いかでことことしき 末摘花01章02

2021-05-10

原文 読み 意味

いかで ことことしきおぼえはなく いとらうたげならむ人の つつましきことなからむ 見つけてしがなと こりずまに思しわたれば すこしゆゑづきて聞こゆるわたりは 御耳とどめたまはぬ隈なきに さてもやと 思し寄るばかりのけはひあるあたりにこそ 一行をもほのめかしたまふめるに なびききこえずもて離れたるは をさをさあるまじきぞ いと目馴れたるや

06002/難易度:☆☆☆

いかで ことことしき/おぼエ/は/なく いと/らうたげ/なら/む/ひと/の つつましき/こと/なから/む みつけ/て/し/がな/と こりずま/に/おぼし/わたれ/ば すこし/ゆゑづき/て/きこゆる/わたり/は おほむ-みみ/とどめ/たまは/ぬ/くまなき/に さてもや/と おぼし/よる/ばかり/の/けはひ/ある/あたり/に/こそ ひとくだり/を/も/ほのめかし/たまふ/める/に なびき/きこエ/ず/もてはなれ/たる/は をさをさ/ある/まじ/き/ぞ いと/め/なれ/たる/や

どうかして、たいそうな評判などなく、とても愛くるしい人が、つつましくひっそりと暮らしているのを、見つけたいものだと、懲りもせず考えつづけておられるところ、多少でも名の通った方面へは聞き漏らしになるすきはない上に、ひょっとしてこれがそうかと思いをお寄せになるに足ると感じられるあたりには、ちょっとした手紙でそれらしいことをしたためになるようであるが、なびき申し上げることなくかえって距離を開ける女性は、まずめったにないであろうというのでは、まったく新鮮みのない話だこと。

いかで ことことしきおぼえはなく いとらうたげならむ人の つつましきことなからむ 見つけてしがなと こりずまに思しわたれば すこしゆゑづきて聞こゆるわたりは 御耳とどめたまはぬ隈なきに さてもやと 思し寄るばかりのけはひあるあたりにこそ 一行をもほのめかしたまふめるに なびききこえずもて離れたるは をさをさあるまじきぞ いと目馴れたるや

大構造と係り受け

古語探訪

いかで 06002

どうにかしてという願望表現で、「見つけてしがな」にかかる。

ことことしきおぼえ 06002

大げさな評判。名家などをさす。

人の 06002

「の」は同格との説もあるがあとに連体形(準体言)があるので、連体格であり、「なからむ」の準体格にかかる。人が~であるのを(みつけたい)。

つつましきことなからむ 06002

諸訳は、気兼ねする必要のない女性をと訳す。つまり「つつましきこと」が「なからむ」と解釈するが、間違いである。「~すること」という表現、すなわち形式名詞の「こと」は、この時代には活発ではない。他の場所で形式名詞の「こと」はないと注釈している書物までが、ここではそのように訳しているのだから注意散漫この上ない。ここは「つつましき」+「ことなからむ(ことなし+む)」である。「つつまし」には、気兼ねするの意味もあるが、ここでは遠慮深いの意味である。この意味は現代風な感じがし、諸注はこれを避けようとしたのかも知れないが、源氏の他の箇所より、この意味での「つつまし」を引いている辞書もあるのだから、遠慮はいらないわけだ。

ことなからむ 06002

「ことなし」は、特別なことがない。ひっそり暮らしていること。「ことごとしきおぼえ」の逆である。

こりずまに 06002

懲りないで。夕顔をあんな風に死なせておきながらという語り手の批判がある。

思しわたれば 06002

「ほのめかしたまふめる」にかかる。これが大事。已然形+「ば」は確定条件と高校でも習う。条件があればそれに対する帰結があるのだ。性懲りもなく第二の夕顔を見つけたいと考え続けた結果、これはという女性には手紙を出すのである。

すこしゆゑづきて 06002

多少でも教養があり名門の出である女性のこと。これは夕顔派ではなく、その反対の「ことごとしきおぼえ」がある女性の方である。そうした貴顕に対しても情報に漏れはないが、そうでない女性たちに対してもである。

隈なきに 06002

「に」は理由ではなく「添加」と取らなければならない。すなわち、その上にの意味。

さてもや 06002

「さ」は、「ことごとしきおぼえはなく……ことなからむ」を指すのである。「すこしゆゑづき」を指すとする注するのは誤りだ。

思し寄るばかりの 06002

今にも思いを寄せそうな、あるいは、思いを寄せるに十分なの意味。

けはひあるあたり 06002

名門ではいため、はっきりとそんな女性がいるとわかっているのではなく、なんとなくそれらしい女性がいる感じがする場所にはの意味。

一行をもほのめかしたまふめる 06002

手紙の一通でもしたため、思わせぶりな態度を示すこと。「める」は、推量。

なびききこえずもて離れたる 06002

かつての夕顔がそうであり、この帖の主人公である末摘花がそうした女性と登場するが、普通にはありえないことなのである。世に新しきものはなしで、「いと目馴れたるや」は、目慣れたものである、新鮮みがない、つまらないという話者による評価。もっとも、これが枕になって、これから目馴れない女性の話になるのである。

この文の問題点は、「すこしゆゑづきて聞こゆるわたりは御耳とどめたまはぬ隈なきに」の挿入句をどう読むかであった。あるいは、挿入句であると気づくことが問題なのかも知れない。挿入句は、対比としてはめ込まれることが多い。しかし、そういう感覚がなくても、「ゆゑ」が第一級品であって、夕顔と対立することは火を見るよりも明らかではないか。そこからもう一度考え直すことが重要なのだ。

Posted by 管理者