月やうやう出でて荒 末摘花05章03

2021-05-11

原文 読み 意味

月やうやう出でて 荒れたる籬のほどうとましくうち眺めたまふに 琴そそのかされて ほのかにかき鳴らしたまふほど けしうはあらず すこし け近う今めきたる気をつけばや とぞ 乱れたる心には 心もとなく思ひゐたる

06051/難易度:☆☆☆

つき/やうやう/いで/て あれ/たる/まがき/の/ほど/うとましく/うち-ながめ/たまふ/に きん/そそのかさ/れ/て ほのか/に/かき-ならし/たまふ/ほど けしう/は/あら/ず すこし けぢかう/いまめき/たる/け/を/つけ/ばや と/ぞ みだれ/たる/こころ/に/は こころもとなく/おもひ/ゐ/たる

月がようやく出て、荒れた籬の様子を不気味みに思いながら、君が中の様子を眺めておられると、琴を命婦にそそのかされて、ほのかにかき鳴らされる風情は、まんざらでもない。もうすこし親しみのある、今風な感じになればよいのにと、取り乱した気持ちから命婦は、女君の様子をじれったく思っている。

月やうやう出でて 荒れたる籬のほどうとましくうち眺めたまふに 琴そそのかされて ほのかにかき鳴らしたまふほど けしうはあらず すこし け近う今めきたる気をつけばや とぞ 乱れたる心には 心もとなく思ひゐたる

大構造と係り受け

古語探訪

荒れたる籬のほどうとましくうち眺めたまふに 06051

うとましく」は上文には連用中止法に、下文には連用修飾として働いているとの注がある。早い話が、荒れた籬を光が「うとまし」、すなわち、気持ち悪く感じているのであるが、問題は、光が「うち眺め」ている対象である。諸注では「籬」を見ているように受け取れるが、それはおかしい。後に「心やすく入りたまふ」とあるから、光はこの時点では、邸の外にいる。つまり、籬の外だ。「眺め」という表現は、すぐ間近の対象を見ることには適さない表現だから、対象が籬であれば、光は籬を遠くから見ていることになり、故常陸の親王邸を遠巻きにしていることになる。しかし、そんな場所から琴の音を聞くことはあり得ない。邸の中でなければ、すぐそば以外で聞く場所はない。つまり、籬のもとにいて光は琴を聞いているのである。その籬が今し出た月の光を受けて不気味に見えているのである。では、光の「うち眺め」ている対象は何か、それは当然、光の気持ちが向いている方向である、末摘花であり、末摘花を取り巻く様子、要するに邸内の様子である。結局、不気味な籬越しに中の様子を窺っているのである。

け近う 06051

近づきやすさということ。

乱れたる心 06051

浮気性のという解釈が与えられているが、何ともとんちんかんだ。この文章の流れで、命婦が浮気性であるという説明を入れる必要は全くない。支離滅裂である。まず「乱れたる心」は、先ず、浮気の意味はない。心を取り乱している状態を示すのである。それは多く、恋に狂っている時の表現である。恋に狂い、平静さを保ち得ない状態、冷静な判断ができない状態を指すと考えて間違いない。従って、ここでも心が乱れているのは、光ゆえである。愛する光が他の女のもとに通おうとしているところに平静さが保てない理由があるのである。そうした心理状態で何を判断し損ねたかが次ぎに問題になる。「心もとなく思ひ」がそれである。末摘花は言ってみれば、恋敵である。憎んでもよい相手なのに、光の気に入るために親しみやすく今風な感じを身につけた方がいいと気を焼くところが、一種の倒錯になっている。これを「乱れたる心」と表しているのだろうと私は思う。もっとも、光と命婦が男と女の関係にあることを前提にしている。命婦が光とできているという解釈は、これまでなかったために不自然な感じを与えるかもしれないが、そう考えなければ読めない箇所が多くあることを、これまでにも再三繰り返してきた。あとは読者の判断に委ねよう。

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