04夕顔07

2020-05-24

夕顔 原文 04-101/04-133

101明け方も近うなりにけり 102鶏の声などは聞こえで 御嶽精進にやあらむ ただ翁びたる声にぬかづくぞ聞こゆる 103起ち居のけはひ 堪へがたげに行ふ 104いとあはれに 朝の露に異ならぬ世を 何を貧る身の祈りにか と 聞きたまふ 105南無当来導師 とぞ拝むなる 106かれ 聞きたまへ この世とのみは思はざりけりと あはれがりたまひて
  優婆塞が行ふ道をしるべにて来む世も深き契り違ふな
長生殿の古き例はゆゆしくて 翼を交さむとは引きかへて 弥勒の世をかねたまふ 行く先の御頼め いとこちたし
 107前の世の契り知らるる身の憂さに行く末かねて頼みがたさよ
かやうの筋なども さるは 心もとなかめり 108いさよふ月に ゆくりなくあくがれむことを 女は思ひやすらひ とかくのたまふほど にはかに雲隠れて 明け行く空いとをかし 109はしたなきほどにならぬ先にと 例の急ぎ出でたまひて 軽らかにうち乗せたまへれば 右近ぞ乗りぬる 110そのわたり近きなにがしの院におはしまし着きて 預り召し出づるほど 荒れたる門の忍ぶ草茂りて見上げられたる 111たとしへなく木暗し 霧も深く 露けきに 簾をさへ上げたまへれば 御袖もいたく濡れにけり 112まだかやうなることを慣らはざりつるを 心尽くしなることにもありけるかな
 113いにしへもかくやは人の惑ひけむ我がまだ知らぬしののめの道
慣らひたまへりやとのたまふ 114女 恥ぢらひて
  山の端の心も知らで行く月はうはの空にて影や絶えなむ
心細くとて もの恐ろしうすごげに思ひたれば かのさし集ひたる住まひの慣らひならむ と をかしく思す 115御車入れさせて 西の対に御座などよそふほど 高欄に御車ひきかけて立ちたまへり 116右近 艶なる心地して 来し方のことなども 人知れず思ひ出でけり 117預りいみじく経営しありく気色に この御ありさま知りはてぬ 118ほのぼのと物見ゆるほどに 下りたまひぬめり 119かりそめなれど 清げにしつらひたり 120御供に人もさぶらはざりけり 不便なるわざかな とて むつましき下家司にて 殿にも仕うまつる者なりければ 参りよりて さるべき人召すべきにや など 申さすれど ことさらに人来まじき隠れ家求めたるなり さらに心よりほかに漏らすな と口がためさせたまふ 121御粥など急ぎ参らせたれど 取り次ぐ御まかなひうち合はず まだ知らぬことなる御旅寝に 息長川と契りたまふことよりほかのことなし
122日たくるほどに起きたまひて 格子手づから上げたまふ 123いといたく荒れて 人目もなくはるばると見渡されて 木立いとうとましくものふりたり 124け近き草木などは ことに見所なく みな秋の野らにて 池も水草に埋もれたれば いとけうとげになりにける所かな 別納の方にぞ 曹司などして 人住むべかめれど こなたは離れたり けうとくもなりにける所かな さりとも 鬼なども我をば見許してむとのたまふ 125顔はなほ隠したまへれど 女のいとつらしと思へれば げに かばかりにて隔てあらむも ことのさまに違ひたり と思して
 126夕露に紐とく花は玉鉾のたよりに見えし縁にこそありけれ
露の光やいかにとのたまへば 後目に見おこせて 
 127光ありと見し夕顔のうは露はたそかれ時のそら目なりけり 
とほのかに言ふ 128をかしと思しなす げに うちとけたまへるさま 世になく 所から まいてゆゆしきまで見えたまふ 129尽きせず隔てたまへるつらさに あらはさじと思ひつるものを 今だに名のりしたまへ いとむくつけしとのたまへど 海人の子なればとて さすがにうちとけぬさま いとあいだれたり 130よし これも我からなめりと 怨みかつは語らひ 暮らしたまふ
131惟光 尋ねきこえて 御くだものなど参らす 132右近が言はむこと さすがにいとほしければ 近くもえさぶらひ寄らず 133かくまでたどり歩きたまふ をかしう さもありぬべきありさまにこそは と推し量るにも 我がいとよく思ひ寄りぬべかりしことを 譲りきこえて 心ひろさよ など めざましう思ひをる

夕顔 原文かな 04-101/04-133

「イ」:や行の「い」/「エ」:や行の「え」

あけがたもちかうなりにけり とりのこゑなどはきこエで みたけさうじにやあらむ ただおきなびたるこゑにぬかづくぞきこゆる たちゐのけはひ たへがたげにおこなふ いとあはれに あしたのつゆにことならぬよを なにをむさぼるみのいのりにかと ききたまふ なむたうらいだうしとぞおがむなる かれ ききたまへ このよとのみはおもはざりけりと あはれがりたまひて
うばそくがおこなふみちをしるべにてこむよもふかきちぎりたがふな
ちやうせいでんのふるきためしはゆゆしくて はねをかはさむとはひきかへて みろくのよをかねたまふ ゆくさきのおほむ-たのめ いとこちたし
さきのよのちぎりしらるるみのうさにゆくすゑかねてたのみがたさよ
かやうのすぢなども さるは こころもとなかめり いさよふつきに ゆくりなくあくがれむことを をむなはおもひやすらひ とかくのたまふほど にはかにくもがくれて あけゆくそらいとをかし はしたなきほどにならぬさきにと れいのいそぎいでたまひて かろらかにうち-のせたまへれば うこんぞのりぬる そのわたりちかきなにがし-の-ゐんにおはしましつきて あづかりめしいづるほど あれたるかどのしのぶぐさしげりてみあげられたる たとしへなくこぐらし きりもふかく つゆけきに すだれをさへあげたまへれば おほむ-そでもいたくぬれにけり まだかやうなることをならはざりつるを こころづくしなることにもありけるかな
いにしへもかくやはひとのまどひけむわがまだしらぬしののめのみち
ならひたまへりや とのたまふ をむな はぢらひて
やまのはのこころもしらでゆくつきはうはのそらにてかげやたエなむ
こころぼそく とて もの-おそろしうすごげにおもひたれば かのさし-つどひたるすまひのならひならむと をかしくおぼす みくるまいれさせて にし-の-たいにおましなどよそふほど かうらんにみくるまひき-かけてたちたまへり うこん えんなるここちして きしかたのことなども ひとしれずおもひいでけり あづかりいみじくけいめいしありくけしきに このおほむ-ありさましりはてぬ ほのぼのとものみゆるほどに おりたまひぬめり かりそめなれど きよげにしつらひたり おほむ-ともにひともさぶらはざりけり ふびんなるわざかな とて むつましきしも-げいしにて とのにもつかうまつるものなりければ まゐりよりて さるべきひとめすべきにや など まうさすれど ことさらにひとくまじきかくれがもとめたるなり さらにこころよりほかにもらすな とくちがためさせたまふ おほむ-かゆなどいそぎまゐらせたれど とりつぐおほむ-まかなひうち-あはず まだしらぬことなるおほむ-たびねに おきながかはとちぎりたまふことよりほかのことなし ひたくるほどにおきたまひて かうしてづからあげたまふ いといたくあれて ひとめもなくはるばるとみわたされて こだちいとうとましくもの-ふりたり けぢかきくさきなどは ことにみどころなく みなあきののらにて いけもみくさにうづもれたれば いとけうとげになりにけるところかな べちなふのかたにぞ ざうしなどして ひとすむべかめれど こなたははなれたり けうとくもなりにけるところかな さりとも おになどもわれをばみゆるしてむ とのたまふ かほはなほかくしたまへれど をむなのいとつらしとおもへれば げに かばかりにてへだてあらむも ことのさまにたがひたりとおぼして
ゆふつゆにひもとくはなはたまぼこのたよりにみエしえにこそありけれ
つゆのひかりやいかに とのたまへば しりめにみおこせて
ひかりありとみしゆふがほのうはつゆはたそかれどきのそらめなりけり
とほのかにいふ をかしとおぼしなす げに うちとけたまへるさま よになく ところから まいてゆゆしきまでみエたまふ つきせずへだてたまへるつらさに あらはさじとおもひつるものを いまだになのりしたまへ いとむくつけし とのたまへど あまのこなれば とて さすがにうちとけぬさま いとあいだれたり よし これもわれからなめりと うらみかつはかたらひ くらしたまふ
これみつ たづねきこエて おほむ-くだものなどまゐらす うこんがいはむこと さすがにいとほしければ ちかくもえさぶらひよらず かくまでたどりありきたまふ をかしう さもありぬべきありさまにこそは とおしはかるにも わがいとよくおもひよりぬべかりしことを ゆづりきこエて こころひろさよ など めざましうおもひをる

夕顔 現代語訳 04-101/04-133

明け方近くにもなっていた。鳥の声などは聞こえなくて、御岳精進であろうか、ただ年寄りじみた声で礼拝するのが聞こえる。立ち居の所作もつらそうに勤行する、とても不憫にお感じながら、朝の露に変りないこの世を、何をむさぼろうとわが身の利益(リヤク)を祈るのかとお聞きになる。南無当来導師と拝んでいるようだ。
「それ、お聞きなさい、この世だけとは思ってなかったのだ」と、情愛を催されて、
優婆塞が行ふ道をしるべにて来む世も深き契りたがふな
(優婆塞が
勤行する
仏道を頼りにして
来世へもわたる
深い約束に背きたまうな)
長生殿で玄宗皇帝がなされた古例は不吉だから、比翼の鳥となり羽を交わし合おうとの誓いとはまったく異なり、弥勒菩薩が現れる来世を見こんでおられる。そんな遥か先のお約束では、まったくごたいそうだ。
前の世の契り知らるる身のうさに行く末かねて頼みがたさよ
(前世の
因縁が知られる
身のつらさに
これから先のことを
今から当てにはとてもできない)
こうした光の口約束に対しても、こんな歌を返すようでは、女は心もとなく思っているのであろう。
進みあぐねる月に似て、思いにまかせてふらふらさまよい出すことを女はためらひ、君があれこれと説き伏せになられるうちに、にわかに月は雲にかくれ、明けゆく空はまことに趣き深い。人目について見苦しい思いをする前にと、いつものように急いでお出になる段に、女を軽やかに車にお乗せになったので、右近が介添えに乗った。
その辺りに近い誰それの院にお着きになれて、留守居役をお召し出しになる間、荒れはてた門に忍ぶ草の生い茂る様子がつい目に入るのが、たとえようなく木深く感じる。霧までも深く湿っぽいので、人目を忍ぶどころか簾までもお上げになったところ、お袖もしとどに濡れてしまわれた。
「まだこうしたことを習いつけないのに、心をすりへらすことでもあるな
いにしへもかくやは人のまどひけんわがまだ知らぬしののめの道
(いにしえも
こんなふうに
人は心迷いをしたろうか
わたしのまだ知らない
朝の恋の道行きに)
こういう経験はおありなの」とお聞きになる。
女は恥じらいながら、
「山の端の心もしらでゆく月はうはのそらにて影や絶えなむ
(山の端の
気持ちも知らずに
渡ってゆく月は
何もわからないまま途中で
きっと姿を消してしまうことだろう)
心細くて」と、ひどく恐ろしく不気味な様子をしているので、君は、あの立てこんだ住みかに馴れ親しんでいるせいであろうと、興味深く見ておられた。
お車を入れさせになり、西の対に御座所などを準備する間、高欄にお車をひきかけてお待ちになる。右近は、婀娜めいた気分に浮き立ち、過ぎ去ったことなども、人知れず思い出していた。留守居役が懸命に世話をしてかけ回る様子から、君のご身分をすっかりのみこんだ。
おぼろかに物が見えだした頃に、車からお降りになったようだ。かりの御座所あるがすっきりとしつらえられていた。
「お供にどなたもお仕えでないとは。不都合なではございませんか」と、君とは親密な下家司で、左大臣家にも仕えている者だったから、近くに参内して、「しかるべき者を召されてはどうか」などと申し上げるが、「わざと人の来そうにない隠れ処を探したのだ。けっして心ひとつに納めてよそにもらすな」と、口固めをされた。
お粥など急ぎ準備してさしあげるが、取次ぎをする給仕役が居合わさない。まだ知らぬ普段にない御旅寝のため、息長川(オキナガワ)のように長々と情を交わしあうことよりほかにない。
日が高くなる頃にお起きになって、格子を手ずからお上げになる。庭はひどく荒果て、人影もなくずっと遠くまで見渡され、木立はじつに気味わるく樹齢を経ている。手近の草木などは特に見る甲斐なく、どこも秋の野らとなり、池も水草に埋もれているので、ずいぶん人を寄せ付けぬ感じのするところかな、別棟の方に部屋を設けて人が住んでいるようだが、こちらは離れている。
「疎まれるまでになってしまったな。それでも、鬼なども私を見逃してくれよう」と、おっしゃる。顔は今なお隠しつづけておられたが、女がとても耐えがたいと思っているので、まったくこうまでになっていながら隠しおくのも今の間柄にふさわしくないとお考えになり、
夕露に紐とく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ
(夕露という愛情でこうしてあなたは花ひらき
わたしが覆いの紐を解くのは
たまたま通りかかったついでに
お会いしたのが
縁となったのですね)
夕顔を輝かせると詠まれた露の光はいかがです」とおっしゃると、横目に見上げて、
光ありと見し夕顔の上露はたそかれ時のそらめなりけり
(あなたがお見えになり
光が指したかに見えました
夕顔の上露のような
娘と二人の暮らしには
でもたそがれ時の見間違えであったとは)
と、ささやくように言う。恋の歌ではないものの、興味を持とうとなさる。まったく、うちとけていらっしゃる君のご様子は世に類いなく、場所柄不吉なまでにお見えになる。
「いつまでもお気を許しでないつらさに、見せまいと思っていたものを。せめて今からでも、素性をお明かしください。なんとも気味が悪い」とおっしゃるが、
「海人の子ですから」と、それでもなおうちとけない様子は、とても気をもたせる。
「よいわ。これもわたしのせいだ」と恨みごとを言ったり、語り合ったりしながらお過ごしになる。
惟光は君を尋ねあてて、軽い食事など人を介してさしあげる。右近にどう言われようと、さすがに申し訳ないので、そばへ伺候することもならない。こんなにも浮かされて連れだしになる、どんな女だろう、それだけの価値があってのことだなと推し量るにつけても、こっちが首尾良くいい仲になりえた女をお譲り申して、その度量と言っては、などあきれたことを考えている。

夕顔 注釈 04-101/04-133

御岳精進 04-102

吉野の金峰山(キンプサン)に参籠する前に行う千日間の精進潔斎。

ぬかづく 04-102

「起居のけはひたへがたげに」とあることから、五体投地(仏教徒が行なう敬礼法で、初めに両膝、つぎに両肘を地につけて、合掌して頭を地につける最敬礼)をしているのだろう。

いとあはれに 04-104

光は行者に対して、どうしてそれを茶化すような言葉を吐いたのか、理解しがたい。当時の現世利益を追求する修験者に反発する意図が、作者にあったと考えることもできるが、以後の帖から考え、そうした修験道への永続的批判は考えにくい。だとすれば、これはこれで、物語的に意味があるはずである。一読、話の筋にかかわらなく見える個所が、実は重要である、ないしは、作者があえて書きたかったことであるはずだ、という読み方がわたしの立場である。
それはそうと、この一節が物語の中でどういう役割を果たすのか、つかみにくい。正直言って証明はできないが、現時点でできる私の読みは、行者をけなすというタブーを犯すこと、魔界の扉を光自らあけたのではないか。

南無当来導師 04-105

修験道が現世利益であるのに対して、仏教は現世利益の側面は本来ない。ただ、平安時代は、その両者が混ざり合った微妙な時期であった。仏道に関心の深い光は、現世利益を願う行者を茶化したが、修験道には、仏教的な要素もあるのである。それが「南無当来導師」という唱えの文句で、光の耳にとどく。金峰山の金剛蔵王は、釈迦入滅後、五十六億七千万年後である来世に、新たな釈迦となって弥勒菩薩が現れるときに、その守護をする神。南無はすべてをすてて帰依すること。当来導師は、弥勒菩薩の別名。その名を唱えることは、仏教徒でもあるのだ。それを茶化したところに、夕顔の死を間近に体験するという、貴種流離のきっかけを見る。しかし、そうしたタブーを犯していることに光は気づかず、先に「この世のみならぬ契りなどまで頼めたまふ」とあった自分の誓いを傍証するために、あの修験道も、この世だけがすべてでないと思っているじゃないかと我田引水する。「思はざりけり」の「けり」は気づきのけり。「南無当来導師」と聞いて気づいたのである、現世利益だけでなく、来世のことにも、この修験道が関心あることに。「あはれがりたまひて」は、勤行に励む行者をあわれんでとの注が一般的だが、これは『注釈』の通り、夕顔に対する情愛である。何をむさぼる身の祈りと行者をけなしながら、自分の恋の道のために優婆塞を利用しようとしている点で光は罪が深い。「あはれがりて」は「来む世も深き契りたがふな」にかかってゆき、行者はダシに使われているだけである。「かね」は今から将来のことを見こんでおくこと。「行く先の御頼め」:これは前回の「この世のみならぬ契りなどまで頼めたまふ」を受ける。行く先の御頼めは、あの世、すなわち死後の世界の意味と、先に注した仏教でいう弥勒菩薩が出現する来世の意味をかねるので、先に誓ったのはあの世でもの意味でいわば常套句であるが、今回の優婆塞云々は、五十六億七千万年後という途方もない先のことで、あまりにご大層だとの意味。

かやうの筋 04-107

歌の作り方で、夕顔の歌は心もとない、すなわち、上手くないと解釈されている。しかし、後に出る「光ありと見し夕顔の……」の歌に関して、「をかし」と光は感じているし、第一、ここで夕顔の歌が上手いのまずいのという必然性は、物語にない。行者を出してきたのは、これから夕顔が向かう死出の旅を演出しているのであって、そうした大きな文脈に沿わない読みは受け入れられない。これが私の立場である。 「かやうの筋なども」は来世にまで続く深い約束に背かないでほしいと光が読みかけたの対し、将来を今から当てするのはむずかしいとの返事、これが「心もとなかめり」なのである。すなわち、このように将来を約束されたからといって、夕顔の返歌から察して、安心してはいないだろうと、夕顔の気持ちを話者が推測しているのである。光のあまりに大仰な口約束をここでも非難している。

いさよふ月に 04-108

諸注は「月に誘われて」と解して、「あくがれん」にかけるが、ためらう月に誘われてあこがれるでは、何のことだかわからない。月はためらひのシンボルとして「思ひやすらひ」に響くのだから、「いさよふ月に」は「思ひやすらひ」にかかるのである。この点、『新全集』の頭注は当を得ているが、訳者と注釈者が異なるゆえ、訳文にはその注が反映されていない。このためらう月と、「にわかに雲がくれ」するという実景が、後の夕顔の「山の端の心もしらでゆく月はうはのそらにて影や絶えなむ」の歌に収斂されるのである。「ゆくりなし」はとうとつ。「あくがれ」は何かにひかれるようにじっとしていられないこと。あくがれの対象は月でなく、この場から救いだしてくれるもの、すなわち、光である。繰り返すが、ここで月はためらうものとして出ているのであり、月にあくがれるのではない。なお、『新全集』の頭注には、「当時西に沈む月に、浄土=死が連想された、女のためらいは、死の予感のためと感じさせる」とある。

はしたなきほどにならぬ先に 04-109

人目に立っていやな思いをする前にということ。「簾さへ上げためへれば」の「さへ」には、簾を上げる場合でないのにという意識が働いている。なぜ、簾を上げる場合でないかというと、「はしたなきほどにならぬさきに」という意識、すなわち人目に立たぬよう行動しているはずなのにとの思いが話者にあるからである。

かやうなること 04-112

女を連れ出すこと。これは、結婚形態が、女のもとへ通うことから、女を囲うことへと変るのであり、これは、一時的な恋愛から終生にわたって世話をすることを意味し、当然ながら、第一夫人である左大臣の娘、葵の上とも衝突が予想され、ひいては、六条御息所の嫉妬心をあおることになる。これも、間接的に御息所の霊を呼び寄せているのだ。

惑ひ 04-113

恋に見境なくなっている状態。女を連れ出すのは、それだけのリスクがあるのである。

慣らひたまへりや 04-113

光は冷静な判断ができないほど女に夢中になっているので、時折、自信をなくすようである。「世をまだ知らぬにもあらず」「世馴れたる人ともおぼえねば」など。かつて、頭中将との関係があるだけに、光は女の方が上手でないかとの危惧があるのであろう。まだ後年のように世馴れた男にはなっておらず、それほど夢中でもあるのだ。

山の端 04-114

諸注ともに光にたとえると解するが、それのみではない。夕顔の知り得る世界と知り得ぬ世界の境界でもあるのだ。山の端のむこうは、光の世界でもあるが、未知の世界、死の世界でもある。夕顔は、そもそも、光を「昔ありけん物の変化めきて」感じていたのであり、「かのさし集ひたる住まひ」が夕顔の住む世界なのだ。

うはの空にて 04-114

山の端に入る前にの意味と、何もわからないままの両意をかける。

影や絶えなむ 04-114

この後の夕顔の運命を暗示させる。言葉が事柄の先に立つのが源氏物語の構造であること、何度も触れた。「言―事」構造。

立ちたまへり 04-115

車をとめておくこと。

艶なる心地 04-116

男女の出会いの場に居合わせて、右近みずから婀娜めいた気分になること。

来し方のことなど 04-116

諸注の説くとおり、頭中将と夕顔のかつての関係もあろうが、自身の過去の恋愛を思い返してもいたろう。夕顔が「もの恐ろしうすごげ」な様子をしているのと対照的である。

御ありさま 04-117

光の身分と注されている。しかし、それでは、「右近、艶なる心地して、来し方のことなども、人知れず思ひ出でけり」の一文が浮いてしまう。「艶なる心地」の関連で、「御ありさま」を解釈すべきではないかと思う。「ありさま」は、外にあらわれた全体的な感じ。右近は院全体を見渡したわけではないし、その番人が光に尽くしたとしても身分がわかるものではないように思う。ここでは、番人がにわか作りの御座所を用意していることから、ここで今日は過ごすのであるという光の考えを知ったということではないか。

下家司 04-120

摂関・大臣・三位以上の家で、家政をとりしきる役。

殿 04-120

左大臣家。

御まかなひ 04-121

取り次ぎ。下家司と右近しかいないため、食事を光に差し出す取次ぎ役がいないことを言う。

まだ知らぬことなる 04-121

「こと」は形式名詞の「事」ではなく、「異なる」で、普段と違うの意味。

息長川と契りたまふ 04-121

いつまでもとひたすら口約束を交わすとあるが、バカバカしい。馴れない普段と違う場所で、長々とベット・イン以外なかったの意味である。すぐ次に「日たくるほどに起きたまひて」とあるのが証拠。約束していていつのまにか寝ていたのでは、そんな約束は当てにならない。「息長川」は「にほ鳥の息長川は絶えぬとも君に語らむ言尽きめやも」(万葉集)から来ている言葉であるが、ここでは単に長々しい意味の序詞として契りたまふを形容するだけ。契るはもちろん性の営みである。

起きたまひて 04-122

性の営みで横になっていた状態から起きあがったのであり、睡眠状態にあったのではない。

秋の野らにて 04-124

「里はあれて人はふりにし宿なれや庭もまがきも秋の野らなる」(里は荒れ人は老いさらばえた宿であるな、庭もまがきも秋の野良同然だ)(古今・僧正遍昭)を下に敷く。

別納の方 04-124

別棟。

けうとくもなりにける所かな 04-124

直前の地の文「いとけうとげになりにける所かな」と酷似しているため、不審に思われている個所であるが、ここは「も……かな」という呼応で、光の実感を表している。光の実感とは何か、それは過去に得ていた印象とのギャップである。「うとくも」とあることからして、かつては親密な心の交流がこの場所とできていたのである。それがあるから、こうなった今でも「鬼なども我をば見ゆるしてん」とつながるのである。すなわち、ここは光にとって、慣れ親しんだ憩いの場であったのだ。

夕露に紐とく 04-126

夕顔が身体をゆるしたことと、光が顔の覆いをとることをかける。

玉鉾 04-126

道の意味。

露の光 04-126

【補】 参照。

思しなす 04-128

そうでないのにそう思おうとするという意思が感じられる。光の気持ちにはぐらかされた思いが「思す」でなく、「思しなす」に現れている。諸注のように、見間違いなどとわざと本心と逆のことを言って媚態を演じているとは取らない。逆であると書いてない限り、勝手にこれは逆だという解釈は許されない。夕顔は媚態を演じるタイプの女性ではない。常に受身であり、そのために、霊に取り殺されるのである。「尽きせず隔てたまへるつらさに」とすぐ後にも光が苦情を述べている。夕顔は媚態など演じない。

世になく 04-128

「見えたまふ」にかかる。

あらはさじ 04-129

光が顔の覆いをとったことと、先に歌を贈答したのは自分であると明かしたこと。光は夕顔が詠みかけてきた和歌で人違えしていることに気づいていたのであろう。ただし、それがかつて頭中将の恋人であったのか別人であるか、最初は判断がつかなかったのである。

名のり 04-129

名だけを明かすのではない。どういう出であるかなど素性全般を意味すると解さなければ、夕顔の返事は理解できない。

むくつけし 04-129

正体のわからないものに対する気味悪さをいう。恋人にむかって言うには強すぎる語である。これは『注釈』が言うように、「いづれか狐なるらんな」と呼応するが、なお、文脈をはみだす感じがする。文脈をはみ出すのは、遠く離れた個所と呼応する証拠であり、これは、夕顔へ向けた言葉であると同時に、後に霊が出現するこの場所に対する気味悪さを述べた語であろう。ここでも、言葉が事柄に先立つ予言構造が使われている。

海人の子なれば 04-129

「白波の寄する渚に世をすぐす海人の子なれば宿も定めず」(古今和歌集・藤原直子)、すなわち、海人の子であって住まいも定まらない家の出であるから、素性を明かそうにも明かす素性はないとの答え。先に「名のり」は名前だけでないと注したのは、宿も定まらない身であるから、明かす名前がないでは文脈が齟齬するため。宿は家柄・出自の比ゆ。

我から 04-130

「海人の刈る藻にすむ虫のわれからと音をこそ泣かめ世をば恨みじ」と考えられているが、源氏の原文「われからなりと恨み」と「恨みじ」は矛盾するため、今ひとつ腑に落ちない。「おきつなみうちよするもにいほりしてゆくへさためぬわれからそこは(大海原に打ち寄せる藻の中に庵を構え、行方定めないのは、われからそうしたのだ)」(元永版古今和歌・読人しらず)を利用し、「宿も定めず」と詠んだが、あなたが「ゆくへさためぬ」理由は、「われから(わたしのせいだ)」と返したのではないか。こちらを取ると、素性を明かせないのはわたしがもともと明かさなかったせいだと意味に加え、こうして家から連れだし、行方定めぬ状態になったのはわたしのせいだの二重の意味をもち得る。「恨み」は恨み言。「暮らし」は時を過ごす。

御くだもの 04-131

菓子や果物というより、木の実などの軽い食事であろう。

右近が言はむこと 04-132

具体的に何か、文脈から決定しづらい。

いとほしけれ 04-132

申し訳ないの意味で、惟光が右近に引け目を感じていることがわかる。光を手引きしたことが右近の苦情であるとの注があるが、自分の仕える貴人を世話した惟光に右近への責任を感じるゆわれはないであろう。惟光からすればよいことをしたのである。では、何に責任を感じているのか。惟光はすぐ直後に自分こそ夕顔と言い仲になれたのだといい気な空想している。右近に引け目を感じながら、すぐにこういう想像をできることからして、惟光は女たらしであり、夕顔の女房と通じた相手は当の右近であり、目的が光を通わせることにあったから、その目的が達成するや、すげなく右近の元に通わなくなったのではないかと私は想像する。今出て行くと、光との主従関係がばれてしまい、何よ、あんた。最近ちっとも来ないと思ったら。手引きが狙いで、惚れてたんじゃないのってことになる。ただし、右近のもとに通ったのかどうか、証拠はないので想像に過ぎない。

めざましう 04-133

見くびっている相手が思わぬ行動・態度に出るときの驚き。

2020-05-24

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