清水の方ぞ光多く見 夕顔10章12
目次
原文 読み 意味
清水の方ぞ 光多く見え 人のけはひもしげかりける この尼君の子なる大徳の声尊くて 経うち読みたるに 涙の残りなく思さる
04120/難易度:☆☆☆
きよみづ/の/かた/ぞ ひかり/おほく/みエ ひと/の/けはひ/も/しげかり/ける この/あまぎみ/の/こ/なる/だいとこ/の/こゑ/たふとく/て きやう/うち-よみ/たる/に なみだ/の/のこり/なく/おぼさ/る
清水の方だけは灯明がたくさん見え、参詣の人も多かった。この、尼君の子息である徳の高い僧侶は声が尊くて、お経を自然に読みあげただけでも、君は涙が残り泣くあふれでる思いになられる。
清水の方ぞ 光多く見え 人のけはひもしげかりける この尼君の子なる大徳の声尊くて 経うち読みたるに 涙の残りなく思さる
大構造と係り受け
古語探訪
清水 04120
清水寺。鳥辺野のすぐ近くにある。参詣者が多かった。
光 04120
灯明ではなく、燈籠の火ではないかと思う。清水だけが灯明をつけているのはおかしい。灯明はどこの寺でも灯しているが、建物の中だから見えないのだろう。参詣者の多い清水寺のみは、燈籠に火を入れているのだろう。
大徳 04120
高僧、ないしは転じて一般の僧にも使うというのが一般の注であり、単なる僧の意味として用いられているという解釈が一般的。高僧に法要を依頼するとなると、衆目を気にする必要があるから、光としては避けざるを得ない。ただし、声が尊く、涙を流し尽くす思いとあるので、社会的な意味で高僧でなくとも、徳の高い僧と考えていいように思う。法師ばらの「ばら」がマイナスイメージなのと対照的。
経うち読みたるに 04120
「涙の残りなく思さる」にかかる。読経を始めるやすぐに。「うち」はちょっとというニュアンス。