この若人どもはた世 末摘花05章20
原文 読み 意味
この若人ども はた 世にたぐひなき御ありさまの音聞きに 罪ゆるしきこえて おどろおどろしうも嘆かれず ただ 思ひもよらずにはかにて さる御心もなきをぞ 思ひける
06068/難易度:☆☆☆
この/わかうど-ども はた よ/に/たぐひ/なき/おほむ-ありさま/の/おと/ぎき/に つみ/ゆるし/きこエ/て おどろおどろしう/も/なげか/れ/ず ただ おもひ/も/よら/ず/にはか/に/て さる/みこころ/も/なき/を/ぞ おもひ/ける
あの若女房たちにしても、世に例のないお姿との風評から、ご無理をお許し申し上げて、大げさに嘆くでもなく、ただ、思いもよらぬにわかななりゆきに、ご主人がそうした心用意も持たれないことばかり案じていた。
この若人ども はた 世にたぐひなき御ありさまの音聞きに 罪ゆるしきこえて おどろおどろしうも嘆かれず ただ 思ひもよらずにはかにて さる御心もなきをぞ 思ひける
大構造と係り受け
古語探訪
この若人ども 06068
先に出た侍従たち。
罪 06068
許しなく貴女の部屋に入ったこと。
おどろおどろしう 06068
男が部屋に入ってきた時に対応する心構え。拒絶するにもしようがあるし、受け入れるにも恋愛のルールがあるが、これを末摘花は知らない。
けり 06068
「けり」が頻出するのが眼につく。以前にも触れたことがあるが、源氏物語の時制の基調は現在時制である。現在時制が基調をなしているということは、物語が過去のことではなく、今語られる瞬間瞬間に生み出されてゆくということである。見方を換えると、語り手の視点が固定化されておらず、物語の進行に合わせて、動いているのである。このことから考えると、この箇所は、二人の間に事が起こったあとから回想するという形をとっていることになる。物語にとり、現在時制をとることは、聞き手に生き生きと物語りを伝えるという大きなメリットがある。物語は過去のものではなく、今現実として目の前に繰り広げられるのである。そうであれば、これを捨て、回想の形をとった理由は何なのかを、考えて見なければならなくなる。残念ながら、正解というものは見つかりそうにない。言えることは、生き生きと語ることを拒否した事実は、逆に、生き生きと伝えたくなかったことが考えられるのである。第一夜を語る際、空蝉の場合も夕顔の場合も、回想の形は取っていない。だとすれば、相手が宮という高い身分のために忌避が起こったと見てよいのではないかと思う。もうひとつ、これもさらに研究を俟たねばならないが、「けり」は単に過去の表現ではなく、法(mode,mood)が違うのではないかと思う。すなわち、過去・現在・未来という外界の出来事を述べる時制とは、別に話者の気持ちを含む法が「けり」にはあるのではないか。今は示唆にとどめる。