三つの友にて今一種 末摘花02章05

2021-05-10

原文 読み 意味

三つの友にて 今一種やうたてあらむ とて 我に聞かせよ 父親王の さやうの方にいとよしづきてものしたまうければ おしなべての手にはあらじ となむ思ふ とのたまへば

06009/難易度:☆☆☆

みつ/の/とも/にて いま/ひとくさ/や/うたて/あら/む とて われ/に/きかせ/よ ちち/みこ/の さやう/の/かた/に/いと/よしづき/て/ものし/たまう/けれ/ば おしなべて/の/て/に/は/あら/じ と/なむ/おもふ と/のたまへ/ば

「三つの友であるから、今ひとつ増えてはご不快であろうか」とおっしゃって、「聞かせておくれ。父親王が、そうした方面にとてもご堪能でいらっしゃったのだから、凡庸な手並みではあるまいと思う」と持ちかけになるので、

三つの友にて 今一種やうたてあらむ とて 我に聞かせよ 父親王の さやうの方にいとよしづきてものしたまうければ おしなべての手にはあらじ となむ思ふ とのたまへば

大構造と係り受け

古語探訪

三つの友 06009

白氏文集の「欣然トシテ三友ヲ得タリ。三友ハ誰トカ為(ナ)ス。琴罷ンデ輒(スナハチ)チ酒ヲ挙グ、酒罷ンデ輒チ詩ヲ吟ズ。三友逓(タガ)ヒニ相引キテ循環シテ已ムコト無シ」による。

今一種やうたてあらむ 06009

諸訳と読むとだいたい「もう一つの方は不向きであろう」という風になっており、「いま一くさ」とは、酒のことで、琴と詩は女に向くが、酒は女に向かないとの注がつく。ホントかね。この読みに疑問を感じるのは、文中に出ているのは、「琴」だけであり、残る二つから「酒」のみを出すときに、「いま一くさ」という言い方は不自然であること。今ひとつとあれば、今までとは別のひとつの意味に取るのが普通だからである。それにもうひとつ理由がある。こちらがさらに重要な理由である。それは、酒は女には苦手であろうという光の言葉は、何ら後に続いて来ないからである。ここで光がそういう必然性がない、何とかのたわごととしか、わたしには思えない。まあ、もう少し理詰めに説明しよう。この前後の本文を単純化すると、「Aと(命婦が)聞こゆれば、Bとて、我に聞かせよ……」となる。問題は「Bとて我に聞かせよ」の部分。命婦の話から、Bということになって、私にその琴を聞かせておくれ、と続くのである。ここが、酒は女には不向きだ、では続かないのだ。Bに入るべき言葉は、琴を聞かせてにスムーズにつながらないといけない。例えば、Bを空欄にし、そこに以下の選択肢から適語を入れよという問題を作ったとして、誰が、酒は云々を選ぶだろうか。全くのナンセンス、何とかのたわごとだと言った意味がわかるであろう。訳を読めばおわかりかと思うが、「今一くさ」とは、光自身のこと。すなわち、その姫君は三友を愉しんでいるのだろうが、今一人自分が加わっては、嫌な気がするだろうかとの意味である。こういう遠回しの言い方をしたのは、その姫君が、すっかり引っ込んでいて、人を近づけない暮らしをしているからである。女は酒はだめだなんて、いったいどこから来たのか、気が知れない。

とて 06009

例えば「あはれのことやとて、御心とどめて問ひ聞きたまふ」について、「かわいそうなことだ、と君はおっしゃって」などと普通は訳すが、厳密には間違いであろうと思う。この「とて」は、登場人物である誰それが「言って、おっしゃって」を略したものではなく、話者が会話文をひとくくりにして、と言うことで、という話があって、ということになって、とでも言うところをはしょって、「とて」と表現しているのである。「Bとて、我に聞かせよ」の「とて」を考える参考にしてほしい。

いとよしづき 06009

造詣が深いこと。

おしなべて 06009

並、平凡。

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