心を尽くして詠み出 末摘花09章08
原文 読み 意味
心を尽くして詠み出でたまひつらむほどを思すに いともかしこき方とは これをも言ふべかりけり と ほほ笑みて見たまふを 命婦 面赤みて見たてまつる
06138/難易度:☆☆☆
こころ/を/つくし/て/よみ/いで/たまひ/つ/らむ/ほど/を/おぼす/に いと/も/かしこき/かた/と/は これ/を/も/いふ/べかり/けり と ほほゑみ/て/み/たまふ/を みやうぶ おもて/あかみ/て/み/たてまつる
心を尽くして詠みだしになったであろうそのご様子をご想像になるに、とても恐れ多い行いとは、これをも言うべきものだろうと、薄ら笑いをうかべてごらんになっている様子を、命婦は顔を赤らめて拝見している。
心を尽くして詠み出でたまひつらむほどを思すに いともかしこき方とは これをも言ふべかりけり と ほほ笑みて見たまふを 命婦 面赤みて見たてまつる
大構造と係り受け
古語探訪
いともかしこき方 06138
身分の高い末摘花が精一杯思いをこめて詠んだものだから、歌としてへたでも、これもまた恐れ多いものと考えようという、半ば冗談口だが、ここには、歌は詠み人自身の反映であるという、言霊思想が隠れている点で興味深い。
ほほ笑み 06138
前回同様、薄ら笑いである。
命婦面赤みて 06138
末摘花の歌がひどいであろうと想像して恥じらっているとの解釈もよいが、ひとりの女として恋敵である末摘花からの歌を光が見るという場面に立ち会っていることに恥ずかしさを感じているとわたしは読みたい。そうすることで、光には光のドラマがあり、命婦には命婦のドラマが生まれるのである。ひとつの場面においてさえ、それぞれがそれぞれの思惑の中で行動している点、交響楽にもたとえられるこうしたドラマ構成が、他の古典にはない源氏物語の魅力である。紫式部日記の中で、重要でない人物へ感情移入する紫式部ならではであろう。