おのおの契れる方に 末摘花03章01
原文 読み 意味
おのおの契れる方にも あまえて え行き別れたまはず 一つ車に乗りて 月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど 笛吹き合せて大殿におはしぬ
06029/難易度:☆☆☆
おのおの/ちぎれ/る/かた/に/も あまエ/て え/ゆき/わかれ/たまは/ず ひとつくるま/に/のり/て つき/の/をかしき/ほど/に/くもがくれ/たる/みち/の/ほど ふえ/ふき/あはせ/て/おほいどの/に/おはし/ぬ
それぞれ情を交わした女のもとにも、甘えた気持ちから別れてお行きにならず、ひとつの車に一緒に乗って、月が美しくも雲間にかくれる道中の間、笛を合奏しながら左大臣邸にお戻りになった。
おのおの契れる方にも あまえて え行き別れたまはず 一つ車に乗りて 月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど 笛吹き合せて大殿におはしぬ
大構造と係り受け
古語探訪
契れる 06029
約束があると解釈されている。しかし、以前も述べたが、今回の末摘花の訪問は急に思い立ったものであり、また、光自身は末摘花と懇意になるために、もっと長い間琴を聞いていたかったのである。とても先約のある状況ではない。「契れる」は、その日に約束があるのではなく、以前から将来を約束し、結婚した女である。そういう女のもとへは、近くを通った時には、寄って行くのが男の愛情であり、社会通念だったと考えるべきである。先約をすでにしていると考えるより、遠出をした時には、その近くの女のもとに寄るのが礼儀だと考えれば、ある女と大恋愛をしたその翌朝の帰りに、別の女のところへゆくという行動も、不自然なく読めるのである。契りをいったん結んだ限りは、生涯面倒を見るのであり、いつと決めずとも、機会があれば通ってゆくのである。
あまえて 06029
ある礼を越えて馴れ馴れしくすることで、通い先の女とに甘える、光と頭中将が甘え合うの二解釈が与えられている。しかし、後者であるなら、一線を越えた愛情が両者の間に働いていると読むことになろう、かなり強引な解釈だと思う。しかし、通う女に対して甘えるのも、女がほれてくれているから、それに甘えて行かなくてもいいだろうと考えるのだから、光の行動パターンとしてはうなずきにくい。これは、上で説明したごとく、女の家の近くを通る時には、寄って行くのが通例である。それを甘ったれた気持ちから、すなわち、自分に甘えて見過ごしたと読むのが自然であると思う。女が好意から行かないのを許してくれるわけではない。たとえば、光の中にあるこいうした甘えが、御息所との関係に出てくるのである。御息所が許してくれると光が考えるのでなく、自分の中に光は甘えを抱え込んでいると読む方が自然であると思う。
月のをかしきほどに雲隠れたる道のほど 06029
二つの「ほど」はともに時間と解釈されているが、前の「ほど」が時間であれば、月の美しいときになぜ雲隠れした道を通るのか、わたしには支離滅裂で理解できない。この「ほど」は程度を表し、月が美しいくらいに雲間に見え隠れする道を読むべきであろう。月が美しいのでなく、月が雲間に見え隠れする様子が美しいのである。