御馬にもはかばかし 夕顔10章20
原文 読み 意味
御馬にも はかばかしく乗りたまふまじき御さまなれば また 惟光添ひ助けておはしまさするに 堤のほどにて 御馬よりすべり下りて いみじく御心地惑ひければ かかる道の空にて はふれぬべきにやあらむ さらに え行き着くまじき心地なむする とのたまふに 惟光 心地惑ひて 我がはかばかしくは さのたまふとも かかる道に率て出でたてまつるべきかは と思ふに いと心あわたたしければ 川の水に手を洗ひて 清水の観音を念じたてまつりても すべなく思ひ惑ふ
04128/難易度:☆☆☆
おほむ-むま/に/も はかばかしく/のり/たまふ/まじき/おほむ-さま/なれ/ば また これみつ/そひ/たすけ/て/おはしまさ/する/に つつみ/の/ほど/にて おほむ-むま/より/すべり/おり/て いみじく/みここち/まどひ/けれ/ば かかる/みち/の/そら/にて はふれ/ぬ/べき/に/や/あら/む さらに え/いき/つく/まじき/ここち/なむ/する と/のたまふ/に これみつ/ここち/まどひ/て わが/はかばかしく/は さ/のたまふ/とも かかる/みち/に/ゐ/て/いで/たてまつる/べき/かは と/おもふ/に いと/こころ/あわたたしけれ/ば かは/の/みづ/に/て/を/あらひ/て きよみづ-の-/くわのん/を/ねんじ/たてまつり/て/も すべなく/おもひ/まどふ
お馬にもしっかりとお乗りになれそうにないご様子なので、ここでもまた、惟光が介添えしてお連れ申し上げるに、鴨川の土手のあたりで、馬からすべり落ちるように下りて、ひどく御心をまどわせになって、「こんな道の途中で行き倒れになってしまう運命なんだろうな。もうとても帰り着けそうにない気がする」とこぼされると、惟光はあたふたして、自分さえしっかりしておればこんなことに、あのようにおっしゃられようとお連れ申すべきでなかったのだと思うにつけ、ひどく心がさわぐので、鴨川の水で手を洗い、清水の観音様にお祈り申し上げるのだが、どうしようもなく途方にくれる。
御馬にも はかばかしく乗りたまふまじき御さまなれば また 惟光添ひ助けておはしまさするに 堤のほどにて 御馬よりすべり下りて いみじく御心地惑ひければ かかる道の空にて はふれぬべきにやあらむ さらに え行き着くまじき心地なむする とのたまふに 惟光 心地惑ひて 我がはかばかしくは さのたまふとも かかる道に率て出でたてまつるべきかは と思ふに いと心あわたたしければ 川の水に手を洗ひて 清水の観音を念じたてまつりても すべなく思ひ惑ふ
大構造と係り受け
古語探訪
また 04128
鳥辺野に来るときと同様、帰る今もとの注があるが、来るときに惟光が世話をしたという記述はない。これは、夕顔が死んだ廃院からの帰りと同様、この帰りにも。
おはしまさする 04128
「する」は使役。
すべり下り 04128
ころげ落ちるようにして下り立つこと。
はふれ 04128
行き倒れる。
さらに 04128
打ち消しを伴い、すこしも。
我がはかばかしくは 04128
諸注はこれを仮定とし、「出でたてまつるべきかは」をその結果として解釈するが、呼応関係があいまいである。ここは独立した二文と考えるのがよい。自分がもっとしかりしていればな、という、良かったのになどの結果を省略した反省と、いったいあのようにおっしゃったからとてこんな道中へお連れすべきだったろうか、という反語を使った深い後悔。
手を洗ひ 04128
禊(みそぎ)のため。
清水の観音 04128
千手観音で、霊験あらたかとして、当時あつく信仰されていた。