04夕顔15

2020-10-14

04夕顔 原文 15章250/272

幼き人惑はしたりと 中将の愁へしは さる人や と問ひたまふ しか 一昨年の春ぞ ものしたまへりし 女にて いとらうたげになむと語る さて いづこにぞ 人にさとは知らせで 我に得させよ あとはかなく いみじと思ふ御形見に いとうれしかるべくなむとのたまふ かの中将にも伝ふべけれど 言ふかひなきかこと負ひなむ とざまかうざまにつけて 育まむに咎あるまじきを そのあらむ乳母などにも ことざまに言ひなして ものせよかしなど語らひたまふ さらば いとうれしくなむはべるべき かの西の京にて生ひ出でたまはむは 心苦しくなむ はかばかしく扱ふ人なしとて かしこになど聞こゆ 
 夕暮の静かなるに 空の気色いとあはれに 御前の前栽枯れ枯れに 虫の音も鳴きかれて 紅葉のやうやう色づくほど 絵に描きたるやうにおもしろきを見わたして 心よりほかにをかしき交じらひかなと かの夕顔の宿りを思ひ出づるも恥づかし 竹の中に家鳩といふ鳥の ふつつかに鳴くを聞きたまひて かのありし院にこの鳥の鳴きしを いと恐ろしと思ひたりしさまの 面影にらうたく思し出でらるれば 年はいくつにかものしたまひし あやしく世の人に似ず あえかに見えたまひしも かく長かるまじくてなりけり とのたまふ 十九にやなりたまひけむ 右近は 亡くなりにける御乳母の捨て置きてはべりければ 三位の君のらうたがりたまひて かの御あたり去らず 生ほしたてたまひしを思ひたまへ出づれば いかでか世にはべらむずらむ いとしも人にと 悔しくなむ ものはかなげにものしたまひし人の御心を 頼もしき人にて 年ごろならひはべりけることと聞こゆ はかなびたるこそは らうたけれ かしこく人になびかぬ いと心づきなきわざなり 自らはかばかしくすくよかならぬ心ならひに 女は ただやはらかに とりはづして人に欺かれぬべきが さすがにものづつみし 見む人の心には従はむなむ あはれにて 我が心のままにとり直して見むに なつかしくおぼゆべき などのたまへば この方の御好みには もて離れたまはざりけり と思ひたまふるにも 口惜しくはべるわざかなとて泣く 
 空のうち曇りて 風冷やかなるに いといたく眺めたまひて 
  見し人の煙を雲と眺むれば夕べの空もむつましきかな
 独りごちたまへど えさし答へも聞こえず かやうにて おはせましかばと思ふにも 胸塞がりておぼゆ 耳かしかましかりし砧の音を 思し出づるさへ恋しくて 正に長き夜とうち誦じて 臥したまへり
 かの 伊予の家の小君 参る折あれど ことにありしやうなる言伝てもしたまはねば 憂しと思し果てにけるを いとほしと思ふに かくわづらひたまふを聞きて さすがにうち嘆きけり 遠く下りなどするを さすがに心細ければ 思し忘れぬるかと 試みに 承り 悩むを 言に出でては えこそ
  問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる
 益田はまことになむと聞こえたり めづらしきに これもあはれ忘れたまはず 生けるかひなきや 誰が言はましことにか
  空蝉の世は憂きものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ
はかなしやと 御手もうちわななかるるに 乱れ書きたまへる いとどうつくしげなり なほ かのもぬけを忘れたまはぬを いとほしうもをかしうも思ひけり かやうに憎からずは 聞こえ交はせど け近くとは思ひよらず さすがに 言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなむ と思ふなりけり かの片つ方は 蔵人少将をなむ通はす と聞きたまふ あやしや いかに思ふらむ と 少将の心のうちもいとほしく また かの人の気色もゆかしければ 小君して 死に返り思ふ心は 知りたまへりや と言ひ遣はす
 ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし
高やかなる荻に付けて 忍びて とのたまにつれど 取り過ちて 少将も見つけて 我なりけりと思ひあはせば さりとも 罪ゆるしてむ と思ふ 御心おごりぞ あいなかりける 少将のなき折に見すれば 心憂しと思へど かく思し出でたるも さすがにて 御返り 口ときばかりをかことにて取らす
 ほのめかす風につけても下荻の半ばは霜にむすぼほれつつ
手は悪しげなるを 紛らはし さればみて書いたるさま 品なし 火影に見し顔 思し出でらる うちとけで向ひゐたる人は え疎み果つまじきさまもしたりしかな 何の心ばせありげもなく さうどき誇りたりしよ と思し出づるに 憎からず なほ こりずまに またもあだ名立ちぬべき 御心のすさびなめり

04夕顔 原文 読みかな 対訳 250/272

イ:や行の「い」/エ:や行の「え」

《幼き人惑はしたりと 中将の愁へしは さる人や と問ひたまふ》250
をさなき/ひと/まどはし/たり/と ちうじやう/の/うれへ/し/は さる/ひと/や と/とひ/たまふ
「幼い子を行方知れずにしたと中将が憂えていたが、そういう子がいるのか」とお問いになる。


《しか 一昨年の春ぞ ものしたまへりし 女にて いとらうたげになむと語る》251
しか をととし/の/はる/ぞ ものし/たまへ/り/し をむな/にて いと/らうたげ/に/なむ と/かたる
「そうです。おととしの春におできになりました。女の子でとてもかわいらしくて」と話す。


《さて いづこにぞ 人にさとは知らせで 我に得させよ あとはかなく いみじと思ふ御形見に いとうれしかるべくなむとのたまふ》252
さて いづこ/に/ぞ ひと/に/さ/と/は/しら/せ/で われ/に/え/させ/よ あとはかなく いみじ/と/おもふ/おほむ-かたみ/に いと/うれしかる/べく/なむ と/のたまふ
「そう、で、どこなの。人にそうは知らせず、わたしにくれないか。思い出すよすがもなくつらいと思っている人の御形見として、どんなにうれしいだろう」とおっしゃる。


《かの中将にも伝ふべけれど 言ふかひなきかこと負ひなむ とざまかうざまにつけて 育まむに咎あるまじきを そのあらむ乳母などにも ことざまに言ひなして ものせよかしなど語らひたまふ さらば いとうれしくなむはべるべき かの西の京にて生ひ出でたまはむは 心苦しくなむ はかばかしく扱ふ人なしとて かしこになど聞こゆ》253
かの/ちうじやう/に/も/つたふ/べけれ/ど いふかひなき/かこと/おひ/な/む とざま/かうざま/に/つけ/て はぐくま/む/に/とが/ある/まじき/を その/あら/む/めのと/など/に/も ことざま/に/いひ/なし/て ものせ/よ/かし など/かたらひ/たまふ さらば いと/うれしく/なむ/はべる/べき かの/にし-の-きやう/にて/おひ/いで/たまは/む/は こころぐるしく/なむ はかばかしく/あつかふ/ひと/なし/とて かしこ/に など/きこゆ
「あの中将にも伝えるのが筋であろうが、夕顔を死なしたと、弁明の立たない非難を負うことになろう。あれこれの縁を考えるにつけ、わたしが育てるのに難はあるはずがなかろうから、その西の京にいるという乳母たちにも、うまいうそを言ってその子を連れて来てくれ」などとご相談なさる。「そうなりますなら、どんなにうれしいことでございましょう。あの西の京でご成長なさるのかと思うと心苦しくて。五条にはしっかりと面倒をみれる人がいないということで、いまも西の京に」と申し上げる。


《夕暮の静かなるに 空の気色いとあはれに 御前の前栽枯れ枯れに 虫の音も鳴きかれて 紅葉のやうやう色づくほど 絵に描きたるやうにおもしろきを見わたして 心よりほかにをかしき交じらひかなと かの夕顔の宿りを思ひ出づるも恥づかし》254
ゆふぐれ/の/しづか/なる/に そら/の/けしき/いと/あはれ/に おまへ/の/せんさい/かれがれ/に むし/の/ね/も/なき/かれ/て もみぢ/の/やうやう/いろづく/ほど ゑ/に/かき/たる/やう/に/おもしろき/を/みわたし/て こころ/より/ほか/に/をかしき/まじらひ/かな/と かの/ゆふがほ/の/やどり/を/おもひ/いづる/も/はづかし
夕暮れの静けさにくわえ、空の様子はしみじみと心にしみ、お庭の植込みは枯れ枯れなうえに、虫の鳴き声までが鳴きかれ、紅葉がようやく色づいてゆく様子など、絵に描いたように心惹かれる景色を見渡して、夢にも思わぬ風情のある宮仕えだなと、あの夕顔の咲く五条の暮らしを思い出すさえ気のひけるすばらしさである。


《竹の中に家鳩といふ鳥の ふつつかに鳴くを聞きたまひて かのありし院にこの鳥の鳴きしを いと恐ろしと思ひたりしさまの 面影にらうたく思し出でらるれば 年はいくつにかものしたまひし あやしく世の人に似ず あえかに見えたまひしも かく長かるまじくてなりけり とのたまふ》255
たけ/の/なか/に/いへばと/と/いふ/とり/の ふつつか/に/なく/を/きき/たまひ/て かの/ありし/ゐん/に/この/とり/の/なき/し/を いと/おそろし/と/おもひ/たり/し/さま/の おもかげ/に/らうたく/おぼし/いで/らるれ/ば とし/は/いくつ/に/か/ものし/たまひ/し あやしく/よ/の/ひと/に/に/ず あエか/に/みエ/たまひ/し/も かく/ながかる/まじく/て/なり/けり と/のたまふ
君は竹の中で家鳩という鳥が野太い声で鳴くのをお聞きになって、あの一夜を明かした院で、このように鳥が野太く鳴いたのを、ひどく怖がっていた様子が幻のごとく、いとしく思い出されになって、「年はいくつでいらっしゃったの。不思議なくらい人と違って、線が細くお見えになったのも、このように長くはいられぬからだったのだな」とおっしゃる。


《十九にやなりたまひけむ 右近は 亡くなりにける御乳母の捨て置きてはべりければ 三位の君のらうたがりたまひて かの御あたり去らず 生ほしたてたまひしを思ひたまへ出づれば いかでか世にはべらむずらむ いとしも人にと 悔しくなむ ものはかなげにものしたまひし人の御心を 頼もしき人にて 年ごろならひはべりけることと聞こゆ》256
じふく/に/や/なり/たまひ/けむ うこん/は なくなり/に/ける/おほむ-めのと/の/すて/おき/て/はべり/けれ/ば さむゐ-の-きみ/の/らうたがり/たまひ/て かの/おほむ-あたり/さら/ず おほしたて/たまひ/し/を/おもひ/たまへ/いづれ/ば いあかでか/よ/に/はべら/むず/らむ いと/しも/ひと/に/と くやしく/なむ もの-はかなげ/に/ものし/たまひ/し/ひと/の/みこころ/を たのもしき/ひと/にて としごろ/ならひ/はべり/ける/こと と/きこゆ
十九におなりだったでしょうか。わたくし右近は、先に亡くなった女君の御乳母が母で、これに先立たましたので、三位の君がかわいがってくださって、女君のおそばにおいてお育てくださいましたのを思い出しますと、どうしてこの世にとどまっておられましょうか。いとしいからといって、とても近しくなりすぎたようだ、それが慣れことなって、会わずには恋しくてなぬと歌にあるように、親しくさせていただいたのが悔やまれるくらいで。なんとも頼りなさそうでいらっしゃったお方のお心を頼みの綱として、長年慣れ親しんでまいったことです」と申し上げる。


《はかなびたるこそは らうたけれ かしこく人になびかぬ いと心づきなきわざなり 自らはかばかしくすくよかならぬ心ならひに 女は ただやはらかに とりはづして人に欺かれぬべきが さすがにものづつみし 見む人の心には従はむなむ あはれにて 我が心のままにとり直して見むに なつかしくおぼゆべき などのたまへば この方の御好みには もて離れたまはざりけり と思ひたまふるにも 口惜しくはべるわざかなとて泣く》257
はかなび/たる/こそ/は らうたけれ かしこく/ひと/に/なびか/ぬ いと/こころづきなき/わざ/なり みづから/はかばかしく/すくよか/なら/ぬ/こころならひ/に をむな/は/ただ/やはらか/に とりはづし/て/ひと/に/あざむか/れ/ぬ/べき/が さすが/に/ものづつみ/し み/む/ひと/の/こころ/に/したがは/む/なむ あはれ/にて わが/こころ/の/まま/に/とりなほし/て/み/む/に なつかしく/おぼゆ/べき など/のたまへ/ば この/かた/の/おほむ-このみ/に/は もて-はなれ/たまは/ざり/けり と/おもひ/たまふる/に/も くちをしく/はべる/わざ/かな とて/なく
「しっかりして見えないのがかわいんだ。近寄りがたく言い寄ってもなびかないのは、まったく好きになれないふるまい方だ。わたし自身はきはきせず強引にゆけない性分だから、女は、ただ心やわらかで、うっかり男にだまされそうだが、それでいて実はとても慎みがあり、通ってくる夫の気持ちには素直に従うのがいとしいし、こちらの思い通りにし立て直して通うには慕わしく、思えるのでは」などとおっしゃると、「その方面でのお好みに、全然あわぬものでもなかったのだと存じますにつけ、残念でならない定めです」といって泣く。


《空のうち曇りて 風冷やかなるに いといたく眺めたまひて 見し人の煙を雲と眺むれば夕べの空もむつましきかな 独りごちたまへど えさし答へも聞こえず》258
そら/の/うち-くもり/て かぜ/ひややか/なる/に いと/いたく/ながめ/たまひ/て みし/ひと/の/けぶり/を/くも/と/ながむれ/ば ゆふべ/の/そら/も/むつましき/かな ひとりごち/たまへ/ど え/さしいらへ/も/きこエ/ず
空がとみに曇り、風も冷たいのに、なんともひどく物思いに沈まれて、愛した人を葬った煙があの雲かとおもい 眺めれば、悲しい夕暮れの空とも心通う気がする と独り言のように歌をお洩らしになるが、右近は差し出がましく歌をお返し申し上げることができず、


《かやうにて おはせましかばと思ふにも 胸塞がりておぼゆ》259
かやう/にて おはせ/ましか/ば と/おもふ/に/も むね/ふたがり/て/おぼゆ
自分ではなく、女君がこのように君のお側にいらっしゃったならばと、思うにつけ胸がふさがってならない。


《耳かしかましかりし砧の音を 思し出づるさへ恋しくて 正に長き夜とうち誦じて 臥したまへり》260
みみ/かしかましかり/し/きぬた/の/おと/を おぼし/いづる/さへ/こひしく/て まさ/に/ながき/よ/と/うち-ずんじ/て ふし/たまへ/り
耳やかましかった砧の音を思い出してさえ恋しくて、「正に長き夜」と白氏文集の一節をつい口ずさみ、横になられた。


《かの 伊予の家の小君 参る折あれど ことにありしやうなる言伝てもしたまはねば 憂しと思し果てにけるを いとほしと思ふに かくわづらひたまふを聞きて さすがにうち嘆きけり 遠く下りなどするを さすがに心細ければ 思し忘れぬるかと 試みに 承り 悩むを 言に出でては えこそ 問はぬをもなどかと問はでほどふるにいかばかりかは思ひ乱るる 益田はまことになむと聞こえたり》261
かの いよ/の/いへ/の/こぎみ まゐる/をり/あれ/ど こと/に/ありし/やう/なる/ことづて/も/し/たまは/ね/ば うし/と/おぼし/はて/に/ける/を いとほし/と/おもふ/に かく/わづらひ/たまふ/を/きき/て さすが/に/うち-なげき/けり とほく/くだり/など/する/を さすが/に/こころぼそけれ/ば おぼし/わすれ/ぬる/か/と こころみ/に うけたまはり なやむ/を こと/に/いで/て/は え/こそ とは/ぬ/を/も/などか/と/とは/で/ほど/ふる/に いかばかり/か/は/おもひ/みだるる ますだ/は/まこと/に/なむ と/きこエ/たり
あの伊予介の家の小君が参るときがあるが、特に以前のような逢いたいとの言伝もないので、つれない女だとあきらめてしまわれたことへ申し訳なく思っているところ、そんなにまでひどいご病気だと聞いて、さすがに嘆き悲しむのだった。いよいよ遠く伊予の国にくだろうとの折りであり、さすがに心細くなり、忘れてしまわれたのかと試みに、「ご病気とお聞きし胸を痛めておりましたが、ご容態を問い合わせるなどとても、お見舞いもせぬに なぜと問われず 日が経ちますが、どれほど心乱れる 思いでおりますことか 待つ夜の苦しみに寝られぬ人にもまして生きるかいなきとは、なるほどよくわかります」と申し上げる。


《めづらしきに これもあはれ忘れたまはず》262
めづらしき/に これ/も/あはれ/わすれ/たまは/ず
空蝉の方から手紙を寄こすなどめったにないことだと、こちらへもいとしい気持ちをお忘れにならず、


《生けるかひなきや 誰が言はましことにか 空蝉の世は憂きものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ はかなしやと 御手もうちわななかるるに 乱れ書きたまへる いとどうつくしげなり》263
いけ/る/かひなき/や たが/いは/まし/こと/に/か うつせみ/の/よ/は/うき/もの/と/しり/に/し/を また/ことのは/に/かかる/いのち/よ はかなし/や と おほむ-て/も/うち-わななか/るる/に みだれ/かき/たまへ/る いとど/うつくしげ/なり
「生きているかいもないとは、誰の言いたいせりふだろうか。あなたが衣を脱ぎ捨て逃げた あの空蝉のようにはかないこの関係は つらいものだと知ってはおりましたが、なおもその言葉には すがらずにおれないこの命です なんと頼りないことか」と、筆をとる手もつい震えがちなのに、気のおもむくままにお書きになる、その様子はとても美しく感じられる。


《なほ かのもぬけを忘れたまはぬを いとほしうもをかしうも思ひけり》264
なほ かの/もぬけ/を/わすれ/たまは/ぬ/を いとほしう/も/をかしう/も/おもひ/けり
今なおあのもぬけの殻をお忘れにならず歌に詠みこまれたことを、申し訳なくも雅とも思うのであった。


《かやうに憎からずは 聞こえ交はせど け近くとは思ひよらず さすがに 言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなむ と思ふなりけり》265
かやう/に/にくから/ず/は きこエ/かはせ/ど けぢかく/と/は/おもひよら/ず さすがに いふかひなから/ず/は/みエ/たてまつり/て/やみ/な/む と/おもふ/なり/けり
このように憎からぬ程度には手紙を取り交わすのだが、じかに逢おうとは思いもよらず、それでもさすがに、情けを知らぬでもない女と思われてから去りたいと思うのであった。


《かの片つ方は 蔵人少将をなむ通はす と聞きたまふ あやしや いかに思ふらむ と 少将の心のうちもいとほしく また かの人の気色もゆかしければ 小君して 死に返り思ふ心は 知りたまへりや と言ひ遣はす》266
かの/かたつかた/は くらうど-の-せうしやう/を/なむ/かよはす と/きき/たまふ あやし/や いかに/おもふ/らむ/と せうしやう/の/こころ/の/うち/も/いとほしく また かの/ひと/の/けしき/も/ゆかしけれ/ば こぎみ/して しにかへり/おもふ/こころ/は しり/たまへ/り/や と/いひ/かはす
あのもう一方は蔵人の少将を夫として通わせているとお聞きになる。ああ気になる、男性経験のある女を妻にした気持ちは、どんなものだろうと、少将に対してもその気持ちを考えると申し訳なく思う一方で、また、あの人の様子も知りたくて、小君を使者に、「死ぬほど思う気持ちは、知っておいででしょうかと、言い伝える。


《ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし 高やかなる荻に付けて 忍びて とのたまにつれど 取り過ちて 少将も見つけて 我なりけりと思ひあはせば さりとも 罪ゆるしてむ と思ふ 御心おごりぞ あいなかりける》267
ほのか/に/も/のきば/の/をぎ/を/むすば/ず/は つゆ/の/かこと/を/なに/に/かけ/まし たかやか/なる/をぎ/に/つけ/て しのび/て/と/のたまへ/れ/ど とり-あやまち/て せうしやう/も/みつけ/て われ/なり/けり/と/おもひあはせ/ば さりとも つみ/ゆるし/て/む と/おもふ みこころおごり/ぞ あいなかり/ける
十分ではないものの あなたとふたり軒端の荻を 結ぶ仲となっておらねば わずかな恨み言をのべるさえ 何の口実をもなかったでしょう 高く伸びた荻に歌をつけて、「こっそり」ととご命じになったけれど、誤まって、少将にも見つけられ、相手の男は私だったのだと謎が解けたとして、それでもきっと過去の過ちを許してくれるだろうと、思う御心の傲慢さはまったくどうしようもないものだった。


《少将のなき折に見すれば 心憂しと思へど かく思し出でたるも さすがにて 御返り 口ときばかりをかことにて取らす》268
せうしやう/の/なき/をり/に/みすれ/ば こころうし/と/おもへ/ど かく/おぼし/いで/たる/も さすが/にて おほむ-かへり くちとき/ばかり/を/かこと/にて/とら/す
少将がいない時に見せると、あの件では情けない思いでいるが、このように思い出してくださったことも、さすがにうれしくて、早いだけを口実に、君へのご返事を小君に取らせる。


《ほのめかす風につけても下荻の半ばは霜にむすぼほれつつ 手は悪しげなるを 紛らはし さればみて書いたるさま 品なし》269
ほのめかす/かぜ/に/つけ/て/も/した/をぎ/の なかば/は/しも/に/むすぼほれ/つつ て/は/あしげ/なる/を まぎらはし/さればみ/て/かい/たる/さま しな/なし
あの夜のことをほのめかしになる お便りをいただくにつけても 荻の下葉が霜にあたったように 私の下半身は お冷え切ったままで 手は下手そうなのをごまかし、馴れ馴れしい書きっぷりには品がない。


《火影に見し顔 思し出でらる》270
ほかげ/に/み/し/かほ おぼし/いで/らる
灯火のもとで見た女の顔を思い出しになる。


《うちとけで向ひゐたる人は え疎み果つまじきさまもしたりしかな 何の心ばせありげもなく さうどき誇りたりしよ と思し出づるに 憎からず》271
うちとけ/で/むかひ/ゐ/たる/ひと/は え/うとみ/はつ/まじき/さま/も/し/たり/し/かな なに/の/こころばせ/ありげ/も/なく さうどき/ほこり/たり/し/よ と/おぼし/いづる/に にくから/ず
姿勢を崩さないで対座していた方は、見捨て難い様子をもしていたな、一方、まわりに何の配慮をする風もなく、得々とはしゃいでいたことだと思い出しになるにつけ憎からず思われ、


《なほ こりずまに またもあだ名立ちぬべき 御心のすさびなめり》272
なほ/こりずま/に また/も/あだな/たち/ぬ/べき/みこころ/の/すさび/な/めり
相変わらず性懲りもなく、またまた浮名も立ちそうな御心の奔放さということか。

夕顔 注釈 04-250/04-272

幼き人惑はしたりと中将の愁へし 04-250

「かの撫子のらうたくはべりしかば いかで尋ねむと思ひたまふるを/02-149」(帚木)を受ける。

ものしたまへりし 04-251

生むの婉曲。

さとは 04-252

私(光)に得させたとは言わないで。

あとはかなく 04-252

あまりにあっけなく亡くなってしまったので、思い出すよすがもないこと。

伝ふべけれ 04-253

伝える義務がある。

言ふかひなきかことと 04-253

この表現の主語は主体に一致する。頭中将が言ってもかいのない非難を言うのではなく、光が頭中将のかごとに対して言い訳ができないというのである。

とざまかうざま 04-253

夕顔と縁のあった光がその子の面倒をみるのは自然であるという理由と、頭中将の子であるということは、義理の兄である光が面倒みるのも不自然でないという理由。

そのあらむ乳母 04-253

「西の京に御乳母住みはべる所になむはひ隠れたまへりし/04-248」とあった。

ことざまに言ひなして 04-253

うまくうそをでっちあげて。

語らひ 04-253

はかりごとをもちかける。

さらば 04-253

光が夕顔の子の面倒をみることになったら。

扱ふ 04-253

面倒をみる。

かしこに 04-253

西の京に。このあたりは、やや物語として説明不充分の感がある。前後の話から整理すると、夕顔や右近たちは西の京が住みづらくて、山里に向うまえに方違えとして、五条の宿にいたが、子供の方は面倒をみれる人が五条にはいないので、西ノ京の乳母のもとに母親と離れて暮らしていた、ということ。当時は母親でなく、乳母が子供の面倒をみたから、夕顔のまわりにはいい乳母がいなかった、ということである。

心よりほかに 04-254

思いがけぬ。

交じらひ 04-254

宮仕え。

かの夕顔の宿り 04-254

五条の宿での生活。「やどり」は宿自体もさすが、その宿で過ごすこと、この場合は暮らしを意味する。

ふつつかに 04-255

太さからくる格好のわるさ。ここでは太く聞きづらい声。

かのありし院 04-255

夕顔と一夜を過ごした院。

この鳥の鳴きし 04-255

「この鳥」すなわち、家鳩ととらえ、某院では梟が鳴いたのであって、家鳩が鳴いた記述はないのでおかしいと考えられている。「気色ある鳥のから声に鳴きたるも、梟はこれにやとおぼゆ(妖しげな鳥がしわがれ声で鳴きまでする。不吉と言われる梟とはこれかとお思いになる)」とかなり描きこんでいるのだから、これを単なる記憶違いですますわけにはいかない。「この」は「鳥」でなく「鳴きし」にかけ、このように、すなわち、ふつつかに鳴いた、との意味で、夜中に梟が鳴いたことを受けると解釈するのが自然であろう。

面影に 04-255

幻となって。

あえか 04-255

存在感の薄さ。

御乳母 04-256

夕顔の乳母であり、右近の実母。

捨て置き 04-256

先立たれる。

三位の君 04-256

夕顔の父。

いとしも人に 04-256

「思ふとていとしも人にむつれけむしかならひてぞ見ねば恋しき」(拾遺抄)を受ける。

ものはかなげに 04-256

ひどく頼りなそう。

はかなびたる 04-257

中身がないこと・頼りなさが外から見える様子。

かしこく 04-257

畏れ多くて近寄れない、親しみを感じられない。

心づきなき 04-257

好きになれない。

わざなり 04-257

重要。「わざ」はある出来事・行為を言う。したがって、ここは光の女の好みを述べているのではなく、過去のある出来事・行為を念頭にすえて話しているのである。近づきがたく、言い寄ってもなびかなかったとは、まさしく空蝉である。こう説明すると、ひどく突飛な解釈だと思われよう。『夕顔』の帖が始まると、わたしたちは空蝉との恋愛はすでに過去のこととなり、もっぱら夕顔との恋愛ばかりに光はかまけているとしか見ない。しかし、物語作者は、『帚木』『空蝉』『夕顔』の各帖を独立した短篇として作ったのではなく、三つをセットに物語を構成しているのである。そうでなかれば、次回からつづく、空蝉や軒端荻との歌の贈答が、時間的に並行していたという程度の理由以外、この帖で描かれる積極的理由は少ないし、多すでに多くの論者が指摘している、『帚木』の出だしと『夕顔』の末尾の呼応関係もさしたる意味をもたないであろう。繰り返すが、二人は相反する性質を背負わされた作中人物である。その枠組みの中で、読み取りが行われるべきである。ただし、源氏物語の偉大さは、対立関係を物語りに取り入れた点にあるのではない。対立関係を背負わされながら、生き生きした個人を作り上げている点にあるのだ。光には、相手の全体像が見えない。光の見えない部分で女たちは苦悩する。それらの苦悩は、表層的に構造化されている対立関係のようには決して記号化されることなく、ひとりひとりの生としっかり結びついているところにあるのだ。それが単に幾人かのタイプを描きわけたのではなく、あらゆるといっていい女性のタイプを取り入れることで、どんな女性であれ、男にはわからぬ溝があるというのが、源氏物語の最大のテーマであろうと、わたしは思っている。

自ら 04-257

光自身。

すくよかならぬ 04-257

難語。「すくよか」はゴツゴツした感じで、山なら険阻、人なら無骨で、愛想のない、直截な、男おとこした感じを言う。すくよかならぬは逆に、女性的で、婉曲的、摩擦を避け、生硬で直接的なやり方をしない性格。ここでは、私でなく普通の男ならもっと無理やり空蝉を犯そうとしたであろう、自分はそういう性格ではないのだという言い訳が入りこんでいる。

とりはづして 04-20357

うっかりすると、との訳があるが、「とりはづして」はうっかりした場合という仮定ではなく、うっかり騙されそうになるということ。普段からうっかりして見えるわけである。それでいて本当はそうでないというのが、「さすがに」。

ものづつみ 04-257

とても慎しみがあること。具体的には、よその男に言い寄られても心を寄せないこと。

見む人 04-257

夫婦関係ができてしまった男。よその男には冷たくても、夫にははいはい言うことを聞くのがいとしい(と、まあ男は勝手なことを言う)。

この方の御好み 04-257

この方面での好み、すなわち、好きな女のタイプ。「方」は光を指すのではない。

もて離れたまはざりけり 04-257

ちょうどぴったりだと訳す注があるが、光様のタイプの女性として、ご主人様は、まったくだめだったわけではないのだなという謙譲表現である。右近の身分、右近が仕えていた夕顔の身分からして、光の好みにぴったりだなんてことを右近が発言できるわけがない。離れすぎていなかったのだという婉曲表現で、そこそこタイプだったのだと匂わせているのである。その会話のひだをとらえず、ぴったりなんて訳しては、敬語も婉曲も身分さも消え、平安文学は意味を失う。

わざ 04-257

この場合、夕顔が短命で、光と死別するこる自体となったことをいう。

夕べの空もむつましきかな 04-258

「むつましき」は気持ちが通じ合える関係にあること。「夕の空も」とあるので、普段、夕の雲とは気持ちが通じ合えないが、という意味が背後にかくれている。そこで、悲しい(夕暮れの空)と、訳をつけたした。「さし答え」は、差し出がましく答えること(ここは歌で応じること)。右近の身分として、光の独詠に、歌で応じることはしなかったのである。身分違う右近は歌を差し控えたとの注があるが、おかしな注だ。相手が女房で、身分が低かろうと、歌を交わすのに支障はないはずである。しかし、ここで右近がでしゃばらなかったのは、身分の問題にあるのではない。また、そっとしておこうと思ったというのも、おそらく現代的な解釈である。右近は光に仕える女房として、主人への共感を歌にすることを大事な勤めとして求められているのである。歌を挟まなかった理由は、右近の微妙な立場にあるのだと思う。今の主人は光であり、夕顔に向けられた歌へ、代わりに歌をよむ立場にはない。かといって、光に同意する歌を詠めるほどには、まだ夕顔から距離がおけていないのだろう。「かやうにて」は、私が今いるように。

耳かしかましかりし砧 04-260

五条の宿で聞いた砧の音。

正に長き夜 04-260

白氏文集の律詩「聞夜砧」の一節である。

伊予 04-261

伊予介。『帚木』『空蝉』の帖で登場。

小君 04-261

空蝉の弟。

ありしやうなる言伝て 04-261

姉である空蝉になんとかして逢いたいという言付け。

憂しと思し果てにける 04-261

敬語「思す」とあるので、主体は光。

いとほしと思ふ 04-261

主体は空蝉。「いとほし」は、 相手に悪いことをして申し訳ないと思う気持ち。空蝉は、自分が光をはねつけたことを申し訳なく思っているのである。

かくわづらひたまふ 04-261

かく」は、ここまで述べてきたようにの意味。この「かく」は空蝉の言葉ではなく、語り手が「このように(ご病気になられた)」とつけたのである。前の「さすがに」は、これまで冷たくはねつけてきたものの、それでも光が死にそうなくらいの重病だと知って、さすがに泣いたのである。後の「さすがに」は、冷たい態度をとってきたが、遠い伊予の国に行けば二度と逢えないと思うと、さすがに心細くなったのである。せめて忘れられたわけではないという確認をしてから伊予へゆきたいという女心。

承り悩む 04-261

ご病気だと聞いて苦しむの意味。この「なやむ」は夕顔が苦しむ。

言に出でてはえこそ 04-261

「えこそ」は次の和歌の初句「問はぬ」を誘発する。

問はぬをもなどかと問はでほどふるに 04-261

「問はぬ」の主体は空蝉。病状を問わない。「などかと問はで」の主体は光。「いかばかりかは」は「いかばかり」を強めた言い方。

益田 04-261

元の歌は「ねぬなはの苦しかるらむ人よりも我ぞ益田の生けるかひなき」(拾遺)による。歌意は、来ない待ち人を待って寝ずにいる苦しみよりも、わたしこそ生きるかいもない身だ。「ねぬなは」はジュンサイの異名。益田池と縁語。根が長いことから、「長き」「繰る」「苦し」などの枕詞になる。「ねぬ」は「寝ぬ」をかける。益田は益田池と「益して」をかける。「生ける」は「池」をかける。さて「益田はまことに」の益田は、諸注にあるように単に、私は生きるかいがないの意味ではなく、来ない恋人を待つ苦しみよりもまして生きるかいがないの意味である。どうして見舞を寄越さぬのかと責めてもくれないということは、相手は恋人でさえない、まったく他人にかわらないということである。来ない恋人を待つのは苦しいが、来る来ない以前に、恋人とも思ってもらえぬ自分は、本当に生きるかいがないと言っているのである。伊予の国へ行くということは、当時の女性にとって、京都にもどってこれないというばかりか、実感としては、もう自分の命もおしまいかという思いではなかったか。せめて、あの世の思い出に、空蝉は大胆に詠みかけたのである。

これも 04-262

「これ」は空蝉を受ける。夕顔だけでなく、空蝉に対しても。

生けるかひなきや 04-263

「や」は詠嘆。

映蝉の 04-263

空蝉のようなはかないこの世という和歌の常套句としての意味に、光から上着だけを残して逃げた一件をこめた。

かかる 04-263

もたれかかる。

御手もうちわななかるるに乱れ書きたまへる 04-263

やや難解である。ここのポイントは「に」と「乱れ書き」である。「に」には順接と逆接があり、手が震える上に乱れ書きするのは美しい(順接)と、手が震えるが乱れ書きするのは美しい(逆接)とである。どちらであるかを決めるには、「乱れ書き」の意味をとる必要がある。さて、「乱れ書き」だが、乱れ書きなさってでは意味がないのは上の通り。「乱れ書き」は乱雑に書くのではない。これは古典的な筆法を踏まず、心のおもむくままに筆を走らせること。でなければ、美的要素はなくなる。あとは、手が震えることを美的要素と考えれば、順接の「に」、美的要素と考えないなら逆説の「に」となる。普通に考えると、手は震えるものの、心のままにお書きになるその筆跡はとても美しい、と考えるのが自然である。

なほかのもぬけ忘れたまはぬ 04-264

光が歌の中に「うつせみ」を詠みこんだことに対して、空蝉は、今なおあのもぬけをお忘れにならないと思ったのである。

いとほしうも 04-264

相手にすまないと思う気持ち。逃げたことに対して申し訳なく思っているのである。

をかしうも 04-264

何に対して言っているのかわかりにくいが、この歌の詠みぶりに対して言っていると取った。「をかし」は知的な感じがあるので、「うつせみ」を詠みこんだテクニックに対して言っているのだろう。

言ふかひなからず 04-265

「言ふかひなし」の否定。「言ふかひなし」は、お話にならないほどひどい。情けもなにも知らない、ほどの意味。「言ふかひなからず」はその否定だから、情けを知らぬでもない、それなりに情けがわかる、といった意味になる。

やみなむ 04-265

この関係を終わろう。逢いたいと行ってきても逢わず、押しかけられた時には、うまく煙にまくといった、男女の情を理解しない女として今まできたが、いざ旅立ちにあたり、まったく情を解さない女では終わりたくなかったのである。それほど「心細」(前回)かったのだ。

片つ方 04-266

もう一方。この「蔵人少将」はここだけに登場。

いかに思ふらむ 04-266

女はすでに処女でないことを少将はどう思っているだろうかの意味。宮廷に仕える女房などは、男性と接する機会が多く、男女の関係が生じることもあるが、そうでない女性が初婚前に、男性経験をすることは少なかったことが、ここから知られる。

少将の心のうちも 04-266

「も」は軒端荻の心だけでなく。

人の気色も 04-266

「も」は空蝉だけでなく。

死に返り思ふ 04-266

常套句で、死ぬほど思う。

軒端の荻を結ばず 04-267

古代において草を結ぶのは、契りを結ぶことの隠喩であった。なお、この歌から、この女は軒端の荻と一般に呼ばれる。

高やかなる荻 04-267

女の背が高いことへのからかい。

思ひあはせ 04-267

私の前の男は誰だったのだろうという疑問が、光の君であったのだと氷解すること。

あいなかりける 04-267

「あいなし」はそぐわない。「けり」は詠嘆。

心憂し 04-268

光に見捨てられた自分をみじめに思うこと。 軒端荻の歌の解釈について。まず全体の構文であるが、「つけても」を諸注は、便りにつけ思いしおれていますと順接に訳すが、「つけても……つつ」は呼応しあい、便りをもらってもなおしおれたままだと逆接表現である。歌意をとる前に、この歌に対する評「さればみ」をみておく。この語は、諸注のようにシャレたの意味でなく、使われる場面は、男女間のたわむれの場面であり、悪じゃれて、どぎつく、品のない、直截な話題をする意味である。要するに、直接セックスを表す言葉を口にすることだ。したがって、歌意にこの意味をふくむ必要がある。これにあたるのは「下荻のなかば」である。要するに、手紙だけじゃなく、あなたが来てくれないと、男ひでりで下半身は閉じたままだという意味である。

手 04-269

筆跡。

書いたるさま 04-269

歌の内容であって、筆跡に関してではない。筆跡は下手な腕をごまかしで、話はすんでいる。

灯影に見し顔 04-270

空蝉と軒端荻が碁をうっているのを透き見したときのこと。

心ばせ 04-271

まわりへの配慮。

さうどき誇りたりし 04-271

得意げにさわぐ様子。もっとも碁の勝負に軒端荻は負けている。

思し出づるに憎からず 04-271

「に」は、~につけてもの「に」。行儀の悪さは平安人の美意識では普通マイナスに働くが、うちとけない空蝉とは違って、ダイレクトな行動にでる軒端荻も、男心をくすぐるのである。ただ、空蝉は後々まで見捨てることのできない相手と考えるのに対して、軒端荻の方は一時的な遊び相手でしかない点が違うのである。

すさび 04-272

心の赴くままにことをはこぶこと。

めり 04-272

推量というか、断定を避けた言いぶり。

2020-10-14

Posted by 管理者