正身はただ我にもあ 末摘花05章21

2021-05-11

原文 読み 意味

正身は ただ我にもあらず 恥づかしくつつましきよりほかのことまたなければ 今はかかるぞあはれなるかし まだ世馴れぬ人 うちかしづかれたる と 見ゆるしたまふものから 心得ず なまいとほしとおぼゆる御さまなり

06069/難易度:☆☆☆

さうじみ/は ただ/われ/に/も/あら/ず はづかしく/つつましき/より/ほか/の/こと/また/なけれ/ば いま/は/かかる/ぞ/あはれ/なる/かし まだ/よなれ/ぬ/ひと うち-かしづか/れ/たる/と み/ゆるし/たまふ/ものから こころえ/ず なま-いとほし/と/おぼゆる/おほむ-さま/なり

当の本人は、ただわけもわからぬ状態で、気圧されつつましくしているほか態度のとりようがなかったから、今こそはこんな風なのが心くすぐられるというもの、まだ男をよく知らぬ娘が大切に愛育されているようなのがと、他に恋人がいることは大目にみられるものの、理由はわからぬながら、妙に申し訳なく感じてしまわれる女君のご様子である。

正身は ただ我にもあらず 恥づかしくつつましきよりほかのことまたなければ 今はかかるぞあはれなるかし まだ世馴れぬ人 うちかしづかれたる と 見ゆるしたまふものから 心得ず なまいとほしとおぼゆる御さまなり

大構造と係り受け

古語探訪

正身 06069

末摘花のこと。

今は 06069

これまでとの対比。これまでは、返事をしないことが光にとって物足りないことであったが、床入りという段では、「恥づかしくつつましき」様子が好ましいとの意味。

かかる 06069

末摘花の今している態度のようなの。末摘花そのものをほめているのではなく、末摘花を一般化してほめている点である。従って、次の「まだ世馴れぬ人のうちかしづかれたる」も、「かかる」と響き合っており、末摘花そのものではなく、一般論として男をよく知らぬ深窓の令嬢がいいと言っていると取りたい。

かし 06069

念押し。「というものだ」と言ったニュアンス。

見ゆるしたまふ 06069

大目に見られるということだが、一体何を許すのか。「まだ世馴れぬ人のうちかしづかれたる」は「あはれなるかし」の対象であり、光にとって好ましい事柄であるのだから、大目にみるべき欠点ではない。こういう箇所が前回述べた考えるポイントである。許すとは許し難い状況があるからであり、それを探せば、前回の「ねたくて」にゆきつく。光は他に男がいるのかと嫉妬して部屋に分け入ったのだが、それを大目に見たのである。光の心の動きを整理すると、女のつつましさを疎む段階、男がいるのを隠すためと疑る段階、床入りの段ではつつましい方方がいいと認める段階、しかしここで、男がいないと判断したのではなく、末摘花が経験がない、あるいは浅いと判断したわけではない。初の床入りでは、経験が浅く見える方がいいとセックス論を吐露したまでである。そして、そんな風にしている、つまり、つつましくしている末摘花を、先には嫉妬し自分ばかり相手にしてくれないと腹を立てたが、大目にみることにしたのである。一般論なのか末摘花自身のことかを明瞭に区別しないと話がこんがらがるので注意。さて、ここでわたしは、二人がことをすませたと見ている。つまり「心得ずなまいとほし」はその後の感想だろうと踏んでいる。男女の交歓があれば、相手を理解し愛しさを感じるものであろう。しかし、光には理解できない溝が二人の間にある。それが、理由がわからないながら妙に申し訳なく思わせる原因。ふたりが肉体を交えることで、そのわからない部分が浮かび上がったのだとわたしは読む。

なまいとほし 06069

「いとほし」とは、自分の責任を感じること。「なま」は何だかというぼんやりしたものではない。無性に、やたらという感覚。ことをすませた後の後味のわるさ、申しわけなさばかりを味合わせる相手では、引きつけられる点など見出されようか、ついに光はうめき声をあげて(貴人が呻くなどということは余ほどのことである)、部屋を出て行ったのである。

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