04夕顔16

2021-02-21

目次

04夕顔 原文 読みかな 対訳 273/294

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《かの人の四十九日 忍びて比叡の法華堂にて 事そがず 装束よりはじめて さるべきものども こまかに 誦経などせさせたまひぬ》273
かの/ひと/の/なななぬか しのび/て/ひえ/の/ほけだう/にて ことそが/ず さうぞく/より/はじめ/て さるべき/もの-ども こまか/に ずきやう/など/せ/させ/たまひ/ぬ
あの方の四十九日には、内密に叡山の法華堂で儀式を省かず行い、お布施には装束をはじめ立派な品々を心を遣い、誦経などをおさせになる。


《経 仏の飾りまでおろかならず 惟光が兄の阿闍梨 いと尊き人にて 二なうしけり》274
きやう ほとけ/の/かざり/まで/おろか/なら/ず これみつ/が/あに/の/あざり いと/たふとき/ひと/にて になう/し/けり
経巻や仏像の飾り物までおろそかにせず、惟光の兄の阿闍梨は徳の高い僧で、この上なく丁重に行った。


《御書の師にて 睦しく思す文章博士召して 願文作らせたまふ》275
おほむ-ふみ/の/し/にて むつましく/おぼす/もんじやうはかせ/めし/て ぐわんもん/つくら/せ/たまふ
学問の先生で、懇意にしておられる文章博士をお呼びになり、願文を作らせになる。


《その人となくて あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを 阿弥陀仏に譲りきこゆるよし あはれげに書き出でたまへれば ただかくながら 加ふべきことはべらざめりと申す》276
その/ひと/と/なく/て あはれ/と/おもひ/し/ひと/の/はかなき/さま/に/なり/たる/を あみだぶつ/に/ゆづり/きこゆる/よし あはれげ/に/かき/いで/たまへ/れ/ば ただ かく/ながら くはふ/べき/こと/はべら/ざ/めり と/まうす
誰それとは明かさず、愛しく思っていた人が帰らぬ事態となってしまったので、後生を阿弥陀仏にお任せ申し上げる旨を、愛情こまかにお書きになると、
「もうこのままで、つけ加える点はございませんでしょう」とお答え申し上げる。


《忍びたまへど 御涙もこぼれて いみじく思したれば 何人ならむ その人と聞こえもなくて かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さと言ひけり》277
しのび/たまへ/ど おほむ-なみだ/も/こぼれ/て いみじく/おぼし/たれ/ば なに/びと/なら/む その/ひと/と/きこエ/も/なく/て かう/おぼし/なげか/す/ばかり/なり/けむ/すくせ/の/たかさ と/いひ/けり
お隠しになっておられるが、声を上げお涙までこぼされひどく悲しんでおられるので、
「どういうお方だろう。誰それとお名を耳にすることもないが、こんなに君を思い嘆かせになる宿世の尊さたるや」と口にするのだった。


《忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴を取り寄せさせたまひて 泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき このほどまでは漂ふなるを いづれの道に定まりて赴くらむ と思ほしやりつつ 念誦をいとあはれにしたまふ》278
しのび/たまへ/ど おほむ-なみだ/も/こぼれ/て いみじく/おぼし/たれ/ば なに/びと/なら/む その/ひと/と/きこエ/も/なく/て かう/おぼし/なげか/す/ばかり/なり/けむ/すくせ/の/たかさ と/いひ/けり しのび/て/てうぜ/させ/たまへ/り/ける/さうぞく/の/はかま/を/とりよせ/させ/たまひ/て なく/なく/も/けふ/は/わが/ゆふ/したひも/を いづれ/の/よ/に/か/とけ/て/みる/べき この/ほど/まで/は/ただよふ/なる/を いづれ/の/みち/に/さだまり/て/おもむく/らむ と/おもほしやり/つつ ねんず/を/いと/あはれ/に/し/たまふ
夕顔の名は秘したまま、供養のための施物に誂えさせになった装束の袴を、お取り寄せになり、泣きながら、今日はわたしが結ぶ下紐であるが いつの世にしっぽりと紐を解いて寝られようか この頃まで魂は中有(ちゅうう)をさまようというが、六道のどの道へ進むと決まって行くのだろうと、思いやりになられながら、念仏読経をいとしさをこめて行いになる。


《頭中将を見たまふにも あいなく胸騒ぎて かの撫子の生ひ立つありさま 聞かせまほしけれど かことに怖ぢて うち出でたまはず》279
とう-の-ちうじやう/を/み/たまふ/に/も あいなく/むね/さわぎ/て かの/なでしこ/の/おひたつ/ありさま きかせ/まほしけれ/ど かこと/に/おぢ/て うち-いで/たまは/ず
頭中将とお会いになるにも、わけもなく胸騒ぎがして、あの撫子のおい育つ様子を聞かせたく思われるが、恨み言をおそれて口になさらない。


《かれ かの夕顔の宿りには いづ方にと思ひ惑へど そのままにえ尋ねきこえず 右近だに訪れねば あやしと思ひ嘆きあへり》280
かれ かの/ゆふがほ/の/やどり/に/は いづかた/に/と/おもひ/まどへ/ど その/まま/に/え/たづね/きこエ/ず うこん/だに/おとづれ/ね/ば あやし/と/おもひ/なげきあへ/り
例の五条にある夕顔の宿では、主人はどこに行かれたものかと案じながらも、それきり在りかを尋ね申し上げることができないでいる。右近までもが戻って来ないので、気が気でなく嘆きあった。


《確かならねど けはひをさばかりにやと ささめきしかば 惟光をかこちけれど いとかけ離れ 気色なく言ひなして なほ同じごと好き歩きければ いとど夢の心地して もし 受領の子どもの好き好きしきが 頭の君に怖ぢきこえて やがて 率て下りにけるにや とぞ 思ひ寄りける》281
たしか/なら/ね/ど けはひ/を/さばかり/に/や/と ささめき/しか/ば これみつ/を/かこち/けれ/ど いと/かけはなれ けしき/なく/いひ/なし/て なほ/おなじ/ごと/すき/ありき/けれ/ば いとど/ゆめ/の/ここち/し/て もし ずりやう/の/こども/の/すきずきしき/が とう-の-きみ/に/おぢ/きこエ/て やがて ゐ/て/くだり/に/ける/に/や と/ぞ おもひより/ける
確かなことではないが、事件との関わりがありそうなのは惟光以外ないと女房たちはひそかに噂しあっていたので、惟光を責めたけれど、おかど違いもはなはだしいと、さらさら関係のない様子で話にけりをつけ、以前通り女房のもとへ通ってくるので、ますます狐につままれたようにわけがわからず、ひょっとすると、受領の息子などの女たらしが、頭中将様に知られるのを恐れ申し上げて、そのまま任国に連れていったのではないかと、想像を広げてみるのであった。


《この家主人ぞ 西の京の乳母の女なりける》282
この/いへあるじ/ぞ にし-の-きやう/の/めのと/の/むすめ/なり/ける
この家の主人は西の今日の乳母の娘であった。


《三人その子はありて 右近は他人なりければ 思ひ隔てて 御ありさまを聞かせぬなりけりと 泣き恋ひけり》283
みたり/その/こ/は/あり/て うこん/は/ことびと/なり/けれ/ば おもひ/へだて/て おほむ-ありさま/を/きか/せ/ぬ/なり/けり/と なき/こひ/けり
乳母には三人子供があるが、右近は血縁ではなかったので、隠し立てしてご様子知らせてこないのだと、泣いて女君を慕うのだった。


《右近 はた かしかましく言ひ騒がむを思ひて 君も今さらに漏らさじと忍びたまへば 若君の上をだにえ聞かず あさましく行方なくて過ぎゆく》284
うこん はた かしかましく/いひ/さわが/む/を/おもひ/て きみ/も/いまさら/に/もらさ/じ/と/しのび/たまへ/ば わかぎみ/の/うへ/を/だに/え/きか/ず あさましく/ゆくへ/なく/て/すぎ/ゆく
右近は右近で、やかましく騒ぎ立てられるのを案じ、光の君も今になって漏らしたりはすまいとお隠しになっているので、せめて女君の娘である若君のご様子だけでも知りたいとおもいながらとかなわず、こんなことになった運命を嘆きながら、行方も知らぬまま時は過ぎていく。


《君は 夢をだに見ばやと 思しわたるに この法事したまひて またの夜 ほのかに かのありし院ながら 添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ 荒れたりし所に住みけむ物の 我に見入れけむたよりに かくなりぬることと 思し出づるにもゆゆしくなむ》285
きみ/は ゆめ/を/だに/み/ばや/と おぼし/わたる/に この/ほふじ/し/たまひ/て また/の/よ ほのか/に かの/ありし/ゐん/ながら そひ/たり/し/をむな/の/さま/も/おなじ/やう/にて/みエ/けれ/ば あれ/たり/し/ところ/に/すみ/けむ/もの/の われ/に/みいれ/けむ/たより/に かく/なり/ぬる/こと/と おぼし/いづる/に/も/ゆゆしく/なむ
光の君はせめて夢にでも逢いたいと思いつづけになっていると、この四十九日の法事を行われた翌日の夜、十分ではないものの、例の二人で過ごした院そのままの様子で、枕元に立った女の姿も同じ様子で夢を見たので、荒果てた場所に棲んでいた物の怪が私に取りついたことが機縁となって、こんなことになったのだあの場所を思い出しになっては不吉になられ。


《伊予介 神無月の朔日ごろに下る》286
いよ-の-すけ かむなづき/の/ついたち-ごろ/に/くだる
伊予介は十月初め頃に任国へくだる。


《女房の下らむにとて 手向け心ことにせさせたまふ》287
にようばう/の/くだら/む/に/とて たむけ/こころこと/に/せ/させ/たまふ
女房のついてゆく者たちのために、餞別の気持ちをこめ、君は特別に贈物をなさる。


《また 内々にもわざとしたまひて こまやかにをかしきさまなる櫛 扇多くして 幣などわざとがましくて かの小袿も遣はす》288
また うちうち/に/も/わざと/し/たまひ/て こまやか/に/をかしき/さま/なる/くし あふぎ/おほく/し/て ぬさ/など/わざとがましく/て かの/こうちき/も/つかはす
さらに、伊予介には内々にことさらに餞別を贈られ、精密な見た目の美しい櫛や扇をたくさんそろえ、道中の無事を祈る幣などもわざわざし立てたという感じにして、例の小袿もお遣わしになる。


《逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな こまかなることどもあれど うるさければ書かず》289
あふ/まで/の/かたみ/ばかり/と/み/し/ほど/に ひたすら/そで/の/くち/に/ける/かな こまか/なる/こと-ども/あれ/ど うるさけれ/ば/かか/ず
再会を果たすまでの形見くらいに思っているうちに 涙で袖がすっかり朽ちてしまったなあ ほかにもこまごまとしたことがあるけれども、煩わしいので書かない。


《御使 帰りにけれど 小君して 小袿の御返りばかりは聞こえさせたり》290
おほむ-つかひ かへり/に/けれ/ど こぎみ/して こうちき/の/おほむ-かへり/ばかり/は/きこエ/させ/たり
君からのお使いの者は帰ってしまったが、小君を使者に、小袿に対するご返事ばけは申し上げさせた。


《蝉の羽もたちかへてける夏衣かへすを見てもねは泣かれけり 思へど あやしう人に似ぬ心強さにても ふり離れぬるかなと思ひ続けたまふ》291
せみ/の/は/も/たち/かへ/て/ける/なつごろも かへす/を/み/て/も/ね/は/なか/れ/けり おもへ/ど あやしう/ひと/に/に/ぬ/こころづよさ/にて/も ふり-はなれ/ぬる/かな と/おもひ/つづけ/たまふ
秋となりさっぱりと衣を替えおえた蝉の羽のように 薄い夏ごろもを今さらお返しになるのを見ても 過去を清算なさるのかと声を立てて泣かれるばかりです 考えれば考えるほどに、理解ならぬほど人に似ない強情さで、それだけでも私をふり切って行ってしまわれたなと、空蝉のことを思いつづけになる。


《今日ぞ 冬立つ日なりけるも しるく うちしぐれて 空の気色いとあはれなり 眺め暮らしたまひて 過ぎにしも今日別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな
なほ かく人知れぬことは苦しかりけりと思し知りぬらむかし》292
けふ/ぞ/ふゆ/たつ/ひ/なり/ける/も しるく うち-しぐれ/て そら/の/けしき/いと/あはれ/なり ながめ/くらし/たまひ/て すぎ/に/し/も/けふ/わかるる/も/ふたみち/に ゆく/かた/しら/ぬ/あき/の/くれ/かな なほ かく/ひと/しれ/ぬ/こと/は/くるしかり/けり/と おぼし/しり/ぬ/らむ/かし
ちょうど今日が立冬にあたるが、その日であると言い表すように、急に時雨だし、空の様子はとても人淋しい思いをさせる。ぼんやりとその様子を一日中ながめて暮らされ、過ぎ去った人も 今日別れてゆく人も 二つの道を通り 行く方知らずになった秋の暮れだなあ やはりこのように人には言えぬ秘め事は苦しいものだなと、思い知られたものでしょうよ。


《かやうのくだくだしきことは あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて みな漏らしとどめたるを など 帝の御子ならむからに 見む人さへ かたほならずものほめがちなる と 作りごとめきてとりなす人 ものしたまひければなむ》293
かやう/の/くだくだしき/こと/は あながち/に/かくろへ/しのび/たまひ/し/も/いとほしく/て みな/もらし/とどめ/たる/を など/みかど/の/みこ/なら/む/から/に み/む/ひと/さへ かたほ/なら/ず/もの/ほめがち/なる/と つくりごと/めき/て/とり/なす/ひと ものし/たまひ/けれ/ば/なむ
このようにくだくだしいお話は、君が無理にも隠そうとされ、じっと忍んでこられた恋愛で、そのご様子を思うと申し訳なくて、みなさし控えてきたのであるが、どうして帝の皇子だからといって、恋の相手の女性までが欠点がなくべたぼめにほめてばかりいるのかと、作り事っぽいと決めてかかる人がいらっしゃったから、仕方なく。


《あまりもの言ひさがなき罪 さりどころなく》294
あまり/ものいひ/さがなき/つみ さりどころ/なく
あまりに口さがなく書きとめたとの非難は逃れようもないことで……。

夕顔 注釈 04273/04294

忍びて 04273

光が死者の供養をしていることを公に知られないことと、死者である夕顔と光との関係を僧侶たちに知られないこと。

法華堂 04273

比叡山の根本中堂に次ぐ要所とされる。

事そがず 04273

簡略にせず。装束よりはじめてさるべき物どもは、僧侶や叡山への布施や供養の品々。後に出る「装束の袴」もふくむ。

経仏の飾り 04274

いわゆる荘厳のこと。経巻・仏像・お堂などを厳かに飾り立てること。

御書の師 04275

漢文の先生ないしは学問の先生。当時の学問はみな漢文で書かれていたので、学問をするとは漢文を読むことであった。

願文 04275

仏前で読み上げるために漢文で作られる、施主(この場合は光)の願いの文章。

その人となくて 04276

死者の正体を明かさずに。

阿弥陀仏に譲りきこゆる 04276

夕顔の後世を阿弥陀仏に託すこと。

書き出でたまへれば 04276

文章の草案を書く。直しを入れるのは文章博士の役だが、光の下書きで手直しの必要のない名文になっていたというのが、「ただかくながら加ふべきことはべらざめり」

忍びたまへど 04277

直後の「御涙もこぼれて」にかけ、がまんしても涙も流すとする解釈には疑問である。「忍ぶ」には、がまんすると、隠すの意味がある。本来、外に見せないということで、我慢するも隠すも同じことだが、使われる文脈により、現代訳としては訳し分けることになるわけだ。つまり、問題は文脈ということになる。涙との関係では、我慢するの意味がでてくるが、最初から文脈を追って行くと、「忍びて」「その人となくて」「忍びたまへど」「何人ならむ、その人と聞こえもなくて」「忍びて」「うち出でたまはず」となる。つまり、夕顔の正体を隠すということが、ひとつの焦点になっているのである。したがって、ここは、「いみじく思したれば」にかけ、隠そうとされながらも、涙までもながして、ひどく悲しみとなる。涙をこらえたり、悲しみをこらえるために「忍ぶ」のではない。僧侶たちに二人の関係がばれないように秘しているのである。その嘆き方かあまりに強いので、僧が不審に思うと同時に感嘆して、「かう思し嘆かずばかりなりけん宿世の高さ」ともらした。「御涙もこぼれて」の「も」は、涙までもの「も」。涙以外にも声を上げてという意味が隠れている。

忍びて調ぜさせたまへりける装束 04278

僧侶としての布施以外に、死者の身につけていたものなどを、供養のために寺へ納める風習があった。ただし、夕顔にはそのために取っておいたものがないので、光が代用品を新調したのである。「忍びて」は、夕顔の正体を作りてに明かさず、また、世間にそういうものを光が新調させていることを知らせずに。

とけて見るべき 04278

下紐を解くの意味と、誰にはばかることなく心ひとつになっての意味をかける。「見る」は、もちろん、性愛を愉しむこと。これも、軒端荻の歌に負けずエロチックであるが、紐を解くという言い回しは、万葉の時代から歌語として成立している点で、平安人にとって生なニュアンスはないのだろうと思う。

このほどまでは漂ふなる 04278

四十九日まで魂が中有をさまようこと。「なる」は伝聞。

いづれの道に定まりて 04278

生前の行いにより、死後、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人へ向う六つの世界に生まれ変わるが、そのうちのコースに行くことに定まったのかということ。「あいなく」は、頭中将にばれていないのだから、胸騒ぎする必要もないのに胸騒ぎするとの意味。

撫子 04279

頭中将と夕顔(常夏)との間に生まれた女の子。頭中将は、母子ともにゆくえを知らない。

かこと 04279

なぜ夕顔を死なすようなことになったのかという非難・恨み言。 こういうとあまり賛成を得られそうにないが、ここでも空蝉と夕顔は対照的に描かれている。それは空蝉が身につけていた上着だけ残して姿を隠したのに対して、夕顔は光と添い寝した衾にくるまれて火葬されたため、夕顔の衣服は手元にないのである。そこで光が正体がばれないように配慮しながら、代わりの装束を用意するのである。性愛の思い出がなく形見だけが残る空蝉との恋愛と、性愛の思い出はあるものの形見の品のない夕顔との恋愛。ふたつの恋愛の最重要の道具が衣服である。歌のやりとりが恋の仲立ちとして使われるが、性の直接の証しはまさに「きぬぎぬ(男女が性愛を愉しんだよく朝、衣服を交換すること。また交換しあった衣服。転じて、性交渉のすんだ翌朝)」であるのだ。

けはひさばかりにやとささめきしかば 04281

女君のもとに通っていた男の雰囲気からして光の君だったであろうと、諸注は解釈するが、この文脈からそんな離れ業の訳文が出てくるものだろうか。「けはひ」は何かから感じられる様子。「さばかりにや」は、そうに違いないということ。ここは、「けはひ」と「気色」が対比されて使われている。惟光があやしい、事件にかかわりがありそうだ、それ以外に考えられないと、女房たちのあいだで噂しあっていた。そこで惟光に白状しろと責めたが、お門違いもほどがある金輪際関係ないときっぱり言いきり、そればかりか、以前のように女房のもとに通い出すので嘘を言っているとも思われず、真相は夢のようにわからなくなったのである。惟光が通ってくるのは、犯人が光かそうでないかではなく、惟光が共犯でないからであるはずだ。

かけ離れ 04281

これも、相手の男が光なんかではないの意味でなく、事件と自分は関係ないの意味である。

気色なく言ひなし 04281

これも、事件の関連は自分にはないと言いきること。

若君の上 04284

夕顔の娘である撫子の身の上。

思しわたる 04285

「わたる」は時間的継続。

かのありし院ながら 04285

「ながら」は、さながらでなく、そのまま。古語の「さながら」はそのままの意味だが、現代語の「さながら」はあたかもの意味であり、二つの物が似てはいるが違うのだという意味をもつ。ここは、かつて過ごした院がそのまま夢に出てきたのである。

添ひたりし女 04285

夕顔の枕元に立った女の霊。六条御息所であるという説と、故院の霊とする説と、どちらともわからないという説がある。私の解釈は最初の説であることは繰り返した。

物 04285

断るわけにいかない。

見入れ 04285

魅入る、取りつく。

たより 04285

きっかけ。

朔日 04286

月初め。七日ごろまでを言うとされる。

女房の下らむに 04287

「の」は主格。「下らん」が述語。「ん」は連体形。「に」は~のために。女房の下ろうとする人のためにの意味。

内々に 04288

伊予介には内緒で。

わざと 04288

ことさらに、わざわざ。語り手の評。

扇 04288

「逢ふ(ぎ)」の意味を込め、旅の無事と再会を祈る贈物という。

わざとがましく 04288

これも、空蝉にはいささか意図的にうつるのであろう。

朽ちにける 04289

逢いたいのに逢えないことによる涙で。

こまかなることどもあれどうるさければ書かず 04289

虚構の物語を現実にあったことのように感じさせる手法との説明があるがどうだろう。結果としての効果の説明としてはそれでいいだろうが、この帖の末尾部分との関連でみると、どうも紫式部自体が、実際に読み手である、たとえば彰子だとか道長だとかに、断り書きしているように思われる。物語を書きながら、現実をちょっと取り入れることで、わかる人にだけわかる喜びを与えているのではないか。例えば、映画のワンシーンで俳優が、自分の恋人にだけわかる仕種でサインを送るようなことが、読者サービスとしてあったのではないか。

御使 04290

光の君からの使者。

蝉の羽 04291

蝉の羽のように薄い衣の意味に、空蝉という名を持つこの世でのはかない存在である自分を蝉に投影している。

たちかへて 04291

「裁ち」(衣を裁断)と「絶ち」(きっぱり思いを絶つ)と「立ち」(光のもとから出立する)の意味がかかるものと思われる。

心強さにても 04291

「も」はそのことだけでもの「も」。嫌いになって別れるのではなく、強情さから別れてゆく、理解のできない女だの意味。単なる強意ではない。

今日ぞ冬立つ日なりける 04292

「ける」は知らなかったことを知った時の驚きを表す。自分としては秋の終わりと思っていたのに、はっと気づくと冬になっていたという意味が隠れている。あとの歌を理解するためのここがポイント。

しるく 04292

そのことをはっきり示すように。

いとあはれなり 04292

ものさびしい、ひとさびしい、ひと恋しいなどの意味。

眺め暮らし 04292

ぼんやりと人恋しさをつのらせる空模様をながめて、物思いにふけり、それで日が暮れていったの意味。

過ぎにしも 04292

夕顔。

今日別るるも 04292

空蝉。立冬なのに「秋の暮れ」はおかしいと昔から言われてきた。しかし、それは当たらない。この歌は、日が暮れてから詠んだものであり、詠んだ時点ではすでに立冬であることを知った後の歌ではあるが、歌のテーマは、今朝の時点に遡り、まさに今別れてゆこうとしている場面を詠んでいるのである。「けふ別るる」(現在形は近い未来も表す)は、まだ出発前で、これから別れて行く空蝉を思い、その一番つらい瞬間に立ちかえり歌は詠まれたわけだ。歌を詠もうとした時点で、光の内的時間は逆行し、そこでストップしたのである。その一日のある時刻に光は冬が来ていたことを知るわけだが、別れてゆく空蝉を思いやっている時点では光の気持ちは秋の終わりであった。従って、客観時間は冬の初めであっても、光の内的時間は秋の暮れである。その時に遡って歌を詠んだということに思い至れば矛盾はなくなる。時間的に歌がさかのぼる、すなわち、物語の進行時間と歌の示す時間にギャップがあることは、よくあることなので、十分理解しておく必要がある。「冬立つ日なりける」の「けり」に込められた意味にも注意を喚起しておく。

かく人知れぬこと 04292

このように他人に知らせることのできない恋愛の意味。この一文で夕顔と空蝉との悲恋の物語は終わる。残りの部分は、『帚木』の帖の冒頭と呼応するのであって、具体例としての空蝉・夕顔の話とは直接はつながらない。

かやうのくだくだしきこと 04293

作者が明かした空蝉・軒端荻・夕顔との恋愛物語。

あながちに隠ろへ忍びたまひしも 04293

光の作者に対する態度。

いとほしくて 04293

申し訳なく思うこと。

漏らしとどめたる 04293

これまで書くのを控えてきた。ということは、この三帖は後で挿入した、あるいは、後で挿入したという形式を作者は取っている。

見む人 04293

『注釈』の解釈、恋愛の相手の女性。光を見知っている人ならば「見し人」になろう。「見ん人」は、まだ中流の女性たちとの物語りが語られる前に、帝の皇子だからといって、相手の女が、藤壺様みたいな欠点のない人ばかりでは不自然だといったのである。まだ空蝉などの物語が作られる前だから、「見ん人」と未来形で書かれているのだ。

かたほならず 04293

欠点がない。

とりなす 04293

ゆがんだ解釈をあてはめる。

ものしたまひければ 04293

敬語がついていることから、作者式部にとって現実に身分の高い人からの小言であろうと推察される。道長であろう。

あまりもの言ひさがなき罪 04294

同僚の女房たちに対する言い訳だろう。おそらく女性の読み手は、美しい恋愛を求め、男性の読み手は失敗譚を求めたであろうと想像する。

04夕顔 原文 16章273/294

かの人の四十九日 忍びて比叡の法華堂にて 事そがず 装束よりはじめて さるべきものども こまかに 誦経などせさせたまひぬ 経 仏の飾りまでおろかならず 惟光が兄の阿闍梨 いと尊き人にて 二なうしけり 御書の師にて 睦しく思す文章博士召して 願文作らせたまふ その人となくて あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを 阿弥陀仏に譲りきこゆるよし あはれげに書き出でたまへれば ただかくながら 加ふべきことはべらざめりと申す 忍びたまへど 御涙もこぼれて いみじく思したれば 何人ならむ その人と聞こえもなくて かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さと言ひけり 忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴を取り寄せさせたまひて
泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にかとけて見るべき
このほどまでは漂ふなるを いづれの道に定まりて赴くらむ と思ほしやりつつ 念誦をいとあはれにしたまふ 頭中将を見たまふにも あいなく胸騒ぎて かの撫子の生ひ立つありさま 聞かせまほしけれど かことに怖ぢて うち出でたまはず
 かれ かの夕顔の宿りには いづ方にと思ひ惑へど そのままにえ尋ねきこえず 右近だに訪れねば あやしと思ひ嘆きあへり 確かならねど けはひをさばかりにやと ささめきしかば 惟光をかこちけれど いとかけ離れ 気色なく言ひなして なほ同じごと好き歩きければ いとど夢の心地して もし 受領の子どもの好き好きしきが 頭の君に怖ぢきこえて やがて 率て下りにけるにや とぞ 思ひ寄りける
 この家主人ぞ 西の京の乳母の女なりける 三人その子はありて 右近は他人なりければ 思ひ隔てて 御ありさまを聞かせぬなりけりと 泣き恋ひけり 右近 はた かしかましく言ひ騒がむを思ひて 君も今さらに漏らさじと忍びたまへば 若君の上をだにえ聞かず あさましく行方なくて過ぎゆく
 君は 夢をだに見ばやと 思しわたるに この法事したまひて またの夜 ほのかに かのありし院ながら 添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ 荒れたりし所に住みけむ物の 我に見入れけむたよりに かくなりぬることと 思し出づるにもゆゆしくなむ
 伊予介 神無月の朔日ごろに下る 女房の下らむにとて 手向け心ことにせさせたまふ また 内々にもわざとしたまひて こまやかにをかしきさまなる櫛 扇多くして 幣などわざとがましくて かの小袿も遣はす
 逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな
こまかなることどもあれど うるさければ書かず 御使 帰りにけれど 小君して 小袿の御返りばかりは聞こえさせたり
 蝉の羽もたちかへてける夏衣かへすを見てもねは泣かれけり
思へど あやしう人に似ぬ心強さにても ふり離れぬるかなと思ひ続けたまふ 今日ぞ 冬立つ日なりけるも しるく うちしぐれて 空の気色いとあはれなり 眺め暮らしたまひて
  過ぎにしも今日別るるも二道に行く方知らぬ秋の暮かな
なほ かく人知れぬことは苦しかりけりと思し知りぬらむかし かやうのくだくだしきことは あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて みな漏らしとどめたるを など 帝の御子ならむからに 見む人さへ かたほならずものほめがちなる と 作りごとめきてとりなす人 ものしたまひければなむ あまりもの言ひさがなき罪 さりどころなく

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