04夕顔09

2020-10-12

04夕顔 原文 09章156/177

紙燭持て参れり 右近も動くべきさまにもあらねば 近き御几帳を引き寄せて なほ持て参れとのたまふ 例ならぬことにて 御前近くもえ参らぬ つつましさに 長押にもえ上らず なほ持て来や 所に従ひてこそとて 召し寄せて見たまへば ただこの枕上に 夢に見えつる容貌したる女 面影に見えて ふと消え失せぬ 昔の物語などにこそ かかることは聞け と いとめづらかにむくつけけれど まづ この人いかになりぬるぞ と思ほす心騒ぎに 身の上も知られたまはず 添ひ臥して やや と おどろかしたまへど ただ冷えに冷え入りて 息は疾く絶え果てにけり 言はむかたなし 頼もしく いかにと言ひ触れたまふべき人もなし 法師などをこそは かかる方の頼もしきものには思すべけれど さこそ強がりたまへど 若き御心にて いふかひなくなりぬるを見たまふに やるかたなくて つと抱きて あが君 生き出でたまへ いといみじき目 な見せたまひそとのたまへど 冷え入りにたれば けはひものうとくなりゆく 右近は ただ あな むつかし と思ひける心地みな冷めて 泣き惑ふさま いといみじ 南殿の鬼の なにがしの大臣脅やかしけるたとひを思し出でて 心強く さりとも いたづらになり果てたまはじ 夜の声はおどろおどろし あなかまと諌めたまひて いとあわたたしきに あきれたる心地したまふ この男を召して ここに いとあやしう 物に襲はれたる人のなやましげなるを ただ今 惟光朝臣の宿る所にまかりて 急ぎ参るべきよし言へ と仰せよ なにがし阿闍梨 そこにものするほどならば ここに来べきよし 忍びて言へ かの尼君などの聞かむに おどろおどろしく言ふな かかる歩き許さぬ人なりなど 物のたまふやうなれど 胸塞がりて この人を空しくしなしてむことの いみじく思さるるに添へて 大方のむくむくしさ たとへむ方なし 夜中も過ぎにけむかし 風のやや荒々しう吹きたるは まして 松の響き 木深く聞こえて 気色ある鳥のから声に鳴きたるも 梟 はこれにやとおぼゆ うち思ひめぐらすに こなたかなた けどほく疎ましきに 人声はせず などて かくはかなき宿りは取りつるぞ と 悔しさもやらむ方なし 右近は 物もおぼえず 君につと添ひたてまつりて わななき死ぬべし また これも いかならむ と 心そらにて捉へたまへり 我一人さかしき人にて 思しやる方ぞなきや 火はほのかにまたたきて 母屋の際に立てたる屏風の上 ここかしこの隈々しくおぼえたまふに 物の足音 ひしひしと踏み鳴らしつつ 後ろより寄り来る心地す 惟光 とく参らなむ と思す ありか定めぬ者にて ここかしこ尋ねけるほどに 夜の明くるほどの久しさは 千夜を過ぐさむ心地したまふ からうして 鶏の声はるかに聞こゆるに 命をかけて 何の契りに かかる目を見るらむ 我が心ながら かかる筋に おほけなくあるまじき心の報いに かく 来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり 忍ぶとも 世にあること隠れなくて 内裏に聞こし召さむをはじめて 人の思ひ言はむこと よからぬ童べの口ずさびになるべきなめり ありありて をこがましき名をとるべきかな と 思しめぐらす からうして 惟光朝臣参れり 夜中 暁といはず 御心に従へる者の 今宵しもさぶらはで 召しにさへおこたりつるを 憎しと思すものから 召し入れて のたまひ出でむことのあへなきに ふとも物言はれたまはず 右近 大夫のけはひ聞くに 初めよりのこと うち思ひ出でられて泣くを 君もえ堪へたまはで 我一人さかしがり抱き持たまへりけるに この人に息をのべたまひてぞ 悲しきことも思されける とばかり いといたく えもとどめず泣きたまふ

04夕顔 原文 読みかな 対訳 156/177

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《紙燭持て参れり》156
しそく/もて/まゐれ/り
男が紙燭を持ってまいった。


《右近も動くべきさまにもあらねば 近き御几帳を引き寄せて なほ持て参れとのたまふ》157
うこん/も/うごく/べき/さま/に/も/あら/ね/ば ちかき/みきちやう/を/ひきよせ/て なほ/もて/まゐれ と/のたまふ
右近も動ける様子でもないので、手近かの御几帳を引き寄せ夕顔を隠し、「いいから持って来い」とご命じになる。


《例ならぬことにて 御前近くもえ参らぬ つつましさに 長押にもえ上らず なほ持て来や 所に従ひてこそとて 召し寄せて見たまへば ただこの枕上に 夢に見えつる容貌したる女 面影に見えて ふと消え失せぬ》158
れい/なら/ぬ/こと/にて おまへ/ちかく/も/え/まゐら/ぬ つつましさ/に なげし/に/も/え/のぼら/ず なほ/もて/こ/や ところ/に/したがひ/て/こそ とて めし/よせ/て/み/たまへ/ば ただ/この/まくらがみ/に ゆめ/に/みエ/つる/かたち/し/たる/をむな おもかげ/に/みエ/て ふと/きエ/うせ/ぬ
閨へ呼びたてられることなど尋常ならぬことであり、お側近くにも参り来ぬ遠慮深さから、長押にも上がれない。「いいから持って来るんだ。所柄に従うのが」と、紙燭を召し寄せてごらんになると、この枕上に夢で見た容貌をした女が、ほんの幻のように見えてふと消えうせた。


《昔の物語などにこそ かかることは聞け と いとめづらかにむくつけけれど まづ この人いかになりぬるぞ と思ほす心騒ぎに 身の上も知られたまはず 添ひ臥して やや と おどろかしたまへど ただ冷えに冷え入りて 息は疾く絶え果てにけり》159
むかし/の/ものがたり/など/に/こそ かかる/こと/は/きけ/と いと/めづらか/に/むくつけけれ/ど まづ この/ひと/いかに/なり/ぬる/ぞ と/おもほす/こころさわぎ/に みのうへ/も/しら/れ/たまは/ず そひふし/て や や/と おどろかし/たまへ/ど ただ/ひエ/に/ひエ/いり/て いき/は/とく/たエ/はて/に/けり
昔の言い伝えなんかにこそこうしたできごとは聞くがと、とても尋常のことではなく気味がわるいが、先ずこの人はどうなってしまわれたかと思いやりになる心騒ぎで、ご自身に何が起こるかお考えもなく添い臥し、「どうした、おい」と正気を戻そうとなさるが、体はただ冷えに冷えゆき、息はとうに絶え果てていた。


《言はむかたなし》160
いはむかたなし
言い様のない状況である。


《頼もしく いかにと言ひ触れたまふべき人もなし》161
たのもしく いかに/と/いひふれ/たまふ/べき/ひと/も/なし
頼もしくも、どうしたよいかと話を持ちかけになれる人もない。


《法師などをこそは かかる方の頼もしきものには思すべけれど さこそ強がりたまへど 若き御心にて いふかひなくなりぬるを見たまふに やるかたなくて つと抱きて あが君 生き出でたまへ いといみじき目 な見せたまひそとのたまへど 冷え入りにたれば けはひものうとくなりゆく》162
ほふし/など/を/こそ/は かかる/かた/の/たのもしき/もの/に/は/おぼす/べけれ/ど さ/こそ/つよがり/たまへ/ど わかき/みこころ/にて いふかひなく/なり/ぬる/を/み/たまふ/に やるかたなく/て つと/いだき/て あがきみ いき/いで/たまへ いと/いみじき/め な/みせ/たまひ/そ と/のたまへ/ど ひエ/いり/に/たれ/ば けはひ/もの-うとく/なり/ゆく
法師などこそはこうした方面で頼もしい人だとお思いになれるのだが、あのように強がっておいででも、若い御心では、言うもむなしくなり果てた様をごらんになるにつけ、どうにもならず、ひしと抱きしめ、「あが君、生きかえっておくれ。こんなつらい目を見せてくれるな」とおっしゃるが、体はすでに冷え切ってしまっているので、伝わってくる気配は遠く疎ましくなりまさる。


《右近は ただ あな むつかし と思ひける心地みな冷めて 泣き惑ふさま いといみじ》163
うこん/は ただ/あな むつかし/と/おもひ/ける/ここち/みな/さめ/て なき/まどふ/さま いと/いみじ
右近はただもうなんと嫌なことだと思っていた気分もすっかり消えて、泣きまどうその様子はとてものことではない。


《南殿の鬼の なにがしの大臣脅やかしけるたとひを思し出でて 心強く さりとも いたづらになり果てたまはじ 夜の声はおどろおどろし あなかまと諌めたまひて いとあわたたしきに あきれたる心地したまふ》164
なでん/の/おに/の なにがし/の/おとど/おびやかし/ける/たとひ/を/おぼし/いで/て こころづよく さりとも いたづら/に/なり/はて/たまは/じ よる/の/こゑ/は/おどろおどろし あなかま と/いさめ/たまひ/て いと/あわたたしき/に あきれ/たる/ここち/し/たまふ
南殿で鬼がなにがし大臣を脅かした例を思い出され、心強く、「それでもおしまいになってしまわれはしまい。夜中の声は気味悪くてならない。静かにせよ」とお諌めになり、切羽詰った状況に茫然たる気持ちでいらっしゃる。


《この男を召して ここに いとあやしう 物に襲はれたる人のなやましげなるを ただ今 惟光朝臣の宿る所にまかりて 急ぎ参るべきよし言へ と仰せよ なにがし阿闍梨 そこにものするほどならば ここに来べきよし 忍びて言へ かの尼君などの聞かむに おどろおどろしく言ふな かかる歩き許さぬ人なりなど 物のたまふやうなれど 胸塞がりて この人を空しくしなしてむことの いみじく思さるるに添へて 大方のむくむくしさ たとへむ方なし》165
この/をとこ/を/めし/て ここ/に いと/あやしう もの/に/おそは/れ/たる/ひと/の/なやましげ/なる/を ただいま これみつ-の-あそむ/の/やどる/ところ/に/まかり/て いそぎ/まゐる/べき/よし/いへ と/おほせ/よ なにがしあざり そこ/に/ものする/ほど/なら/ば ここ/に/く/べき/よし しのび/て いへ かの/あまぎみ/など/の/きか/む/に おどろおどろしく/いふ/な かかる/ありき/ゆるさ/ぬ/ひと/なり など もの/のたまふ/やう/なれ/ど むね/ふたがり/て この/ひと/を/むなしく/し/なし/て/む/こと/の いみじく/おぼさ/るる/に/そへ/て おほかた/の/むくむくしさ たとへ/む/かた/なし
先の男をお呼びになって、「奇怪にも、物の怪に襲われた人が苦しがっておるのだが、今すぐに惟光朝臣の泊まっている所に出向き、急いでここに参る旨言えと、随身に言いつけよ。なにがしという阿闍梨がそこに来合せている時分であれば、ここに来るようにこっそりと言え。あの尼君などが聞こうから、大袈裟に言うな。こんな忍び歩きは許さない人だ」など、しっかりしたもの言いをしておられるようだけれど、胸はふさがって、この人をどうにもならないまま捨て置くことがたまらなくお思いなのに、その上、あたりにむくむくと蠢く物の怪の気配はたとえようもない。


《夜中も過ぎにけむかし 風のやや荒々しう吹きたるは まして 松の響き 木深く聞こえて 気色ある鳥のから声に鳴きたるも 梟 はこれにやとおぼゆ》166
よなか/も/すぎ/に/けむ/かし かぜ/の/やや/あらあらしう/ふき/たる/は まして まつ/の/ひびき こぶかく/きこエ/て けしき/ある/とり/の/からごゑ/に/なき/たる/も ふくろふ/は/これ/に/や/と/おぼゆ
夜中も過ぎたのだろうな、風がすこし荒々しく吹いているのは。まして、松籟の音が木深く聞こえ、妖しげな鳥がしわがれ声で鳴きまでする。不吉と言われる梟とはこれかとお思いになる。


《うち思ひめぐらすに こなたかなた けどほく疎ましきに 人声はせず などて かくはかなき宿りは取りつるぞ と 悔しさもやらむ方なし》167
うち-おもひめぐらす/に こなた/かなた けどほく/うとましき/に ひとごゑ/は/せ/ず などて かく/はかなき/やどり/は/とり/つる/ぞ/と くやしさ/も/やら/む/かた/なし
改めてあれこれ考えてみるに、こちらにもあちらにも人気に遠く気味が悪いうえに、従者の声も聞こえず、どうしてこんな意味のない宿をとったのかと、後悔するもののどうにもならない。


《右近は 物もおぼえず 君につと添ひたてまつりて わななき死ぬべし》168
うこん/は もの/も/おぼエ/ず きみ/に/つと/そひ/たてまつり/て わななき/しぬ/べし
右近は何もわからず、君にしかとお縋り申して、わななき瀕死の態。


《また これも いかならむ と 心そらにて捉へたまへり》169
また これ/も/いか/なら/む/と こころ/そら/にて/とらへ/たまへ/り
またこれもどうなることかと、上の空でつかまえていらっしゃる。


《我一人さかしき人にて 思しやる方ぞなきや》170
われ/ひとり/さかしき/ひと/にて おぼし/やる/かた/ぞ/なき/や
しっかりしているのは自分ひとりなのに、思いめぐらす方途さえないとは。


《火はほのかにまたたきて 母屋の際に立てたる屏風の上 ここかしこの隈々しくおぼえたまふに 物の足音 ひしひしと踏み鳴らしつつ 後ろより寄り来る心地す》171
ひ/は/ほのか/に/またたき/て もや/の/きは/に/たて/たる/びやうぶ/の/かみ ここ/かしこ/の/くまぐましく/おぼエ/たまふ/に もの/の/あしおと ひしひし/と/ふみ/ならし/つつ うしろ/より/より/くる/ここち/す
灯りはあるもののちらつき、母屋との境に立てた屏風の上方は、どこもかしこも闇のように奥まってお感じになるうえに、物の怪がめしめしと足を踏みしめながら背後より寄りくる気配がする。


《惟光 とく参らなむ と思す》172
これみつ とく/まゐら/なむ と/おぼす
惟光が早く参ればよいのにとお念じになる。


《ありか定めぬ者にて ここかしこ尋ねけるほどに 夜の明くるほどの久しさは 千夜を過ぐさむ心地したまふ》173
ありか/さだめ/ぬ/もの/にて ここ/かしこ/たづね/ける/ほど/に よ/の/あくる/ほど/の/ひさしさ/は ちよ/を/すぐさ/む/ここち/し/たまふ
惟光は行く先の定まらない性だから、随身があちこち探し回っていた間、夜が明けるまでの待ち遠しさは、千夜を過ごすほどの心地でいらっしゃる。


《からうして 鶏の声はるかに聞こゆるに 命をかけて 何の契りに かかる目を見るらむ 我が心ながら かかる筋に おほけなくあるまじき心の報いに かく 来し方行く先の例となりぬべきことはあるなめり 忍ぶとも 世にあること隠れなくて 内裏に聞こし召さむをはじめて 人の思ひ言はむこと よからぬ童べの口ずさびになるべきなめり ありありて をこがましき名をとるべきかな と 思しめぐらす》174
からうして とり/の/こゑ/はるか/に/きこゆる/に いのち/を/かけ/て なに/の/ちぎり/に かかる/め/を/みる/らむ わが/こころ/ながら かかる/すぢ/に おほけなく/あるまじき/こころ/の/むくイ/に かく きしかた/ゆくさき/の/ためし/と/なり/ぬ/べき/こと/は/ある/な/めり しのぶ/とも よ/に/ある/こと/かくれ/なく/て うち/に/きこしめさ/む/を/はじめ/て ひと/の/おもひ/いは/む/こと よから/ぬ/わらはべ/の/くちずさび/に/なる/べき/な/めり ありありて をこがましき/な/を/とる/べき/かな/と おぼし/めぐらす
ようやくにして鳥の声が遠くで聞こえると、命を賭してまで、何の因業でこんな目に遭うのだろう、わがことながら、ああした筋のお方に身のほど知らずにも許されざる恋着をした報いに、前世から来世にわたるこんな因縁の例になってしまう災厄が起きるのだろうな。隠しても世の出来事は隠れないもので、帝のお耳に入るはおろか、世間が思い言いそやすことを、たちの悪い京童がおもしろおかしく囃すに違いない、とどのつまりが、痴れ者の汚名をかぶることになろうなと、あれこれ思いめぐらしになる。


《からうして 惟光朝臣参れり》175
からうして これみつ-の-あそむ/まゐれ/り
ようやくにして、惟光朝臣が参った。


《夜中 暁といはず 御心に従へる者の 今宵しもさぶらはで 召しにさへおこたりつるを 憎しと思すものから 召し入れて のたまひ出でむことのあへなきに ふとも物言はれたまはず》176
よなか あかつき/と/いは/ず みこころ/に/したがへ/る/もの/の こよひ/しも/さぶらは/で めし/に/さへ/おこたり/つる/を にくし/と/おぼす/ものから めし/いれ/て のたまひ/いで/む/こと/の/あへなき/に ふと/も/もの/いは/れ/たまは/ず
真夜中だろうが、早朝だろうが、御意におつかえしている者であるのに、今宵に限りお供しないばかりか、お召しにまで間に合わなかったのを、けしからぬとお思いながら、そばに召し入れになったが、説明をなさろうにも取り返しのならぬ顛末にがっくりとなされ、とっさにはしっかりとお話なさることもおできでない。


《右近 大夫のけはひ聞くに 初めよりのこと うち思ひ出でられて泣くを 君もえ堪へたまはで 我一人さかしがり抱き持たまへりけるに この人に息をのべたまひてぞ 悲しきことも思されける とばかり いといたく えもとどめず泣きたまふ》177
うこん たいふ/の/けはひ/きく/に はじめ/より/の/こと うち-おもひいで/られ/て/なく/を きみ/も/え/たへ/たまは/で われ/ひとり/さかしがり/いだき/も/たまへ/り/ける/に この/ひと/に/いき/を/のべ/たまひ/て/ぞ かなしき/こと/も/おぼさ/れ/ける と/ばかり いと/いたく え/も/とどめ/ず/なき/たまふ
右近は、惟光大夫がそばに来た気配を感じ取り、惟光のたばかりにより君が主人のもとへ通うこととなったなれ初めからの出来事をつい思い出し泣くと、君もこらえることがおできにならず、自分ひとりは気を張り女を抱きかかえておられたのに、惟光を見てお気が緩んだとみえ、悲しいという感情まで御胸にこみ上げ、しばらくの間、とても激しく止めどもなくお泣きになる。

夕顔 注釈 04-156/04-177

右近も 04-157

夕顔同様に右近も。

近き御几帳を引き寄せて 04-157

男の目に夕顔をさらさないため。

なほ持て参れ 04-157

「なほ」は、遠慮したくもなろうが構わないからという感じ。

例ならぬことにて 04-158

「長押にもえのぼらず」にかかることから考え、この普通でないは、夕顔が死にかけていることではなく、女と閨にいる場へ呼び出された状況を示す。

御前 04-158

男が使える主人である光。

長押 04-158

下長押。廂と簀子の間にあり、簀子から廂が一段高くなっている。その段差のあるところの上にある横木が長押だが、長押の下の段差空間全体をいうことが多い。

所に従ひてこそ 04-158

「よけれ」などが省略されている。遠慮も場所によってするのがよい、すなわち、今は遠慮している場合ではないということ。

ただこの枕上に 04-158

「ただ」は「ただこの」とかかるのではなく、「面影に見えてふと消え失せぬ」にかかる。

面影に見えて 04-158

幻のように見えて。最初から幻だと見たわけでなく、結果として幻だと判断したのである。

昔物語 04-159

宇多天皇が京極の御所で源融の幽霊を見たという特定の例のみを指すのではないだろう。

身の上も知られたまはず 04-159

物の怪に取りつかれた夕顔の側によることは、光自身危険に身をさらすことになるが、それを省みることなくということ。

やや 04-159

掛け声。

おどろかし 04-159

「我にもあらぬさま」で「物にけどられぬる」状態を揺すり起こすこと。

けり 04-159

気づきのけり。

言はむ方なし 04-160

地の文。

言ひ触れ 04-161

話題としてもちかける。

思すべけれど 04-162

「やる方なくて」にかかる。

さこそ強がり 04-162

「まろあればさやうのものにはおどされじ」などの強がりを指す。

いふかひなくなりぬる 04-162

死ぬの朧化。

やるかたなくて 04-162

他にどうしようもなくて。

ものうくなりゆく 04-162

死者としての存在にかわりつつあることを感覚的に描写した表現。なんでもない表現だが、すさまじい描写力である。

ただ 04-163

「と思ひける」にかかる。

むつかし 04-163

事態が自分の処理能力を超えたところにあり、自閉状況にある感覚。

いといみじ 04-163

主語は「なきまどふ」様子。どれが尋常の様子でないのである。

南殿の鬼のなにがしの大臣脅やかしけるたとひを思し出でて 04-164

太政大臣忠平が紫宸殿で鬼に襲われたときに、勇気を出して鬼を一喝した例を思い出し、ここで気持ちを萎えさせてはいけないと、右近を叱るようにして自分を鼓舞しているのである。

さりとも 04-164

「けはひもの疎くなりゆく」ばかりに夕顔の体は冷え切ってしまっているが、それでもの意味。

いたづらになり果て 04-164

死ぬの朧化。

夜の声 04-164

右近が泣きじゃくる声。

あきれたる 04-164

途方にくれる。

この男 04-165

先ほど紙燭を持ってきた男。光は随身への取り次ぎ役としてこの男を使い、随身に惟光を呼びにゆかせるのである。

ここに 04-165

「急ぎ参る」にかかる。

言へ 04-165

随身が惟光ないしは惟光への取次ぎ者に。

仰せよ 04-165

この男が随身に。

なにがし阿闍梨 04-165

光は阿闍梨の実名を告げたろうが、この個所を話している話し手が「なにがし」と実名を避けたのである。阿闍梨は惟光の兄で、病気の尼君(かつての光の乳母)の加持に来ている。

空しくしなしてむ 04-165

結局、死なせてしまうの意味だが、貴人やヒロインに対して死という表現を使わないのが源氏物語の世界である。「しなす」は、なるにまかせる。「てん」はすっかり。空しくなるがまますっかり見過ごしにするというニュアンス。

大方 04-165

あたり一面・一帯。

むくむくしさ 04-165

物の怪がむくむくとうごめく様。

夜中も過ぎにけむかし風のやや荒々しう吹きたるは 04-166

倒置である。風の吹き方により、時間を推し量るのである。「たとしへなく静かなる夕」から「風すこしうち吹きたるに」と変り、今また風が強まった。時間の推移を感じると同時に、物の怪の魔力を想像させる。

まして 04-166

難しい。夜中が過ぎた理由として風の吹き方のみならず、ましたる理由として松の響きと鳥の鳴き声をあげているのである。「鳥のから声に鳴きたるは」とあるべきところを「まして」をつけることで「鳴きたるも」としたのである。「梟」は不吉な鳥と考えられていた。

うち思ひめぐらす 04-167

「うち」は意識して。

けどほく 04-167

人気遠く。

人声 04-167

従者の声。け遠くとあるから一般の人の声がないのは当然であり、改めて言う必要がない。

はかなき 04-167

実りがないこと。ここに宿をとったことに何の益もなかったということ。心細いという意味ではない。この語から察するに、光はある目的をもってこの宿を選んだのである。それは、夕顔がどこまでも自分との距離をつめないので、怖がる性質を利用して、その距離を一挙に埋めようという魂胆があっただろう。しかし、その思惑ははかなく消えたのである。

つと添ひ 04-168

「つと」はしっかりと。

わななき死ぬべし 04-168

地の文。

またこれもいかならむ 04-169

光の心内語。

我一人さかしき人にて 04-170

自分ひとりが意識もあり、分別もありだが、逆に頼みになるのも自分しかいないこと。そのひとりの自分が「思しやる方ぞなきや」と途方にくれているのである。

思しやる 04-170

解決策を見出そうと思いをめぐらせる。

方ぞなき 04-170

解決の方向が見当たらない。

や 04-170

詠嘆。

母屋の際 04-171

母屋と廂との間。 「奥の方は暗うものむつかしと女は思ひたれば端の簾を上げて添ひ臥しためへり」とあった通り、光たちは廂の間で寝ていたのである。

隈々しく 04-171

「くま」すなわち、へこみがあたり中にあいた感じ。闇が口をあけているというイメージであろう。

物の足音ひしひしと踏み鳴らしつつ後ろより寄り来る 04-171

足音がひしひしとあるからには、物の怪は庭から来るのではなく、渡殿を渡ってくるのであろう。とすれば、光は西の対か東の対を光は背にしていることになる。西の対には従者たちが休んでいるのだから、物の怪はそちらからは来ない。また、渡殿を背にして母屋の方を見ているとなれば、結局、母屋の東側の廂の間に、背を東にしていることが知られる。

参らなむ 04-172

「なん」はあつらえの助詞。~してほしい。

ありか定めぬ 04-173

女があちこちにいて、寝る場所が一定しない。

かかる筋に 04-174

「おほけなくあるまじき(身のほど知らずであってはならない)」の意味から考え、藤壺への思いである。

来し方行く先の例 04-174

過去にも未来にも例となるとでもなり、意味がよくつかめない。過去にも未来にも稀な例ということか。

なりぬべきこと 04-174

「こと」は形式名詞ではない。具体的な事柄であり、この場合は夕顔を死なせたことである。源氏物語の時代には形式名詞の用法はまだ未発達だとされている。

世にあること 04-174

「こと」もそれぞれの出来事の意味。

人の思ひ言はむこと 04-174

「こと」も、世間の人が考え口にする具体的な悪口を指す。

ありありて 04-174

どう考えても結局のところ。

をこがましき 04-174

物笑いの。

といはず 04-176

…をものともせず

おこたりつる 04-176

光が来てほしいと思う時間に間に合わなかったこと。夜の闇が恐ろしかったのだから、夜が明けるまえに来てほしかったのだろう。

ものから 04-176

逆接。

のたまひ出でむことのあへなき 04-176

「あへなし」は死・失踪・出家など取り返しのつかなさい事態に際しての無力感。「こと」はやはり形式名詞(話をすること)ではなく、話しの内容、すなわち、夕顔を死なせてしまった事態をいう。

ふとも 04-176

「ふと」が下に打ち消しを伴うときの表現。急には(~できない)。

物言はれたまはず 04-176

「もの」何かではない。「もの言はず」と否定で使用し、分別ある話ができないの意味。

大夫 04-177

惟光のこと。

初めよりのこと 04-177

惟光の手管により光が夕顔のもとに通い染めた当初からの出来事。

え堪へたまはで 04-177

「泣きたまふ」にかかる。

我一人さかしがり 04-177

先に「我ひとりさかしき人にて」とあった。気をひきしめしっかりしていること。

この人に息をのべたまひて 04-177

信頼できる惟光に逢いほっとして。

悲しきこと 04-177

夕顔の死による悲しみの感情。

とばかり 04-177

上を受けない場合は、しばらくの間の意味。

2020-10-12

Posted by 管理者