今しもおどろき顔に 末摘花05章05

2021-05-11

原文 読み 意味

今しもおどろき顔に いとかたはらいたきわざかな しかしかこそ おはしましたなれ 常に かう恨みきこえたまふを 心にかなはぬ由をのみ いなびきこえはべれば みづからことわりも聞こえ知らせむ と のたまひわたるなり いかが聞こえ返さむ なみなみのたはやすき御ふるまひならねば 心苦しきを 物越しにて 聞こえたまはむこと 聞こしめせ と言へば いと恥づかしと思ひて 人にもの聞こえむやうも知らぬを とて 奥ざまへゐざり入りたまふさま いとうひうひしげなり

06053/難易度:☆☆☆

いま/しも/おどろきがほ/に いと/かたはらいあたき/わざ/かな しかしか/こそ おはしまし/た/なれ つねに かう/うらみ/きこエ/たまふ/を こころ/に/かなは/ぬ/よし/を/のみ いなび/きこエ/はべれ/ば みづから/ことわり/も/きこエ/しら/せ/む/と のたまひ/わたる/なり いかが/きこエ/かへさ/む なみなみ/の/たはやすき/おほむ-ふるまひ/なら/ね/ば こころぐるしき/を もの-ごし/にて きこエ/たまは/む/こと きこしめせ と/いへ/ば いと/はづかし/と/おもひ/て ひと/に/もの/きこエ/む/やう/も/しら/ぬ/を とて おくざま/へ/ゐざり/いり/たまふ/さま いと/うひうひしげ/なり

呼ばれた命婦は、君のお越しを今知ったとばかり驚き顔で、「なんとも困ったことになりました。これこれの理由で、光の君がいらっしゃったようなのです。いつもあのように恨み言を申し上げになられておいでなのに、わたくしの一存では参りませぬ旨ばかり申してお断りいたしておりますと、ご自身で男女のあり方をも教えてやりたいと、事実、前々からおっしゃられておいででした。どうご返事申しましょう。普通の方の軽々な行いとは違うお越しなので、お気の毒なことですから、物越しで、君のお話申し上げになる言葉を、お聞きなさいませ」と勧めると、とても居たたまれなく思って、「人へ返事の申し上げ方がわからないのに」と言って、奥の方へ後ずさりして入ってゆかれる様子は、じつに世慣れない感じがする。

今しもおどろき顔に いとかたはらいたきわざかな しかしかこそ おはしましたなれ 常に かう恨みきこえたまふを 心にかなはぬ由をのみ いなびきこえはべれば みづからことわりも聞こえ知らせむ と のたまひわたるなり いかが聞こえ返さむ なみなみのたはやすき御ふるまひならねば 心苦しきを 物越しにて 聞こえたまはむこと 聞こしめせ と言へば いと恥づかしと思ひて 人にもの聞こえむやうも知らぬを とて 奥ざまへゐざり入りたまふさま いとうひうひしげなり

大構造と係り受け

古語探訪

今しもおどろき顔に 06053

「驚き」ははっとさせられること。光を呼び出したのは、命婦であるのに、今はじめて光の来訪を知ったように驚いたのである。

しかしかこそ 06053

命婦はこうこうこうでと具体的に光来訪の詳細を語ったのであろうが、それがここまで物語の筋を追ってきた者(聞き手であり、読者)には自明であるので、話者により省略されたのである。

おはしましたなれ 06053

「おはしましたるなれ」で、「なり」は伝聞、取次の言葉から君がお出での模様ですと答えたのである。こういうところに、「今しも驚き顔に」が顔の演技なら、この「なれ」は言葉の演技である。

かう恨みきこえたまふ 06053

「かう」の内容は、「しかじか」の中。「恨み」の内容は、手紙を出しても一向に返事がないのはどうしたわけか、手紙では埒が明かないから、直接話をさせろということらしい。直談判を要請されているので、「心にかなはぬ由をのみいなびきこえはべれば」となり、末摘花の許しなく自分の一存では受けられないと断ったのである。

みづからことわりも聞こえ知らせむ 06053

すでに直接話をしたい旨は言っているのだから「ことわり」は、末摘花への思いを語ることではない。男が女に和歌を何度も贈っているのだから、当然、返事をすべきことなのであるという、男女の関係における作法、ルールに関して教えようというのである。つまり感情教育ということ。もちろん、これも教えてやると言って近づく理由にしているのである。「も」に注意、そうした教育だけではなく、求愛もするのである。本当にとか、実際にの訳を当てるとわかりやすい

のたまひわたるなり 06053

「なり」は断定。この場合の断定とは、事実これまでもこうこうであったということを強調する用法であり、断定という呼称は間違いのもとである。これまでも、返事も寄越さぬなど失礼な話だ、男女の機微を教育しなおしてやると繰り返してきたことを強調するのだ。

たはやすき 06053

軽々しい。

心苦しきを 06053

気の毒に思うので。「心苦し」は、見ている対象に対して自分までもつらく思うこと。

うひうひしげなり 06053

現代語の初々しいのように好意的表現とは限らない。ここも話者による、あるいは、命婦を通じた話者による、末摘花の幼さに対する非難である。

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