見返りたまひて隅の 夕顔03章06
原文 読み 意味
見返りたまひて 隅の間の高欄に しばし ひき据ゑたまへり うちとけたらぬもてなし 髪の下がりば めざましくも と見たまふ
咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎ憂き今朝の朝顔
いかがすべき とて 手をとらへたまへれば いと馴れて とく
朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて花に心を止めぬとぞ見る
と おほやけごとにぞ聞こえなす
04036/難易度:☆☆☆
みかへり/たまひ/て すみ/の/ま/の/かうらん/に しばし ひき-すゑ/たまへ/り うちとけ/たら/ぬ/もてなし かみ/の/さがりば めざましく/も と/み/たまふ
さく/はな/に/うつる/てふ/な/は/つつめ/ども/をら/で/すぎ/うき/けさ/の/あさがほ
いかが/す/べき とて て/を/とらへ/たまへ/れ/ば いと/なれ/て/とく
あさぎり/の/はれま/も/また/ぬ/けしき/に/て/はな/に/こころ/を/とめ/ぬ/と/ぞ/みる
と おほやけごと/に/ぞ/きこエ/なす
君は見返りになり、隅の間の手すりにしばし引き座らせになる。きりりと隙きのない態度や、髪の下がり端は、目もさめるばかりだとごらんになる。
《咲く花に心移りしたとの浮名はつつしむべきであるが 手折らずにはすまない今朝の美しい朝顔は》
どうしたものか」と、手をお取りになると、ひどく手馴れたもので、すぐに、
《朝霧が晴れるのも待ち遠しい様子とは 本当に美しい花である主人に心をお留めなのですね》……表の意味
《朝霧が晴れるのも待てずにお帰りとは どこぞの花に心をお留めでいらっしゃるようね》……裏の意味
と、主人に仕える身としてお答え申し上げる。
見返りたまひて 隅の間の高欄に しばし ひき据ゑたまへり うちとけたらぬもてなし 髪の下がりば めざましくも と見たまふ
咲く花に移るてふ名はつつめども折らで過ぎ憂き今朝の朝顔
いかがすべき とて 手をとらへたまへれば いと馴れて とく
朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて花に心を止めぬとぞ見る
と おほやけごとにぞ聞こえなす
大構造と係り受け
古語探訪
隅の間 04036
母屋にいる六条御息所からは見えない、寝殿の隅の部屋。
高欄 04036
手すり。
めざましくも 04036
目の醒める美しさとも、とがめるようなとも言うが、髪の下がり端が人をとがめるようだという解釈は自然ではない。おそらく、寝乱れた御息所の御髪を目にしたばかりの光の目には、整然とととのえられた若い女房の髪にはっとしたのである。
「朝霧」の歌について。「にて」「花」「ぬ」の取り方によりさまざまな訳がある。
A「あわただしく戻ってゆかれるのだから、私なんか目もくれないでしょう」(「にて」は順接、「花」は中将、「ぬ」は打消し)
B「あわただしく戻ってゆかれるにせよ、心は主人のもとにあるのでしょう」(「にて」は逆接、「花」は御息所、「ぬ」は完了)
C「あわただしく戻ってゆかれるにせよ、主人はあなたを好きなのです」(「にて」は逆接、「花」は光、「ぬ」は完了)
さて、文法として、係り結びなど破格でない限り「と」が受けるのは終止形であるからAは失格である。次に「けしきにて」を様子であるがと逆接にとるのもひどく無理がある。となれば、BCも解釈として苦しい。体は去ってゆかれるが心は御息所のもとにあるのだという解釈は、歌として面白いが、逆接が許されないのであれば認められない。となれば、歌の意味は、朝霧が晴れるのも待てない様子からすると、その花にすっかり心を奪われてしまったようですねといった意味にとるよりない。「晴れ間も待たぬ」は花を手折ろうとして焦っている様子であって、表面上は、御息所のもとから急いで戻ってゆくことを指すのではないのである。そんなに急かなくとも、お取りしましょうということで、次に侍童に朝顔を摘ませて献上するのである。ABCともに、文法的に怪しい上に、朝顔摘みにつながらない点でも、解釈として弱いであろう。
しかしながら、この解釈では不足を感じる。なぜなら、六条御息所は、多数いる源氏物語の登場人物でも、一二をあらそう歌の名手であり、その付き人である女房も、御息所に代わって見送るのだから、相応の歌読みと考えるべきであると思うからだ。この解釈では、単に光の歌を切り返しただけであり、御息所の気持ちを代弁していないのだ。これでは女房として失格である。物語の最重要テーマのひとつである夜離れについて、何の示唆もないのでは、この見送りの場面は単なる雅なだけで、物語に汲みこまれないどころか、物語を寸断することにしかならない。そうした解釈を受け入れがたい。表面的には雅がテーマであっても、その底流には御息所の恐ろしい嫉妬が渦巻いているのであり、その点が読みとれるように物語られているはずであって、それを見落とすのでは、御息所も怨霊になりがいがないであろう。結論を急ぐ。夜離れに苦しみながらも、プライドの高い御息所は、光に戻ってきてほしいなどとはけっして訴えられない。生でない形で、夜離れのつらさを光に伝えることが女房としての責務であるはずだ。となれば、裏の意味として、この「花」は、中将でも御息所でもなく、別の浮気相手を指すと考えるのが素直である。御息所が嫉妬しているなどとは言わずに、朝顔は自分などではなくて、別なお相手なのでしょうと、ちくりと刺したのである。朝の顔と朝顔の関連は、容易に夕べの顔と夕顔の関連を聞き手に思い起こさせる。中将はむろん、夕顔の存在を知らない。しかし、意図せずそれを言い当ててしまうのが、この物語の基本構造であること、再三再四繰り返した。「言―事」構造、予言構造である。一見雅なだけの後朝の場面に、一点裂け目があって、嫉妬のマグマがたぎっていることを知るのである。いくら物語りであっても、怨霊を出すにはそれだけの下地が必要なのである。「おほやけごと」は朝顔を自分にひきつけず、主人に仕える立場として読み替えたことをいう。