惟光が兄の阿闍梨婿 夕顔01章06

2021-03-31

原文 読み 意味

惟光が兄の阿闍梨 婿の三河守 娘など 渡り集ひたるほどに かくおはしましたる喜びを またなきことにかしこまる 尼君も起き上がりて 惜しげなき身なれど 捨てがたく思うたまへつることは ただ かく御前にさぶらひ 御覧ぜらるることの変りはべりなむことを口惜しく思ひたまへ たゆたひしかど 忌むことのしるしによみがへりてなむ かく渡りおはしますを 見たまへはべりぬれば 今なむ阿弥陀仏の御光も 心清く待たれはべるべき など聞こえて 弱げに泣く

04006/難易度:☆☆☆

これみつ/が/あに/の/あざり むこ/の/みかは-の-かみ むすめ/など わたり/つどひ/たる/ほど/に かく/おはしまし/たる/よろこび/を また/なき/こと/に/かしこまる あまぎみ/も/おきあがり/て をしげ/なき/み/なれ/ど すて/がたく/おもう/たまへ/つる/こと/は ただ かく/おまへ/に/さぶらひ ごらんぜ/らるる/こと/の/かはり/はべり/な/む/こと/を/くちをしく/おもひ/たまへ たゆたひ/しか/ど いむ/こと/の/しるし/に/よみがへり/て/なむ かく/わたり/おはします/を み/たまへ/はべり/ぬれ/ば いま/なむ/あみだぶつ/の/おほむ-ひかり/も/こころきよく/また/れ/はべる/べき など/きこエ/て よわげ/に/なく

惟光の兄の阿闍梨、娘婿の三河守、娘などが集まってきているところに、君がこうして見舞いにお越しいただいたお礼を光栄の至りであるとかしこまり申し上げる。尼君も起き上がって、「惜しくもない身ながら、俗世を捨てがたく思いましたことは、ただ、このように御前にはべりご覧いただく姿が以前と異なることを残念に思いためらっておりましたが、受戒のおかげで意識が戻り、こうしてお越しいただいたのを拝見いたしましたので、今はもう阿弥陀仏のご来迎も心清く待つことができましょう」などと申し上げて気弱く涙を流す。

惟光が兄の阿闍梨 婿の三河守 娘など 渡り集ひたるほどに かくおはしましたる喜びを またなきことにかしこまる 尼君も起き上がりて 惜しげなき身なれど 捨てがたく思うたまへつることは ただ かく御前にさぶらひ 御覧ぜらるることの変りはべりなむことを口惜しく思ひたまへ たゆたひしかど 忌むことのしるしによみがへりてなむ かく渡りおはしますを 見たまへはべりぬれば 今なむ阿弥陀仏の御光も 心清く待たれはべるべき など聞こえて 弱げに泣く

大構造と係り受け

古語探訪

喜び 04006

お礼。

捨て 04006

出家する。

変りはべりなんこと 04006

これまでの大弐の乳母という身分でなく、尼として光の前に出ること。

忌むこと 04006

出家するために戒を受けること。

しるし 04006

功徳。おかげ。

よみがへり 04006

黄泉よりかえること。受戒により、六道に輪廻することなく蘇生したことを言う。

阿弥陀仏の御光 04006

人の臨終に際して阿弥陀仏が現れ、そのご来迎の光により極楽浄土へ導く、その光。光にお越しいただいたことが、尼君にとって阿弥陀仏のご来迎を確信させたのであろう。光源氏の体質として体内より光を発していたのではないかと注をしたことがあるが、このあたりは、話者も光と阿弥陀仏、光の発する光とご来迎の光をダブらせている感じがする。ただあまりに、非現実的であるので、現実との埋め合わせをはかろうとして、出来の悪い子でも身びいきしてしまう乳母云々の説明が次にくるのである。

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