-どち/と/しらせ/て もの/など/いふ/わかき/おもと/の/はべる/を そらおぼれ/し/て/なむ かくれ/まかり/ありく いと/よく/かくし/たり/と/おもひ/て ちひさき/こども/など/の/はべる/が/ことあやまり/し/つ/べき/も いひまぎらはし/て また/ひと/なき/さま/を しひて/つくり/はべる など かたり/て/わらふ
「中将の君は御直衣姿で、御随人たちもいました。あれは誰、これは誰と数え立てたのは、頭中将の随人やその小舎人童を証拠に名を口にしたのです」などと申し上げると、
「わたしもその車を見ておきたかったな」とおっしゃって、もしやいつかの恋しくて忘れずにいた人ではないかと思い寄りになるものの、惟光はたいそう好奇心を欠きたてられたご様子を見て取り、「わたくしごとの懸想の方でも首尾よく話をつけ、すでに家の内情まですっかり調べあげてあるものの、相手の女はただの女房仲間だと言って、何でも気安く口のきける若い女房がござったのですが、主人と知りつつもそらとぼけたままこっそり通っています。むこうはうまく隠している気で、小さい子どもなどがござって、へたなことをうっかりききそうになりますものを、うまく言いまぎらせて、これまた主人などいない風を、無理にこさえておるのでございます」などと語って笑う。
君は 御直衣姿にて 御随身どももありし なにがし くれがし と数へしは 頭中将の随身 その小舎人童をなむ しるしに言ひはべりし など聞こゆれば たしかにその車をぞ見まし とのたまひて もし かのあはれに忘れざりし人にや と 思ほしよるも いと知らまほしげなる御気色を見て 私の懸想もいとよくしおきて 案内も残るところなく見たまへおきながら ただ 我れどちと知らせて 物など言ふ若きおもとのはべるを そらおぼれしてなむ 隠れまかり歩く いとよく隠したりと思ひて 小さき子どもなどのはべるが言誤りしつべきも 言ひ紛らはして また人なきさまを強ひてつくりはべる など 語りて笑ふ
大構造と係り受け
古語探訪
君 04043
頭中将。
しるし 04043
証拠。
かのあはれに忘れざりし人 04043
雨夜の品定めで頭中将が告白した常夏の女のこと。
私の懸想も 04043
主君である光の懸想のみならずわたくしごとである自分の懸想もとの解釈があるが正しくない。「主人の懸想もいとよくしおきて」とつづけることはできないからだ。ここは、主人に仕える身としての公的な働きもちゃんとしましたが(「惟光が預りのかいま見はいとよく案内見取り」)、プライベートである懸想の方でもちゃんとやっての意味。
ただ我どちと知らせて物など言ふ若きおもとのはべる 04043
先ずは代表的な訳文を見てみよう。「この私(惟光)対してはさも仲間の女房のように見せかけて、わざとそうした口のきき方をしている若い女房がおりますが」とある。「見せかけて」いる主語が誰かわからないが、その点は現代語のまずさに起因しようから、その点は触れない(もっとも、若い女房がそう見せかけていると考えるのでは、古文の力も危ぶまれる)。惟光が通う相手の女房が、あの人はあたしたちの同僚よと言い聞かせるのが前半。問題は後半で、上のような訳が成り立つためには、「ただ我どちと」が「知らせて」と「ものなど言ふ」の両方にかからないといけない。しかし、「ただ我どちと知らせて」の「と」は知らせる内容をさすが、「ただ我どちとものなど言ふ」の「と」は言うの内容ではなく、どのような言い方をするかを意味する。つまり、「と」の働きを変えてしまう。直感的には成り立ちそうでも、そうした読み方は間違いである。「ものなど言ふ」の主語は、「知らせて」と同じく惟光の通う女房以外になく、文の構造もその方が単純で自然である。「ものなど言ふ」には、相手が主君にも関わらず気安い口のきき方をするというニュアンスがこもるのだ。「言ふ」は本来「申す」でなければならない。もちろん、二人がしゃべっている場面に惟光は居合わせない。こっそり隠れて、会話を聞いているのだ。それが後の「隠れまかり歩く」で、隠れは、家の者、特に夕顔に見つからないようにである。まかり歩くは、女のもとへ通うこと。ここで、この文の構造を述べておく。「私の懸想もいとよくしおきて」は「隠れまかり歩く」にかかる。その間は挿入句。「案内も残る所なく見たまへおきながら」は「そらおぼれして」にかかる。その間は挿入句。「ただ我どちと……おもとのはべるを」は結局挿入句の中でさらに挿入句になっている。