04夕顔08

2020-05-24

夕顔 原文 04-134/04-155

134たとしへなく静かなる夕べの空を眺めたまひて 奥の方は暗うものむつかしと 女は思ひたれば 端の簾を上げて 添ひ臥したまへり 135夕映えを見交はして 女も かかるありさまを 思ひのほかにあやしき心地はしながら よろづの嘆き忘れて すこしうちとけゆく気色 いとらうたし  136 つと御かたはらに添ひ暮らして 物をいと恐ろしと思ひたるさま 若う心苦し  137 格子とく下ろしたまひて 大殿油参らせて 名残りなくなりにたる御ありさまにて なほ心のうちの隔て残したまへるなむつらきと 恨みたまふ  138 内裏に いかに求めさせたまふらむを いづこに尋ぬらむと 思しやりて かつは あやしの心や 六条わたりにも いかに思ひ乱れたまふらむ 恨みられむに 苦しう ことわりなり と いとほしき筋は まづ思ひきこえたまふ  139何心もなきさしむかひを あはれと思すままに あまり心深く 見る人も苦しき御ありさまを すこし取り捨てばや と 思ひ比べられたまひける
140 宵過ぐるほど すこし寝入りたまへるに 御枕上に いとをかしげなる女ゐて 己がいとめでたしと見たてまつるをば 尋ね思ほさで かく ことなることなき人を率ておはして 時めかしたまふこそ いとめざましくつらけれとて この御かたはらの人をかき起こさむとす と見たまふ  141 物に襲はるる心地して おどろきたまへれば 火も消えにけり  142 うたて思さるれば 太刀を引き抜きて うち置きたまひて 右近を起こしたまふ これも恐ろしと思ひたるさまにて 参り寄れり  143 渡殿なる宿直人起こして 紙燭さして参れと言へ とのたまへば いかでかまからむ 暗うてと言へば あな 若々し と うち笑ひたまひて 手をたたきたまへば 山彦の答ふる声 いとうとまし  144 人え聞きつけで参らぬに この女君 いみじくわななきまどひて いかさまにせむと思へり  145汗もしとどになりて 我かの気色なり  146 物怖ぢをなむわりなくせさせたまふ本性にて いかに思さるるにか と 右近も聞こゆ  147 いとか弱くて 昼も空をのみ見つるものを いとほしと思して 我 人を起こさむ 手たたけば 山彦の答ふる いとうるさし ここに しばし 近くとて 右近を引き寄せたまひて 西の妻戸に出でて 戸を押し開けたまへれば 渡殿の火も消えにけり  148 風すこしうち吹きたるに 人は少なくて さぶらふ限りみな寝たり  149 この院の預りの子 むつましく使ひたまふ若き男 また上童一人 例の随身ばかりぞありける 召せば 御答へして起きたれば 紙燭さして参れ 随身も 弦打して 絶えず声づくれと仰せよ 人離れたる所に 心とけて寝ぬるものか 惟光朝臣の来たりつらむはと 問はせたまへば さぶらひつれど 仰せ言もなし 暁に御迎へに参るべきよし申してなむ まかではべりぬると聞こゆ  150この かう申す者は 滝口なりければ 弓弦いとつきづきしくうち鳴らして 火あやふし と言ふ言ふ 預りが曹司の方に去ぬなり  151 内裏を思しやりて 名対面は過ぎぬらむ 滝口の宿直奏し 今こそと 推し量りたまふは まだ いたう更けぬにこそは
152 帰り入りて 探りたまへば 女君はさながら臥して 右近はかたはらにうつぶし臥したり  153 こはなぞ あな もの狂ほしの物怖ぢや 荒れたる所は 狐などやうのものの 人を脅やかさむとて け恐ろしう思はするならむ まろあれば さやうのものには脅されじとて 引き起こしたまふ  154 いとうたて 乱り心地の悪しうはべれば うつぶし臥してはべるや 御前にこそわりなく思さるらめ と言へば そよ などかうは とて かい探りたまふに 息もせず  155 引き動かしたまへど なよなよとして 我にもあらぬさまなれば いといたく若びたる人にて 物にけどられぬるなめりと せむかたなき心地したまふ

夕顔 原文かな 04-134/04-155

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

たとしえなくしづかなるゆふべのそらをながめたまひて おくのかたは くらうもの-むつかしと をむなはおもひたれば はしのすだれをあげて そひふしたまへり ゆふばエをみかはして をむなも かかるありさまを おもひのほかにあやしきここちはしながら よろづのなげきわすれて すこしうちとけゆくけしき いとらうたし つとおほむ-かたはらにそひくらして ものをいとおそろしとおもひたるさま わかうこころぐるし かうしとくおろしたまひて おほとなぶらまゐらせて なごりなくなりにたるおほむ-ありさまにて なほこころのうちのへだてのこしたまへるなむつらきと うらみたまふ うちに いかにもとめさせたまふらむを いづこにたづぬらむと おぼしやりて かつは あやしのこころや ろくでうわたりにも いかにおもひみだれたまふらむ うらみられむに くるしう ことわりなりと いとほしきすぢは まづおもひきこエたまふ なにごころもなきさしむかひを あはれとおぼすままに あまりこころふかく みるひともくるしきおほむ-ありさまを すこしとりすてばやと おもひくらべられたまひける
よひすぐるほど すこしねいりたまへるに おほむ-まくらがみに いとをかしげなるをむなゐて おのがいとめでたしとみたてまつるをば たづねおもほさで かく ことなることなきひとをゐておはして ときめかしたまふこそ いとめざましくつらけれ とて このおほむ-かたはらのひとをかき-おこさむとす とみたまふ ものにおそはるるここちして おどろきたまへれば ひもきエにけり うたておぼさるれば たちをひきぬきて うち-おきたまひて うこんをおこしたまふ これもおそろしとおもひたるさまにて まゐりよれり わたどのなるとのゐびとおこして しそくさしてまゐれ といへ とのたまへば いかでかまからむ くらうて といへば あな わかわかしと うち-わらひたまひて てをたたきたまへば やまびこのこたふるこゑ いとうとまし ひとえききつけでまゐらぬに このをむなぎみ いみじくわななきまどひて いかさまにせむとおもへり あせもしとどになりて われかのけしきなり もの-おぢをなむわりなくせさせたまふほんじやうにて いかにおぼさるるにかと うこんもきこゆ いとかよわくて ひるもそらをのみみつるものを いとほし とおぼして われ ひとをおこさむ てたたけば やまびこのこたふる いとうるさし ここに しばし ちかく とて うこんをひきよせたまひて にしのつまどにいでて とをおしあけたまへれば わたどののひもきエにけり かぜすこしうち-ふきたるに ひとはすくなくて さぶらふかぎりみなねたり このゐんのあづかりのこ むつましくつかひたまふわかきをのこ またうへわらはひとり れいのずいじんばかりぞありける めせば おほむ-こたへしておきたれば しそくさしてまゐれ ずいじんも つるうちして たエずこわづくれとおほせよ ひとはなれたるところに こころとけていぬるものか これみつ-の-あそむのきたりつらむはと とはせたまへば さぶらひつれど おほせごともなし あかつきにおほむ-むかへにまゐるべきよしまうしてなむ まかではべりぬる ときこゆ この かうまうすものは たきぐちなりければ ゆづるいとつきづきしくうち-ならして ひあやふしといふいふ あづかりがざうしのかたにいぬなり うちをおぼしやりて なだいめんはすぎぬらむ たきぐちのとのゐまうし いまこそと おしはかりたまふは まだ いたうふけぬにこそは
かへりいりて さぐりたまへば をむなぎみはさながらふして うこんはかたはらにうつぶしふしたり こはなぞ あな もの-ぐるほしのものおぢや あれたるところは きつねなどやうのものの ひとをおびやかさむとて け-おそろしうおもはするならむ まろあれば さやうのものには おどされじ とて ひきおこしたまふ いとうたて みだりごこちのあしうはべれば うつぶしふしてはべるや おまへにこそわりなくおぼさるらめ といへば そよ などかうは とて かい-さぐりたまふに いきもせず ひきうごかしたまへど なよなよとして われにもあらぬさまなれば いといたくわかびたるひとにて ものにけどられぬるなめりと せむかたなきここちしたまふ

夕顔 現代語訳 04-134/04-155

二度とないほど静かな夕べの空をぼんやりと眺めておられえると、部屋の奥は暗く何とも気味がわるいと女が思うので、簀子につづく簾をあげて女に添い臥しになった。夕映えする顔を見交わして、女もこのようになった事態を思いもかけぬことで解しかねる気持ちはしながら、あらゆる嘆きを忘れてすこしうちとけてゆく様子はとてもかわいい。じっとお側に寄り添ったなりで、わけなく何ににでも無性におびえている様は幼く気が気でない。
格子を急いでおろしになり、灯りをもって来させて、「残りなくずべて許し合った仲なのに、まだ心の中に隔てを残しておられるのはつれない」と恨み言をおっしゃる。
帝におかれては、どれほどわたくしを探しておいでだろう、使者がどこへ尋ねていることかとご心配になって、それにしてもわけのわからない我が心よ、六条の方におかれても、どれほど思い苦しんでおいでだろうか、お恨みになろうと思えばつらいが当然だと、もうしわけなく感じるお方としては真っ先に心をお留め申し上げになる。何も考えずただ差し向かいでいるのを愛しいとお感じになるままに、あまりに心入れが深く、世話する者までが息の詰まるご様子をすこし取り除きたいと、気づくと二人を思い比べになっておられた。
宵を過ぎる頃、すこし寝つかれたところ、君の枕元に、正体の知れないひどく気になる女が座っていて、自分がとても大切にお世話申し上げている方を「尋ねようとお考えにならないで、こんな、どこにも値打ちのない女を連れていらして、ご寵愛なさるこそ、本当に目にあまる思いであり、ひどい仕打ちだ」と、この、君のおそばの女をかき起こそうとする、とごらんになる。
物の怪に襲われる感じがして、目をお覚ましになると、すでに火も消えていた。気味わるくお思いになられ、太刀を引きぬき側にお置きになって、ウコンを起こしになる。こちらも怖いと思っている風でお側に来る。
「渡殿にいる宿直の者を起こし、紙燭をつけてまいれと言え」とご命じになると、
「どうして行かれましょう、暗くて」と言うと、
「なんと幼いことを」と少しお笑いになって、手をお叩きになると、山彦が答える声がして、ぞっとする。誰も聞きつけて参る者がないというのに、この女君は異常に震え取り乱し、どうにもならないと思った。汗もしとどにかき、意識のない様子である。
「何にでもひどいびくつきようをもうどうにもならぬほどされるご性分ですから、どんなに怖がっておいでか」と右近も申し上げる。見た目にもひどく感じやすい様子で、昼間も空ばかり見ていたけれど、こんなことになろうとは申し訳ないとお思いになって、
「わたしが起こして来る。手を叩けば山彦がこたえるのがとてもうるさい。ここにしばらく、もっとお側に」と、右近を引き寄せになり、西の妻戸のところまで出て、戸を押し開けになったところ、渡殿の火もすでに消えていた。
風が少し急に吹きだしたのに、人気も少なく、ここに伺候している者はみな寝ている。この院の番をしている子、親しくお使いになっている若い男であるが、それと殿上童ひとりといつもの随身だけいるのだった。呼び出しになると、返事をして起きたので、
「紙燭をつけて持って来い、随身も弓を鳴らし声を立てつづけよと命じよ。人里から遠い場所で、警戒もせずよくも寝てられるものだ。惟光朝臣が来ているようだが」とお問いになると、
「側勤めにまいったが仰せ言もない、明るくなる頃お迎えに参るのがよかろうという旨申して、下がってしまいました」とお答えする。
こう申し上げるこの番人は、滝口の武士であったので、弓弦をこの状況にふさわしくもののみごとにうち鳴らし、「火の用慎」と言ひ立てながら、番人として与えられた自室の方へ去っていった模様。君は内裏のことを思い出しになり、名対面の時刻は過ぎていよう、滝口の宿直奏(トノイモウシ)が今時分のこと、そう推測なされたところをみると、まださほど夜は更けていないのでは。
部屋に戻り様子を探ってごらんになると、女君は前の状態のまま臥しており、右近は傍らにうつ伏していた。
「これはどうだ。なんと気違い沙汰の怖がりようだ。荒廃した場所は、狐なんどというものが人を脅かそうとして、何だか恐ろしく思わせるものなんだろう。わたしがいるからは、そんなものには威されんぞ」と、右近を引き起こしになる。
「とてももう、気分がひどくしようがありませんから、うつ伏しているのでございますよ。ご主人様こそどうにも恐ろしく思っておいででしょう」と答えると、
「そのことよ、どうしてこうも」と強く探ってごらんになると息もしていない。引き動かしてみられるが、ぐったりと正気のない様子からすると、とてもとても幼々した人だから、物の怪に魂を取られてしまったのだろうと、手の施しようがないお気持ちになられる。

夕顔 注釈 04-134/04-155

たとしへなく 04-134

他に比べようなく。

眺め 04-134

見るともなくぼんやりと見る。「ながめたまひて」は「添ひ臥したまへり」にかかる。

ものむつかし 04-134

気味の悪さ。

端の簾 04-134

簀子(スノコ)と廂(ヒサシ)、すなわち、縁側と部屋との間のすだれ。

夕映え 04-135

夕日で赤く染まったもの。この場合は「見かはし」とあるので互いの顔である。

あやしき 04-135

解釈しきれない違和感。

つと 04-136

動かない様子。

添ひ暮らし 04-136

寄り添ったまま時間が経過する。

物を 04-136

何に対しても無性に。

心苦し 04-136

相手の様子にこちらの心も痛む意。見ていられず何とかしてやりたい。

名残りなく 04-137

名残がない。

つらき 04-137

男女間では冷たい、薄情だの意味。

内裏に 04-138

帝においては。

いづこに尋ぬ 04-138

光を探しに差し出した帝の使者。

思しやり 04-138

主体は帝。

かつは 04-138

同時並行。自分に関しては「それにしても」。他のことなら「それにつけても」。

思ひ乱れ 04-138

心の整理がつかない様。

いとほしき 04-138

相手にすまないと思う気持ち。六条御息所に関して光はいつも申し訳なく感じている。もはやこれは恋愛の対象とは言い難い、御息所の不満もあるいは、光のそうした態度にあるのかも知れない。

何心もなきさしむかひ 04-139

「何心もなき」は夕顔の無心な様子と注されている。それは「あまり心深く」が御息所であるのに対比してのことであろう。しかし、差し向かいでいてもリラックスできる光の側の気持ちではないか。対比関係は「見る人も苦しき御ありさま」に対して「何心もなきさし向かひ」である。相手を息苦しくさせる様子と、何も気にせずいられる対座である。

取り捨て 04-139

下二段動詞なので他動詞。光が御息所の欠点を取り捨てたいのである。

ばや 04-139

自分がそうしたいという気持ち。

思ひ比べられたまひける 04-139

「られ」はすでに尊敬の「たまひ」があるので、ここは自発と考える。それは「ける」が、「思すままに」を受けることから、気づきの「けり」であるので、自発と気づきは呼応関係をとるからである。ふと気づくとふたりを引き比べていたという感じ。問題はここにある。この帖の最初に、夕顔を取り殺す霊には、六条御息所の霊とする説とそうでないとする説があり、現在どちらの説が有力ともしかねている(らしい、よくは知らないが)現状を紹介した。と同時に、私は御息所説であり、その根拠があることも付け加えておいた。それがここである。ここというのは、以後度々、御息所の霊は出てくる。葵の上を殺す霊は、御息所でないとの説は立っていない。重要なのは、御息所が霊となる直前で、いつも御息所のことが話題になっているのであり、それは概ね悪口である。さらに言えば、御息所が悪口を言われた個所は、霊になって出現しているのである。必ずそうであった記憶があるが、確かめるのは、読みながらの宿題にしておこうと思う。霊が出る、必要十分条件は以上のごときであり、ここでも御息所の悪口の後であり、その霊は御息所以外に考えられない。この「話題―霊」という関係は、洋の東西を問わずある。例えば、『アッシャー家の崩壊』という有名なポーの短篇があるが、そこに出るロドリック・アッシャーの妹マドライン(Madeline)(狂った血筋だからマドラインである、マデラインやマデランではない。因みにアッシャーは導くという動詞の意味がある)は、やはり名を呼ばれたときに出現し、呼ばれない時には出現しないのである。(そもそも西洋には、三位一体という父・子・聖霊の関係があり、聖霊とは言葉であり、その言葉に神が宿るという関係があるのだ。アッシャー家・アッシャー・マドラインがこの三位一体のパロディーになっているというのが私の持論。)それはさておき、言霊信仰を持つのはわが国だけではないのだ。「話題―霊」の関係はおそらく探せばまだまだ文学に霊がみつかるだろうと思う。これも「言葉―事柄」関係の変種であること、言うまでもない。

己がいとめでたしと見たてまつるをば 04-140

この「己」は物の怪の自称と考えられている。「私が愛しくお慕い申し上げている」ほどの意味になる。意味的には、たしかにそれが自然であろう。しかしそれでは、「をば」が説明できない。「を」と「ば」が連続する場合の「を」は格助詞である。ということは、次の「尋ね」の目的語なのだ。すると前に補う言葉は「こと」は入らず、「人」を入れることになる。「己」が大切にお慕い申し上げる「人」を尋ねようと、の意味になり、人は六条御息所、「己」は光源氏と考えるより仕方なくなるのである。格助詞の「を」を無視して、「私が慕い申し上げているのに」と解釈したり、「私が慕い申し上げているのに、その私を」と無理な補い方をするのは誤魔化しである。格助詞「を」は事実であって否定できない。しかし、この読みには問題がある。発話者(物の怪)が御息所に対して、「たてまつる」と謙譲語(対象敬語)を使っているのに対して、光には「見」だけで敬語が使われていない。その後、「思ほさで」「おはして」「たまふ」と尊敬語を使用しているのに、この個所だけつけないのは、明らかにおかしい。しかし、この読み以外ないのだから、仕方ない。ここはアクロバットのつもりで結論を出す。この敬語の矛盾をなくす方法がひとつある。この部分を光自身の心中語と考え地の文とし、物の怪の発話は「尋ね思ほさで……つらけれ」と考えるのである。すると、「おのが」に対する説明も自然になる。この語は若い女は用いないとされており、これは物の怪だからいいのだと解説され、果ては、六条御息所の霊ではなく、この地に住む男の霊だ云々と飛躍してゆく根拠のひとつになっている。しかし、これは光自身の心内語だとすれば普通の用法である。夢の中だけに、自分の頭の中の言葉と登場人物の言葉との境が見分け難くなっている、それを見分けにくいままに描写したのではないかというのが私の考え。簡単な技法のように書いているが、実はこの技法はマラルメやジョイスといった、先鋭中の先鋭が二十世紀に入ってようやく作り上げた技法なのである。もっとも、日本語にはもともとどこまでが地の文で、どこからが発話か不明な場合が多い。ただ、作者はここで敬語を操り、意識的に意識の働きを書こうとしたのではないかと、考えたいのである。

めざましく 04-140

予想もしなかった光の行動に対する非難。

つらけれ 04-140

構ってもらえないことへ対する非難。冷たいということ。

この 04-140

「人」にかかる。

この御かたはら 04-140

光の側ということで敬語が使われている。ここは地の文になっている。

太刀を引き抜き 04-142

魔よけのため。

いかさまにせむ 04-144

どうしようか、どうにもならないという諦めの気持ち。

我か 04-145

我か人かわからないという精神が分離した状態。正気を失うと訳されているが、本来は精神が身体から抜け出す状態を指した語ではないかと思う。ただし、ここではその原義は残っていない。気絶しているのであろう。我も人もなく、正体をなくしているのだ。

わりなし 04-146

状況を打破するすべがない様子。

いとか弱くて 04-147

非常にもろく、外からの影響をうけやすく見えること。(「か弱し」の「か」は見た目に明らかの意味で、少しの意味ではない)。これを病気で衰弱しての意味にとる解釈があるが、光とのやりとりの中でそのような描写はなく、受け入れられない。

昼も空をのみ見つるものを 04-147

もの思いの表情であるのは諸注の通り。ただ、なぜ「見つる」対象が「空」なのかを理解しないので、「病者の空を見るは死相の一なり」などという旧注を引いたりする。空を見ていたというのは、実際にはそれまで住んでいた五条界隈の家の方を見ていたと考えるのが自然だ。夕顔は光を物の変化ではないかと思ったほどの脅えやすい質である。ほとんど略奪に近いかたちで、不気味な場所に連れ出されたのだから、身になじみあるもとの場所を慕うのは自然であろう。その読みの根拠はある。女の歌「山の端の心もしらでゆく月はうはのそらにて影や絶えなむ」である。その折りの状況で、女があまりに恐ろしく気味悪がっているので、光は「かのさし集ひたる住まひの心ならひならん」と理由を、元の場所とこの場所の違いに見ている。女にとっては元の場所がよかったのだ。だから、「いとほし」すなわち、すまないと続くのである。こんなところに連れ出したことを始めて後悔したのである。「見つるものを」は、(見ていたのに)それに気づかなかったという含み。光はこれまで夕顔が心を許さない、気持ちに隔たりがあるということばかりに目がゆき、相手がどれほどこの場所を恐れているかわからなかったのでる。なお、「もの思いの表情であるのは諸注の通り」と書いたが、もの思いは、古文では「ながむ」である。ここは「見つる」とあるので、対象をはっきり見ている。「もの思ひ」はこれという理由がないのに、ひどく心が沈むことである。理由がないことが、対象をぼっとしか見ない「ながむ」という表現に集約されるのだ。それに対して「見る」はぜんぜん違う。ここは望郷の思いで古里の空を見つめているのである。従って、確たる理由があるのだから、正確にはもの思いではない。では、「ふるさと」、住みなれた場所、旅などで後に残してきた家という古語があるのに、なぜ「古里」でなく「空」としたのか。これも理由がある。それは、やはり、女の歌「うはのそらにて影や絶えなむ」にかけているのだ。すると「そら」を見ることは、死の前兆でもあったのである。ただし、この歌が「言葉―事柄」構造の言葉になっているからであり、この歌がなければ空を見ることは、死の前兆にはならない。ちなみに、夕顔はもう一首「空」を詠んでいる。「光ありと見し夕顔の上露はたそかれ時のそらめなりけり」。光とのなれ初めからしてこうだ。よほど「そら」に縁の深い女である。虚なのか実なのか定かでない存在、それが夕顔なのである。
ちょっと無理なこじつけだと感じる方も多かろうと想像する。無理に感じるのは、説明のへたさ加減はおくとして、読むという行為そのものが、書かれたものを結果として後追いすることにほかならないから、一見それとわからないほど自然に書かれていると、すらすら読めてしまうので重層的な読みがしづらいものである。もっともキーワードを拾い出して行けば、作者の狙いはある程度見えてくるが。読む側の問題はさておき、書く側は書くことの孤独さから、いろいろ仕掛けたくなるものなのである。知己を後世に待って。ただ筆力がないと、どうしてもあざとくなる。この点、紫式部の筆力は絶無だ。無理がなさすぎて、目につかないのが難と言えば難である。こうしたコンテクストの絡み合いをできる限り解きほぐすこと、それは注釈の域を外れた行為からなのか、これまで着手する評釈者はなかった。蛮勇ながら、この講義が目指すところはそこにある。これをしないと、語釈だけでは、表面をなぞって終わり。そんなことに時間を割くのはむなしいことだ。私は真剣に格闘したい。だから……そうは進まないと言い訳しておきます。

ここにしばし近く 04-147

「近く」は光の近くではない。夕顔の近くである。もっとお側に寄れということ。

妻戸 04-147

寝殿の四隅にあるとの注釈があるが、間違いであるらしい。寝殿の東西に二箇所ずつ、計四箇所あり、妻戸を出ると簀子(スノコ、濡れ縁)が南北に走り、簀子を挟んだ妻戸の対面は渡殿(建物と建物をつなぐ渡り廊下)の入り口であり、そこを渡ると東の対、西の対に至る。妻戸が東西二つずつあるということは、渡殿も東西それぞれに二つずつあるのである。

渡殿の火も消えにけり 04-147

火が消えると離れの建物まで真っ暗の渡り廊下を通ることになる。

風すこしうち吹きたる 04-148

「うち」は変化。前に「たとしへなく静かなる夕の空」とあった。嵐の前の静けさというやつだったのだろう。

人は少なくて 04-148

「人」はこの院にもともといる警護の者であろう。

さぶらふ限り 04-148

光に対して使えている者。

例の随身 04-149

「例の」は夕顔と知り合うきっかけになった随身であり、この間いつも供の役を仰せつかったのだろう。

弦打 04-149

魔除けのために弓の弦をカラ弾きして音を立てること。

声づくれ 04-149

声は警戒音。

人離れたる所 04-149

この院のように町中から外れた人のいない場所のことであろう。この寝ている場所のみを指すのではない。この院全体に対する発言。

心とけて 04-149

警戒しない様子。

来たりつらむは 04-149

来ているのはどうなったの意味。この場合のような名詞(ここでは省略されているので「こと」を補う)の前にきた「ん」は婉曲(ここは仮定ではない)。

さぶらひつれど仰せ言もなし暁に御迎へに参るべき 04-149

惟光の発言をそのまま引用した直接話法で、「べし」を「べき」に変えて間接表現にしたもの、いわゆる描出話法(直接話法と間接話法をまぜたもので、中間話法ともいう)である。

滝口 04-150

宮中を警護する武士。滝口だから弓をうまく鳴らすと続くと同時に、光が滝口の宿直奏を思い出すきっかけにもなっている。うまいものだ。

つきづきしく 04-150

この語の訳は判を押したようにどこでもどの訳語も「似つかわしく」となるが、似つかわしく鳴らすという現代語は何を意味するのかわからない。と言ってよりよい訳語があるわけでもないが、少なくとも、こんな訳ではよくないという感覚が働くようでなければダメだと思う。まず、この語は、何かことが行われた際に、それがその場の状況にとても適していたという意味であり、形状形容詞でも心情形容詞でもなく、基本的に草子地である。古語では連用形で動詞を修飾するが、意味的にはその動作はその場にふさわしいものだったとなる。英文法で言う文修飾の副詞である。しかし、そのように分析して文構造を組替えて訳したのでは、「つきづきしくうち鳴らし」のシンプルな原文の語感を抹殺してしまう。そこに工夫があるのだ。「その場に似つかわしく…」(「…」にはその場に似つかわしい形容句を入れる)とすれば大体いける。この場合なら、滝口の武士が弓をならすのだから、「その場に似つかわしく力強く」とやればよい。さらに言えば、要するに状況に合っているというのだから、「その場に似つかわしくみごとに」とやっておけば、まず間違いない。「似つかわしく」という訳語とほとんど変化がないが、こちらでは日本語としてなっていないので、すこしの差でも雲泥の違いがあると思うのだが、どうであろう。もちろんこれがベストの訳語ではない。

預りが曹司の方に 04-150

「が」は連体格で「曹司」にかかる。主格ではない。番人である男の与えられた自室の意味。

去ぬなり 04-150

「なり」は伝聞。

火あやふし 04-150

立てつづけられる声から、そっちの方向へ行ったのだろうと話者が推測したのである。光の判断とする注があるが精確ではない。ただ、この前後、話者は光の立場に立っていると見て誤差は少ないであろう。しかし、光が判断したのではなく、話者が聞き手に対して「そちらに去ってゆくように聞こえた」説明しているのである。

名対面 04-151

亥の一刻(午後九時頃)にその夜の宿直の者が上司に向って名をなのり、出勤を報告する夜の日課。

滝口の宿直奏し 04-151

名対面の後に点呼を受けて名をなのること。夜の九時半頃と考えられている。名対面は宮廷人の点呼で、滝口の宿直奏は武士の点呼。

推しはかりたまふはまだいたう更けぬにこそは 04-151

前が事実、後がその事実に対する話者の解釈を示す。Aという事実はBということを意味するのだろうということ。末尾「あらめ」などが省略されている。

さながら 04-152

前の状態のまま。

こはなぞ 04-153

批判。

もの狂ほしのもの怖ぢや 04-153

「もの」は、まさに狂おしいそのもの、怖いそのものの意味。程度が常軌を逸しているのであった、すこしの意味ではない。

うたて 04-154

あしうはべれば」にかかる副詞。自分にはどうにもならない状況が勝手に進行してゆく感覚を傍観している感じ。

御前 04-154

主人である夕顔を指す。

わりなく 04-154

処置なし。「うたてし」が傍観している余裕があるのに対して、どうにもならない感じ。「わりなく」はここでは、思すの内容(わりなしと思す)ではなく、思すの程度状態であろう。どうにもならないほどひどく思う(怖がる)ということ。

そよ 04-154

相手の発言を、うなづきながら取り上げる時の言葉。

かい探り 04-154

前の「探り」より荒々しい。次にはさらに強くなって「引き動かし」となる。

我にもあらぬさま 04-155

先の「我かの気色なり」よりも状態が悪化している。正気が失せかけている状態からほとんどない状態に深刻化している。

さまなれば 04-155

「なめり」という判断にかかってゆき、物事を判断する根拠を示す表現。「已然形+ば」は原因結果という事柄の動きのみを示すのではなく、判断の根拠を示しうる。

若びたる 04-155

年齢よりも若いことを非難している語。

人にて 04-155

「にて」は判断の理由。このように、事実としての根拠をあげ「已然形+ば」、その内面的理由「にて」をかんがみて、判断を下す場合が多い。

せむかたなき心地 04-155

あきらめの気分。

2020-05-24

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